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鬼闘神楽  作者: 武神
第5章 聖竜に捧ぐ鎮魂歌
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零ノ舞 プロローグ5~光と不屈~

物語もやっと折り返しに入りました。

それでは第5章「聖竜に捧ぐ鎮魂歌」をどうぞ。

「いい加減にしなさいよ!」



 それはどことも知れぬ研究施設に響いた声だった。

 金属やガラスが飛び散る音と共に響いたその声の主は若い女。

 喪服の様に黒い着物を着、雪の様に白く長い髪を揺らす美貌の女だ。

 その女こそ、「陰陽寮」の幹部たる四天邪将・青龍位の【神流】、つまりは南条栞那であった。


 栞那は目の前で自分の事を怯えた目で見る少女を激しく睨みながら、息を荒げている。

 それも全て、予定通りに行く筈だった物事が、予想外の事態によって遅々として進んでいない為。

 そして、息を切らす程感情を揺らして声を荒げる栞那を前にしておきながら、栞那の予想を遥かに超えて気丈に振舞い続けているのは、死んだ筈の百瀬瑠璃だった。



「な、何回私の事を傷つけても……結果は同じ……ですっ! 一哉さんの彼女として……私は一哉さんを護ります…………っ!!」


「調子に乗ってるんじゃないわよ!!」



 瑠璃の反抗的な態度に遂に怒りの臨界点を迎えた栞那は、その腹部に蹴りを叩き込む。

 鬼闘師は勿論、怪魔と戦っても大きなダメージを与えうる程の蹴りだ。

 そんなものを一般人の瑠璃が喰らってしまえば、タダで済む訳が無い。



「がはっ……!! げえぇぇ!! ゲホッゲホッ――――!!」



 案の定、瑠璃はボールの様に蹴り飛ばされ、壁際に設置してある分析装置に叩きつけられる。

 ダメージは甚大だ。

 あまりにも大きな痛みに、胃からは内容物が無いというのに胃液が逆流。そして内臓の幾つかが破裂したらしく、吐血まで見られる。

 それでも瑠璃は痛みに悶える事以外のリアクションは取らない。

 怯えても、どれ程の苦痛を与えられようとも、決して頭を垂れず、そして泣き叫びも絶望もしない。

 苛立つ栞那はここ数日、瑠璃に八つ当たりにも近い暴力の数々を浴びせている。



 そしてそんな栞那を佐奈は冷ややかに見ていた。



「姉さん、さすがにやり過ぎ。このまま瑠璃が死んでしまったら、それこそムダになるんじゃない?」


「うるさいわね、佐奈!! そんな事私だってわかってるわよ!!」


「いいや、全然わかってないよ、姉さん。姉さんは感情に揺さぶられすぎてる。前の私みたいに、増幅した負の感情に引きずられて暴走してる」


「ふざけないで。この私がそんな事――――」



 苛立ちのままに、佐奈に掴みかかろうとする栞那。

 だが、後ろから聞こえてきた声に栞那の手が止まった。



「ですが、このままでは仕込みが無駄になるのは間違いありませんな。妹君の言う通りだと存じますよ、【神流】様」


「北神所長…………」



 「北神所長」と呼ばれた男は、脂ぎった禿頭と分厚い眼鏡、不健康そうな血色の悪い顔が特徴の中年であった。

 ヨレヨレのスーツの上から皺くちゃの白衣を羽織るその男は、対策院技術開発研究所の所長の座に就く男。名を北神宗一と言い、北神咲良の大叔父にあたる人物である。

 咲良が本家の長女である事に対し、北神宗一は筆頭分家の一つである祇園北神家の長男。当主の座こそ弟の宗次に譲ったものの、名門・北神家の出という事で、対策院に強い影響力を持つ人物である。


 そんな人物が今この場所に居て、そして栞那と共に居る。

 それを考えれば、結局佐奈自身も最初からハメられていたのだとわかってしまう。



(対策院と『陰陽寮』は恐らくグル……その目的が何かはわからないけど……。だけどせっかく得たこの地位と立場、この機会に利用させてもらうよ、姉さん)



 今の佐奈にとっては、特級鬼闘師という肩書も、魔術結社「陰陽寮」の構成員であるという事も、利用すべきファクターの一つでしかない。

 結局義姉の栞那の誘いに乗ったのも、あくまで自分の目的を果たす為に便利だと思ったからに過ぎない。そもそも佐奈は、心が割れて堕ちても栞那への憎しみを完全に失っている訳ではない。

 一哉を長きにわたって苦しめ続けた女の事を赦せる程、佐奈は寛大でも寛容でもなかった。



 そんな佐奈の思惑など知る由も無い栞那と北神宗一は、いまだに瑠璃の処遇を巡って口論を繰り広げていた。



「この娘は我々が探し当てた、【魔人】の適性が最も高い者。成功の暁には【壬翔】をも超える【魔人】となりましょう。ですから、もうしばらくです。エエ、もうしばらくお待ちください。必ずや【神流】様のお役に立つ【魔人】へと仕立てて見せましょう」


「貴方、そう言って既に何日経ったと思っているのかしら。私、仕事のできない奴と約束が守れない奴が一番嫌いなのよ」


「そうは仰いますが【神流】様。貴女様が直接手をかけているにもかかわらず、いまだに魔人化の兆候も見られないこの現状、何か手を考える必要性が――――」


「だからそれを考えるのが貴方の仕事でしょう? 違うかしら、北神所長。そしてそれが思いつかないのなら、この娘は廃棄処分にすべき。そうでしょう?」


「勿論その通りではございます。ですが、この貴重な資源を簡単に廃棄しても良いというものではございません。我々には時間が――――」



 生きた人間を目の前にして"資源"などと、どの様な思考回路をしていれば言えるのか。

 それが佐奈にはわからなかった。

 佐奈はこの3週間程で人間の悪意がどれ程醜いものなのか、身をもって知った。

 怒りや憎しみ、妬み、傲慢といった感情がどれ程のエネルギーを生み、そして人を壊すのか。佐奈はその事を己の身を代償に痛感した。

 陰霊剣という力に溺れた結果、壊れかけの肉人形と化した。


 義姉は――――南条栞那は壊れている。

 反論の余地無く、一部の隙も無く壊れている。

 見た目こそ美しい妙齢の女だが、その心はもはや人間ではない。

 これが人間なのだとしたら、猿やチンパンジーすら人間認定出来るだろう。

 少なくとも佐奈はそう考えていた。


 だからこそ、この場は佐奈が引き取るしかない。



「姉さん」


「何よ、佐奈。こっちは取り込み中なのよ」


「それくらいわかってる。だからこそ声をかけたんだよ」



 佐奈は壁にもたれ掛かって気絶しかけている瑠璃に近づく。



「瑠璃を私に任せてくれない?」



 佐奈の言葉に怪訝な表情を浮かべる栞那。

 勿論これから栞那がしようとしている事を考えれば、「陰陽寮」に参加したばかりの佐奈がそんな事を言いだす事自体が不審と取られても致し方ない。

 それでも。



「瑠璃の事は私がよく知ってる。姉さんよりも、瑠璃の事をたくさん知ってる。だから、瑠璃を壊すのなら私の方が適任じゃない?」



 瑠璃の事はこの場に居る誰よりもよく知っている。

 誰よりも臆病なくせに、誰よりも心が強い事を知っている。

 だから、このまま栞那が瑠璃を痛めつけたところで、少女の死体が一つ増えるだけだ。



「さなぁ……」



 内臓が破裂して尋常じゃない痛みが襲っているだろうに、瑠璃は気丈にも佐奈の名を呼ぶ。

 そんな瑠璃を無感情に見やってから、栞那からその主導権を奪う。



「佐奈。まさか貴女、その子を連れて逃げるつもりじゃないわよね?」


「まさか、それこそ冗談。姉さん一人に勝てない私が、ここから逃げ切れる訳ないじゃん。心配しなくても、姉さんの望む状況に持っていってあげる」



 そうして佐奈は瑠璃を抱え、実験室を出て行った。





「ねぇ、瑠璃…………なんで自分が生きてるか、わかってないでしょ」



 百瀬瑠璃が生きている。

 その事実を知った時、佐奈には僅かながらに二つの感情が芽生えた。

 それは喜びと悲しみ。

 自分の親友が生きていてくれて嬉しい。

 だけど、これから親友が辿る苦痛と絶望の道を考えたら、それは悲しみでしかない。


 今の佐奈には殆ど感情が残っていない。

 記憶の中にある自分の性格なら、涙を流して喜んだ様な事も、親友の末路に心痛める様な事も、佐奈の心をほんの僅か、ごく僅かにしか動かさない。

 それは陰霊剣を破壊され続けた事で陥ってしまった、不可逆の損傷。


 今の佐奈にとって、この状況はドラマを見ていて「あー、かわいそうだなあ」と思うよりも更に薄い感情の波しか起こさない。はっきり言って、栞那の眼を盗む動機となる程のものでは無い。

 それでも佐奈が行動を起こしたのは、自分の記憶にある佐奈なら、やはり瑠璃の事を救うために行動しただろうと思ったから。



「瑠璃はね、目をつけられてしまったの。この国の最も深い闇に。私や兄さんでも到底太刀打ち出来ない、昏い昏い深淵の底に」


「…………」



 既に瑠璃の容態は最悪と言って良い程に悪化していた。

 本来であれば、栞那の一撃を喰らった後にすぐにでも治療に入らなければならない程だった。

 恐らく意識も朦朧としているだろう。

 今話している佐奈の言葉すら聞こえているか怪しい。



「あの時…………私も兄さんも、絶対に瑠璃は死んだと思ってた。心臓を刀で刺し貫かれて、指先一つ動かさなくなって、何の気も感じられなくなって、それで瑠璃の死を確信した。」


「…………」


「でもね、そんなのは姉さんのパフォーマンスだったの。あの女の陰霊剣『氷姫』の真の権能。それを遣えば、死体の一つや二つ、簡単に偽装できる」


「…………」


「何の為にやったかって? 私を都合のいい駒に仕立て上げて、兄さんに陰霊剣を習得させ、そして瑠璃を兄さんを苦しめる為の手駒にするための猿芝居だったんだよ」


「…………」


「って、瑠璃にこんな事言ってもわからないよね……」


「さ、な…………わた、しは…………」



 瀕死の瑠璃から紡ぎ出される言葉はとても小さい。

 掠れきって、声を出す体力すら残っていなくて。だがそれでも、瑠璃は必死に佐奈に応えようとする。



「瑠璃…………ここで私が瑠璃を治してあげたとしても、もう数日ももたずに殺されると思う。瑠璃が死体偽装してまでここに連れてこられたのは、全部【魔人】と呼ばれる化け物へと改造するため」


「じゃ……あ…………さな……は? さな、も、わた……しを…………」


「大丈夫、瑠璃。私がそんな事させない」



 その言葉を聞いた瑠璃は苦悶に歪む表情を初めて笑顔の形に崩した。

 それは今の佐奈ですら、やはり護りたいと思えた。

 本当なら恨まれても仕方が無いのに、瑠璃はまだ佐奈の事を友達だと思ってくれている。

 そんな瑠璃の笑顔は感情のほぼ全てを失ってしまった今の佐奈でも、心を動かされるものだった。



「あり……がとう…………さなは………………やっぱり……」



 だが、今更佐奈一人の力で「陰陽寮」の実験も計画も止められはしない。

 そんな事が出来ているのなら、あの乗鞍高原での戦いのときに栞那に勝てていた筈だ。

 それに何より。



「瑠璃、ごめん。今の私は、瑠璃の知ってる私じゃない。今の私に感情はほとんど無い。今の私は、自分が覚えてる私の姿から、本来あるべき自分の姿を演じているだけなの。だから、私は優しくなんてないし、瑠璃だって本当は救えない。私にできるのは、与えられた役割を演じ切る事だけ」



 感情が希薄な今の自分では、もはやできる事など何もない。

 空っぽな自分に最後に残されたのは、幾つかの想いと、兄・一哉を手に入れるという目的だけ。

 残された僅かな感情と、微かな義姉への憎しみ、そしてたった一つの目的すら失ってしまえば、それは最早、南条佐奈だった肉人形ですらなく、ただの肉塊へと成り下がってしまうのだから。


 それでも瑠璃は力無く微笑んだ。

 まるで今の佐奈の事を心底理解していて、それでも尚、佐奈を赦すと言わんばかりに。



「いい……の…………それでも……さな……は……」


「ごめん。今の私はこんなだけど、信じてもらえないかもしれないけど、それでも瑠璃の事、一番の親友だって思ってるから……だから……」



 瑠璃は静かに目を閉じた。

 これから起こる事全て理解しているかの様に。



「だい……じょうぶ…………しんじ……てる……から……」


「ありがと、瑠璃。あんな壊れた私を見せたのに、こんな残骸になり尽くした私なのに信じてくれて。…………姉さんが創った術を遣うのはなんだか癪な気もするけど――――今の私に出来るのはこれぐらいしか無いから…………瑠璃の心だけは……護ってみせるから…………」



 佐奈は瑠璃を床へと横たえて、自らも床へと座り込む。



「瑠璃…………これからはずっと一緒に…………」



 そして佐奈は瑠璃の胸に手を当てて、言霊の詠唱を始めた。



「――――《我は魂を喰らいし者 汝は魂清き者 天と天は夢幻の彼方で混じりあう 魂運ぶ箱舟 流れる先は我が身体也 北の亀 東の虎 西の龍 南の朱雀 全てを司る黄金の龍 喰らえ 裂け 混じりあうは我が神と其の神…………》」



 今、蒼い光が佐奈と瑠璃を包み込む。







「お待たせ、姉さん」



 佐奈が研究室を出てから約2時間。

 佐奈が連れて入ってきたのは、もはや精気の欠片も感じられない瑠璃だった。



「佐奈、大口叩いて出て行った割には随分苦戦したようじゃない」


「勘弁してよ、姉さん。言っちゃ悪いけど、姉さんのやり方じゃ一生かかってもできなかったと思うよ」


「ふん…………」



 図星を突かれて機嫌を損ねたのか、不機嫌そうにそっぽを向く栞那。

 もうすぐ30に近い年齢だというのに、随分と子供っぽい性格である。



「それで? その生気の無い眼、完全な廃人にしたんじゃ意味が無いんだけど?」


「姉さん、私がそんな凡ミスするわけないじゃん。ちょっと私の見せた幻覚の副作用が強すぎて一時的にこうなってるだけ」


「幻覚……? そんなものどうやって…………」


「咲良ちゃんに教えてもらったから。祈祷師の術って地味にえげつないの多いからね。何かの役に立つと思って覚えてたけど、こんな風に使えるとは思わなかったな」


「そう」



 佐奈の話に興味無さげに相槌を打った栞那は、先程迄とは打って変わって静かになった瑠璃に手を伸ばす。



「さあ、一哉。第二幕の始まりよ」



 一哉を呑み込まんとする狂気は、再びその牙を研ぎ始めていた。

しばらく6~7話程は連続更新(3日に1度)していきます。

次話、壱ノ舞は前章エピローグの後の一哉の視点です。

よろしくお願いいたします。


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