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鬼闘神楽  作者: 武神
第4章 滅亡の氷姫
112/133

参拾陸ノ舞 絶望へようこそ

エピローグを除き、第4章最終話となります。

最後の最後で駆け足でいろいろとすっ飛ばしているのは5章のお話。

地の文があまり納得いっておらず、書き直すかも……

 一哉に突きつけられるのは、もはやピクリとも動かなくなった、百瀬瑠璃だったもの。

 決して物言わぬ、少女の屍。

 それを見て一哉は愕然と崩れ落ちる。

 氷で縫い付けられた足はそのままに、自らが傷つく事も構わず。



「そんな…………どうして、瑠璃ちゃんが…………っ! どうしてこんな…………っ! どうしてこんな簡単に、人の命を…………また俺の前で命が…………っ!!」


「一哉。貴方に本当に必要なものをよく考えなさい。8年経った今なら、理解してくれるよね?」



 そんな一哉の様子を愉しげな顔で見下ろす栞那に、一哉は何も言い返せない



「うわあああああああああぁぁぁぁぁ――――っ?!」



 そして一哉と同様、呆然と瑠璃の亡骸を眺めていた佐奈が、突如絶叫を上げる。

 静寂な夜を切り裂くかの様な佐奈の絶叫がこだますると同時に、とてつもない圧と量の陰の気が放たれた。

 まるで佐奈の絶望を体現したかの様なその気は、禍々しく、この世の全てを飲み込もうとしているかの様に底が見えない。この世の地獄を一人で体現したかの様に重々しく恐ろしげで、悲しみに溢れた姿が痛々しくて見ていられない。



「さ、佐奈…………」



 佐奈の心を引き裂くような絶叫に、一哉は声をかけることしか出来ない。

 一哉自身も身を引き裂かれる様な思いが心の中に渦巻いている。

 例え愛していなかったのだとしても、仮にも恋人が殺されたのだから、一哉にもその死に胸を引き裂かれる様な悲しみが渦巻いている。


 それでも佐奈の悲しみと絶望は一哉には計り知れない。

 瑠璃は佐奈にとって親友だったのだから。

 もう何度も傷を負った佐奈に対して、トドメの様に突き付けられた現実が佐奈を深く傷つけた事は考えるまでも無く明らか。

 そんな佐奈の絶叫は、一哉にとって悲痛で聞くに耐えない絶叫だった。



「ああああぁぁぁっ!! なんで! どうして?!」



 その可愛らしい顔を涙でグシャグシャにし、頭を抱えながら必死に否定しようと頭を振るう妹の悲痛な姿に、一哉は最早何もしてやることが出来ない。

 最早、佐奈に声をかける事も出来ない。

 瑠璃は、一哉が歪ながらも恋人という関係を認めてしまったが故に殺されてしまったのだから。


 目の前で母を殺され、兄を殺そうとする義姉を目撃し、そして今、親友をも目の前で殺された。

 佐奈の負った心の傷の深さは、一哉には窺いしれない。

 一哉も同様の体験をしてはいるが、佐奈の絶望を真の意味で理解してやることはできない。何せ、8年間も記憶を封印してその恐怖から逃れていた男には、同情する資格すら無いのだ。

 例え黒きオーラに呑まれ、妹が壊れようとしていても、今の一哉には寄り添うことなど出来はしない。



 しかし、そんな事は栞那には関係が無い。

 義理の姉は容赦なく佐奈を追い詰める。



「わかったでしょう、佐奈。私の許可なく一哉に手を出した者の末路が。佐奈、これは私のモノに勝手に手をつけようとした罰よ」


「瑠璃…………瑠璃ぃ…………!」


「かつて私と一哉は身体の関係まで結んだ。だから私達は本来、生涯を伴にしならなければならない」


「ゆる……さない……赦さない………………っ!」


「でも私はある時気付かされたのよ。ただ身体の関係を結んだぐらいで満足してちゃいけないって。まだ、ソレじゃたりないってね」



 栞那は瑠璃の遺体から刀を引き抜くと、黒鉄にその亡骸を投げ渡した。

 瑠璃の遺体をまるでゴミを扱う様に振る舞う栞那を、そして未だ頭を振り続けながら呪詛の言葉を吐く佐奈を、一哉はただ涙を流して見ていることしか出来ない。



「世の中には肉体関係を結んだところで破局するカップルだっているし、そもそも身体だけ繋がろうとするなら、愛なんか要らない。だから世の中にはセフレなんてものがあるんだし、レイプなんてクズみたいな事をする人間も居る。私はね、その事を痛感したのよ」


「黙れ……黙れ……」


「だから私は選んだ。一哉と真の意味で一つとなる道を。お義父様も、佐奈も、友達も、社会的な身分も、鬼闘師としての立場も、自分の生命すらかなぐり捨てて」


「黙れ黙れ…………黙れ黙れ黙れ黙れ黙れだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれぇっ!! お前はここでっ!! 絶対にぶっ殺す!! 肉片一つ残さず…………消え失せろぉ!!!!!!!」



 佐奈は絶叫の末に薙刀を力任せに振るう。全ての悲しみを、全ての怒りを、全ての憎しみをその刃に載せて。

 その刃は、佐奈の昏いオーラを巻き込んで漆黒に染まった怨嗟の刃であった。間違いなく南条佐奈が全身全霊で放つ、瑠璃に対する弔いの一撃であり、瑠璃の仇を討つための一撃であり、そして佐奈自身の夢の世界を破綻させた者に対する断罪の一撃でもあった。

 だがそれでも。



「『封氷杭』――――『氷槍』――――『細撃』」


「う゛ぁ…………っ!!」



 佐奈の薙刀が瞬時に氷の壁に閉じ込められ、さらに同時に、糸の様に細くなった氷の槍が佐奈の左薬指を打つ。

 こんな事は普通は出来ない。

 通常の霊術の二重起動では、同時に起動する術の標的は全て同じになる筈だというのに、栞那は全く違う標的に対して、別々の術を同時に発動して見せた。しかも氷の壁は術の起動と同時に完成しており、明らかに霊術の規格を大きく逸脱した威力を持っている。

 何をしているのか、天才と呼ばれる一哉をもってしても全くわからない。

 一哉に見えたのは、栞那が薙刀を氷付けにして防いだこと、そして佐奈の指から何かが光の粒子と化して消え去ることだけ。



「さぁ、最後のチャンスよ、佐奈。ここで死ぬのか、それとも私と共に来るのか。今すぐに選びなさい」


「…………」



 佐奈は答えない。

 それも当然と言える。

 気の増減の様子から見て、佐奈は全力の一撃を二度栞那に対して放とうとしていた。だが、そのどちらも霊術が発動する前に栞那に止められてしまっている。

 そんな状況で打てる手など無い。


 栞那には隙が全く無い。

 一哉自身、瑠璃の死を前にとても平静を保っていられない状況とはいえど、この状況で栞那に攻撃を仕掛けて勝てる見込みは薄い。

 一哉の見立てでは、栞那の力は自分の知っている8年前のそれよりも遥かに超越している。

 最悪、全ての能力を出し惜しみなく遣って戦ってようやく引き分けといった可能性もある。

 しかも今の自分は脚を氷漬けにされて縫い留められている状態。

 まず自分を封じる氷を壊すという一手を挟む必要がある以上、確実に栞那に先手を取られる。


 手を出せない一哉はここでも歯噛みするしかない。

 黙っていて何かが解決するわけでもないのに、一哉の身体は栞那に魅入られたかのように動かない。


 そして佐奈は。



「そっか…………そうだったんだ」



 そう、ポツリと呟いた。



「ううん。そうじゃない……ずっとわかってたよ。私はわかってた…………」


「佐奈……?」



 俯いたままブツブツと呟く佐奈は恐ろしく不気味だった。

 そしてそれ以上に、何を考えているのかわからない。

 佐奈の性格上、瑠璃を目の前で殺されたとなれば、一哉以上に激昂してもおかしくはない。

 だというのに、今の佐奈はひたすらに静か。



「佐奈!! 一体どうしたんだ!!」



 そんな妹の姿に、言い表せぬ不安を感じ取った一哉は声をかけるが、佐奈は最早動く事も喋ることもせずにただ立ち尽くすのみ。



「あら? もしかして壊しすぎたかしら。そっちの方向に壊れてもらうと困るのよねぇ」


「どういう意味だ、姉さん!!」


「そのままの意味よ。この子には、陰霊剣を習得した者として私達の仲間になる義務がある」


「陰…………霊剣? なんだよ、それは…………。それに佐奈が姉さん達の仲間になるだって? 何を勝手に――――っ!!」


「貴方にもいずれわかる時が来る。貴方が陰霊剣()を手に入れたその時に」



 陰霊剣という聞きなれぬ単語。

 そして義姉・栞那の思惑。

 一哉の知らぬところで何かが、何か大きな悪意が動いている。

 4か月前の【鵺改(キメラ)】出現の時から全て栞那が裏で動いているのだとしたら、今ここで佐奈がおかしくなっているのも、瑠璃がここで殺された事にも何か訳がある筈だ。

 栞那や黒鉄が所属する組織の思惑が必ずある筈だ。


 だが、それが皆目見当がつかない。

 陰霊剣という単語に関係がしているのか、それとも他の事なのか。

 佐奈を引き入れようとする事に何の意味があるのか。

 そして、一哉が陰霊剣を手に入れるという栞那の言葉。


 栞那やその裏に居る者達の意図がわからぬ中、その時は唐突に訪れた。



「姉さん…………私は姉さんについていく」


「な、何言ってんだ、佐奈……?」



 思いがけないその言葉に、一哉は頭を鈍器で強烈に殴られたかのような錯覚に陥る。

 栞那達が所属する組織がどういったものかはわからない。

 だが、式神怪魔を仲間とし、【魔人】や人造怪魔を尖兵として扱う様な集団が、マトモな組織な訳が無い。

 そんな事は考えるまでも無いというのに、佐奈は何故そんな回答をしたのか理解ができない。



「兄さん。私も姉さんと同じ。私には兄さんさえいれば他には何もいらない。私にはもう、兄さん以外何も必要無い。だからこそ兄さんの下を去って、姉さんについていく」


「何を言ってるんだ、佐奈!! 姉さんに何を言われたのか知らんが、そんな誘いがマトモなものな訳が無いだろう?! よく考えろ!!」


「よく考えろ? よく考えたよ。何回も何回も。何日も何か月も何年も。私、ずっとずっとずっとずっとずっとずっと考えてた。どうして兄さんと一緒になれないのかって」


「一緒になれないって……俺達は家族だ。ずっと一緒に――――」


「そういう事を言ってるんじゃない!!!!」



 冷気立ち込める夜の広場に佐奈の声が響いた。

 その声は一哉に初めて向けられる拒絶の声。

 虚ろな瞳に涙さえ浮かべた佐奈に、一哉がかける声など無い。



「私は兄さんに、兄さんとしての役目なんか求めてない!!」


「な……っ!」


「兄さんは……兄さんを私の、私だけのものにしたかった。なってほしかった。ずっとずっと昔から。兄さんを私だけのものに…………それだけが私の願い」


「佐奈……お前……」


「ずっとそんな事できっこないって思ってた。そんな事しちゃいけないって、しても兄さんを困らせるだけだって思ってた。だから私は兄さんに私の代わりを宛がおうとした。私が傍に居ても不自然じゃない人と兄さんが添い遂げてくれれば、私もずっと一緒にいられると思ったから…………。だから咲良ちゃんや瑠璃ちゃんを兄さんと付き合わせようとしていた。でもね、瑠璃が死んじゃったから、それも全部パー。全部無駄なの」



 佐奈が何を言っているのかは。

 今の一哉には少しはわかっていた。

 記憶を取り戻したその時に、同時にトラウマも理解したから。


 今になって考えればよく分かる。

 咲良の言葉も、瑠璃の行動の意味も今ならよくわかる。

 二人が佐奈が選んだ人間だからこそ、デートしたり、告白してきたりという事が起きたのだと。

 その事も今更ながらに理解できた。



「だけど。いや、だから私はわかったの。私自身が兄さんを手に入れないと意味が無いって事に。だって私の願いは兄さんと一緒になる事。兄さんの身も心も、血も肉も、私が手に入れて初めて私の願いは叶う。そのためには……むしろ咲良ちゃんも瑠璃も邪魔だって事に気付いたんだよ」



 だが佐奈はそんな過去すら否定しようとしている。

 本当に何もかもをかなぐり捨てて自らの望みを叶えるために。

 本来なら佐奈が決めた道だ。一哉に口出しする様な権利は無い。

 それでも、一哉はそんな佐奈を否定せざるを得ない。

 佐奈が瑠璃を否定してしまえば、もう瑠璃の死が何の意味も無いものになってしまう気がしたから。



「佐奈、それは流石に聞き捨てならないぞ…………! 瑠璃ちゃんがどれだけお前を心配してたと思ってるんだ!! あの子はお前の為を想って……」


「知ってるよ。だけど、私の計画を遂行できなかった時点でもう用済みなんだよ。だから私は姉さんについていく。例えこの人が世界一狂っていて間違っていたとしても、私が兄さんを手に入れられる確率が少しでもあるのなら、私はこの人についていく」


「ふざけるな!! 瑠璃ちゃんは……瑠璃ちゃんはお前に思うように生きてほしいと言っていた……。でもそれは、今みたいに欲望をさらけ出して、誰かに迷惑をかけて、って事じゃない。佐奈、お前も含めてみんなが笑顔でいられる事。それが彼女の願いだったんだ……!! お前はそれを、親友の願いを蔑ろにするのかよ……っ!」



 それはかつて、一哉が瑠璃から聞いた言葉。

 あの日の屋敷の応接室で、瑠璃は佐奈にどうして欲しいかという問いを投げかけた時のその答え。

 だが、佐奈の心にもうそんな言葉は届かない。

 一哉の声も、今は亡き瑠璃が残した言葉もその閉ざされた心に染みわたりはしない。



「アハハハッ!! 何それ? 瑠璃がそんな事言ってたの? バッカみたい」


「なんだと?」


「もう瑠璃はこの世に居ない。そんな死人の言う事に従っている様な余裕は私には無いの。だから私は、私の心だけに従う。兄さんを手に入れる為なら、私は兄さんの言葉だって聞く気は無いよ」



 途端、佐奈を拘束していた栞那の氷が崩れる。

 そして、自由となった佐奈は栞那の隣まで歩いていき、一哉の方へと向き直った。


 最早縛るものの無くなった佐奈は、ゾッとするような笑みを浮かべて一哉に再び語り掛ける。

 もう一哉にはわかってしまった。

 今の佐奈は8年前の栞那と同じ目をしている。

 だから、次に何を言うのかも大体予想がついてしまう。

 だが、それは認められない。認めたくない。



「私はもう今までの世界に居るつもりはない。私は兄さんへの想いを自覚してから、この世界を恨まなかった日は無い。近親者だからといって、本当に愛している人とずっと一緒に居られないなんて、そんなの間違ってる」


「やめろ…………」



 佐奈の言葉を聞いてしまえば、決定的に変わってしまう。

 兄妹という枠組みも、今までの生活も、二人を取り巻く環境も。

 そして一哉と佐奈の関係も。

 だから一哉は聞きたくはなかった。

 聞いてはいけないと、耳を塞ごうとした。

 それでも。



「ずっと私は寂しかった。足りなかった、満たされなかった。私が実の妹だからって、この世界はそんな当たり前の事も許容しない…………。私はそれを許容しようとしないこの世界をずっと憎んでた。だから壊してやるんだ、何もかも!!」



 佐奈は止まらない。

 止められる訳が無い。

 一哉には、今の佐奈を止める力も資格も無いのだから。



「やめろ、佐奈…………」


「親も親友も目の前で亡くした。この世界で一番愛している人は、私の事を愛してなんかはいない。こんな思いを何度もするぐらいなら、私は全てをかなぐり捨ててでもこの世界を壊して、私の望むとおりに作り替えてやる…………アハハハハハッ!! そうなったら楽しいよ。きっと楽しくなるよ、兄さん!」


「やめてくれ!!」



 一哉は反射的に刀を抜いていた。

 凍りついた自らの足が傷つく事も厭わず、先程の様に自らの不利など考えずに。

 だがそれは決して佐奈の事を想って動いた訳ではなかった。

 当然ながら、義務感や鬼闘師としての任務などの事が頭にあるわけもない。


 理由はただ一つ。

 一つしか無かった。

 今も昔もその一つしか無い。



 ――――裏切られたくないから。



「佐奈ああぁぁっ!!!!」



 一哉は佐奈に斬りかかろうとする。

 自らが最愛の妹とすら言う、実の妹にすらその刃を向けようとする。

 全ては自己愛。全ては自分の為。


 妹の為などとあたかも崇高な事を言っているように見せかけて、結局は全て自分自身の為。

 裏切られたくない。

 裏切られた自分を認めたくない。

 ただそれだけで。



「佐奈――――やりなさい」


「うん、姉さん…………」



 佐奈は薙刀を振り上げる。

 その既存の型を嘲笑うかの様な無茶苦茶な体勢で。

 鈍く光る刃を夜空に煌めかせて。



「結べ『血染花嫁』」



 佐奈の左手に赤黒い光が集まり、そして刃の周りには黒き気が集まる。



「おおおおおぉぉぉぉぉ――――っ!!」



 一方の一哉はその光の意味を考える事もせず、ただ激情に任せて斬りかかるだけ。

 渦巻く大量の陰の気の意味を考えようともせず走るだけ。


 一哉は振り上げられた黒い刃に向かって走る。

 そして――――黒い凶刃は振り下ろされた。



「――――っ?!?!」



 一哉は佐奈の攻撃をガードした。

 ただ愚直に振り下ろされた刃を自分の法具たる愛刀で受け止めた。

 その筈だった。



「兄さん、そんなもので防げるわけないでしょ? 私は史上最速で昇格した特級鬼闘師。既に兄さんとは違う次元にいるんだよ」



 一哉の法具「神裂」と「鉄断」は斬り落とされていた。

 折れた、などと生温いものではない。

 綺麗に斬り落とされている。

 「神裂」も「鉄断」も仮にも法具。

 元々鍛える時点で霊的な強化が施されているうえに、一哉の霊術で強化されていた筈だった。

 事実、今までの5年間で二振りとも多少雑な扱いをしたところで刃こぼれすらしなかった。

 常軌を逸した強度と高い霊力伝達性。

 それを兼ね備えた、言わば理想的な法具だった筈だった。

 だというのに。



「どうなって……るんだ……っ!!」



 佐奈の薙刀は一哉の刀の刃を二振りとも一気に斬って落とした。

 それも一哉の身体ごと。



「やっぱり加減が難しいね。私の『血染花嫁』の権能のせいで、私は()()()()()()()()()()。だから薄皮一枚斬るつもりだったんだけど、失敗しちゃった」


「ぐ……っ」



 左肩を浅く斬られただけ。

 戦闘としては大したことではないのは確か。

 だが、佐奈の言う通り手を抜いてこの結果なのだとしたら。

 最早、今の一哉では勝負にならない。



「じゃあね、兄さん」



 佐奈の蹴りが胸部を直撃。

 一哉はまるでボールの様に吹き飛ばされ、倒れる。


 この現実の前に、一哉はもう耐えられそうもない。

 死んだはずの義姉が現れ、仮初の恋人を殺され、そして実の妹に裏切られた。

 そして今の一撃で嫌という程思い知らされた。

 佐奈は最早、一哉の下に戻りえない。今や敵と化したのだと。


 そう考えた途端、一哉の視界が紅く染まり始めた。

 そして思考が真っ黒に染まっていく。

 悲しみ、憎しみ、怒り、絶望。

 そういった感情がない交ぜとなって一哉の心を黒く染める。

 そして自らの内側から、佐奈のものとよく似た陰の気が噴出を始める。



 そんな一哉を見た栞那が、佐奈の頭に手を置いて薄く笑う。

 全ての目論見を達成したと言わんばかりに。


 その光景を見た瞬間。

 一哉の中で何かが弾けた。

 8年前、栞那に殺されかけたあの時からずっと抱いていた感情と共に。



「ふざけるなあああああああ!!!!」



 まるで何かが生まれるかのように膨れ上がっていく黒い何か。

 一哉はそれをどうすれば自分の力とできるのか、なぜかわかっていた。

 そして。



「君臨せよ!『月影封魂(げつえいふうこん)』――――っ!!!!」



 その「命令」と共に一哉の右手に漆黒の刀が生まれる。

 それと同時に、爆発的に高まった陰の気が放出される。

 周りに居る者を戦慄させるほどの、悍ましい気。

 光を呑みこむ漆黒の闇。

 それを体現した絶望の刃。

 手にしたと共に一哉に満ちる万能感。

 直感的に感じた、勝利と蹂躙の予感。

 一哉はその予感に従い、そして自らの魂に響く声に従って権能を遣う。



「止まれ」



 その声と共に、栞那と佐奈の動きがほぼ完全に止まった。

 ここは最早一哉の独壇場。

 今の一哉を止められる者など居るわけがない。

 そう思ってしまう程に満ち溢れる全能感と、滾る力は一哉の思考能力を奪う。

 二人とも最早家族などではない。裏切った家族など生かしてはおけない。

 それが自分の心を護るための掟。自分を正当化するための絶対の法。


 一哉はすぐに近づいて、栞那の首目掛けて漆黒の刃を振り下ろし――――



「残念だったわね、一哉」



 そしてその刃は栞那に届かない。

 権能の効果時間が切れたのか、首筋目掛けて振るった刀は、栞那が生成した氷に阻まれていた。


 一哉は完全に栞那の動きを止めたはずだった。

 行動だけではない。感覚、知覚、思考、その全てを停止させた筈だったというのに。

 思ってもみなかった展開に、一哉は思わず狼狽える。

 そして、その僅かな動揺が決定的な隙となる。


 栞那の正拳突きが一哉の胴に重い一撃を与える。

 一哉は僅かに反応が遅れ、ガードが間に合わず、攻撃をモロに喰らう。

 あまりの威力に一哉もよろめく。


 さらに栞那はカウンターで氷の刃を生成して攻撃してきたため、一哉はガードでは無く、撤退を余儀なくされた。

 もはや人外と言っても過言ではない跳躍力でバックステップした一哉は、大きく栞那から距離を取る。

 そして再び三人の距離が戻った時、栞那は最早その闘気を鎮めていた。



「今日はここまでにしましょう」


「ふざけるな!! 俺にここまでの事をさせておいて。俺にこんな力を手に入れさせて今更ここで止めにするだと?! 人を馬鹿にするのも大概にしろ!!」


「いいえ、ふざけてなんかないわ。貴方が陰霊剣に目醒めた時点で目的は達せられた。そして今の貴方が陰霊剣の権能を全開で遣ったとしても、私には決して勝てない」


「何を……っ!!」



 怒り狂う一哉に対し、それでもなお、栞那は余裕の表情だった。



「見なさい。自分の足元を」



 栞那に指さされて、自分の足を見る一哉。

 そこには、いつの間にか再び氷漬けにされた自分の脚。



「そういう事よ。私の技を見切れない限り、貴方に勝ち目は無い。今戦っても時間の無駄よ」



 そう言うと、もう用は無いと言わんばかりに栞那は踵を返した。

 そして最早一哉の方を見る事も無く、冷たく言い放った。



「一哉、これから覚悟していなさい。私は貴方から恋人を奪った。最愛の妹も奪った。だけどまだ終わりじゃないわ。私は貴方から、貴方自身を含めて何もかも全てを奪う。咲良も東雲結衣も、そこで転がってるバカな女もね。貴方をもう一度、私のモノにするために。私と貴方と……そして佐奈との幸せな時間の為に」


「姉…………さん…………っ!! …………佐奈…………っ!! 俺は…………俺は赦さない…………っ! 俺を…………俺の信頼を裏切ったお前らを、決して赦さない…………!!」


「そうよ、それでいいのよ。もっと堕ちなさい。光届かぬ深淵迄。二度と光の世界に戻れぬよう、堕ちて堕ちて堕ちつくし、這い上がれなくなったら。闇の中に囚われたなら、また会いましょう。今度こそ一つになりましょう」



 そう言って去ろうとする神流の背中を、一哉がただ黙って見ている訳が無い。

 即座に霊術起動の為に右手に生成した漆黒の日本刀「月影封魂」を振り上げようとするが。



「『氷槍』――――」


「くっ…………!」



 栞那が放った高速の氷の槍に弾かれ、「月影封魂」を取り落としてしまう。

 何の予兆も無く昏い光の粒子となって消える刀を一哉は呆然と見るしかない。

 さらに続いて。



「『氷飛礫』――――『連弾』」



 氷の塊を何の予備動作も無く、しかも凄まじい身近さのインターバルで連射してきた。

 言霊の詠唱も無く、標的の指定もすることなく、挙句の果てはこちらを見やる事すらなくそれは放たれた。「連弾」と宣言した新たな技術なのか、新たな霊術なのかもわからない手段によって、ただ一つ氷の塊を飛ばすだけの霊術「氷飛礫」は氷の弾幕と化したのだ。

 最早棒立ちとなった一哉に取れる手段はただ一つだけ。



「――――君臨せよ『月影封魂』!!」



 「月影封魂」を再顕現させ、その後瞬時に土壁を造り出して防御する。

 通常、法具を使い、術を作用させる対象に触れさせない限りは扱えない筈の霊術を、「月影封魂」の顕現だけで起動する。勿論一哉の中では、こんな霊術の基本を根底から覆す方法がある事に戸惑いを隠せないのだが、「それが可能だ」とわかってしまった以上、遣わない手は無かった。

 しかし。



「うああ……っ!!」



 氷の礫の一つが地に伏せる莉紗の背中の肉を大きく抉って通り過ぎた。

 即座に血による修復が始まるが、元々生きているのが不思議な程の傷を負っていた莉紗は、この一撃がトドメとなった様に全く動かなくなる。


 普段の一哉であれば、例え敵であったとしても栞那の攻撃から莉紗を護る位の事をしただろう。

 それだけ南条一哉という男は人の死を恐れていた。

 だが、今の一哉にそんな気持ちなど欠片も無い。

 故に莉紗を護るという選択肢自体が一哉の中に存在しない。


 そして栞那の攻撃が止み、一哉が土の壁を崩した時には。



「どこだ…………どこに行った……っ!!!!」



 栞那は勿論、佐奈も黒鉄も。

 そして瑠璃の亡骸も。

 全てがその場から消え去っていた。

 残ったのは一哉と深手を負った莉紗だけ。



「出てこい姉さん…………佐奈ぁっ!! 俺と……俺と闘えぇぇぇぇぇぇ…………っ!!」



 その声が届くことは無い。

 ただ虚しく満天の星空の下に絶叫が響き渡っただけだった。

次回、4章完結です。

一哉はどうなるのか。

そして途中から放置プレイされていた莉紗は?!


今回も最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

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