参拾弐ノ舞 偽りの復讐鬼
「ボクの復讐が無意味だって……いったいどういう事だよ!!」
信じ難い、信じられない神流の言葉に、思わず莉紗は言葉を荒げる。
莉紗にとって復讐とは人生そのものと言ってもいい。
少なくともこの3年間はそう思って生きてきた。
復讐は空虚な自分を埋める劇薬だ。
それを無意味と断じられて心穏やかに居られるわけが無い。
「言葉の通りよ。どこで聞いたのか知らないけど、南条家が殲滅計画を立てたなんて事実はどこにも無いわよ。だって、お義父様は殲滅作戦に一番最後まで反対していたのだもの」
「…………嘘だ…………」
「本当よ。だってお義父様にそんな事する動機が無いもの。アンタの父親はお義父様の親友だったのよ?」
「…………ウソだ…………」
「それにお義父様が【黒帝】な訳無いでしょう。彼こそが我々『陰陽寮』に最も楯突く人間だというのに」
「ウソだ…………ウソだ、嘘だ嘘だ嘘だ――――っ!! そんな筈がない!」
莉紗は被りを振るって必死に神流の声を消す。
これ以上聞きたくない。
これ以上聞いてはいけない。
聞いてしまえば全てが崩れるから。
黒鉄から与えられた人生の前提が全て消えてしまうから。
「まるで駄々をこねる子供ね。とっても無様だわ、リーサ」
「うるさい!!!! もういい、話すだけ無駄だ! さっさとボクの前から消えろ、裏切り者め…………っ!! 『部分龍化・龍の翼』!!!!」
「…………バカね。そんなに竜の力を引き出せば、アンタの死期は益々早まる。ま、もしかしたら、今のまま間違った憎しみを抱いたまま死んだ方が幸せかもしれないけれど」
バキバキと音をたてながら、背中が変形していくのを感じる。
今までに何度も行ってきた、自身の身体の龍化。
現出したのは聖なる竜の白き翼。
だが、そのいつものプロセスが完了したのと同時に、莉紗は自分の中から何かがゴッソリと抜け落ちたような気がした。
神流はそんな様をただ静かに、そして冷ややかに見ていた。
例え莉紗が全ての力を開放して本気でかかって来たとしてもと勝てると言わんばかりに。
だが、今の莉沙にはそれどころではない。
莉沙は佐奈にかけられた呪いのせいでその寿命が極端に縮められている。しかも、その期間は力を遣えば遣うほど短くなっていく。
だから本来、どんな手を使っても神流との戦闘は避けるべきなのだ。
その事をわかっていたとしても、莉紗にはこれしか手が無い。
肉を狩る事に飢えた狼は、その牙を退く事はできない――――
「死ね、神流。その脳髄撒き散らして、ボクの目の前から永遠に消え失せろ」
莉紗はその言葉と同時に飛び上がる。
ただの跳躍ではなく、本当に上空へと飛び上がった。まるで聖なる竜の様に。
満天の星空を背景に莉紗は竜の翼を拡げる。
「聖なる竜の牙に貫かれてその罪を雪げ、神流――――『爆葬牙』!!」
身体の横に伸ばした右腕の先に光を纏っていく。何者にも穢されぬ聖なる光を。
それは聖なる竜の牙を模したエネルギーの奔流。
龍魔術とは、自らに宿すエネルギーを竜の身体の代替として吐き出す術だ。人間には到底扱えぬ、人間には許されざる暴力の体現。
それ故に内包する威力は絶大――――
「消え失せろ神流! 愚かなるボクの姉よ!!」
上空から振り落とすように牙状のエネルギーを射出する。
「爆葬牙」は「爆葬槍」とは形状が違うだけでその効果は殆ど変わらない。だがこの二つの術で違う事があるとすれば、それは威力と命中した対象の破壊の度合いが全く違うという事。
莉紗が選択したのは。
「無駄よ、リーサ」
上空から猛然と襲い掛かる光の牙に対して、神流は青黒い日本刀『氷姫』をかざす。
同時に溢れだしたのは圧倒的な闇。
青黒い刀身はさらに昏く染まり、刃に凄まじい陰の気が集まっていく。
上空に居る莉紗の眼にすら確認できる程に集まった昏いオーラは『氷姫』へと収束していき、そして。
「『絶牢』」
神流の術名の宣言と同時に、神流の目の前の地面が急速に氷結を始める。
神流自身の霊術で産み出された氷だけでなく、周りの大気中の水分すら巻き込んで凍り付いていく。
そして次の瞬間――――
「――――っ!!」
神流が凍らせた大地から一瞬で巨大な氷柱が立つ。莉紗が放った「爆葬牙」すら呑み込んで。
さらに全てを噛み砕く光の牙を呑み込んだ冷気の奔流はそのまま、術の行使者である莉紗自身も呑み込もうと魔の手を伸ばしてきた。
咄嗟のところで飛んで回避する莉紗。
そして肝心の光の牙は氷柱に邪魔されて、その柱を粉々に砕くまでで終わってしまう。
莉紗が選択したのは、威力よりも爆発力だった。
それはただ単に、憎しみに任せて神流の肉体を可能な限り破壊してその存在を永遠に消し去りたいという欲求のままに選択したという事。
もし莉紗がここで威力を重視していれば、また結果は違ったかもしれない。
神流に手傷の一つぐらいは負わせることができたかもしれない。
だが全ては為されてしまった。
そしてこの一手の選択ミスがこの戦いの全てを決定づけてしまった。
「『氷槍』――――『連弾』」
ギリギリ氷柱を躱した莉紗に、今度は地上からの氷の槍の雨が襲い掛かる。
普通、基本の霊術『氷槍』は一撃喰らったところで大した問題は無い。
だが、今莉紗に向けて放たれている『氷槍』は基本霊術の威力の範疇を大きく超えてしまっている。身体を掠めるだけで肉を削がれかねない程に。
しかもそんな超威力の槍を雨あられと放ってくるのだ。
もはや何ら対抗手段を張る間もなく、取れる手段は回避の一点に絞られてしまう。
「はあぁ―――――っ!!」
氷の槍の雨を大きく飛びながら回避した莉紗はそのまま急降下。
地面すれすれまで降下した後、地面スレスレの低空滑空で急激に神流との距離を詰める。
「はっ!!」
「し――――っ!!」
すれ違いざまに放たれた莉紗の拳を神流は上手く左腕で受け流して躱す。
「『龍化解除』――――!!」
莉紗は不要となった竜の翼を消し去って、自身の負担を減らす。
直後、莉紗は地面に降り立ってすぐに神流の顔面目掛けて上段蹴りを繰り出した。
当然の様に受け止められるが、莉紗は続けざまに攻撃を繰り出す。
左回し中段蹴り、右裏拳、パンチのラッシュ。
部分龍化する事も無く、"竜の血"で身体強化しただけの力で神流へと攻撃を続ける。
流れるように、だが間断なく莉紗は攻撃を加えていく。
だがそれでも。
「甘い。あまいあまいあまいあまいあまい…………っ! 人間を越えた私に!! 人間の力で挑もうなどと笑わせるな!!!!」
神流には一切通じない。
まるで次の攻撃がわかっているかのように的確な防御と受け身を取る神流には傷一つ付けられない。
神流が本気で反撃してこないから莉紗は生きているだけであり、その気になれば神流は簡単に莉紗を始末できるという事実を、嫌でも叩きこまれる。
それでも莉紗はその事実を受け入れられない。
それは復讐に全てを捧げたプライドからか。
それとも彼女の気質そのものか。
「アンタの憎しみなんか!! どこの誰かもわからないホラ吹きに吹き込まれただけの薄っぺらい物!! そんな中身の無い魂で私に!! 『陰陽寮』に盾突こうなんて図が高いのよっ!!」
そしてそんな莉紗を嘲笑うかのように神流も攻撃を開始する。
拳には拳のカウンターで。
蹴りには蹴りのカウンターで。
だがその威力と鋭さは数段上のもので。
「ぐ…………っ! ふざけるな、栞那!! ボクの復讐が…………っ! ボクの憎しみが…………っ! ボクの悲しみがぁ…………っ!! 全部嘘だって言うのか!」
「当たり前……よっ! そんな他人にフラフラと言い寄られて! どこの誰とも知らない人間の言葉を信じて! そんな軽い動機で志した復讐が私達に届く訳が無いでしょう!」
竜の力を開放する事も無く闘い続ける莉紗に対し、神流は容赦なくその拳を、蹴りを叩きこんでいく。
右手に握る「氷姫」を敢えて振るう事も無く、自らの肉体で戦い続ける莉紗に対して、神流も敢えて体術だけで戦い続けている。
それはあくまでも莉紗を下に見ているという事で――――
「ほらほら、どうしたのよ?! さっさと龍化しなさい! でなければ、この私には傷一つ付ける事は出来ないわよ!!!!」
「う、うるさい!! キミ如き、竜の力を遣うまでも――――」
「それが甘いって言ってるのよ、リーサッ!!」
吠える神流が風切り音がする程の鋭い拳を放つ。
その拳を両腕でガードする莉紗だったが、勢いを殺しきれずに大きく弾き飛ばされてしまった。
莉紗の力も普通では無いが、神流のそれは明らかに莉紗のモノを上回っている。
莉紗の様に超常の生物の力を遣っていないというのにこの強さ。
その秘密を莉紗はわかっている。
「黙れ栞那! 死人の分際で知った口を効くな!!」
「本当に憐れな子ね…………」
それまで「氷姫」を遣わなかった神流が突然、その刃を振るった。
そこまで近接戦闘の応酬を繰り広げていた莉紗は、それに対応できない。
「う゛あ゛っ…………!!」
左肩から袈裟斬りで斬り裂かれ、肩から胸にかけて深く斬られた傷から、噴水の様に赤い血が噴き出す。即座に体内に流れる"竜の血"が自己修復を開始して傷を塞いでいくが、一気に削られた体力迄戻ってはこない。痛みも緩和してくれない。
そして。
出血速度に対して、明らかに修復速度が合っていない。
致命傷を負わされた莉紗は思わずその場に膝をつくしかない。
だがそこに間髪入れずに飛んできたのは、神流の強烈な蹴りだった。
「あぐ…………っ!!」
全く防御態勢を取れなかった莉紗は神流の蹴りを直撃で受けて吹き飛ぶ。
続けざまに浴びせられる攻撃、そして初めて刀で斬られた傷のせいで脂汗が浮かぶ。
思考もままならず、受けたダメージと失った血のせいで身体から急速に力が抜けていく。
為す術もなく転がる莉紗に、神流は冷たく言い放つ。
「アンタ、騙されてるのよ」
「…………そんなはず……ないっ」
「はぁ……話にならないわね。アンタのところに、【黒晶】が訪ねてきてるわよね?」
「【黒……晶】……?」
聞き慣れない名前に戸惑う莉紗。
だが、神流の反応はさもありなんといった様子で。
「まあ、名前は何とでも名乗れるだろうけど。とにかく、アンタに【黒帝】がお義父様だなんてホラ話吹き込んだの、色黒の…………男か女か、子供か大人か知らないけど? もしかしたら爺か婆? まあどっちでもいいけど、とにかく色黒でやたらマッシブな奴でしょう?」
「――――!!」
だが莉紗には聞きたくない、聞いてはならない情報だった。
それはあまりにも心当たりのある話で。
そして自分の前提が覆され、神流の話が本当だとわかった瞬間でもあって。
「まさか…………黒鉄が……?」
脳裏に浮かぶのは、今まで協力者として自らの傍らにあった人物。
全てを莉紗に教えた存在。
ただの抜け殻だった女子大生を、復讐鬼へと変えた男。
愕然とする莉紗に、神流は再び刀を突きつけた。
「最後に一つだけ教えてあげるわ」
神流は静かに目を伏せる。
「私はアンタ達にある意味感謝しているのよ」
「どういう……意味だよ…………」
力の入らない身体を必死に支えて莉沙は問う。
皮肉なのは間違いないだろう。だが、憎んだ相手に感謝などと言われて心中穏やかに居られる訳がない。例え自分の復讐が作られたものだとしても、そのまま死を迎えるなど、そんな事は、莉沙のプライドが赦さない。
「バカに……するな……! キミ達…………貴様等のせいで……ボクらは…………パパは…………っ!」
莉紗はその最期の瞬間まで復讐鬼である事を望んだ。
たとえ真実が違ったのだとしても、死ぬ間際まで夢を見ていたかったから。
たとえ騙されていたのだとしても、自分に理があると信じていたかったから。
だが、現実とは常に残酷で無情なものである。
神流はそんな莉紗を鼻で笑って、そんな偽りの夢をあっさりと否定する。
「そうやって逆恨みしてくれてありがとう。私を壊してくれてありがとう。私から全てを奪ってくれてありがとう。アンタ達が私を壊してくれたおかげで、私は何者にも屈しない力を手に入れた」
「なっ、なにを……言ってるんだよ…………?」
「終わりよ、リーサ。もう、眠りなさい」
神流は動けなくなった莉紗を冷たく眺めながら、刀を振り上げる。
そして何の躊躇いもなく脳天目掛けて振り下ろそうとして――――
――――ズガアアアアァァァァァッ!!!!
「な、何だ…………?」
「うわっ。何よ、もう!」
突然、凄まじい爆発音が辺りに響いた。
そして「何か」が土煙を伴って、凄まじい勢いで莉紗と神流が戦っていた広場に吹き飛ばされてくる。
突然現れる濃い陰の気の気配に、増援という考えたくない可能性が莉紗の頭に過る。
「けほっけほっ…………! くそ…………っ。何で斬れないの?!」
「ハハハ。神聖なる竜の身体がキミ如きに斬れるとでも思ったのかい?」
聞こえてきた声は二つだった。
一つは憎き声。
聞き覚えのある、自らの命を大きく削った、そして復讐すべき対象の人物の声。
そしてもう一つは。
「ボクの…………声?!」
普通、自分の声を自分ですぐに認識する事は出来ない。
それは自分で発した声は骨伝導で伝わり、録音等で聞く音声とは周波数が変動している為である。
だから、自分で認識している自分の声と、媒体で聞く自分の声は違って聞こえる。
それをすぐに自分のものだとわかるのは莉紗がアイドルという特殊な職業に就いているからであり、その事が莉紗にとってトドメを刺す事になってしまうとは夢にも思わなかった。
「邪魔くさい!! 遅延起動『鐡飛刃』――――っ!!」
立ち込めた土煙は、恐らく佐奈が強烈な陰の気と共に放った霊術の影響で一気に晴れた。
そこで初めて莉紗と神流、そして闖入者の姿が露わになり――――
「南条…………佐奈…………っ!」
「え……な……っ?! どういう………………事?!」
「あ? …………ちっ…………めんどくせえ事になったな」
莉紗が見たものは自身と神流の姿を見て驚愕の表情を浮かべる南条佐奈。
忌々し気に舌打ちをする神流。
そして。
「どうして…………ボクが…………!」
「ちっ。まだくたばってなかったのかよ、莉紗」
悪意の言葉を吐く、自身と全く同じ格好をして声をした何者かの姿だった。




