弐拾陸ノ舞 応えられない想い
私は趣味で天体撮影をするのですが、最近撮影に出ると必ず雨か曇りです。
最近と言うか社会人になってから一度しか晴れたことありません。
誰か助けて。
というか、久々にどっか行きてえよ。
コロナ早く消えろ!
言ってしまえば東都大学天文部という部活は、小倉莉紗というとんでもない4年生が取り仕切る部活である。初日から天体観測会をすると息巻いていた張本人の莉紗はビール缶たったの3本で泥酔して爆睡。もはや部長としてどころか人間として使い物にならないレベルであった。
しかし、各部員、そういった事態には慣れっこなのだろう。
酔いつぶれてベンチで爆睡していた莉沙を2人がかりでテントへ連行、収監すると、テキパキと片付けを始める。そしてその陣頭指揮を執っていたのは結衣だ。
後で聞いた話によると、結衣は次期部長という事で率先して莉沙のリカバリーをしているらしい。後始末、後片付けは勿論、本題とも言える天体観測会の準備、移動指揮まで見事にやってのけた。
時刻は午前12時12分。
日付は変わり、高地である乗鞍高原はうっすらと肌寒い空気に包まれている。夜空は数多の星の光に溢れ、幻想的な雰囲気を醸し出している。
夜空に浮かぶ星の数は、今まで一哉が見てきたどの空よりも遥かに多かった。一哉の様な素人では、星座早見板があったとしても何一つ星座の判別がつかない程だ。精々わかるのは夏の大三角形ぐらいのものだ。もっとも、夏の大三角形は星座ではないが。
そして今この時、天体観測会を真面目にやっているのは一哉と結衣、そして数人の天文部員だけ。
瑠璃は慣れない環境に疲れていたのか、12時前にはダウンして先にテントへと戻っていた。そして智一はハナから興味がないのだろう。参加すらしていない。
「あっ…………また極軸ずらしちゃった…………」
一哉はずっと結衣の隣に寝転がって結衣を見ていた。
もちろん、たまには夜空を見上げてはいたが。
実はこうして結衣と二人きりになることは大変珍しい。
家にはいつも佐奈か咲良が居るし、大学ではそれぞれの交遊関係に従って行動している。
二人だけになるのは、それこそ大学までの行きの通学時間とたまの買い物ぐらい。
ここ数日は一哉の謹慎処分のせいで、だだっ広い屋敷の中で二人きりという稀有な状況も出来上がってはいたが。
だが、その謹慎処分ももうすぐ終わってしまう。
そうなれば、一哉は再び特級鬼闘師として戦いの場に身を戻し、また仕事と戦いの事ばかりを考える日常が戻ってくる。
だからこそこの機会に、一哉は結衣の悩みを聞き出したかったのだが、事はそう上手く運ばないものだ。結衣は一哉が傍に居ること自体は拒まないものの、決してその口を開こうとはしなかった。
「はぁ…………っ。何回練習しても動かしちゃうよ。もっと楽に見れる方法無いのかな…………」
ちなみに結衣が何をしているのかというと、天体望遠鏡のセッティングである。
天体観測の際、倍率の大きい観測時には赤道儀という装置を併用する。地球は自転しているので、星空は実は常に変化している。太陽や月が昇ったり沈んだりするのと同じである。そうすると、一点を観察する望遠鏡の視界から、あっという間に星は消えていってしまう。
そうした地球の自転の影響を相殺するのがこの赤道儀で、結衣はかれこれ30分以上そのセッティングにまごついているのである。
「あぁ、ダメ…………ッ。今日こそは出来ると思ったのになぁ」
悔しそうに作業を投げ出す結衣が一哉の横に同じ様に寝転がった。
「お疲れ様」
「うん。ホントに疲れたよ。何がダメなのかなぁ」
隣に並ぶ結衣の顔は本当に疲れきった様な顔をしている。
その様子が何故だか可笑しくて一哉はついつい吹き出してしまう。
「あっ! 一哉君、笑った! 酷いなあ、もう」
「わるいわるい。でも、俺の中だと結衣って結構なんでもソツなくこなすイメージがあったから。ハハハ」
「え、何それ。私のどこ見てそんな事を思ったのか、本気で疑問なんだけど」
一哉はジト目で見てくる結衣を軽く流して上体を起こす。
もちろんそれは話題逸らしの為ではあったが、楽しくて思わず身体が動いてしまったというのもある。結衣と二人で話すのは智一と話すのとはまた違った楽しさがある。
「…………」
「…………」
再び沈黙が二人を包む。
だが、今度はいたたまれない空気にはならない。
どこか心地よい沈黙。
実際には二人は10年間離れていたというのに、二人の間に流れる空気は10年間共にいた様な安心感があった。
やがて周囲の天文部員達も、初日からガチでやる必要は無い、と次々にテントへと戻っていく。そうして時間は過ぎていき、遂には一哉と結衣の二人だけが残ることとなった。
「ねぇ、一哉君」
「ん?」
「戻らないの?」
「結衣こそ」
「私はまだいいかな…………なんとなく今日はまだ、このまま星空を眺めていたいの……」
一哉はそんな結衣の横顔を暫く眺めた後、結衣と一緒になって星空を見上げる。
考えてみれば、こうして静かに夜空を見上げた事など一度も無かった。夜は鬼闘師としては仕事の時間。そういう意識があったからこそ、こうして星空を見るために夜空を見上げる事など決して無かった。
「…………」
「ねえ一哉君」
「なんだ?」
「私と一緒に居て楽しい?」
ふと結衣の方を見ると、不安げな表情でこちらを見る二つの瞳があった。
少なくともそんな表情の結衣は見た事が無くて。
だが、今日の様子のおかしい結衣の気持ちが表れている様な気がした。
この結衣の疑問に対して、一哉は答えを迷う事など無かった。
結衣と共に居る時間はこうした一哉の知らない世界を見せてもらえるという意味でとても有意義なものである。ともすれば感謝の念を抱いている感すらある。
少なくとも一哉はそう思っている。
「楽しいよ、俺は。結衣は俺に『普通の世界』を見せてくれるから。たったひと時でも『闇に塗れたあの戦いの世界』から、『日向の世界』へと連れ出してくれるから」
「そっか……」
「俺は鬼闘師として生きるために全てを投げうった。それこそ、俺の人生の全てと言ってもいい。俺は母さんを亡くしてから、心に空いた穴を、その虚無を鬼闘師としての仕事で埋めようとした。いつからかその穴が無視できない程に大きくなって、俺は自分の全てを対策院の仕事につぎ込んで…………そして気が付いた時には、俺の手元には特級鬼闘師という肩書と佐奈しか残ってなかった。元々自分が望んだことだったんだから、今更その事を後悔している訳じゃないが、それでも時折、羨ましくなる事はあるんだ。他の皆の様に過ごしていたら――――もし俺が何も捨てる事無く進み続けたとしたら、俺も皆の中で笑っていられたのかって」
「一哉君……」
「でも、君と過ごす時間は何だか俺が捨て去った時間を体験させてもらってるみたいで悪い気はしない。いや、言い方が悪いな。とても楽しいと思ってるよ」
一哉は微笑みをその顔に浮かべて結衣の方へと顔を向ける。
その顔には幾分かの感謝も乗せられていたのだが。
肝心の結衣はというと。
「そう……なんだ……」
どこか浮かない顔で変わらず夜空を眺めていた。
その憂いを浮かべた顔は、今日のどこか様子のおかしかった結衣の様子を彷彿とさせて。
一哉はその後、再び何も言えなくなってしまう。
「…………」
再び沈黙が二人を包んでから。
それもさっきとは違う、どこか冷たく刺々しい沈黙が二人の距離を近くて遠くしてしまってから。
先に沈黙を破ったのは再び結衣だった。
「一哉君、もう一つ聞かせて」
その声はこれまでの記憶にあるどの結衣の言葉よりも真剣で。
一哉は思わず身体を起こして結衣に向き直った。
「一哉君は10年前、どうして私を助けてくれたの?」
その言葉を聞いた時、一哉には質問そのものが理解できなかった。
何を意図して聞こうとしている事なのか、毛先程もわからない。
「どういう……意味だよ……」
「いいから答えて」
戸惑いをそのまま口にする一哉。
だが、結衣の返答は有無を言わさない迫力に満ちていた。
一哉は浅く溜息を吐いて正直に答える事にする。
「なにしろ10年も前の事だからな。あんまりよくは覚えてないが…………なんとなく放っておけなかったんだよ」
「なんとなく放っておけなかった…………か…………。なんか、一哉君らしいね」
「そうか? まあ、当時は鬼闘師の事を正義のヒーローかなんかと勘違いしてたところもあるからな。実際には君も知っての通り、対策院は非合法な事ですら平気でやるし、容認されている秘密組織だ。現実は理想じゃ回らない。今の俺はそんな事ぐらいわかってるつもりだ」
「現実は理想じゃ回らない…………」
それは純然たる事実だ。
対策院はその抱える案件の特殊性から殺人を含む非合法な手段すら容認されている。
一哉自身は人の命を奪うという事を最後のラインとして決して破らない様にしているが、それでも不法侵入に器物損壊、ハッキングぐらいの事はやっている。
これで正義のヒーローと呼ぶのであれば、世の中のヒーローの垣根はだいぶ下がるだろう。
「俺は正義のヒーローなんかにはなれない。俺は俺の護れる範囲で大切な人達を護る。それが俺の最低限やるべき事だと思ってる。ま、今もし同じ状況になったとしても、俺はやっぱり結衣に声かけると思うけどな」
もちろん、今目の前で苦しんでいる人を見捨てるという選択肢は一哉には無い。
だが、どうしても個人で出来る事には限界がある。
だから物事には優先順位というものがあって、その優先順位が身内に偏っているだけだ。
そんな事は結衣もわかっていると思っていたが。
結衣はどこか寂しそうな顔で一哉を見つめていた。
「やっぱり一哉君、変わったね」
「だからこの前も言ったろ。俺にもいろいろあったって。10年も経って変わってない方がおかしいだろ。流石にこの歳になって純真な少年のままですっていうのも痛々しい」
「そうだね…………人は変わってしまう…………。私の気持ちが変わらなくたって……みんなも貴方も変わっていってしまう」
「結衣?」
結衣の言葉が気になって思わず聞き返してしまう。
「ごめんね一哉君。こんな事言っても困らせるだけだよね。いいの。私も受け入れていくつもりだから…………。でも、私の知ってる一哉君は。私が昔憧れたあの男の子はやっぱり私の幻想なんだなって思っただけなの」
「そんな事は…………」
「今日、瑠璃ちゃんに言われたの。私は『今』の一哉君を見てない、『過去の思い出』を美化してるだけだって。ホントにそうだよ。バカみたい…………」
「結衣、俺は君の事――――」
結衣は静かに首を振る。
これ以上、この話をするつもりはもう無いらしい。
一方、一哉も結衣の言葉を静かに考えていた。
物事は何もかも変わってしまう――――それは変えようのない真理だ。
人は成長するし、いつまでも同じ気持ちを持っている訳では無い。季節だって変わるし、街の様子だってどんどん変わっていく。変わらないものなんてその実無い。
そう考えると、一哉の思いも変わってしまった。
結衣は初恋の人ではあったが、その気持ちが今も続いているかと言われれば、その答えはノーである。それが謹慎期間中に結衣と二人暮らした結果導きだした結論である。
確かに一哉が結衣との記憶を取り戻してから、胸の疼きの様なものを感じたのは間違いが無い。
それは否定しない。
だが、10日近くたった二人で暮らした結果思ったのは、今の結衣の事は「日常に連れ出してくれる人」。それ以上でもそれ以下でもないのだ。
やはり、対策院の仕事に生きる自分と結衣では住む世界が違い過ぎる。例え結衣の方が自分に近づいてきたとしても、自分が結衣に近づく事は決してあり得ない。
結衣に対して幾度か感じてきた感情。
最初は初恋の人に対して、かつて自分が忘れてしまった感情を呼び起こしているのかとも思った。
結衣と目が合う度、ふとした拍子に手が重なる度に跳ね上がった心臓も、全てはそういった感情を結衣に抱きつつあるからだと思っていた。
だが、「今」の結衣とゆっくり向き合う機会が出来てハッキリとわかった。
結局自分は結衣の「今」ではなく、かつて出会った、道端で蹲り泣きじゃくる幼い少女の、「昔」の結衣への気持ちを重ねているだけなのだと。
正直、この先自分が恋愛感情というものを取り戻した時、再び結衣の事を好きにならないという保証はない。何しろ、結衣はそういう事を考えた時に発作が起こらない数少ない人間の一人なのだから。
だけど、今はそういった気持ちを抱く事が無いとハッキリ言えるのもまた揺るがない事実なのだ。
それでもこれだけは伝えたかった。
『俺にとって君は「特別な人」であって「大切な人」なんだ』と。
「…………戻ろっか」
しかし、結局一哉は何も結衣に言えずにそのまま会話が終わってしまった。
それからしばらくしてから二人は各々テントへと戻っていく。
そしてその翌朝以降。
結衣は一哉はどこか避けるようになっていた。
今回も読んでいただきましてありがとうございます。
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