第八投「ここだぁ!」
旅館ステージ ──
試合が始まった瞬間、藤原さんの纏っていた空気が変わった……気がする。肌がピリピリとひりつくような感じがする。合気道やフットサルをやってたときにも何度か感じたことがある。この感覚は持っている奴の空気だ。
「どうしたの? 試合は始まってるのよ」
藤原さんが口を開いた瞬間、わたしは敷いてある布団を蹴って、助走をつけながら彼女に向かって枕を投げた。
若干山なりに飛んでいった枕を、藤原さんはゆっくりと避けると鼻で笑うように呟いた。
「そんな投げ方で……よく私と戦おうと思ったわね。枕は、こう投げるのよ」
藤原さんは、ゆっくりとしたフォームで枕を投げた。その枕は、それほど力を込めた様子はなかったのに、恐ろしい速度で飛んでくる。
「うわっと!」
わたしは大きく横にステップして枕を避ける。そのまま枕を拾って構えた瞬間、藤原さんの第二投がわたしの目前に迫っていた。咄嗟に持っていた枕を前に突き出して盾にしたが
パンッ!
という音と共に飛んできた枕が当たり、羽毛を撒き散らして消えた。その飛び散った羽毛の先に藤原さんが枕を振りかぶっているのが見える。
投げて終ってから、次のモーションに移るまでが早すぎるっ!
咄嗟に右にステップをしたけど、飛んできた枕はわたしの左肩に当たって弾け飛ぶ。わたしはそのまま転びながら光の粒子となって消えていく。視界の端にHITの文字が浮かんでいるのが見えた。
それは不思議な感覚だった……自分の身体の感覚が消えて宙に浮く感じが気持ち悪い。
◇◇◆◇◇
「はっ!」
次の瞬間、わたしは自陣の一番奥に立っていた。藤原さんが見下したように、こちらを見ながら呟く。
「その程度? 時間の無駄ね、あと二発……すぐに当てて終らせてあげる」
「ちょ……調子に乗るなっ!」
わたしは枕を拾って藤原さんに向かって走り出した。しかし、次々に飛んでくる枕を避けながらでは、思うように近付けずに逃げまわる羽目になった。
「くっ!」
何か手段はないの? 避けてから投げていては、藤原さんの方が早い! 何か攻撃と攻撃の間に割り込める手段……あっ!?
その瞬間、わたしの脳裏にフットサル部との戦いの記憶が蘇っていた。
「アレなら!」
わたしは一度後退して、藤原さんとの距離を取った。まずは息を整えるため、深く呼吸をする。そして、藤原さんに対してからかうように舌を出して
「すぐに終らせるとか言っておいて、全然当たらないじゃない! 中学MVPと言ってもその程度?」
と挑発する。藤原さんは鼻で笑って答えた。
「フッ、確かに素早いけど、その程度なら今までもいくらでもいたわ。すぐに決めてあげますから」
呼吸が整ってきたところで、わたしは地面を蹴って走り出した。右側から大きく迂回して藤原さんに向かっていく。
「いっくよ~!」
「かかってきなさいっ!」
藤原さんは先ほどより大きく踏み込み、振りかぶり腕を大きくしならせるように枕を投げた。さっきまでとは比べ物にならないような速度の枕が、わたしの眼前に向かってくる。
ゴォォォォォ!
わたしは倒れ込むように敷いてある布団の上を滑ると、その枕の下を潜りぬける。そして、掬い上げるように持っていた枕を藤原さんに向かって投げつけた。そう、フットサル部戦で使った技SUTである。
「いっけぇぇ!」
パンッ! という音が聞こえた。
SUTはカウンター技だ、藤原さんは投げ終ったところで無防備だったはずである。しかし、結果はわたしの予想通りではなかった。
藤原さんは投げ終わったモーションで下がった手でそのまま枕を掴み、それを軽く自分の前に浮かせた。わたしが投げた枕は、その枕に当たり両方とも羽毛を撒き散らしながら消えていく。この投げるのと拾うモーションが連動しているのが、あの速射の正体! わたしがそんなことを考えていると、スライディングが止まって寝ている状態を狙い撃たれ、避けることもできず二発目も食らってしまった。
◇◇◆◇◇
再び、わたしは自陣の一番奥に立っていた。
「まさかSUTとは驚きです」
それは藤原さんの素直な感想だったのだろう。彼女の声色は、先ほどのように見下した感じではなかった。彼女は人差し指を立てて、こちらに向けながら言う。
「でも、これであと一発よ」
「くっ……」
たぶん、もうSUTは通じない。でも……それ以外で、わたしが藤原さんを捉えられる手段が思い浮かばなかった。このまま負ける?
「それは嫌ッ!」
わたしは真っ直ぐに藤原さんを睨み付けると、地面を蹴って一直線に彼女に向かって走り出した。藤原さんは、やや腰を落とし構えた状態で、わたしが射程内に入るのを待っていた。
射程内に入った! あと、三歩!
空気が重く感じる……全てがゆっくり進んでいるような感覚に襲われると、藤原さんが楽しそうに微笑んでいるのが見えた。彼女は一歩踏み出して大きく振りかぶる。
今だ!
わたしはスライディングの体勢に入る。わたしのスローはすぐに早くはならない。それなら初動をより早く動くしかない! このタイミングならいけるっ! と思った瞬間、異変に気が付いたのだった。
「枕が飛んで来ない!?」
藤原さんは枕を投げずに一歩退いて、再び振りかぶっていた。フェイント!?
走馬灯のようにお姉ちゃんの言葉が、わたしの脳裏をよぎる。
「寧々ちゃん、SUTは面白い技だけど、弱点が多いの」
「弱点?」
わたし首を傾げながらお姉ちゃんに尋ねた。
「まず、隙が少ない両手持ちに弱い、振り降ろしに弱い、そしてフェイントに弱いの」
「弱点だらけだっ!」
わたしが驚いていると、お姉ちゃんは微笑みながらわたしの頭を撫でる。
「だから、もう一つ技を教えてあげるね……覚えておいてね」
わたしのスライディングが止まったところに、藤原さんの枕が飛んできた。フェイントを入れたせいか、少し遅めの枕を……
「ここだぁ!」
と叫びながら、わたしは右に転がり一回転すると、その反動で右手に持った枕を後に向けて投げた。
ポスンッ
「なん……ですって!?」
わたしが投げた枕は、藤原さんお腹の辺りに当たっていた。彼女の頭上には『ヒット』の文字が浮かび上がっている。お姉ちゃんはピシッと手を上げながら、勝利を宣言するのだった。
「勝者! 寧々ちゃん!」
◇◇◆◇◇
第六練習場 ──
試合が終り、しばらくしてBACEのフィールドが解けて、わたしたちは浴衣から制服に戻っていた。藤原さんは呆然としていた。わたしは彼女に近付くと、人差し指と中指でVサインをつくって彼女に突きつけた。
「わたしの勝ちっ! 約束は守ってよね?」
「まぐれ……あんなものはまぐれです!」
藤原さんはそう叫ぶように言うと、泣きそうな表情を浮かべてから、踵を返してダッシュで逃げていってしまった。
「ちょ……藤原さーん!」
その後、響ちゃんが部活に来たけど結局藤原さんは帰ってこなかった。事の顛末を響ちゃんにも話すと、響ちゃんは呆れた表情を浮かべて答える。
「へぇ、そんなことがあったんだ。でも中学MVPにハンディありとはいえ勝てるなんて、さすが寧々ちゃんだね!」
「えへへ♪」
響ちゃんに褒められて照れていると、お姉ちゃんがニコニコしながら話しかけてきた。
「すごいRBHだったわね」
「うん、紫音姉ちゃんが教えておいてくれたお陰だよっ!」
RBH【ローリング・バックハンド】とは、転んだ状態からの返し技。倒れている状態から、横に転がりその反動で枕を逆手で投げる技。転んでしまった時や、SUTに失敗したときのリカバー技として産まれた。
響ちゃんは微妙な表情を浮かべながら呟く。
「でも、結局藤原さんは帰っちゃったんだよね?」
「うん、約束破るつもりなのかな? いてっ」
なぜか、お姉ちゃんがわたしの頭をポンッと叩いた。わたしが抗議の視線を送ると、お姉ちゃんは穏やかに微笑み。
「大丈夫、櫻子ちゃんは約束を破るような子じゃないから」