第三投「クマさん」
翌日の放課後、わたしと響ちゃんは紫音姉ちゃんのメッセージに書かれていた、第六練習場を訪れていた。間倉にはいくつかの練習場が備えられており、ここはその一つで大きさは体育館と呼ぶにはやや小さく、板張りで大体フットサル場ぐらいの大きさだった。
間倉高等学校 第六練習場 ──
入り口で靴を脱いで練習場に入って、中を見回してみたけど誰もいなかった。
「あれ、まだ来てないのかな?」
わたしは呟きながら、座り込んで靴下を脱ぎはじめる。このペタッと張り付く足の感覚が好きだ。わたしはテンションが上がって、そのまま走り出し側転からのバク転を決める。
わたしの華麗な技に響ちゃんがパチパチパチと拍手をしてくれたが、なんだか微妙な顔をしている。わたしが首を傾げると嗜めるように答えてくれた。
「寧々、その格好で飛び回ると下着丸見えだよ?」
「えっ、あぁ!?」
わたしは慌てて制服のスカートを押さえながら、今日の下着を思い出そうとしていた。響ちゃんに見られても気にならないけど、せめてスポーツパンツの日であってほしい!
「あらあら、まだクマさんなんて履いているの?」
唐突に綺麗な声が聞こえてきた方に振り返ると、長い黒髪に控えめな髪飾りでまとめられた女生徒が立っていた。いかにも大和撫子といった佇まいは、今回わたしたちを呼び出した風祭 紫音だった。
そんなことより、クマさんだったぁぁぁ!
いや、だってクマさんお気に入りなんだよ? 可愛いよね!?
わたしは心の中で言い訳をしながら、その場で膝を落とし手をついて項垂れる。紫音姉ちゃんは靴を脱ぎ、わたしのところまで来ると頭を撫でてくれた。
「まぁ、男の子に見られなかっただけよかったじゃない」
「うぅ……」
そんなことをしていると、響ちゃんがおずおずと声を掛けてきた。
「ええっと……寧々、この人が?」
「うん、紫音姉ちゃんだよ。名前は風祭紫音、わたしたちより一個上だから二年生だね。紫音姉ちゃん、こちらが響ちゃん」
わたしは響ちゃんとお姉ちゃんを交互に紹介していく。まず響ちゃんがお辞儀をしつつ名乗った。
「えっと、今年間倉に入った三壁響子です。風祭先輩」
「風祭紫音よ、よろしくね。寧々ちゃんからよくお話は聞いていたわ。響子ちゃんは本当に背が高いわねぇ」
紫音姉ちゃんは、つま先を伸ばして背を伸ばしてみるが、それでも響ちゃんには全然届いていなかった。わたしは何とかショックから立ち直り身を起こした。そして、呼び出した理由を尋ねることにした。
「紫音姉ちゃん、わたしたちこれから部活めぐりをしないといけないんだけど、今日は何の用なの?」
「あら、部活めぐり? それは丁度よかったわ」
わたしが首を傾げていると、お姉ちゃんはポンッと手を叩いた。
「寧々ちゃん、私の部活に入ってくれないかしら? このままじゃ潰れてしまうのよ」
突然のお願いに、わたしと響ちゃんは顔を見合わせて首を傾げる。
「紫音姉ちゃんの部活って?」
「枕投部よ」
正直特に決まってなかったので断る理由もなかったけど、何となく理由が知りたくて尋ねてみる。
「わたし、あんまり詳しくないんだけど……初心者だよ?」
「潰れそうというのは、どういうことですか?」
響ちゃんは、そこが気になったのか一緒になって尋ねてみる。お姉ちゃんは微笑みながら答えてくれた。
「初心者でも大丈夫よ、寧々ちゃん運動神経いいからっ! 廃部になりそうなのは、部員が私しかいないからなの。去年までは先輩が三人いたんだけど、みんな三年生になって受験に専念するって辞めちゃったのよ」
部員不足で困っているなら、なぜオリエンに出てこなかったんだろ? わたしが入っても二人しかいないし、確か昨日響ちゃんが枕投げは四人チームだって言ってた。必死に募集しないといけないはずなのに……。
「なんでオリエンに参加しなかったの?」
「あ~それはね。会場に向かう最中でお婆さまが具合が悪そうでね。保健室に運んだりしていたらオリエンが終わってて……」
お姉ちゃんは昔からこんな感じだ。ただひたすらに優しくて要領がとても悪い。もしここでわたしが断っても「そうなんだ、残念」って微笑んで、それで終わりだろう。
だけど、そんなお姉ちゃんが、わたしは大好きだった。だから、わたしの答えはすで決まっている。
わたしは、響ちゃんに勢いよく頭を下げる。
「響ちゃん、ごめん! わたし、枕投部に入る!」
本当は響ちゃんと一緒の部活がよかったけど、困っているお姉ちゃんのお願いを断ることなんて出来ない!
響ちゃんは、キョトンと首を傾げる。
「なんで謝るの? 寧々が入るなら私も入るよ、枕投部」
「えぇ! いいの、響ちゃん!?」
「うん、私も寧々と同じ部活がいいし、枕投げにも面白そうだしね!」
お姉ちゃんは嬉しそうに微笑み浮かべ、ポンッと手を叩く。
「二人とも嬉しいわ。これであと一人、頑張って探しましょう!」
「おー!」
こうして新生枕投部が活動を開始する……はずだった。
◇◇◆◇◇
間倉高等学校 第六練習場 ──
「ちょっと待ったぁ!」
どこかで聞き覚えがある声が第六練習場に響き渡った。ふと響ちゃんの方を見ると、昨日と同じような死んだ目をしている。
「風祭! 三壁響子はやれん。彼女はうちの部に来てもらうのだ!」
自信満々に宣言したのは、やはり昨日の「お前が欲しい」宣言をしたフットサル部の先輩だった。
「あら、東郷君。ダメよ、響ちゃんはすでに枕投部に入ったのだから」
「待て待て待て、まだ入部届けは出していないはずだ!」
確かに入部届けは書いていないが、本人の意思はどうでもいいのか、この先輩は!
わたしが怒り任せに前に出ようとした瞬間、響ちゃんに肩を掴まれて後ろに下げられてしまった。
「先輩、ちゃんと入学前に断りましたよね! 私はフットサルもサッカーもやるつもりはありませんっ!」
「馬鹿なっ! お前ほどの才能を、このまま捨ててよいわけがないっ!」
あぁ、この先輩……本格的に話を聞かないタイプだ。わたしは響ちゃんの前に出ると、東郷先輩に指差しながら告げた。
「先輩! 響ちゃんはわたしと同じ部活がいいと言ってくれました! だから、枕投部に入りますっ!」
「ん~……なんだ、このチビは? まぁいい、こいつと一緒がいいと言うなら、こいつも入れてやる」
どこまで曲解すれば気が済むのだ、この唐変木はっ! しかもチビって言った! 許すまじ!
今にも殴りかかりそうになったわたしの前に、お姉ちゃんが割って入る。
「わかったわ、それなら勝負をしましょう? 東郷君たちが勝ったら枕投部は彼女たちを諦めるわ。こちらが勝ったらフットサル部は諦める。それでどうかしら?」
「勝負か……わかった、それでいいぜ。勝負内容はどうする? PKか?」
お姉ちゃんは首を振ると、涼しげな顔で告げた。
「それではダメよ、有利になってしまうでしょ? わたしは参加しないから枕投げで勝負しましょ」
「むむむ、確かにPKでは、そちらが不利か……わかった、それでいいぜ」
東郷先輩は納得したように頷いていたが、彼だけがわかっていなかった。フットサルとは言え、あの狭いゴールで響ちゃんの守備が抜かれるわけがない。お姉ちゃんが有利と言ったのは、きっとこちら側のことだ。
「二人ともそれでいいかしら?」
「うん、わかった」
「わかりました、風祭先輩」
いくら無礼な先輩であっても、最初から勝負が見えているのは、わたしも面白くない! だから、わたしたちもお姉ちゃんの提案に乗ることにしたのだった。
参加者全員が初心者ということもあり、お姉ちゃんによる一通りの説明がされた。
今回はわたしと響ちゃんとかいないので、向こうも東郷先輩とユニフォームが他の人と違う先輩が一人、おそらくゴレイロ(キーパー)だろう。そのメンバーによる2on2ということになった。
枕投げの基本的なルールは簡単で、自陣から出ずに枕を相手に当てれば勝ちである。正式なルールでは、三分三セット、リーダー(大将)とリベロ(壁)、そしてアタッカー二名が基本ポジションになっており、それぞれ特殊な役割やルールが適用されているが今回はそれもなしで、三分一セットで行われる。三十秒の復活ルールもなし、つまり相手チームの二人に当てれば勝ちという簡単なルールだった。
枕投げはドッジボールとは違い、キャッチはヒット扱いになるため出来ず、全て避ける必要がある。ただし、枕で枕を打ち落とす行為は許されており、当たった枕は両方消えるらしい。また相手の陣地の地面に着いた枕は、バウンドとしてヒットしてもノーカウントだ。
「とにかく、避けて当てればいいんでしょ?」
「まぁそうね」
説明が終わり、わたしたちはそれぞれの陣地に分かれる。わたしは始まる前に、もう一度釘を刺しておく。
「先輩、負けたらきっぱり諦める! 約束を忘れないでくださいよ?」
「そっちこそ、忘れんなよ!」
お姉ちゃんが左手のリングギアを操作している。あの機械オンチの姉ちゃんが!? わたしは対戦相手の言葉より、そっちの方が気になってしまった。
「じゃ始めるわよ。三分一セット、2on2、リスポーンなし……GTB」
お姉ちゃんの宣言が終わると、辺りが光に包まれた。