エピローグ:同じ蓮の上で
恒星の輝き、星々の瞬き、彗星の煌めき。萌える草木、澄んだ水面、金の楼閣。宇宙はもはや暗黒ではなかった。かつて、星々を隔てた暗黒は、無限に広がり続ける庭園の豊かな色が覆い隠した。鐘楼には鐘の代わりに恒星が輝き、樹木には果実の代わりに星々が実る。空を切り裂く彗星の周りには、美しい鳥や蝶が共に舞っている。距離の長短も物の大小も、この場所ではさした問題ではなかった。
「師よ。また新たな種が教えを乞いに訪れました」
蓮の花の上、座禅を組み瞑目する少女に、池のふちから卑猥な造形の生物が声をかける。その体には、僧の証である袈裟がかけられている。
「うむ、最近はとみに多いな」
「師の労苦、お察しします」
「なに、この程度、苦でもなんでもない。迷える衆生を導くのが、私の役目だからな」
言って、花の上から飛び降りる。その足は水中に没することはなく、まるで地面の上であるかのように水面を歩き出す。
「しかし、お主は中々悟りに至らんなあ。人も天魔もみな成道したというに」
彼女の導きの下で、多くの者が菩提を得た。ある者はこの宇宙を去り、高き天へと昇って永劫の光輝に浴した。またある者は、この宇宙に留まり彼女と共に後進を導く役目を担った。そういった者達の手によって、この庭園は彩と輝きを増していったのだ。
「申しわけありません」
「いやいや、別に責めているわけではない。歩みの速さもみなそれぞれ。お主はお主の速さで進むがよい」
近くの楼閣の中では、無数の肢の生えた節足動物のような生物が車座を組んで念仏を唱え、向こうの池の蓮の上では、ぬるりと黒光りする肌をした両生類とも爬虫類ともつかない生物が瞑想をしている。
「業、というか、積み重ねた時間が長すぎる故、それに囚われてしまっているのかもしれんな」
彼の強靭な肉体は、悠久の時の流れを経ても朽ちることはない。かつて、彼と共にあった天魔も、彼が和平を結んだ人類も、みな成道するか天寿を全うし、残る者はいなかった。恐らく彼は、この宇宙で最も長く生きている生命だろう。その膨大な知識、経験、様々な蓄積。この宇宙における生の実感が、悟りにおいては枷となっているのだろうか。
「あるいは、歪んだ形で輪廻を超えた罰か」
あらゆる命は、生と死を繰り返し、様々な生を経験する。それは果てのない苦行でもあり、その輪廻の輪から抜け出すこと……解脱することが悟りの目的のひとつでもある。
科学の力で死を克服し、輪廻を超えた天魔のありかたこそが、最大の業であるのかもしれない。
「積み重ねた罪業が原因と言われれば、思い当たる節が多すぎて何を悔いたらよいものか」
「ははは、中々難儀だなお主も」
彼の態度には、かつてのような冷徹さも傲慢さも感じられない。すっかり毒気を抜かれた洒脱な様子だ。
いずれいつか、更なる時の果てには、彼も成道することができるのだろうか。それは、仏にもわからない。
庭園の池のひとつ、蓮の葉の上に降り立った星より大きな船。そこから、磁器のように真っ白な肌をした不定形の生物が次々と降りてくる。そこが顔なのだろうか、目も鼻もない触椀のようなものを伸ばし、しきりに周囲へと向けている。
「よく来た、迷える衆生よ。私が、お主らを導こう」
彼女の使命は終わらない。この宇宙に生きとし生ける生命、その全てを、涅槃へと導くその時まで。