急変
歩き始めてかれこれ3時間以上経つが、未だ変わり映えしない森の景色。冬の森を歩き続ける事により鈍く積み重なる疲労に自然と焦りが募っていく。
この不可解な事態に巻き込まれてから、今まで何一つ安心出来る要素がないのも焦りを増長させる要因の一つだ。
緑という色が抜け落ちて荒廃したこの景色を見ていると、このまま自身もまた朽ちていくのではないかと言い知れぬ不安を感じてしまい足が重くなっていく。
――クシャ
自分以外に落ち葉を踏みしめる音に目を向けると、そこには少し遠いが人影がある。
枝に阻まれ見通しが悪く、更に傾いた太陽による逆光でよく確認出来ないが複数人のようだ。
途端に今までの不安、焦りが急速引いていく。
人影に近づき、声を掛けようとするが・・・
「あの、すいません私、ここで道に迷ってしまっ――」
これ以上の麻生の声が続くことはなかった。
振り返った人影達は端的に表すなら人間ではなかったからだ。
目の前の現実を認識するのに数秒掛かった。
眼前には大柄な二足歩行で人型に近い熊、虎、狼が古典的な武装を身にまとい、こちらを値踏みするように見据えていた。
「んぁ、人間がなんでこんな所にいんだ? テメェ、ここで何してんだよ?」
数秒に亘った互いの沈黙を破ったのは熊の一言だ。開口一番、明らかに友好的とは言えない問い掛けに思わず身が硬くなる。
しかし、麻生は文明的と言えなくもない恰好の熊に日本語らしき言葉で問われ、面を食らい会話の殆どを聞き飛ばしてしまう。
「えっ?」
熊に日本語で問い掛けられるという有り得ない展開に思考がショート。
頭が真っ白になり上手く言葉を繋げずまごついていると、業を煮やしたのかもう一度強い口調で尋ねられた。
「耳が遠のか、人間。テメェは何故こんな所にいる。ここで何をしていた?」
低く野太いが、ハッキリと聞こえる日本語に多少戻る思考。言葉が通じる事に多少安堵したが、問いかけが全く友好的ではない。
何が原因か考えて、反射的に一つの可能性を見いだす。
これ何かの映画とか撮影か?それなら撮影の妨害の件で怒っていると投げやり感の強い推測ではあるが一応の納得は出来る。
「す、すいません、何かの撮影を邪魔しちゃったみたいで... 森で道に迷ってしまったんですよ。もし宜しければ人里がある方を教えて頂けると助かります」
撮影妨害の件を謝罪し、現状を簡単に説明すると、案の定、困惑と苛立ちの二つを混ぜたような表情をされた。
まずいな、どういう経緯でこうなっているのか説明を求められたら全く答えらんねぇけど、どうしたものかね。
「道に迷ったねぇ...おめぇ自分の状況が見えてんのか?さっさと何を企んでいるのか正直に吐けよ、人間」
腰の剣とトントン指で叩く熊人間に更に混迷を深めていく。
企み? 何の話だ、会話が噛み合わないし、明らかに様子が変だ。撮影機材が周りにないし、撮影なら周りスタッフがいないとおかしい。
もしかして、コスプレが趣味の大学サークルとかかね。と更に投げやりな考えに行き着く。レベル高いな最近のコスプレイヤーは。
「んー、おっしゃっている事がわかりかねますが、とにかく迷っている事は事実ですよ。何故こんな森にいるのかは自分で正直分かんないのでお答え出来ませんがね...」
俺の言葉に熊の表情が苛立ちよりも思案気な表情に変わる。確かに奇怪の事を口走っている事は事実なので熊の言葉を静かに待つが。
「てめぇ、本当に人間か?」
尋問口調から、一転。僅かに戸惑いの混じったを投げかれられる。
本当に人間か?か...どう言う意味だ?
あらぬ言葉を言われ、更に混乱する。どうしても熊の反応と発言に理解が追いつかずに疑問が増えていく。偉くリアルなメイクに噛み合わない会話、役になりきっている俳優にでもなったつもりなのか?
「はぁ、一応人間ですが」
纏まらない考えをよそに、曖昧に返答。
常識外な外見とは言え言葉が通じる為か、言葉を発する前に比べ、危機感が大分薄れてきたのを実感するが、次の瞬間それが致命的な誤りであったと痛感する事になる。
熊はこの返答から困惑を一変し、
「さっぱり分かんねぇが、まぁいいか」
意味深な事を呟きつつ、凶悪なニヤケ面に表情へ変え腰に差してある剣に抜き、指で素早く刃に何かを塗っていた。
「え」
突然の抜剣に素っ頓狂な声を上げるが、そんなこちらの混乱もお構いなしに熊は、
「とりあえずテメェは、連行するぜ」
理解のできない最低限の説明だけを残し、剣に腹を貫かれる。
あまりに突然、そして一切の躊躇いのない行動に、間をおかず麻生の意識は朧気になる。余りの急展開に痛みさえ置き去りにして声すらも出せず地面に足が縫い付けられた様な錯覚に陥る。
「なぜ殺さん?」
平坦な声で虎が物騒な事を熊に問う。余りにぶっ飛んだ事態にどこか他人事のようにも感じてしまい、現実感と意識が一気に失せていく。
「せっかく面白そうな事になりそうだからなぁ。基地に連れて行くことにした」
腹に刺さった剣を勢い良く抜かれ、血が吹き出す。
鈍く使い込まれた短めのショートソードを赤黒い鮮血が滴る、それは日常ではなく映画や漫画の世界であり、それが自身に降り掛かっているとは到底思えなかった。
止めどなく溢れる疑問符に脳内がパンクする麻生をよそに落ち着き払っている熊、以下人型動物達。
たまらず俯せに倒れ、視界がちらつき始める。
意識を手放す瞬間に見たものは熊人間の野蛮で凄惨な微笑みらしき表情で剣の血を払う姿だった。
ピッっと払った血が数滴、麻生の頬に付く。
結局、麻生は現状を何一つ理解出来ずに意識を手放した。