力の制御
あの記述通りで考えるなら、昨日のケースは集中した際に無意識に方力が流れ込み、その副作用であの激痛が発生したと言える。
あの時の感覚は今でも鮮明に残っているが、確かにあれは反則的だった。
体感時間の延長。
言ってしまえばこれだけの効果だが、まるでコマ送りように景色が流れ刹那の思考までも引き延ばされる。戦闘における応用範囲は段違いだろう。
あれを使いこなせれば……自衛の手段もーー
淡い可能性に縋りそうになるが首を振り冷静になる。あんな反則的な力の前にまだ方術の基礎さえ知らない、まずは基礎から少しずつだ。
破滅的な可能性を胸にしまい込み、方術の基礎部分が編集された本から目を通し今後のトレーニングを組み立てていく。
方術の基礎としてまず、特性の判別と方力そのもののコントロールである。大概の者は、初期の段階で己の方力を感じ取れるが一部の稀にそうではない者も一定数存在する。
記述は読み進めるが、間違いなく俺は後者だろうな。
後者に関しては、地道な集中訓練が必要であり……
前置きをさっくり読み飛ばしながら核心を模索していく。
方力を受けた感覚、これこそが肝要である。これを常に具体的な感覚で再現出来るまで、ひたすらイメージしていく。
イメージの仕方には各々差異はあれど、最も効果的なのは初めて方力に触れた際に感じた力そのものに対する直感的な感覚だ。
色は? 触れた際の感覚は? 質感は? 温度は? 何よりも触れた時、一番に何を想像した?
これらを総合して捉える事が己の力の発現に繋がっていく。
パタンと本を閉じ、麻生は静かに息を整えその時を思い出す。
ーー最初に触れたのは、初対面でジークに刺された際の治療の時だが、多分、それではなく触れたの自覚したその時だ。
忘れもしないし、忘れられないジークとの初訓練と言う名の拷問。
恐らく虫の息だった俺がその時感じたものは、
透明な恐怖。
痛みが少しずつ収まっていき、身体に染み入ってくる無色透明のひたすらに生温い感覚。
こっちの現実では有り得ない法則外な体験にその時感じたのは癒やしとは正反対の暴力性を帯びた恐怖であった。
何一つとして理解不能。
日常にもありうる事でひどく単純にも思えるが、これは時折、圧倒的なまでの暴力性を帯びる恐怖に様変わりをする。
なぜ人が幽霊や頂上現象に恐怖し、強く引きつけられてしまうのか?
それは底が見えずに真っ暗だからだ。
自身がこれまで培ってきた常識や理屈を軽々しく飛び越えられる様は自身を否定された事に近しい感覚にさせられる。
その現象を受け止める指針もなくひたすらに真っ暗な道を歩き続ける。
その姿はどこまでも孤独で有り続ける。そして、そのイメージは奇しくも今の麻生の状況にピッタリと符合していた。
**************************************************
具体的なイメージを帯びた麻生の訓練はとんとん拍子で進んでいた。
恐らくはロドリゴからの修復を繰り返されていた事によって自分の方力を無自覚に感じ取れやすくなっていたのが原因かも知れない。
本を閉じ数時間足らずで、力を感じ取りそれを右手から身体の表面を通り、左手にまるで筋肉に力を込める順番を順次かえているかのような感覚で方力を移動させていく。
枷がついた状態でひたすらこの移動を練習していき、足や肩等、首から下においてはどの部分でも方力を集中させる事に成功。
よし、なんとか上手くいってんな。
これが遅いか、早いかは判断がつかない麻生であったが、この結果には多少の希望が見えた瞬間だった。




