転換点、雨のち灼熱
しとしとと纏まった雨音にゆっくりと意識の覚醒を促される。早朝午前5時前。
起床の時間は6時であるためまだ少し時間はあるが、二度寝が出来るような精神状態でもなかった。
昨日、ジークらが隊務であったため今日からまた、拷問じみた訓練が開始される。
たった2日間なのにその気分の沈み方が週明けの月曜の比ではないのは、当然と言えば当然であるが、倦怠感に引きずられて、ぼんやりとしてしまう。
6時起床から身支度そして食事と済まし、訓練は8時の課業開始からきっかり行われる。
この食事の段階で、少しずつ頭が覚醒していき今度は数時間後にもたらされるであろう苦痛に胸の動悸が激しくなっていき、頭にはどうしようもない倦怠感に胸の動悸が重なってどん底の精神状態のまま拷問じみた訓練に晒されるまでがここ数日ルーチンとなっている。
未だ真っ暗な外。
窓に写る、青白く、カサついた肌、クマにより窪んで見える目元。変わり果てた表情は、後は朽ちるに身を任せてる精神状態を的確に現している。
くそったれが!
突然訪れる脈略のない感情に苛まれるが、余韻すら全く残さないずにそれは、吹き消したロウソクの様に一瞬で立ち消え胸に奇妙な違和感だけ僅かに残す。
今のは何だ? と思わず首を傾げて考えてるが、ぼんやりと定まりきってない思考では当然など答えなど掴める訳でもなく。
どうでもいいかーー行き着く先は、ここ最近よく馴染み深い諦めと言う名の感情。
まるで何かに蓋をするようにその感情が胸中に広がっていく。
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「何だぁ? 相変わらずだが、今日は特にひでぇ顔だなぁ。やる気ねぇのか? それとももっとハードな訓練がお好みか?」
いつもの場所、ここ最近のジークは開始前にこうして何かと煽ってくる。
……
土砂降りではないが適度に纏まった雨に身を打たれながら沈黙。
最早、返す言葉さえ思い付きもしない麻生の姿に痺れを切らしたかの様に。
「何だよ、つまんねぇなぁ!」
ジークは語尾を尻上がりで強めながら、圧倒的な体格差でしかし目にも留まらないような速さで、こちらに殴り掛かってくる。
向かってくる拳が右頬を捉え、ゴンッとまるでボーリングの玉を床に落としたような鈍いが耳に響く音。
一瞬、瞬間的に視界がブラックアウト、最後は遅れでやってくる骨の芯まで響くような激痛。
一発の拳を貰うだけでこれだ、首の骨が折れてないのは恐らくこれで手心が加えられているからだろう。
辛うじて踏みとどまり、意図せず奥歯を食いしばる。
視線が下を向き、ジークに戻す暇もなく下向きの視線がジークの拳を捉えてると思ったら腹にドムッと拳がめり込み、脳内の血が一気に冷め、同時に痛烈な息苦しさと内臓に響く波打つような痛み。
呻く声すらも封じられ、しかめる顔には激痛。激痛。激痛。
サイレンのように脳内を塗り潰す痛みの信号に感情が雑踏にかき消される声のように呑み込まれていく。
いつもの事なのに、初めて体感したような気にさせる様々な痛みの大合唱に反射的に身体が丸まり体育座りのように屈んでしまう。
「ったく、開始何分だと思っていやがる!? さっさと立てや!」
叩きつけるような怒号に実際に背中に叩きつけられる踵。
しゃがれ、血を吐くような呻き声と共に雨でぬかるむ地面に沈むように倒れ込む。
「誰が倒れて良いったよ? 5秒で立てよ。 でねぇとさっさと殺処分してやるよ」
さっきとは打って変わって平坦で容赦なのない言葉に恐怖が、怯えがぶり返す。
ここまで追い込まれているのに、未だに消えることのない生存本能に僅かに困惑。
ガタガタと震えながら立ち上がりジークを方に目を向けようとするが目が合わせられない。
痛みと恐怖が共振し増幅、脳味噌にあらゆる負の感情が溢れ、オーバーフロー。
最早、顔や姿さえも視界に入れられなくなり、目を閉じて特攻する。
目を閉じまるで、子供の喧嘩のような不格好さのまま殴りかかる。現実を子供のように否定しようとするが。
しかし、そんな退行を意に介すほどジークは甘くなく……
結局、いつも通りでカウンターと手痛いおまけを貰い。ジークのカウントダウンが始まり、引っ立てられまた繰り返し。
どこまでも続いていく、苦痛と恐怖の負の螺旋。
殴られ、蹴られ、砕けて、裂けていく皮膚。内側からはちきれんばかりの痛みに増幅する恐怖と諦め。
身体の限界で気絶するまで続けられ、執拗に追い詰められていく。
何故、まだ身体が動くのだろうか?
どう考えても限界なんて通り過ぎている惨状なのに、死を匂わせるジークの言葉一つで身体に火が入って動いてしまう。
もう、死んでもいい。
数えるのを諦めるくらい何度も頭をよぎるその考えは結局感情の奥底の何かで否定されていく。
ああ、今何を考えてたんだっけ?
考えつく限りの暴力の嵐の中、益体のない思考が、微かな感情が静かに灰になっていく。
打ち付ける雨足が次第に強くなる……
それは、まるで天候でさえ敵に回ったようにも感じる。
仰向けに倒れ、何度目か数えるのが馬鹿らしい気絶から呼び戻されるこの感覚。
目に写り込む鉛のような空に身体を容赦なく打ち続ける雨、そしてこちらを見下ろすニヤついた金色の双眸。
さして変わらない、与えられる苦痛も、恐怖もどうしようもなく歪み、淀んだ諦観の感情も、少し違いがあるとすれば冬の雨によってもたらされる暴力的な寒さくらいだ。
「さて、ここまではいつもどうりだよなぁ」
何かを確かめるように呟く。
痛みという痛覚が麻痺し鈍く、慢性的な倦怠感に苛まれ覚醒と気絶のボーダーラインをさまよい続ける麻生。
「まぁ、どうでもいいかーー今日は寒いだろアソー?」
この惨状を全く引きずらずに、まるで世間話でもしているかのような気安い口調で語りかける。
何も言ってんだ?
消えかけの思考、感情ですら疑問に思うこの状況。初めて感じる言い知れぬ不安に身を刺すような寒さが、ぶり返す痛みなど考慮せずに身体を震えさせる。
それは恐怖故の防衛本能か、寒さによるシバリングなのか自分でも判断がつかないままで。
「な……な何をい……っている?」
途切れ途切れで今にも事切れそうな返答にジークはしゃがみ込んで、そのゴツゴツと厳めしい手を腹に乗せ告げる。
「えらく震えてんじゃねぇか? 暖めてやるよ上司から心遣いってやつだ。有り難く受け取りな」
間をおかずに掌に発生したオレンジ色の炎、それを認識するより前に圧倒的な苦痛に身体が呑み込まれる。
「があああああああぁぁぁぁ!!!」
膨大な熱量を持った炎が腹を起点として広がり、麻生の身体を蹂躙していく。
生きながらにして焼かれている。そんな現状を認識すら出来ないほどの圧倒的な苦痛と激痛。
沈みかけてた意識が天井まで急転したかのように意識の覚醒を強制させられ苦痛に浸食されていく。まるで身体全面に針でも突き立てられたかのような断続的かつ鋭い痛みに声が枯れるまで叫び続ける。
まだ、声が出るのか?
日常で、言ってしまえばこれまでの訓練ですら味わったことのない苦痛に灼かれながらそんな場違いな感傷を抱くが、その疑問すらも文字通り瞬時に灰になる。
感情も、感覚も等しく塵のように焼き尽くされ同様に灰になっていく……
「良い色で焼けてんなぁ」
ハハッっと笑いながら、まるで食事の時のような雰囲気でこの状態を楽しむジークをよそに麻生の砂嵐のようなノイズが入り混じった精神はささくれたヒモのようにプツンと途切れてしまった。




