八つ当たり
「こら!また、宿題サボって……」
母親の叱咤。むくれる母親の顔には呆れと、諦めが滲んでおり、子供の興味をどうやって勉学に向けさせるか苦心していた。
大体の小、中学生が聞いたことある何気ない日常の1コマ。
「ああ、暇だなぁ」
机に突っ伏して母の説教を聞き流しながら、大した事も考えずにただ過ぎ去る日常のモラトリアム。
真っ暗な視界に映る、何気ない1コマ、それらが瞬間的に切り取られ追体験をしているような感覚に陥る。
俺は、今何を……? 疑問を持ったその時、顔面を痛烈な痛みと冷たさが波を打ち、現実に引き戻されていく。
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鋭い冷たさと痛みに、僅かな呻き声共に目を開けるが、目の周りが酷く腫れており上手く開かずに半開きになる。
どうやら目覚まし代わりに水を掛けられた様で、顔を中心に乱暴な冷たさと痛みが強烈に組み合わさって脳を叩く。
「ようやく、お目覚めか? 地面の上で日光浴でウトウトとは随時な身分だな」
低く粘着質な口調に身体中の痛み強く感じ、現実を実感する。
先程の過去の何気ないな光景が一瞬脳裏に蘇り、突然の理不尽に無意識的に現実逃避を行っていた事に気付く。
途端にジークが丸太のような足を振り上げ、耳のすぐ横に叩き落とす。
「何、何時までも寝てんだ?さっさと掛かって来いよ?」
顔のすぐ傍で舞い上がる砂煙に耳に刺さる轟音、身体中の激痛。
まるで俺の回り全てが敵に回ったかのようか感覚だ。ここまで考えが行き着き思わず笑ってしまう。
最初から何一つ変わっていない現実を直視させられ、今頃実感か……トロぎて本当にどうしようもないと自嘲気味と言うよりは半ばヤケになっていく精神。
最初から、何一つ変わり続けないこの環境。中途半端に温かったこれまでの約1週間ちょっとの生活で随分と現実を甘く見ていたようだ。
最もこんな状況では現実を正しく捉えようと捉えまいとさして何も変わらないような気がするがーー
「何、笑っていやがる? 気でも振れたか?」
理解に苦しむと言いたげなジークの表情に多少の小気味良さを感じ、
「知るか」
短く素っ気ない返答と共に立ち上がるが、主に上半身の激痛に殴られ、歪んだ顔が更に歪む。
腫れた目で見据えるが、ぼやけた目では目の前の熊をおぼろげにしか捉えられない。
無言でほぼやけっぱちの精神で殴りかかる、理論のへったくれもない子供の喧嘩のような行動ではあるがーー
ジークは微動だにせず、殴り掛かる麻生を前蹴りで蹴り上げる。顎に正確にヒットし、脳が揺さぶられ、舌を噛み血の味が口に広がる。
舌を噛み僅かに覚醒した脳が倒れそうになる足を必死食い止め、踏みとどまらせる。切れた舌の血がポタポタ零れ落ち地面に染み込んでいく。
何の意味のない足掻きだ。余りに力の差が有りすぎて悪足掻きにすらならない。
元の世界ですら運動の成績も下位、喧嘩もまともにしたことのない男の拳など、どう転んでもこの熊獣人には通用はしない。
そんな事は分かっている。百も承知だ。こんな状況で唯一飲み込めている事であるが、そうであるが故に麻生は無謀とも言える特攻を繰り返し続ける。
またも、カウンターを食らい辛うじて踏みとどまった身体はジークに向かって無意味な行為に命を燃やす。
ジークはそんな羽虫のような特攻を捌く事もせずカウンターの要領で殴る、蹴る等の打撃を容赦無く麻生の身体に叩き込んでいく。
向かっていく度にカウンターを貰い続け身体中に打撲、切り傷、擦り傷を余すこと無く増やしていき。
何故、こんな無駄の事をしているんだ? 降りかかる暴力の刹那の合間に自問自答しても答えは出ない。考えの過程は暴力の海にかき消され、結局は振り出しに戻っていく……
次第に周囲の音さえ消えていき、いつの間にか仰向けに倒れていた。
ここまでの過程は記憶が飛び過ぎていて、大して思い出せないが、ただ、一つ確信している事がある。
これは単なる八つ当たりだった。
この世界、ひいてはここに至るまでの現象全てが憎い。そして何よりこの現象を打破出来ず、地面に這いつくばる己に……
ああ、なんて無力なんだろう。
月並み過ぎてどうしようもない感傷で胸が一杯になっていく。