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獣達の世界  作者: ペリック
プロローグ
1/28

何気ない日々


 2020年 11月上旬 



ふぅ、これで終わりか。


最後のダンボールをトラックに積み終わり一息つく。

後は現場を撤収してこの事務所の移転作業の仕事は終了。

後は送り先での作業が後日あるだろう。


首にかけたタオルで額の汗を拭う。秋の季節、爽やかな風が汗ばむ身体を吹き抜け心地よい。



時刻は夕方、日に日に近くなる日没に冬の訪れを感じる今日この頃、仕事の余韻に浸る麻生はふと、明日の講義で提出予定のレポートを思い出しげんなりする。


そういえば実験で取ったデータまだグラフ化してなかったなとひとつため息を吐く。


バイトの後だけど今日は寝るの遅くなりそうだな。と内心愚痴をこぼし撤収作業に取り掛かった。



ーー翌日ーー



大量のデータのグラフ化に追われ目の下にクマを作りながら死んだ目で吊革に掴まる。


規則的に振動する電車に身を任せながら、ぼんやりと広告を眺めていた。


【秋、それは京都の季節】


キャッチコピーの背景には紅葉した風景の天龍寺が写っていて、紅葉した葉に鏡面の湖と秋の季節感を強く演出している。


もう秋なんかぁ、高校卒業して資格取得を目指して電気系の専門学校に入学したのが凄く最近な気がするが、いつの間にかもう半年以上経っているのか……


この調子だと専門学校の2年間はあっという間に駆け抜けてしまいそうだ。


月並みな感想を抱き、容赦なく過ぎていく時間に多少の文句でも言ってやりたい気分に駆られながら広告を眺めていると不意に声を掛けられる。


「おはよう、麻生君」


振り向くと気安い声と共に吊革に掴まる多少ぽっちゃな男、彼は 坂口 翔也(さかぐち しょうや) 同じ専門学校の同級生。


途中の駅から乗車して来る同級生とは通学路が同じというあり来たりな理由からか自然と仲良くなっていて今では資格取得を共に目指す学友のようなものになっている。


「レポート、終わった?」


と聞いてくる彼の目の下にはクッキリとクマが出来ていた。


お前もか、同志よ。


「この目と俺の見た目で判断してくれ、正解は講義の後」


俺の適当な返答に彼は軽く笑いながら


「麻生君も徹夜かよ…… 駄目だよ、せっかく勉強出来そうな見た目してんのにギリギリまでレポート溜め込んでちゃ、優等生アピールが台無しじゃん」


人を茶化す前に自分の顔を鏡で見て欲しいね。


脇が甘い友人に苦笑し、


「そう言えば、一限目の講師の佐藤さん、家があの辺りじゃなかったか?」


麻生はくいっと首を窓ガラスに向け、景色のある部分に焦点を当てる。つられて坂口も窓ガラスに視線を向けるそこにはクッリキと目の下にクマを携えた顔が反射していて


「げぇえっ!」


短く告げられる驚きの声に、やっぱり気付いていなかったのかと少し小気味良くなり、容赦なく追撃。


「顔くらい洗ってこいよな」


「な、失礼な、顔くらいちゃんと洗っとるわ! あ、あれだよちょっと遅刻しそうで」


茶化す立場が逆転され、多少呂律が回っていない。まだ、寝ぼけてんだろうなと麻生は軽くテンパる友人を見ながら思う。


「んで急いで、ロクに鏡を見ずに今に至ると…… どうせ徹夜同然の突貫作業だったんだろうなぁ。頭、磁気飽和してんぞ?」


「磁気飽和ねぇ、レポートネタはタイムリーな事だが、もう少し気の効いた事を言って欲しいね。残念ながら身内にしか通じないネタはNG。もう腹一杯」


坂口はうんざりしつつ露骨に疲れた顔をしながら手をヒラヒラさせている。


「安心しとけ、一時間後には講義で腹がたらふく膨れるくらいに聴かせてくれるだろう。何せ今日の講義は電磁気、電磁気、電子回路、機械工学豪華4点セットだ!あー楽しみー」


ニッコリと笑う麻生にげんなりした坂口はため息1つ。


「絶対思ってないね。ったくもう朝から疲れるわもう。あーあ月曜の時間割が一番勘弁だよ」


吊革に掴まり、暗鬱に揺れる坂口はしなびたサラリーマンを連想させ、連鎖的ため息が出る。


「気持ちは分らんでもないがね。月曜の科目は週明けにはこってりし過ぎ。授業レポートは面倒いし、明日は実習のレポートがあるし、月、火と週初めで宿題を大量生産するのは勘弁」


「まぁ、それも今に始まった事でもないけどね」



二人は今後大量生産されるであろう、宿題の山に思いを馳せ仲良くため息をこぼす。


**************************************************


 「であるからして、静電気によるクーロンの法則によりこの2つの点電荷には反発力が働きます…」


講義を聴きながらノートを取るが、迫り来る眠気に大分意識を持っていかれていた。


この辺は電験という資格の勉強をしていた麻生にとっては復習にしかならず、徹夜明けの脳は容赦なく睡眠という選択コマンドを連打している。


「反発力は点電荷の電気量の積に比例し、距離の2乗に反比例します……」


講師の話をよそに、ちらっと斜め前の坂口君の様子を見ると、シャーペンを持ったまま、頭がカクカクを揺れている。


どうやら先に夢の世界へと飛び立っているようだ。しばらく現実には帰って来ないだろう。


黒板に板書するときの規則的なチョークの音と間延びした講師の口調が眠気を増長していく。


「はい、それでは、そこの余裕そうな麻生君、この問題を解いて下さい」


他愛ない思考にぼんやり意識が堕ちかけていたところをピンポイントで当てられ、肘をつき頭を支えていた腕ガタンと外れた。頭が机に激突寸前で完全に目が覚める。


「は、はい」


慌てて取り繕った返事が裏返ってしまい、クラスからポツポツと笑い声が湧き、多少の気恥ずかしさを覚えながら前に出る。


幸運にも問題自体はクーロンの公式に代入すれば機械的に求められるオーソドックスな問題であり


「これで合っていますか?」


チョークで答えを記入し講師に答えを催促する。


「授業中に落ちかけていた割にはよく予習していますね。ですが徹夜でレポートを仕上げるのは感心しませんな。目の下のクマ然り、内容も後半部分は日本語が可笑しい所が散見されましたよ」


再提出を匂わす前置きと徹夜の看破。


当てられた時とは別の意味で焦りが出てくる。


「いやぁ、ちょっと最近忙しくって」


もうちょっとマシな事は言えんのかと内心で自分の引き出しの無さに呆れる。


「確かに、麻生君はバイトに2種の勉強と中々ハードな生活を送っていますが、無茶は駄目ですよ。それ自体は感心すべき事なんですがねぇ、何事もやり過ぎは身体に毒です」


何とか許してくれそうな雰囲気とニッコリ微笑みながら諭す白髪混じりの初老の講師を見て穏やかな気分になる。


やっぱりいい先生だなぁとしみじみ思う。


「しかし、レポートは再提出ですよ。考察は素晴らしいですが日本語は落第ですね」


俺の穏やかな気分を返してくれ。



**************************************************




 「麻生君、この問題なんやけどこの回路の出力波形図ってどれなん? 一応2択まで絞ったんやけど最後の選択が分からんのよ」


坂口君の質問が飛び、視線を彼の問題用紙に移す。


ここ最近は講義が終了して自習室でお互いに資格の勉強に熱を上げている。目指す資格がそれなりに高難易度なため自然と勉強にも力が入っていく。


「ああ、これはサイリスタを用いた単相全波整流回路だね。負荷にインダクタンスが付いてるから電流が平滑する。つまりこの2択なら電流波形が0にならない1番が答えじゃない?」


「平滑の為にリアクトルついてんの?」


「だよ。リアクトル付けると過渡現象的なアレで電流が電圧に対して遅れるんだよ。そんでもって電流の脈動を小さくするためだから、結構重要なところだろ?多分」


確かそうだったはず。家帰ったらパワエレの教科書見直そう。


「よく分かるね、てか一年の最初から自習室でこんなん一人でやってたの?馬鹿じゃね?」


ナチュラルに失礼な坂口に鷹揚としながら、


「どーせやんなら受かりたいだろ?とりあえずやりまくれば何とかなりそうじゃん」


「何とかって何だよ、具体性の欠片もねぇな、頭悪いの良いのか分からんくなるわ」


「いや、もうすぐ本番だろ。事務のおばさんに聞いたらまだ、この資格一年で取った生徒いないんだとよ、だったら俺らで資格取って黄金期にしてやろうぜ」


ニコニコと笑いながら意気込む麻生に本気かどうかは図りかねる坂口である。


「馬鹿でしょ。やっぱ頭おかしいやん、何がそんなに君を駆り立てるん?この勉強中毒者め」


ディスりのグレードが増していく。何だよ勉強中毒者って?そんな命掛けてねーから勉強に。


「いや、ほら、なんかいつの間にかのめり込んでた的な?」


「いや、流石に入学してのすぐに自習室に篭もりきりになるのはやり過ぎでしょ。別に事前知識があったわけではないのにいきなり独学なんて無謀の極みだ」


言われてみると確かにちょっと浮いてたかも知れないな当時を振り返る。

昔から熱中するとハマり過ぎてそれしか見えなくなるとか注意されるタイプであったし、ちょっと人とはズレた感覚かもと再認識し多少ナイーブな感傷に浸る。


「それに、いつの間にかのめり込んでたなんて発言、ギャンブル中毒者の言い訳にしか聞こえないけど……」


言いたい放題な学友の言い草に思わず苦笑い。


「酷い言い草だ。まぁ、でもそんぐらいやれば受かるかもっていう自信くらいにはなるだろ?」


「参考にならない目安は毒でしかないし、いらんわ。レポート、授業、バイトだってあるのに何がそこまで君を駆り立てるのやら」


シャーペンを走らせ電卓を叩きながらひらすらに問題と向き合い続ける二人。


これが麻生誠司の日常であった。日々の些細な事を友人と茶化し合いながら、資格取得を目指し日々バイトと学業に打ち込む姿はどこから見ても平々凡々で平和な生活であった。



この時の麻生はまだ気付けない。この何気ない日々の大切さ、そして自分がこれから踏み出す過酷で、理不尽な日々に。













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