7話 到着と信託
「うわっ!」
急な変化についていけず、思わず地面に倒れこんだ。湿った土の匂いが鼻をつく。
本当に一瞬だった。瞬きをしたら景色が変わっていたみたいな、そんな感覚。
本当に転移したのだ。倒れたまま見る景色だけでも、さっきいたところと全然違っていた。今のところの方が、なんとなく薄暗く湿っている気がした。
「これが、転移……うっ」
初ワープに感動しているところに、突如腹の奥から何かがせり上がってくるような感覚がした。吐きそうなほどに、気持ち悪い。
――なんだこれ……なんだこれ!
突如自分を襲った嘔吐感。それは、なんの前触れもなく襲いかかってきた。
「はぁ……は……くっ」
嘔吐のあの感覚は嫌いだ。なんとかそれだけは防ごうと、次々と溢れ出る唾液を飲み込んで、嗚咽感が過ぎ去るのを待った。
「はぁ……はぁ……なあ、なんだよこれ。こうなるなら始めに言ってくれよ……」
なんとか吐き気も収まり、重い体を起こして四つん這いになる。あの吸い込むような音もない。もう門は閉じたのだろう。彼女はこちらに背を向け、明後日の方向を見ていた。
「転移すると、たまにそんな感じに酔う人がいるのよ。あなたは大丈夫と思ったんだけど……ああそっか。初めてやった時、あなたは気絶してたわね。まあ、回数を重ねれば慣れるでしょ」
初めてやった時とは、おそらく助けてくれた日のことだろう。
たしかに気絶してれば吐き気なんて感じないし、彼女の言い分も理解できる。理解はできるが、納得はできなかった。気だるげに立ち上がりながらリリアを軽く睨みつけるも、それに気がつくこともなかった。行き場のない感情を彼女にぶつける気にもなれない。それに、これから何度も体験することになるという事実が憂鬱な心に突き刺さり、それを吐き出すように深くため息をついた。
「それで、ここはどこだ?」
体に着いた土を払い、彼女の横に並んだ。立っていたのは崖の上のようだ。そこから下を見下ろせば、小さな村が広がっていた。
とりあえずで作られたのか、どこか形がいびつな木造の家々が規則性もなく立てられている。柵は特になく、とりあえずなにもないところに敷き詰めてみましたとばかりの畑。
お世辞にも豊かだのとか、文明的とか言えそうにない小さな村だ。はっきりいって……廃れている。
「……ひどい村だな」
「こんなものよ。前線付近の村なんて」
今までいろんな場所を逃げ回ってきた俺は、いろんな村を見てきた。しかしそのどれもが、ここまでのものではなかった。
リリアによればここは前線付近、要するに開拓したばかりの土地らしい。
人間は魔物を含む危険分子を殺し、土地を開拓し、日々その生息範囲を増やし続けている。それを行うのは聖教者たちや有志なのだが、そいつらはどうにも開拓しか考えていないようだ。だからそれによって生まれた土地や村の管理はあまりしない。
それによってこんな杜撰な村が生まれるのだ。
「それで、その依頼はこの村のやつからなのか?」
「ええ。この村の村長からよ。とりあえず、行きましょう」
「ああ」
歩き出したリリアを追いかけるように歩き出す。慣れない土の感触を確かめながら、一歩一歩確実に歩んだ。
「あ、そうそう」
少し歩いたところで、リリアは思い出したようにそう呟き、振り返った。
「仮にも私たちは聖教者のふりをしている。大丈夫だとは思うけど、一応バレた時のことも考えておきなさい。顔が見られたらどうするか……わかってるわよね?」
「……ああ、もちろんだ」
「そ。ならいいの」
もう言うことはないと言わんばかりに彼女は前に向き直った。そして、何事もなかったかのように再び歩き出す。
要するに、彼女は殺すと言っているのだ。自分の顔を見たものは生かしておかないと……そう言っているのだ。
無言の同意を求めた時の彼女の表情は、フードに隠れてよく見えなかった。でもきっと氷よりも冷たいものだっただろう。
味方のはずの自分でさえ身震いしてしまいそうになったその声は、年頃の少女が発するものにしてはあまりにも冷たすぎた。
◆
「おお! よくきてくれましたなぁ。ささ、中へどうぞ」
この村の村長であるおばあさんは、開口一番にしゃがれた声でそう言った。年はかなりいっているように見える。髪は残らず白く染まり、顔は潰れたようにしわくちゃで。腰を直角に近いくらい曲げ、杖を片手にヨタヨタと不安げな足取りで歩くその姿は、前線付近の村長には見えない。
もともと背は高くないのだろう。それに加えて腰が低いのもあり、余計に小さく見えた。
「失礼します」
「……失礼します」
リリアに続き俺もそう一言言って、村長に招かれるまま村で一番大きな建物ーーといってもそこまで大差あるわけじゃないがーーに入った。そして、彼女に進められた椅子にリリアと俺は腰掛ける。
室内は外観にたがわずボロボロだ。屋根に小さな穴が空いているのか、薄暗く灰色の床にポツポツと光の点が描かれている。風が少し吹けば、ガタガタと扉が鳴った。
この建物が不安でキョロキョロしている俺の手を、リリアが村長に見られないように叩いた。
「長旅でお疲れでしょう。何か飲み物でも入れましょうかね」
「ああ、大丈夫です」
考えるより先に、俺の口からそんな言葉が出た。
あまりにも即答すぎたかと考えたが、気分を害した様子はない。「ああそうですか」とだけいって、二人に向かい合うように村長もよいしょと腰を下ろした。
「それで、依頼なんですが……」
「ええ、依頼書の通りでございます……」
それをはじめとして、村長はポツリポツリと話し始めた。
森へ狩りにいった男たちが戻らなくなったこと。
それを探しにいった人たちも戻らなかったこと。
ついには男がこの村からほとんど消え、教会に頼る他なくなったこと。
それを聞いて、たしかに村に入ってからここに来るまで、男を一人も見なかったことを思い出した。
「この村の男どもは、いいことなのか、皆勇敢すぎましたのです。誰もが自分が助けるんだと意気込んで森に消えていきました」
話すに連れ、彼女の声に嗚咽が混ざり始めた。年老いて乾ききった肌に、涙が流れる。
ほぼ全ての男ということは、彼女の夫や息子も含まれるのだろう。
「長く生きてきましたが、こんなことは初めてでございます。もしかしたら、『魔付き』のせいかもしれませぬ!」
彼女は潤み、赤く充血した瞳を見開いた。
「……魔付き?」
「悪魔と契約した人のことよ。悪魔は人の願いを叶える代わりに、人に共死の呪いをかける。それによって悪魔は力を得るの」
聖教者が魔付きのことを知らないなんてありえない。
致命的な無知を晒す前に、リリアは村長に聞こえない声で俺をフォローした。
俺はハッとした。思わず漏れていたその言葉だが、下手したら自分たちの正体がバレることにつながったかもしれないのだ。そうなれば、目の前の彼女を殺さねばならない。もう彼女はこれ以上ない不幸を味わったのだ。それはあまりにも可哀想に思う。
もうこれ以上ミスを犯すわけにはいくまいと、改めて気を引き締めた。
「それで、依頼はその原因を排除すればいいんですね?」
「はい、その通りでございます。それと、できればでいいのですが……皆の死体を回収して欲しいのです」
「死体を?」
「はい。亡くなってしまったのなら、それは変えられませぬ。ならせめて……静かにに眠らせてやりたいのです」
「保証はできませんが……努力します」
なんとも言えない。それが現状だった。数も、場所も、状態もわからない。そんな状況でできると断定するのは愚かすぎる。
自分でも同じ答えになるだろう。変な期待をさせるべきじゃないのだ。
「ええ、それで十分でございます」
だというのに、まるでそれが成功したかのように喜色で染まった笑みを見せる彼女を、俺は直視できなかった。