4話 魔法と魔術
一緒に暮らすことになったからって、これといって何かあるわけでもない。さっそく何か手伝うと俺は言ったが、魔女であるリリアもそれほど忙しいというわけでもなく、朝食を食べ終わった俺とリリアは食後のティータイムのようなものに入っていた。とは言っても、飲んでいるのは紅茶ではなくコーヒーだが。
一口飲めば、舌全体をジクジクと苦みが襲う。コーヒーを飲んだのは、これが初めてだった。でもここで苦い顔をすれば、どうせリリアは馬鹿にしたような顔で自分を見るに違いない。それがいやで、必死で表情が変わらないよう顔に力を入れた。
それからは特にどちらが話すわけでもなく、ゆったりとした時間が流れる。
まだはじめて会って数日も経っていないのだ。弾む話もないし、お互いに距離感を図りあっている状態だった。
リリアをチラリと見た。沈黙なんて意にも介さず優雅にコーヒーを飲んでいた。気まずさなんて感じている様子はない。
――まあ、とりあえずはこのままでいいか。
そう思い、なんとなく窓の外を眺めた。
窓から見えるのはズッシリとした頑丈さを感じる木々の幹、そしてユラユラ気持ちよさそうに揺れる草花。時折風に吹かれてザワザワと鳴らす木の葉の緑が窓のフレーム内を出入りする。
とても綺麗な森だ。昨日いた森のような薄暗さや、気味の悪さなんて感じない。一部しか家の中からは見えないが、そこだけでも生き生きとしたいい森だと、素人の俺でもよくわかった。
「不思議な森だな」
思わずそう呟いた。
「当たり前よ。魔力が他より多いんだから」
俺の何気ない一言に答えたのは、彼女だった。華やか過ぎるわけでも地味過ぎるわけでもない、素朴なカップに口をつける。
「魔力?」
「そ。魔力はいわば自然のエネルギー。それが多いんだから自然が豊かなのは当たり前でしょ?」
「そういえば俺、魔法のことについてよく知らないなぁ」
「仮にも半分魔術の師である悪魔のあなたが? 間抜けな話ね」
彼女は馬鹿にしたように笑った。その表情に、不愉快な気分になる。
「リリアだって間違ってるぞ。『魔術』じゃなくて、『魔法』だろ?」
「間違ってないわ……っていうか、そこから知らないの!?」
リリアは深いため息を一つ付き、人差し指を立てて説明しだした。
何が間違っているのだろうかと、首をかしげる。
悪魔が使うのは魔法なのだ。そして、魔女はそれを教わる。なら間違っていないはずだ。
「いい? 簡単に言えば、悪魔が使うのが魔法、魔女が使うのが魔術よ」
「ん? 名前が違うだけか?」
「はあ!? そんなわけないじゃない! 魔法と魔術を同等に扱うことすらおこがましいわ!」
彼女はそう言って立ち上がり、机を叩いた。机がガタリと鳴り、コーヒーの水面が揺れた。すごい気迫だ。なんとなく、こんな彼女に覚えがあった。
――ああ。昨夜のリリアか。
彼女は魔女であり、重度の悪魔好きらしい。俺の肩を揺するリリアの瞳は、満天の星空のように輝いていた。
「わかった、わかったから。そんなことするとコーヒー、溢れるぞ?」
「あ……ごめんなさい。怒ったわけじゃないのよ?」
「わかってるって」
「そう。なら、いいんだけど」
声をかけられリリアはおとなしく席に着く。確かに怒りではなさそうだ。ただ単に興奮しただけのように感じた。
自分の痴態を見られたからか、その頬はほんのり赤い。ゴホンとわざとらしく咳き込むと、話を始めた。
「そもそも人間ってのは弱いのよ。悪魔の使う魔法を使ったら、体が耐えられない。だから人が使うには魔法の威力や規模を下げるしかなかった。それが魔術よ」
「じゃあ、魔術は魔法の劣化版ってことか?」
「言い方が悪いけどまあ、そんなところね。あまりはっきり言いたくないけど。ウダウダ説明するより、見た方が早いわね。見せてあげる。ちょっと待ってて」
リリアは立ち上がり、物置へと入っていった。そこまで時間がかかることなく帰ってきた。そして帰ってきたリリアの手にあるのは、金属でできたボウルに、数本の親指くらいの大きさのカプセルだった。透明なのを見るとガラスだろうか。
リリアはよいしょと言ってイスに腰掛けると、それらをバラバラと無造作に机に並べた。
数は五つ。一つ一つが少しずつ違う。
中には、いろんな色のキラキラした粉のようなものが、風に吹かれた落ち葉みたいに舞っている。
「これなんだ? すごい綺麗だな」
「魔術」
「ん?」
「いやだから、これが魔術よ」
「は? これが魔術?」
「そ」
改めてカプセルをじっくりと見た。相変わらずキラキラしている。これが魔術なんて信じられない。俺の魔法――いや、魔術のイメージとしては、何もないところから火を出したり雷を落としたりするものだ。
目の前のこの小さなものとそれらが結びつくとは思えなかった。
「魔術っていうのは万能じゃないわ。あるものを強化したり、付加するくらいしかできない。例えばこれ」
そういってリリアはカプセルのうちの一つ――赤いキラキラが入っているものを持った。
「魔術を使うプロセスは簡単よ。作ってある魔術――『魔源』っていうんだけど、それに魔力を込める」
その瞬間、中のキラキラが激しく光を放ち始めた。パチパチと弾けるように。そして、リリアはカプセルをボウルの中に入れる。
「それで、対応する呪文を唱えれば――《オ・フラム・バーン》」
ボウン!
彼女が呪文を唱えた瞬間、ボウルの中から突然天井に届くくらい高く炎が燃え上がった。
「こんな感じに、魔術が発動するってわけ」
リリアは得意げにそういった。
「……すごいな」
魔術の炎を見つめたままそう呟いた。
初めてだった。半魔でありながら魔術を見たことは今まで一度もない。自分が半魔だからか、目の前の魔術に釘付けだった。
「すごいでしょ? って言っても、この炎は自然のものより温度も低いわ。言ったでしょ? 威力を下げるって。魔女は魔力耐性が高いからまだいいけど、それでも魔法レベルだと体が耐えれないのよ」
「これより強いとか……魔法ってすごいな」
「そうなのよ!」
またもや興奮したリリアは、立ち上がり机を強く叩いた。机は大きく揺れ、ボウルはそれによってこちらの方向へと倒れる。その結果、燃え上がった炎を俺は頭から被ることになった。
「あっつあ!!」
「あ!」
リリアは慌てて指を鳴らす。するとたちまち跡形もなく炎は消えた。まさに夢でも見ていたかのようだった。
「おいリリア……気をつけろよ」
「あはは……まあ、よかったじゃない。あなたは魔力耐性が高いってわかって。体、見てみて?」
「あ?」
俺は訝しげな視線をリリアに向けながら、自分の体をチェックした。特に大きなやけども怪我もなく、衣服が少し焦げたくらいだ。
「やっぱり半魔だからね。魔力耐性が恐ろしく高い。だから熱いって位で済んだのよ?」
「確かに……」
言われてみればそうだった。仮にも炎を頭からかぶったのだ。なのになんの怪我もないなんて、人間じゃない。
確かに便利ではあるが、正直嬉しくはない。
「話戻すけど、魔法だと威力――今の魔術でいう温度は桁違い。時には自然の炎も超えるわ。それになにより、準備がいらないのよ」
「準備?」
「そ、私たちみたいに何か用意する必要がない。無から有を、ゼロから一を作れるのよ!」
なるほど確かにこれは別次元だ。
あるものを鍛えるのと、新しく作り出すのは全くレベルが違う。準備がいらないということは、ほぼ無限に使うことができるということだ。それだとほぼ無敵だった。
「ん?」
そこまで考えて、俺の頭にある考えが浮かんだ。
「そんなに強いなら、なんで悪魔は天使に負けたんだ? 天使と聖者は魔法に対抗できる何かがあったのか?」
「…………」
それを問いかけてから、後悔した。
リリアの表情があからさまな影が落ちたのだ。
さっきまでの興奮はどこへ行ったのか。萎れた花みたいに元気がない。
――やっぱり今のは撤回しよう。
そう考え、口を開けようとした時だった。
「……あるわよ。奇跡っていうのがね」
リリアが小さく、そうつぶやいた。
奇跡。俺は聞いたことはあったが、見たことはなかった。聖者の団体――教会に追われているが、幸運にも聖者に今まで会ったことはなかったのだ。
「そんなに強いのか?」
「人それぞれよ、あれは。その人の信仰心に影響してるから。普通の聖者は十段階でいうなら五、一般の人々は三くらいかしら」
「ちなみに……十ってどれくらいなんだ?」
「熟練の魔女でも勝つのは難しい。なんなら、悪魔でも死ぬことはあるわ」
「っ!」
その言葉は俺を動揺させるのに十分すぎた。俺にとって悪魔とは畏怖の象徴であったが、強さの象徴でもあった。それを倒すほどの奇跡。それが尋常じゃないことは考えなくてもわかった。
「ま、安心して。十のやつなんて……知ってる限りで一人しかいないから」
「一人いるんじゃないか……ちなみに、信仰心十ってどれくらいなんだ?」
「そうね……」
リリアはそこで一度区切り、あごに指を当て考える素振りを見せる。
「天使からの命令だと言われれば、自分の両親をなんの躊躇いもなく殺せるくらいね」
「……いるんだな、そんなやつ」
「ええ……いるのよ。残念ながらね」
そう言うリリアは自嘲気味に笑っていた。
親を誇りに思うリリアの目には、そいつはどんな風に映っているのだろうか。
どれだけ悲しげなリリアを見ても、わかりそうになかった。