35話 自覚と決意
「リリアの!?」
俺はたまらず叫んだ。体がうまく動かないのも忘れて、噛みつくようにクルに詰め寄った。
「どうしたんだ!? 生きてるのか!?」
動揺のあまり、クルの肩を掴んでガシガシ揺らした。クルは言葉を発さない。相変わらず表情を変えないまま、されるがままに揺れるだけだった。
異常なほどに冷静なクルを見ていると、俺の心もだんだん冷えていく。
「ごめん。少し……取り乱した」
「少しじゃない。頭がグチャグチャにかき混ぜられたみたいだった」
「いやほんと、ごめん」
なら少しはそれっぽい表情をしろ。
なんて、そんなことが口をついて出そうになったが、何とか喉のあたりで押しとどめる。
いけないいけない。どうにも感情的になってしまっている。それもしょうがないことだとは思うけど。
クルは俺が落ち着いたのを確認すると、ようやく話し始めた。
「二日前くらいに、食べ物を買いに街に出たら、こんなのがあった」
そう言って羊皮紙を俺に手渡す。
「リリアの、公開処刑……!?」
そこに書いてあったのは、リリアの処刑の詳しい内容。
上の方にデカデカと『アグネス様による公開処刑』と見出しが書かれている。そしてその下に『魔女や悪魔を全滅させる確かな一歩』だとか、思わず鼻で笑ってしまいそうなほどに嘘くさいことが続いている。
――本当だった……!
気がつけばシーツを強く握っていた。
俺はどこかで公開処刑なんて本当には起こらない、なんてお気楽なことを考えていたのだろう。世界の仕組みだなんて言っておいて、実際はそこまでじゃないなんて思っていた。
だってそうだろう。リリアは人間だ。両親のことを誇りに思っていて、魔術に心惹かれこそすれど、誰よりも優しくて、誰よりも仲間思いで。そんな彼女を、そしてそんな彼女の死を、公開処刑なんて見世物のように扱うのが許せなくて、悔しかった。
「それによると執行日は明日。その日より前に目が覚めて幸運だった」
「明日……」
「助けないと、リリアは死ぬ」
「……っ」
あまりにも冷静に、彼女はその言葉を使った。
リリアが死ぬ。
現実を改めて突きつけられて、一瞬息ができなくなった。少し前の床を見つめたまま、行き場のない感情が暴れ、体が震える。
「……アレン?」
どこか心配そうにクルは俺を見ていた。
わかっている。どうすべきかなんて、どうしたいかなんて、とっくにわかっていた。
わかっているのに、体が動かない。どうするのか、口にすることができなかった。まるで、体が一つの像になってしまったかのように。
「……アレン、助けに、行くでしょ?」
「あ…………」
どこか不安げにクルは俺に問いかけた。口こそ開けれど、何も言葉は出てこなかった。
ああもちろんだと、その一言を俺は発することができない。
様子がおかしい俺を見て、クルの空気がどんどんトゲを持ち始めた。
「もしかして、行かないの?」
「いや、そうじゃ……なくて……」
「じゃあなに。なにを迷ってるの」
「……怖、いんだよ」
「……え?」
珍しく、困惑という感情がありありと感じられる声だった。横目で彼女を見ると、その通りの表情をしている。そんな彼女を見て、勝ち誇ったような気分になった。
もちろん、嬉しさなんて微塵も感じないが。
一度出て仕舞えば、面白いくらいに口からツラツラと情け無い言葉が流れ出した。
「ああ、怖い。俺やリリアをいとも簡単に倒してみせたアグネスが怖い。リリアの魔術とか俺の魔法を簡単に無効化した奇跡が怖い。奇跡の剣を受けた時の、体が引き裂かれるようなあの痛みが怖い」
気がつけば布団の上で組んでいた手が震えていた。なんとか抑えようとしても、できない。
あいつと出会うまで、リリアは強いと思っていた。アグネスなんかに負けないと、そう思っていた。俺自身だって、普段は弱いけど、いざ変異して魔法を使えればなんとかできると思っていた。
でもすべて覆された。
頭からあの時のことが離れない。
腹を刺され絶望の表情を浮かべるリリアが。
余裕の笑みを浮かべながら剣を振るうアグネスが。
死にたくなるくらいの痛みが。
結局、甘く見過ぎていたの一点に尽きる。
「怖くて、もう立ち向かえない。それにどうしても思ってしまうんだよ。あの時、アグネスの提案を受けておけばよかったんじゃなかったのかって」
「…………」
クルはなにも言わなかった。もしかしたら、それがどんな提案なのか知っているのかもしれない。
あの時アグネスは言った。人間にしてやると。
あの時は頭がいっぱいでなんの考えもなしに拒否したが、それは俺にとって悪い提案じゃないのだ。
あれは今まで俺が願い続けたことに他ならないし、教会は人間には優しい。保護するというのも本当だろう。もし拒否したとしても、未来にはまた聖教者、特にアグネスに怯えながら生きる生活が待ち受けている。
「なら、いっそのこと――なんて、人間の俺は思ってしまってる。だけど……」
「…………だけど?」
「悪魔の俺が言ってるんだよ……同胞のリリアを見捨てるなんて、そんなのはダメだって」
悪魔や魔女にとって、同胞はかなり大きな意味を持つ。それは天使と悪魔の違いからもよくわかる。
信仰という形だけで人間とつながる天使と違い、悪魔は人間との繋がりが非常に強い。なんせ、共死の呪い――命の共有までするやつもいるからだ。
だから魔女であるリリアを見捨てるなんて、そんなことができるはずもなかった。
「もうわからない……わからないんだよ……」
なんて情けないんだ。中途半端な俺は、いつだって優柔不断だった。
自分は人間だと言い続けたと思えば、魔法が使えればそれに自惚れ悪魔としての自分を認め始めて。
ついに、選択の時が来たのだ。
悪魔を選んで人間としての生活を捨てるのか、人間を選んでリリアを捨てるのか。
自分を取るか、リリアを取るか。
悪魔として生きるのか、人間として生きるのか。
俺が人間か悪魔だったらまだ楽だった。でも、俺は紛れもなく悪魔と人間のハーフで、半魔だ。自分が人間だから、自分が悪魔だからなんて理由で選択できなくなっていた。
「なあ……なあ、クル。教えてくれ。俺は、何者なんだ?」
そう尋ねる俺の声は、少し震えていた。そんな俺をクルは、やはり感情を感じさせない無機質な表情を浮かべながら、まっすぐ見据える。
そのまま、沈黙が流れた。俺はクルの返答を待ち、クルはなぜか何かを口にしようとはしなかった。
だが少しして、クルがついに口を開け
「はぁ……」
と、ため息を一つ漏らした。
俺はそのため息の意図がわからず、首をかしげる。だがどちらにしろ、俺にとってプラスの感情ではないだろう。それに、何かを聞かないとそれが何なのかもわからない。
俺はクルを見つめ、次の言葉を待った。
「アレン、何言ってるの?」
「は?」
思わず間抜けな声が漏れる。
「何言ってるって……だから、悪魔として行動するか、人間として行動するか、迷ってるんだって」
「だから、何バカなことを言ってるの?」
「バカってお前……こっちは真剣なんだぞ」
「じゃあもう一回言う。なに真剣にバカなこと言ってるの?」
「お前っ……」
さっきまでの弱々しい態度はどこへ行ったのか。気がつけばいつものような言葉の応酬をしていた。
いや、いつも通りというのは少し語弊がある。
クルの様子がいつもと違っていた。いつも通りの無感情無表情ではない。そこにはいつものからかいのようなものは微塵も存在しない。やはりわかりにくいが、どこか呆れや怒りのようなものを感じていた。
原因はさっぱりわからないが。
「人がこんなに真剣に悩んでるんだから、バカはないだろ」
「バカにバカって言って何が悪いの」
「何をそんなに怒ってるんだ」
「わからない?」
クルの真剣な眼差しがグサグサ刺さるようだった。
だがわからないものはわからない。俺は素直に頷いた。
クルはそれを見て、呆れたように息を吐いた。
「じゃあ教えてあげる。アレンは悪魔とか人間とか、考えすぎ」
「は?」
「あなたは所詮アレン。自分がこういう種族だからこういう風に動かないといけないなんて考えるほど、大した存在じゃない」
「なっ……!」
いやもちろん俺は自分が特別な存在なんて自惚れていたわけじゃない。
…………少しそういう気はあったことは否定しないが。
だがそこまで言われるほどだろうか。いきなり飛んで来た罵倒に俺はわかりやすく動揺した。
「だけど、確かに俺は悪魔と人間のハーフで、半魔だ。普通の奴らとは違う、何なら世界に俺だけの存在だ」
「何、アレン。もしかして自分は特別な存在だ、なんて痛いこと考えてるの」
「茶化すな」
ああイライラする。こっちは真剣なのにクルはいつも通りなせいで、俺と彼女の間に温度差を感じていた。
「別にみんな多分あなたを特別な存在だなんて思ったことはない。所詮、その程度」
「……どいうことだ」
「あなたを半魔だから特別な存在なんて思ってるのは、他ならないあなただけってこと」
さらにクルは続けた。
「今までアレンを追って来た人たちは、あなたを賞金首として見ていた。あなたの両親は自分の息子として見ていた。アグネスは、あなたを倒すべき敵として見ていた。みんなそれ以上でも、それ以下でもない」
「じゃあ……お前たちはどうなんだ」
自分でも驚くほど低い声だった。自分を否定されたようで、どうやら相当イラついているらしい。半ば苦し紛れにそんなことを訪ねていた。
「私たちは、あなたを――他でもない、アレンとして見ていた」
「っ!」
「さっきアレンは自分が何者なのか教えてくれ、なんてバカみたいなことを言った。なら、お望み通り教えてあげる」
そう言ってクルは、布団の上で組んでいた俺の手に自分の手を重ねた。その声、その瞳にはもう呆れや苛立ちなんて感情は消えているように感じる。そこにあったのは、子供に何かを悟らせる母親のような、優しい慈悲だった。
「あなたは、アレン。私とリリアの大切な人のアレン」
頭をガツンと殴られたかのようだった。大袈裟かもしれないが、ずっと自分は何者なのかわからずに右往左往していた俺にとっては、それほどのことなのだ。
長年の憑き物が落ちたかのように、体が軽くなった気がした。頭の奥に引っかかっていた何かがなくなったような感覚だった。
「それなのにアレン。自分は何者かなんてバカなことを尋ねるなんて、もしかして自分の名前すら忘れてたの?」
「は、は……そう、かもな」
自然と笑みが漏れる。
そうだ。自分が何者かなんて、分かり切ってるじゃないか。それなのに、何を俺は長年考えていたんだろうか。
今までの俺がクルに言われた通りバカに見えてくる。それくらい俺にとっては目から鱗だった。
「……そうだ。俺はアレンだ。確かに、ずっと忘れていたかもしれない。そうだよな。俺はアレンだ」
俺はアレン。俺はアレンと、何度も繰り返した。
やけに心が清々しい。ずっと探していたものを見つけた時のような、強烈な達成感を感じた。
ずっと、ずっと俺はわからなかった。俺自身は人間と思っているのに、みんな俺のことを悪魔と言って。
本当はどっちなのか。俺は何者なのか。はっきりとした答えを欲していた。
だが、考えてみれば確かに簡単なことだ。
俺はアレンだ。悪魔とか、人間とかじゃなく、アレンだ。そんな簡単なことに俺はずっと気がつかなかった。
そんな俺を見て、クルは満足そうに笑うと、もう大丈夫と言わんばかりに、俺の手に重ねていた彼女の手をどかした。暖かな温もりが離れていく。
震えはもう止まっていた。
「あなたはアレン。だから、アレンがしたいようにすればいい」
「俺の……?」
「そう。悪魔としてじゃなく、人間としてじゃなく、アレンとして。ねえ、アレン。アレンは、なにを望むの?」
「俺は……」
もう改めて考えるようなことでもない。自分で、すでにわかっているじゃないか。
あの時だって、無我夢中で悪魔とか人間とか全く頭になかった。ただただ、自分の気持ちに従っていた。
「俺は……リリアを助けたい」
思った以上にすんなりと言葉にすることができた。
「リリアと一緒に過ごしたい。リリアと一緒に出かけたい。リリアの笑顔が見たい。リリアと――一緒にいたい」
リリアを酸からかばった時も、リリアを探して都を走り回った時も、ただそれだけを考えていた。悪魔だからとか人間だからとかじゃない。他でもない俺自身がそう望んでいた。
俺はクルを真っ直ぐ見つめた。その表情は柔らかかった。視線が交差し、クルはゆっくりと頷いた。
「俺は――リリアを助ける」




