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29話 蹂躙と殲滅



「ほぅ……」


 それを聞いたアグネスは、獲物を前にした狩人のようにギラついた笑みを浮かべた。


「悪魔、か。しかも赤黒い色にその翼――上位悪魔のマゴヴォロスか。まだ子供だが、危険なことに変わりはないな。なら倒さないと。みんなのためにも」


 そして、直剣を俺に向けた。その姿はまさに勇者。

 でも俺は鼻で笑いそうになった。もしかしてそれで俺を倒すつもりかと。

 逃亡時代は幾度となく俺に迫り命を刈り取ろうとしたものだが、今の俺にはただの棒切れくらいにしか感じない。

 要するに、取るに足らない。


 ――さっさと終わらせてやる。


 そう考え、魔法を打とうとした瞬間――


「ア?」


 突然、右目あたりが光り始めた。いや、正確には右目じゃない。右手の上にあるものだ。そしてそこから何かが抜け出しているような、気持ち悪い感覚が俺を襲う。


 ああ、そういえば。


 ちょうど封魔の眼帯をしていたと、今更ながら思い出した。ということは、今まさにあの依頼の時のように俺から魔力を吸い出しているということか。


 だんだん抜けていく力を感じながらも、俺は以前ほど取り乱してはいない。

 この眼帯が原因なら、排除すればいい。


 俺はリリアからもらった眼帯を、何の遠慮もなく引きちぎり、彼方に放り投げた。


 そして再び、アグネスに向かって歩き始める。それでもアグネスの余裕の笑みは崩れない。

 それが面白くもあり、気にも食わなかった。


「アグネス様! 加勢いたします!」


 アグネスと俺の間に、十人ほどの聖教者が立ちはだかった。

 それがアグネスの指示が自分の判断かはわからないが、おそらくリリアとの戦いの時は手を出していなかった奴らだ。

 だが流石に悪魔だと手を出さずにはいられなかったのだろう。各々が剣を持ち、光の剣を携える。


「ソレガ、奇跡カ?」


 改めて聞くと自分でも恐ろしく思ってしまうような、地獄から這い上がってきたような声だった。

 俺の問いに誰も答えなかった。聖教者はそれどころじゃないし、アグネスはもともと答えるつもりもなさそうだ。

 でもそれ以外に考えられることもない。あれが奇跡で間違いないだろう。


「イヤ、何ダッテイイ。俺ハ俺ノ障害ヲ全テ排除スルダケダ」


 そう言って、さらに強く一歩踏み出した。ガンッ! という音とともに地面が少し陥没する。


 そうだ。俺は容赦しない。リリアを殺したやつを殺すという俺の感情を邪魔する奴にかける情けもない。


「ククク……ソウ、ソウダ。殺ス。殺スンダ。コ、コロ、殺ス。殺スゾォァァア!!」


 俺は一気に駆け出した。地を強く蹴り、翼を羽ばたかせ推進力とする。その風で周りの木が大きく揺れた。


「ヒッ!」

「や、やらせるものか!」


 聖教者それぞれが俺に向かって走り出した。鉄の剣を捨て、奇跡の剣を携えて。

 迎え撃つつもりらしい。

 全く笑わせてくれる。

 そんなへっぴり腰で何ができるというのか。その足の震えが武者震いが恐怖ゆえか、考えるまでもなくわかってしまう。

 だかこそ、そんな取るに足らない存在なのに俺の邪魔をしようとしているのが我慢ならなかった。


「邪魔ヲスルナァァアア!!」


 両手で拳を作り、それを思い切り地面に叩きつけた。瞬間、爆音と地響きが辺りに轟く。俺が叩きつけたところから、まっすぐガガガガガ!! と剣のように三メートルくらいの鋭い岩のようなものが突き出した。

 それらは容赦なくその延長線上にいた聖教者三人を襲う。一人は危ういところで横に飛び、残りの二人は串刺しになった。

 「がっ……ごぽっ……」と、溺れるような声を出す。

 それを見て明らかに他の聖教者の目つきが変わった。しかも彼らにとって悪い方向に。


「マダダァア!」


 叫びながら、右手に雷の槍を作り出す。

 バチチチチチ!! と轟音を立て、その余波で清潔感すら感じた綺麗な都を破壊していく。


「ラアッ!」


 投擲。

 俺の手から放たれた雷の槍は、地面を削りながらさっき横に飛んだ奴に向かっていった。


「ヒッ! ク、クソ――ぎゃぁあああああ!!!」


 それはそいつに突き刺さり、拡散。

 爆発するようにして放たれたいくつもの電撃は、他の聖教者に襲いかかった。そしてさらに二名が死亡した。

 何度嗅いでもなれることはない血の匂いと何かが焼けたような匂いが、命を散らせたという実感を俺に突きつけてくる。


 そのまま呆然としている聖教者の一人の頭を鷲掴み、地面に叩きつけた。ガンッ! ガンッ! ガンッ! と何度も何度も執拗に叩きつけた。

 最初こそ抵抗しようとバタバタ暴れていた彼も、すぐに動かなくなった。


 それだけじゃ終わらない。まだ終わらせない。

 俺は手のひらを通して彼の体に魔力を、魔法をかけた。

 そしてそのままその死体を、体を回転させ遠心力を利用して他の聖教者の元に投げつける。


 なぜ俺がそんなことをするのかわからなかったのだろうか。

 「え? え?」と狼狽えたまま彼ら四人は動こうとせず、その固まった中心あたりに死体が落ちた。

 それを見て彼らは顔を悲痛に歪ませる。潰れて誰なのかもわからなくなった、血と土と皮膚とレンガの破片でグチャグチャになったかつての仲間を見て、一瞬体が固まった。


 だがその一瞬が仇となる。


「消エロ」


 そう俺が呟いた途端、その死体が爆発した。思わず耳を抑えたくなるような爆音が轟く。火炎と爆風をあたりに飛び散らせ、さらに都を破壊した。


「コレデ、十人。全員ダ」


 もう住人はどこかに走り去った。聖教者も一人を残して全員死んだ。

 時が止まったかのような静寂の中で、クククと小さく笑みをこぼす。自分を確かめるように、自分の力を確認するように、赤黒くなった体を、全てを切り裂くほど鋭い爪となった手を見つめ、何度も握ったり開いたりを繰り返しす。自分は悪魔だと確かめるように、翼を数回羽ばたかせた。


 勝った。

 倒した。

 殺した。


 今まで俺を苦しめていた、悩ませていた奴らを殺すことができた。その事実がどうしようもないほどの高揚感を俺にもたらす。


「アトハ、オ前ダケ」


 興奮からか、少しカタコト気味の俺の声は、やや上ずっているように感じた。

 どんな顔をしているだろうか。仲間をこれほど簡単に殺され、どんな表情を浮かべているだろうか。

 仲間を失った悲しみにくれているか、怒りに燃えているか。

 普段の自分には考えられないような思考に違和感を感じながら、アグネスに目を向けた。


「…………」

「……ア?」


 結論から言って仕舞えば、どれも違っていた。

 そこには何もなくて。まっすぐと、強い力を持って俺を見つめていた。

 あまりにもまっすぐで恐れすら知らないその視線に、思わず俺がたじろいだ。

 頭から冷水をかけられたような気分だ。さっきまでの高ぶった感情は全てを身を潜めた。

 そして、傲慢にも生意気だなんてことを思ってしまった。


 なぜ笑っていられる。なぜそんなに余裕そうにしていられる。なぜそんなに自信に溢れた顔ができる。

 アグネスが何を考えているか全くわからない。理解不能なものを目の前にした時のような底知れない不安感と恐怖が押し寄せる。


 ――俺はこいつに勝てるのか? 殺せるのか?


 急にドクドクと強く心臓が脈打ち始めた。呼吸も荒くなる。

 気がつけば俺は完全にこの得体の知れない男を前に萎縮していた。さっきまでは自信しかなかったのに。さっきまでは勝てる確信しかなかったのに。

 根拠のない不安がどんどん広がっていった。

 もしかしたら、今何か大きな術の準備をしているんじゃないか? さっさとカタをつけないと、やばいんじゃないか?

 確証も理由もないのに、そんなことばかり考えて、無駄に焦る。


「――――っ」


 そして俺はついに、俺のすぐ後ろでくすぶる焦燥感と不安感に負け、アグネスに向かって走り出した。


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