26話 決闘と決意
思い切り地を蹴った。普段感じることのないような推進力が私を前へ突き動かし、顔に空気が叩きつけられる。アグネスがどんどん大きくなる。身体強化もあって、十五メートルという距離は五秒もかからずになくなった。
「シッ!」
勢いを殺すことなくそのまま突きを繰り出す。狙うは、アグネスの首。そこ目掛けてまっすぐ剣の切っ先が飛んでいく。
だが、そんな簡単に殺れるわけもない。アグネスはいともたやすくそれを弾いた。キンと金属音がなり、火花が散る。
そのまま休むことなく、連撃を食らわせる。切り上げ、振り下ろし、横薙ぎと次々とアグネスに向かって剣を振るった。だがそれを彼は難なく全てさばいていく。
その端正な顔に浮かばせる余裕の色に、わずかな焦りが生まれた。
「くっ!」
思わず、私の周りで待機させておいた氷の槍を発射させてしまう。
本当はアグネスが隙を見せたら至近距離で使うつもりだった。それに、いつ発射させるかプレッシャーを与える役割もある。
それを焦りからか、ついついなんの考えもなく発射させてしまったのだ。
もちろん、至近距離からということに違いはない。だから普通の人――いや、ある程度の手練れでも串刺しになるはずだ。
「甘いね」
だがやはりというべきか、アグネスは全て避けて見せた。最小限の動きで。それは完全にこちらの手を読んでいるということだった。
――やっぱりダメか。
わかっていながらも、少しの悔しさは禁じ得ない。だがそれを今悔やんでも何にもならない。
――とりあえず、立て直さないと。
そう考え、アグネスから距離をとった。後ろに飛びのいて、また十五メートルほど離れる。
途端に集中力が少し緩んでしまう。集中は切らすつもりはないが、距離がある時とない時で差が出てしまうのは仕方がないだろう。
すると注意が周りにもいくようになり、耳障りな群衆の声が耳に入るようになった。
「いいぞ」「ぶっ殺せ」「やってしまえ」
そんな声ばかりが聞こえる。それが頭の中に染み込んでくるようで、群衆たちを睨みつけた。
「集中、できていないようだね」
少し離れたところからアグネスの声が届く。
私はハッとして、アグネスにまた視線を戻した。
「殺し合いの最中に集中できていないとは、また余裕だね。そんなに君は強いのかい?」
わかっている。あいつに言われるまでもなく、集中できていないのはわかったいる。自分でも、そんなことでは彼を殺せないとわかっている。
だけど。
なぜか彼に直接言われた、ただそれだけで私の頭は沸騰するくらいに熱くなった。
「うるさい! 《ガ・フィジカライズ》!!」
そう唱えれば、また私の体から仄かな光が発せられた。魔術が発動した印。そして、さらに身体が軽くなる。
「――ぐっ!」
その瞬間体を襲う、刺さるような痛みに顔を歪めた。
身体強化の魔術は重ねがけができる魔術だ。だがアレンには何度も言った通り、魔術は万能じゃない。リスクがある。
《ガ・フィジカライズ》は身体強化の魔術。もっと詳しく言えば、身体中の細胞の活性化だ。本来なら一回の発動でちょうどいいくらいの効力がある。
それを重ねれば身体が悲鳴をあげるのも当たり前だった。
――でも、それがなに?
でも私はためらわずに使う。私はなにをしてでも彼を殺すと決めているんだ。これくらい、なんてことない。
身体中に走る、軋むような痛みを無視して、思い切り踏み込んだ。
ガンっ!! と岩の砕ける音ともに、地面のレンガが砕けた。そして、自分でも反応が難しいくらいのスピードでアグネスに肉薄する。そのまま勢いを殺すことなく剣を振り下ろした。
アグネスはそれに当たり前のように反応する。
剣がぶつかり、先ほどより明らかに大きな金属音が響いた。私の力も魔術によって上がったせいか、アグネスが少し仰け反り、アグネスの驚きの表情を火花が照らす。
彼の想像以上に私の力は上がっていたらしい。一本取れたようで、思わず口角が上がりそうになる。
でも、その感情もすぐ消えてしまう。
「へぇ……」
笑った。アグネスが僅かだが口を歪ませて笑ったのだ。
背中に悪寒が走る。嫌な汗が出ている気がした。
それは英雄めいた彼からは想像できないような不気味なもので。私は思わず後ろに再び飛びのこうとした。
「――っっ!!!」
目の前に、アグネスの剣が迫っていた。
速い。速すぎる。目の前に来るまで、全く反応できなかった。瞬間移動と言われても普通に納得できそうだ。
「くっ!」
私はすんでのところでそれを弾いた。だがそれでも終わらない。
私に迫る第二撃。それはなんの躊躇いもなく、私の首に近づいていく。
私は無理やり体をねじり、力強くアグネスの剣の腹に自身の剣を叩きつけた。それによってアグネスの体勢がすこし崩れ隙ができる。
――まずいまずいまずいまずい! とりあえず距離を取らないと!
一度距離を取ろうとした。
「――逃がさないよ」
ゾッとするくらいに低い声。
小さな声がして、視界にこちらに向かって来る突きが入り込んだ。
今度は彼は許さなかった。
先ほどにはなかった追撃。それが私の命を刈り取らんと振るわれる。もうすでに私は後ろに飛びのこうとしている。今更弾けない。
とっさに私は剣を盾のように構えた。盾と違って面積はほとんどない。本当に防げるのかわからなかったが、私にできるのはそれくらいだった。
そして幸運なのかアグネスが狙ったのか、アグネスの突きは見事に私の剣の腹に直撃した。
キィィィイイイン!! と鈴のような音と共に、剣が細かく震え、私の体に衝撃が走る。そのまま私は吹き飛ばされた。視界がかき混ぜられたみたいに乱回転する。なんとか制御しようとしても、衝撃からどうしようもできない。
群衆たちは私が飛ぶ延長線上を開け、その間を二十メートル以上も吹き飛んで地面に叩きつけられた。
「がっ…………ゲホッ! ゲホッゴホッ!」
咳き込みながら膝をつく。咳き込んで血を吐くなんてことはないが、きっと骨が一、二本は折れた。いや、折れていないとおかしい。
視界はチカチカして、意識もすこしおぼろげだ。周りで騒いでいる声がやけに遠くで聞こえる気がする。体にうまく力が入らない。膝が震えて、立つことすら困難だ。
――これが、アグネス。
――これが、最強。
最初は本気を出していなかった。いや、それどころじゃない。あいつは|攻撃すらしてこなかった《・・・・・・・・・・・》。私の攻撃を防ぐだけで、それだけにとどめていた。
結局、遊ばれていたのだ。
だけど少し本気を出せばこれだ。私は手も足も出ない。
読み合いなんて関係ない。きっと読み合いですら負けているのに、それに加えて太刀筋が速すぎて読めても関係なくなってしまう。
ダメなのだろうか。私じゃ、殺せないのか。
そう考えると目の奥が熱くなり、鼻がツンとする。
悔しい。
不甲斐ない。
私は復讐すら満足にできないのか。
そのとき、頭上からジャリと地面を踏む音がした。
誰がいるかはわかっている。アグネスがわざわざ私の近くまで歩いてきたのだ。
「もう、終わりかい?」
「は……はぁ……っ……」
「……そうか。すこしはできるかと思ったんだが、そんなことはなかったな」
「っ!!」
悔しくて身体が震えた。ますます目の奥が熱くなる。
「まったく、全然宣伝にならないな。取るに足らない存在だった。お前も――両親も」
周りの群衆に聞こえないくらいに小さく呟かれたそれは、私の耳にしっかり入ってきた。
瞬間私の怒りは頂点を超えた。
取るに足らない存在?
私のことはいい。でも、お母さんやお父さんのことを悪く言ったのが許せなかった。
お母さんはすごい魔女だった。基本隠れていたからあまり知られていないけど、それは確かだ。お父さんだって、私は誇りに思っている。
家族を捨てたあなたに何がわかるというんだ。
家族を馬鹿にされたようで許せなかった。
まだズキズキと痛む体を無理やり動かし、持っていた剣を横薙ぎに振るう。でもそれはそこまで威力のあるものじゃなく、ヒョロヒョロとした弱々しいもので。「おっと」と軽い声と共に簡単に避けられ、私のアグネスの間にすこし距離ができる。
「ま、だ……まだよ……」
まだやられない。まだやられるわけにはいかない。
そんな思いを胸に、剣を杖にしてヨロヨロと立ち上がり、目の前のアグネスを睨みつけた。
彼が私に向けるのは、哀れみの視線。それがさらに私の怒りを増加させる。
「あなたな、んかに……やられてたまる……もん、ですか」
そう唸るように言いながら、いくつもの魔源を取り出した。
「私は、決めたのよ……あなたを、殺すって……」
でも、それは今のままじゃきっと達成できない。私の今の実力じゃ、多分無理だ。
最強に、私は叶わない。今の私は限界なのだ。
――だったら限界を超えればいい。
きっと私はこれをやったら無事では済まないだろう。でも不思議と迷いはほとんどなかった。そうするのが当たり前とばかりにそれしか考えれなかった。
そこで頭に浮かんだのは、すこし前から私の家に住み始めた半魔の少年だった。
笑った顔。困った顔。呆れたような顔。怒った顔。
いろんなアレンが次々と走馬灯のように浮かんでくる。
彼は私を信じてくれた。
私についてきてくれた。
私を――身を呈して助けてくれた。
私をそこまで大切にしてくれるのは、両親を除けば彼だけだった。
私だって迫害を受けた身だ。だから人なんて信じられない。クルでさえ、ある意味利害の一致があるから関わっているところもある。
でも――彼は違う。
純粋に信じてくれた。こんな私を。こんな汚れた魔女を。
それが嬉しくて。
だからこそ、こんな時になっても頭のどこかには彼がいる。
彼は今どうしてるだろう。
怒って帰ってしまった? あの攻撃によって怪我をしてしまった? それとも――必死に私を探してくれてる?
最後だったらいいな、なんて都合のいい話だろうか。
どちらにしたって、彼に謝りたい。
怒鳴ってごめんなさいって。
魔術を使ってごめんなさいって。
――裏切ってごめんなさいって。
私は強く強く魔源を握りしめた。
――だから、今は勝たないといけない。
――だから、何としても殺さないといけない!
「《ガ・フィジカライズ》《オ・パガス・ロンビ》《オ・ブロン・ロンビ》《ガ・マティ・プロード》《オ・アネモス・トロヴィロザ》《オ・ディリティ・フィズィラ》《オ・ゲーギ・リュコズ》」
次々と呪文を唱えていった。
それに呼応するように、握った魔源が一つ、また一つと破壊されていく。
また体が軽くなった。
氷の矢が何本も生成された。
雷の槍が何本も生成された。
目がすこし熱を持った。
私の周りに切り裂く強い強い風が吹き荒れた。
紫色の毒でできた蛇が生まれ、私の首に巻きついてアグネスに威嚇した。
地面が割れその破片が集まって一匹の狼が生まれた。
そして、もう一本の杖を取り出す。
「《ガ・フラム・ソルバ》」
そう唱えればたちまち炎が上がり、剣の形になる。
炎剣付加生成魔術。《ガ・フラム・ソルバ》。
私が最初にお母さんに教わった魔術であり、私が初めて発動に成功した魔術。
何度も練習した。何度も火傷した。
そんな私の、思い出の魔術。
「がっ……あ……ぐっ……」
急に激しい痛みが私を襲った。
体が焼けるように熱い。神経そのものが燃えているような、このまま爆発してしまいそうな、そんな感覚がする。
「――ゴホッ!」
咳き込むと大量の血が口から出てきた。夕日に照らされた地面のレンガを、さらに緋色に染める。
ふと、頬を伝う液体の感触がした。触れてみれば、指先は真っ赤に染まっている。血の涙を流していた。
魔術の大量な同時発動。
これはかなり危険なこと。
そもそも普通人間は魔力を体に有していても、それを体外に放出したりしない。だから魔術を使うために放出するのは、いわば水槽の壁に無理やり穴をこじ開けて水を出すようなもの。要するに傷が残るのだ。
普通なら同時に発動できるのは、魔術の規模にもよるけど大抵三つ程度。それを越えると体が耐えきれず、壊れ始める。
そう、今の私のように。
「あっ……ぎっ……ぐっ……」
頭が割れるように痛い。途切れそうな意識を必死で繋ぎ止め、溢れ出そうな涙を堪える。
――ここで倒れてたまるか。
ほぼ執念だけで動いているようなものだった。別にそれでもいい。立てているのだから。
「これは……」
アグネスの口から驚きの声が漏れた。一歩、二歩と後ろに下がる。
彼もこれほどの魔術を見るのは初めてなのだろう。
そしてまた、不敵に笑った。
「……リリアを見くびっていたみたいだな。これは少し、頑張らないといけないかもしれない」
そう言って彼は左手を何か握るような形にした。
「《聖者の禊》」
そう唱えると、彼の左手が光り始めた。いや、正確には彼の左手付近が。その光はどんどん明るさを増し、伸び始める。それは長さを二メートルほどまでにし、おぼろげだった光がどんどん形を持ち始めた。
「奇跡の……剣……」
「そう。悪魔の、そして魔女の命を刈るものだよ」
光の剣を左手に携えて、アグネスはそう言った。
奇跡。
魔と対をなすもの。
それは魔にとっての天敵だ。
だがまずいなんて思うことはない。確かにそれは危険だけど、彼が使うなんてわかりきったことだったから。
そんなことより私が考えるのは、とにかく彼を殺すことのみ。
「さあリリア――」
「さあアグネス――」
「――死ね」
「――死になさい」




