25話 対面と屈辱
「身体強化。《ガ・フィジカライズ》」
雑踏の中を駆けながら、小さく呟いた。少量だけど魔力を消耗したことによる疲労感が私を襲い、一瞬だけ身体が光を放つ。それは魔術が成功した証拠であり、次の瞬間には私の体は空気のように軽くなった。いや、軽くなったわけじゃない。身体能力が上昇しただけ。
だけど私にとってそれはどうでもいい。あいつに、アグネスにたどり着けさえすれば。
「アグネス……!!」
少女とは思えない速さで走り風を切りながら、ギリリと歯をくいしばる。あまりの速さに、クルからもらったウィッグが脱げて赤髪が露わになるけど、今更そんなの気にもしない。
思い浮かべるのは、憎っくき復讐相手。ずっと考えていた。次にあいつとあったら、必ず殺してやると。だけどあいつは英雄扱いされているくせに驕らず、慎重だ。その慎重さもやつを最強の聖教者たらしめているんだろうけど、私からしたら迷惑な話だった。
探しても見つからない。出現したという情報があれば飛んで行ったが、大抵そこにはもういない。
どれほど歯痒い思いをしてきたことか。どれだけ悔しい思いをしてきたことか。
「だけどーーそれも今日までよ」
やっと舞い込んできた、偶然だけどそこに確実にあるチャンス。これを逃すわけにはいかなかった。
ただ少し心配なのは、アレンのことだ。
結構強めの魔術を使ったけど、大丈夫だっただろうか。
いや、あれはアレンが悪い。なぜか私を止めたから。私がどれだけアグネスを憎んでいるか、殺したがっているか、彼は知っているはずなのに。
そこまで考えて、それを振り落とすように首を振った。
――ダメだダメだ。余計なことを考えてたら、アグネスを殺せない。
彼がどれだけ強いかは、私が一番わかっている。
私は一直線に走った。目的地はもちろんアグネスだ。
なんとなくの場所はわかる。普通の聖教者なら感じないが、アグネスほどになるとあまりに強力な奇跡ゆえに、オーラのようなものを探知できる。
群衆を飛び越え、路地裏を通り、その突き当たりを右へ。そのままずっと進むと、広い場所に出た。街の広場のようだ。
そしてその中心にはこの時間にしては不自然な人だかり。
誰でも簡単に分かることだった。
――あそこに、アグネスがいる……!!
そう確信し、走るスピードをあげる。私と同じように――とは言っても目的は真逆だろうが――アグネスに向かって進む人たちを次々と追い抜かす。
ようやくこの時が来た。何年待ったことか。
私の心が歓喜に震え、怒りに燃え、憎しみに軋む。
走りながらスピードを緩めることなく、マントからいくつかの魔源を取り出し、左手で握る。それに加え、木の枝のような杖も右手で持った。
これは木の枝に決まったパターンで鉄を埋め込み、魔力を多く含む酒に三日三晩浸したもの。呪文を唱えれば、鉄の剣となる。
「鉄剣付加生成。《ガ・シデーロ・クシフォ》」
そう口にした途端に、杖にボコボコと鉄の塊がくっつき始める。いや、くっつくと言うより、湧き上がると行ったほうが正しいかもしれない。それにより三十センチもなかった杖が一メートルごえの長さになり、重さも倍以上になる。そしてそれが形を変え、余分なものが削ぎ落とされ、鉄の剣になった。
それを見た周りの人たちが悲鳴をあげているのが聞こえるが、正直それも気にならない。私の意識は、アグネスにまっすぐ向けられていた。
私とあいつとの距離は驚くようなスピードで縮まっていく。
あと十メートル。
あと七メートル。
あと五メートル。
そこで私は高く飛んだ。身体強化をした今の私なら、人の壁さえ軽々と飛び越えることができる。
目の前から人々の背が消え、ついにあいつの顔が目に入った。
忌々しい私と同じ赤目。赤い髪は私と違い短髪だ。優男のような風貌からは子供の時のような幼さは消え失せ、立派で頼もしそうな大人の男の顔つきになっていた。
真っ白なマントを着込み、腰には剣を携える。
まさに英雄。その整った顔に笑みを浮かべながら、握手だったり、自分を慕う人々に対応していた。
その余裕もここまでだ。周りにも数人聖教者のような奴らが目に入ったけど、そいつらは無視。私の標的はアグネスただ一人だから。
群衆を超え、私の体が落下し始めた頃にアグネスは私に気がついた。目を見開き、その端正な顔を驚愕に歪めた。
私はなかなか都合よくは行かないと歯噛みをした。
どうせなら気付かないまま殺せればよかったのに。一瞬だけそう考えてすぐに否定した。どうせ背後からでもあいつは反応する。それがアグネスという男だ。英雄のように、人々が望む通りに、あいつは負けない。
――でも、それがなんだって言うの。
剣を持つ手に力を込め、高く掲げた。
私は決めたんだ。彼を殺すと。
だんだんと、私と彼の距離が近づいていく。
約五メートル。
まだ構えない。その余裕が鼻に着く。
約三メートル。
そこでようやくアグネスは動き始めた。
約二メートル。
もうすぐ私の剣の届く範囲。アグネスは今やっと自身の剣のグリップに手をかけた。
「アグネスッッ!!!」
思い切り権を振り下ろす。それはまっすぐアグネスに迫り――
ガキャアッッ!!
まさに人の目では捉えきれないくらいのスピードで振られたアグネスの剣の横薙ぎに阻まれた。
剣同士のぶつかる音とは思えない、思わず耳を抑えたくなるほどの爆音が空気を揺らす。剣がぶつかったことによる火花が、私とアグネスの顔を照らした。
「フンッ!」
アグネスはそのまま思い切り剣を振り切った。身体強化であまり身体能力に差はないとはいえ、私は空中で彼は地面に立っている。
私は高く飛び上がりそのまま空中で一回転して、アグネスから十五メートルほど離れたところに着地した。
先ほどまでアグネスに纏わりついていた有象無象達は、離れたところから私たちを囲むように並んでいる。
少しして今更周りにいた聖教者達が反応し始めた。
「だ、大丈夫ですか!? アグネス様!」
「お怪我は!?」
「こいつ……どこのどいつかはわからんが、生きて帰れるとは思うなよ……!!」
なにやら彼らが言っているが、私の耳にはほとんど入ってこなかった。私の視線はアグネスにまっすぐ伸びている。頭の中だって、どうやって倒すか考えるので精一杯なのだ。
そんな仲間達を、アグネスは「ここは俺に任せて」と下がらせた。
とことん舐められているようだ。私みたいなやつ、助けを借りる必要もない、と言うことだろうか。
そこで初めて、アグネスは私に向き直り、まっすぐ顔を見た。
「おや……? リリアじゃないか。久しぶりだな」
そう言って、あろうことか爽やかな笑みを浮かべた。まるで本当に兄妹の再会を喜んでいるようだ。いや、実際に懐かしくは思っているのだろう。
だがそれで私を殺すつもりがないかといえば、そんなことはありえない。きっとあんな顔をしながらも、容赦無く私に剣を振るうだろう。
だから私も殺気は収めない。剣をもう一度握り直した。
「アグネス。私はあなたとおしゃべりしに来たわけじゃない。殺しに来たのよ」
「だろうね。君のその目を見れば、一目瞭然だよ」
「分かってるならいいわ。なら――大人しく殺されてちょうだい」
小さく呪文をつぶやき、魔術を発動させる。
今使ったのは氷の魔術。すぐさま私の周りに三本の氷の槍が生成され、その切っ先をアグネスに向けた。
「こいつ……魔女か!?」
周りの聖教者から、驚愕の声が漏れた。
今まではただのテロリストか何かだと思っていたのだろう。彼らの視線は厳しさを増し、緊張感が増す。
魔女という言葉を聞いて、周りの群衆にも緊張が走った。
「アグネス様! 私たちも加勢します!」
次々と周りの聖教者達がそう口にしだした。
私は思わず歯を食いしばった。
まずい。これはまずい。アグネスだけでも厄介なのに、ほかまで加わったらきっと殺すのは不可能だ。アグネスほどではなくとも、きっと彼らもそれなりの実力はあるはずだ。
だがそれは、意外な人物によって阻まれた。
「いや……いい。彼女は俺一人で相手する」
「ですが――」
「君たちは、俺が負けると思うかい?」
そう言う彼の表情はこの状況にしては不自然なほど穏やかで。その雰囲気に飲まれてか周りの人々は揃って首を横に振っていた。
「ならいいだろう? 彼女はどうやら俺に恨みを持っているらしい。なら私が直々に相手をしたほうがいいだろう」
――こいつ……! いけしゃあしゃあと!!
恨みがあるらしい? なにを言っているんだろうか目の前の男は。まるで、なぜ恨みを持たれているか心当たりがないみたいな言い方をする。
いや、実際にわからないのだろう。アグネスは異常なほどに天使を信仰している。それこそ私の悪魔に対するそれよりもはるかに。
そんな彼にとって悪魔、魔女、魔付き、魔物は死んで当然、殺して当然の奴らであり、それを殺したから恨まれるという発想がそもそも彼にはないのだ。
そしてそれは残念なことに、今の世界にピタリとはまっていた。
「でも俺は負けない! みんなのためにも、悪の魔女を倒してみせる!」
そう剣を掲げながら宣言すれば、大気が揺れんばかりの大歓声が湧き上がる。
「どこまでも……バカにして……!!」
剣を持つ手にさらに力がこもる。怒りで体が震えた。
アグネスは私を見ていない。結局アグネスにとっては私の人生をかけるほどの復讐も、教会の宣伝に他ならないのだ。
こちらを見つめる視線には余裕が感じられた。自分が魔女に負けるわけがないと、ほぼ確信しているのだろう。タチが悪いのは、それが慢心でもなんでもないということだ。そう思えてしまうほどの実力と実績を、彼は持っている。
――落ち着いて、落ち着いて。
頭が熱くなってもいいことはない。むしろ冷静な判断ができないぶん、損といえる。
すぐ熱くなるのは私の悪いところだ。クルにも何度か言われたことがある。
自分に言い聞かせ、深く一度深呼吸をした。
すると気分が落ち着き、頭が冷え始めた。まっすぐ彼に視線を向ける。
「私は聖教者、アグネス・ベルランド。君は、何者だ?」
「私は魔女、リリア・ベルランド。私が何者か? 決まってるじゃない」
そこで一度区切り、余裕があるのかただの強がりか、ニヒルに笑ってみせる。
「――死神よ。あなたにとってのね」




