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21話 代償と休憩



「わあ…………」


 隣に立つ黒髪の彼女は、その赤い瞳をめいいっぱい輝かせながら、感嘆の声を漏らした。

 その眼に映るのは都の街並み。

 基盤の目のように規則正しく立ち並ぶ、レンガ造りのモダンな建物達。そしてそれらの間を縫うように広がるゴミひとつない綺麗な舗装された道路。これらは森で普段過ごす俺たちには眩しすぎて、天気の加減か、街全体が輝いているように見える。右を見ても左を見ても人が溢れ活気付いていて、いっそ喧しく感じるが不快ではない。むしろ心地よい刺激を俺たちに与えてくれている。

 確かここの名前はグリアットだった気がする。

 人の世界は少し歪んでこそいるが、基本的には首都を中心とした円形だ。そしてそれは日々開拓され、広がっている。グリアットは大体首都と開拓前線の真ん中辺りに位置する。


「すごいわね! こんなにひとつの場所に人が集まるだなんて!」


 そこら中で響き渡る客呼びの声にかき消されないためか、リリアはいつもより大きな声を出した。

 異常な熱気だ。あまりにも騒がしすぎる。今日は祭りか何かと言われても簡単に納得できそうだ。だが、これが都というものなんだろう。来たことのない俺はそう納得するしかなかった。

 大きな声の客呼びでさえ彼女の目には新鮮に見えるらしい。まるでオモチャを前にした子供のようにはしゃいでしまっている。絶対拗ねるから本人には言わないが。


「こんなにすごいなんて……クルも来れば良かったのに」


 俺もクルは一緒に来ると思っていたが、そんなことはなかった。何か用事があるらしい。何かは教えてくれなかったが、用事ならしょうがない。無理矢理連れて来る必要もないだろう。そもそもこんな俺たちにとってはすごい光景でも、彼女にとっては日常かもしれないのだ。


「こんなに素晴らしい場所なのにーー」


 リリアはそこで一度区切って、あの太陽のような表情から一転。訝しむような目つきで、俺を見た。


「なんであなたはそんなに憂鬱そうなの」

「…………しょうがないだろ」


 俺の口から発せられたそれは、自分でもわかるほど暗く、明るい都にこれでもかと言うくらいに不釣り合いだった。

 やはりリリアもそう感じたらしく、輝いていた表情をわかりやすく曇らせる。

 水を差すようで申し訳ないが、どうしても今明るい気分にはなれそうもない。


「だから言ったでしょ? 魔術は万能じゃないって」

「……よくよく身に染みたよ」


 確かめるように自分の顔を撫でた。手触りや感触にいつもとの変化は感じないが、少なくとも周りから見た姿には変化があるはずだ。

 俺は今リリアから姿を変える魔術をかけられている。これが効果だけ見ればなかなかのもので、周りからは別の人に見え、魔術の存在に気づいた人には元の姿に見える。つまり今のところリリアとクルにはいつもの姿に見えているわけだ。要するに幻術みたいなもの。

 この仕組みを聞いたときはなんて便利なんだろうと感心したがーー


「まさか、こんなに気持ち悪いなんて……」

「我慢しなさい。そのうち慣れるから」


 吐きそうなわけじゃない。だけど、なんだか気持ち悪い。慣れないワープの気持ち悪さも相まって、本当の俺は今ひどい顔をしているだろう。


 結局この魔術は本当はないものを作るものだ。自分の周りを覆うように幻術のようなものができるわけだが、本当はないものを作るのだからどうしても空間が歪む。それがこの気持ち悪さの原因らしい。

 慣れるとリリアは言うように、実際気持ち悪さも治まってきている。空間の歪みに体が適応し始めているのだ。この調子なら1時間もしない間に普段通りになるだろう。

 でもそれまでこの気持ち悪さは消えないわけで。


「これの効果もなしか……」


 そう呟きながら右手の人差し指にはめられた指輪を眺めた。なんの変哲も無い、ただの指輪。特に宝石が付いているわけでも、装飾が施してあるわけでもない。ただの金属の輪だ。

 これは家を出る前にリリアから渡されたものだ。この前の報酬の中になぜか紛れ込んでいたものらしい。


「そういうのを防ぐものじゃないわよ」

「でもさ、リリアはこうなるってわかってたわけだろ? そのリリアが出かける直前に渡したものなんだから、そう思うだろ」

「防げないから警告したんじゃない」


 そういえばそうだ。俺は何も言い返せなかった。

 リリアにもこの指輪はお守りのようなものとしか言われていない。リリアのことだ。何か魔術をかけてそうだが、ワープの気持ち悪さを防ぐようなものではなかったらしい。


「……どうする? やっぱりつらい? どこかで休みましょうか?」

「…………すまん」


 本当なら少しでも早くいろんな店を周りたいだろうに。俯く俺の顔を覗き込むリリアの表情には慈悲が現れていて。申し訳なくて思わず顔を反らしてしまった。


「なら人が少ないところがいいわね」

「そんなとこ、あればいいけどな……」


 この人の多さだ。簡単に見つかるとは思えない。

 だが意外とすぐに見つかった。キョロキョロと辺りを見回していたリリアが、公園への道しるべを見つけたのだ。

 「公園なら、まだマシでしょ」と言いながら俺の手を引いて、リリアは歩きだす。


 不甲斐ない。本当に不甲斐ない。

 申し訳ないと言う気持ちが噴水のように湧き上がり、前を歩くリリアの背中に向けて「ごめん」と、小さく呟いた。




 一時間もしないうちに、俺の体調は大分良くなった。空間の歪みに慣れたと言うことだろう。

 レンガばかりだった街並みにしては緑が多い公園で俺は横になっていた。頭の方には、リリアが腰掛け、心配そうにこちらを見ていた。頬を撫でる風が心地いい。

 もう大丈夫だろうと、額に乗っていたら布を取り起き上がった。

 もう顔をしかめるほどの気分の悪さは感じない。


「アレン、もういいの?」

「ああ、もう大丈夫だ」


 心配そうに顔を覗くリリアに笑いかける。安心したのか、リリアは「そう、よかった」と小さく笑った。

 大きく一度、もう一度と深呼吸をした。あの森ほど綺麗ではないが、汚いというわけでもない空気に違和感を感じるが、大したことじゃない。


「ありがとうな」

「いいえ。そんなお礼を言われるようなことはしてないわ」


 そう言ってクスリとリリアは微笑んだ。やはり違和感のある黒髪が風に吹かれ波打つように揺れる。

 そんなことはない。思ったより早く気分が良くなったのは、間違いなく彼女のおかげだった。

 寝転がれるベンチを探してくれたし、タオルを濡らして額に置いてくれもした。日差しが照りつける中でやけに涼しかったのは、何かしら魔術を使ったということだろう。


「そんなことない。感謝してる」


 彼女は頬を僅かに赤く染め「大袈裟ね」と、照れ臭そうにはにかむ。どちらかといえばクールな彼女が見せたその笑みはまるで雪を溶かす春の太陽のようで。なぜか俺まで照れ臭くなって顔を反らした。


「よし! じゃあ、行きましょうか!」


 リリアは勢いよう立ち上がった。その一挙一動に待ちきれないと言う気持ちがこもっていて。さあ行くぞすぐ行くぞと言わんばかりの彼女につられて、俺もまだ少し重い体を少し力を入れて立ち上がる。


「じゃあ、どこから行きましょうか。普段同じようなものばかり食べてるし、何か美味しいものもいいわね。ああ、小物も見てみたいわ。何か家に飾るものも。いやそんなことよりも服ね。可愛い服、一着くらいは欲しいもの。誰に見せるってわけでもないけど」


 次々と彼女の欲求が湧き上がる。そんな彼女に俺は少し圧倒されていた。いつも冷静なリリアはどこに。まるで子供のようだ。別にバカにしてるわけじゃない。可愛げがあって、これもこれでいい。


「おいおい、そんなたくさん回れないだろ?」

「あ……そうよね……」


 リリアは俺の言葉にシュンと肩を落とした。今日はいつもよりとことん感情表現が豊かだ。

 空を見上げれば、俺たちを見下ろす太陽は真上より少し傾いている。だいたい時間でいうなら三時くらいだろうか。彼女はこの都の店を全て回りそうな勢いだ。今日はもちろん、朝から来ていたってそれを果たす前に暗くなってしまう。


「あ、でも夜になってる店もあるって聞いたことがあるわ。それならいいでしょ? 夜の都も見てみたいし。きっと明かりが光虫みたいにそこら中に灯って綺麗よ?」

「うぐっ……」


 別に止めているわけでもないのに思わず詰まるような声が漏れた。

 そもそも俺に許可を取る必要もないのだ。今の彼女は親にねだる子供のようだが、立場的には連れてきてもらっているのは俺である限り、彼女に決定権はある。

 だがもし俺に決定権があったとしても、断るつもりはなかった。せっかくの時間を潰してしまったのは俺だ。だからとことん彼女に付き合うつもりだった。

 それに、夜の都に興味があるのは俺も同じなのだ。


「……俺に許可なんて取らなくても、好きにすればいい。俺はリリアについて行くだけでいいから」

「そう? ならいいわね。早く行きましょ!」


 リリアは一瞬だけ俺の様子を伺うような視線を向けてきたが、それもすぐに消え、花のような笑顔を咲かせた。

 そして、俺の手を取り歩き始める。繋がれた手を通して感じるリリアの体温がなんだか照れ臭くて。「おい」とか、「落ち着け」とか声をかけても、聞こえていないのかズンズン先に進んでいった。



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