2話 対面と衝突
懐かしい木の匂いがして、目を覚ました。
重い瞼を開けば目の前にあったのは、見覚えのない天井。ぼんやりとした明かりしかなく細かいところまでは見えないが、木造らしい。光源はろうそくか何かだろうか。おぼろげな明かりが、儚げにユラユラ揺れている。
明らかに知らない場所だ。まだ覚醒しきっていない頭を働かせて、過去を振り返る。
――ああそうか。俺は眠ったんだったな。
もしかしたら教会かもしれないと、嫌な可能性が頭をよぎる。
「ここは……どこだ?」
そう呟いて、岩のように重い体を起こした。長時間同じ体勢でいたのか、体の節々がポキポキと悲鳴を上げた。自分に掛けてあったらしい毛羽立った毛布が体からずり落ちる。どうやらベッドで寝ていたらしい。
もちろんだが見覚えはない。俺は数年前から野宿ばかりだったのだ。家どころか毛布すら持っていない。
教会に引き渡されたという考えはとうに消え去った。彼らがこんなにいい対応をするわけがない。ゴツゴツした岩で作られた、入れておくだけの牢屋がいいところだろう。
「結構寝てたんだな」
正面にあった窓から外は見えない。閉まっているとかじゃない。隅で塗りつぶしたかのように暗闇が覆いつくしていた。たしか自分が森で眠って閉まったのはまだ真昼間だったから、少なくとも六時間程度は寝ていたことになる。誰かの家の、このベットで。
「ていうかここはそもそも誰の家なんだ?」
そう呟きながら辺りを見渡す。この部屋はあまり明るいとは言えず、はっきりとは見えないがそこまで広くはない。今寝ている一人用のベッドだけで部屋の面積を半分程度使っている。他に何かあるというわけでもなく、この部屋を灯すロウソク一本とドアくらいしか見当たらない。
もしかしてここはあの時後ろにいた人の家だろうかと考えて、すぐにそれを否定した。
あそこにいたということは、変異して自分が悪魔になっているところを見たということだ。そんな奴が、助けるわけがない。俺がそんな場面に遭遇してもきっと助けない。
あの時の俺は完全でないとはいえ、悪魔だったのだ。今の時代、誰もが悪魔の姿は見たこともがあるはずで、知識もあるはずだ。本なりなんなりで、倒すべき、恨むべき存在として。
「あれを見て助けるなんて、魔女くらいし……か……」
俺はそこにいた人を見て鉄のように固まった。
その人はベッド脇で椅子に座っていた。膝を揃え、そこに手を乗せて座っている姿はどこか上品めいている。
すぐに気がつかなかったのは、その人が全身黒ずくめで闇に紛れていたからだ。
真っ黒なマントを羽織り、頭には同じく漆黒のどこかで見たことのある、ツバのやたら大きなとんがり帽子。全身真っ黒だ。皮でできた手袋まで黒いという徹底ぶり。
おそらく寝ているのだろう。スゥスゥという吐息とともに、一定のリズムで肩が上下していた。
「もしかして……魔女か?」
俺は自分でそういっておきながら半信半疑だった。
なんというか、そいつはあからさますぎた。
全身黒ずくめに加えてとんがり帽子なんて、人々のイメージや物語の魔女まんまだ。実際教会の聖教者によって昔行われた魔女狩りでは、魔女かどうか判断するのにそのとんがり帽子を基準に使っていたらしい。
怪しすぎる。でも魔女でもないのにそんな格好をする必要なんてないわけで。
この人は少し抜けているのだろう。そう納得するほかなかった。
改めて彼女をよく見てみる。
寝ているからうつむき気味で、顔はとんがり帽子のつばに隠れてよく見えない。背中には火炎のように赤い髪が、ロウソクに照らされ轟々と燃えている。
おそらく彼女が自分を助けてくれたのだろうと、俺は確信した。
魔女は悪魔を人が天使を信仰するように崇めていると聞く。そう考えればすんなりと納得がいった。
でも仮にも自分を連れ去った人だ。警戒心が沸くのを防げるはずもない。
自分の中のたいていの疑問に決着がつくと、この人はどんな顔なのかと、そんなことが頭をよぎった。
自分をどんな人が助けてくれたのか気になるのは当たり前なはず。なのになぜか、いけないものを覗こうとしているような気分になった。でも気になるものは気になる。後頭部にチクチク刺さる罪悪感を無視しながら、起こさないようにゆっくりと覗き込んだ。
「……ん」
「あ」
それは運が悪いとしか言いようがなかった。魔女の顔を覗き込んだちょうどそのとき、彼女が目を覚ました。
パチリと俺と彼女の目が合った。驚きから寝起きだというのに大きく見開かれた目を見て、
――燃えるような、きれいな目だな。
そんなことを呑気にも考えた。
「きゃあ!」
「うわっ!」
一瞬の間が空き、彼女は小さく悲鳴を上げ大きく後ろにのけぞった。俺もそれにはじかれるように後ろに倒れこむ。ベッドに倒れこんだ自分はまだよかった。魔女は大きく音を立てて椅子ごと床に倒れた。とんがり帽子が中を舞い、落ち葉のようにヒラヒラと彼女の横に落ちていった。
「あたた……」
「大丈夫か?」
頭を打ったらしい。彼女は床に座り込み、目に涙を浮かべながら頭をさすっていた。
「ええ、ありがとう。だいじょう……」
「……ん?」
魔女は俺を見るなり、眼をこれでもかというくらい大きく見開き、塊のように固まった。どうしたのかと尋ねる間もなく彼女の顔はどんどん赤みを帯びていく。そしてとんがり帽子をつかむと飛び上がるくらいに勢いよく立ち上がった。
「すみませんでした!! とんだご無礼を!!」
彼女は勢いよく頭を下げた。
「いや、俺も悪かったよ。驚かせちゃってさ。だからそんな謝るなよ」
なんでそんなお偉いさんみたいな扱いを受けているのか疑問に思ったが、とりあえず何度も頭を下げている彼女を制止させる。
不服そうだったが一応止まった。彼女はすみませんと最後に軽く頭を下げ、帽子をかぶりなおした。
なるほど、こうして見るとなかなか整った顔立ちだと思った。
詳しくはわからないが、おそらく自分と同じか、それより下だろう。
こちらを見つめるキリッとした瞳からはトゲトゲしい印象を受けるが、全体的に幼い柔らかさが漂っていて、うまい具合に中和している。黒々とした服装が彼女の健康的な肌をよりきれいに引き立てていた。
なんとなく今は謙虚な振る舞いをしているが、強気な性格なんだろう。
気がつけば彼女に感じていた警戒心も薄れていた。少女ということと、その年相応な反応に好感を覚えたのだ。
彼女は部屋の端に立ち、俺を見つめたまま何も言わない。なんとなく気まずい空気が流れた。なんなんだろうかこの時間は。
何か言わないとと思い口を開けた瞬間、音を立ててドアが開いた。
「どうしたの。すごい音がした」
そこにいたのは一人の少女だった。
魔女よりも幼く見える。肩のあたりで切り揃えられた髪も肌も雪のように白い。眠いからなのかもともとなのか、けだるげなジト目でアレンを見つめている。その左目の下にはタトゥーなのかあざなのか、横たわった三日月に三本の棘が生えたような青い模様がある。なんとなく閉じられた瞳を連想させるものだ。
無機質というか、やる気がなさそうというか、とにかく不思議な雰囲気の少女だった。
彼女は部屋を一瞥すると、床に転がった椅子を見つけ、それですべて理解したらしく魔女を見てクスリと笑ったような気がした。といってもほとんど表情は変わっていない。
「なるほど。リリア、転んだの」
「ち、違うのよ! ちょっとびっくりしちゃっただけで」
「リリアって普段はしっかりしてるけど、一度パニックになるとおマヌケさんだから仕方ないね」
「ちょっとクル! 悪魔様の前で変なこと言わないでよ!」
「ちょ、ちょっといいか?」
このままいけばこの二人の口論はさらにヒートアップするかもしれない。そんな予感がして、慌てて止めに入った。
魔女――リリアはハッとして、俺の方を向き姿勢を正す。
「なんですか?」
「えっと……そのリリアとクルが君たちの名前ってことで……いいのか?」
「はい、私がリリア。そして――」
「クル。よろしく」
そういってクルはブイと言ってピースをした。見た目と違って結構お茶目なのかもしれない。
リリアは「やめなさい」と言い、そんなクルの手を叩いてピースをやめさせた。なんとなく姉と妹に見えてくる。
リリアは「んんっ!」とわざとらしく咳払いをした。
「あの、悪魔様の名前を伺ってもよろしいでしょうか……」
「ああ。俺はアレンだ。あー……その悪魔様ってのはやめてくれないか? あと敬語も。なんかむず痒いし、そもそも俺は悪魔じゃない」
「……今なんと? 悪魔じゃ、ない?」
リリアは信じられないといった様子で俺の言葉を繰り返した。これでもかというくらいに目を見張り、開いた口がふさがっていない。絶句という言葉がこれほど似合う顔もないだろう。
「ああ、悪魔じゃない。俺は人間だ」
「……でも貴方は変異していらっしゃいました。悪魔ではないなんてありえません」
「なんていうか……俺は半魔なんだよ。人間と悪魔のハーフ。ほら悪魔の目だって片目だけだろ?」
そう言って自分の右目を指差した。忌々しい自分の一部。
自分は人間と信じたいのに、自分は半魔だと説明する。なんて矛盾したことだろうか。誰にも気づかれないようにため息を吐いた。
「そんなはずは……あなたは悪魔のはずです!」
『お前は、悪魔なんだよ!!』
「――っ!」
頭の中に、いくつもの光景がフラッシュバックした。
こちらを睨みつけるたくさんの目。剣を振り上げる男たち。狩人のように目を光らせたやつら。投げつけられる石。
そして、「悪魔! 悪魔!」と罵る人々
リリアは一向に認めない。彼女は異常なくらい『アレンは悪魔』という考えに執着していた。
その気迫のせいか、俺の中で彼女の視線と、今まで自分に向けられてきた敵を睨みつけるような視線が被って見えた。そいつらと彼女の持つ感情は正反対だと、それくらい自分でもわかっている。だが長年迫害を受けてきたせいか、黒い感情は反射のように湧き上がってきた。
「だから悪魔じゃないって言ってるだろ! 俺は人間だ! 俺は悪魔が嫌いなんだよ!」
「……アレン、そのあたりでやめたほうがいい」
今まで黙っていたクルが突然口を開いた。だが俺を冷静にさせる力はない。どんどんリリアの表情から感情が消えていくのに俺が気付くことはなかった。
「悪魔なんて、消えて――」
「炎剣付加生成。《ガ・フラム・ソルバ》」
それは一瞬の出来事だった。
リリアがマントの中から何か棒のようなものを取り出したかと思えば、それがいきなり燃えだし部屋を照らす。その炎は瞬く間に激しいものとなり、剣のように形作られた。
俺がそれに反応したのは、その炎の剣を喉元に突き付けられた後だった。
「今、なんて言おうとしたの? ……殺すわよ?」
彼女は本気だ。そうなったら,なんの躊躇いもなく自分を殺すだろう。
直感的にそう感じた。
リリアは無表情だった。しかし突き刺すような視線を向けるその双眸はあきらかに怒りで燃えていた。その剣幕に、冷や汗が頬を伝う。
「リリア、落ち着く」
「私はこの上なく冷静よ」
「どう見ても落ち着いてない」
クルがリリアの隣から話しかけても、リリアは俺から一切視線をそらさない。彼女の怒りがどれほどのものがよく分かる。
「私はね、たしかに悪魔に対して悪く言われたから怒ってるのもあるわ。でもね、それ以上にムカついたのは――」
そこまでいって彼女の目つきが一層厳しくなった。ズイッと炎の剣をすこしこちらに突き出す。それに合わせて後ずさり、すこし仰け反るような体制になった。
「こいつが自分のことを否定したことよ。自分が何者なのか、否定したからよ」
「事実を認めないって……俺はたしかに――」
「もしかしたら完全な悪魔ではないかもしれないわね。残念だけど。でも、確実に人間ではないわ。あなたは半魔なんでしょ? わかってる? 悪魔を否定するってことは、自分の親を否定することなのよ? なんで自分の親を誇りに思えないの? なぜ、自分自身を誇りに思えないのよ!」
彼女の凛とした叫び声が茜色に染まった部屋に響く。剣の炎、そして彼女の瞳に映る怒りが一層勢いを増したように感じた。突きつけられた首元がどんどんと熱を持ち、次第にヒリヒリと痛みだす。
正直なところ、しょうがないじゃないかと思っていた。
両親のうち、悪魔なのは父さんの方だった。その父さんのことを俺は母さんの話でしか知らない。物語上の、そして自分に消えない悪魔の烙印を押したやつのことを恨むななんて無茶な注文だ。
それに、今までずっと疑問に思わなかったし、どうこう言われることもなかったのだ。全て父親のせいにしていたのが悪いことだなんて。
「答えなさい、アレン。貴方は、何者なの?」
「俺は……」
なぜか口が開いたまま言葉が出てこなかった。
自分は何者か。今までと同じように人間と答えればいい。実際にそうなんだから。
そう思っているのに、さっきのリリアの言葉が頭の中で響いてなかなか口から出てくれない。
「俺は……俺は――人間、だ」
「……そう」
なんとか喉から絞り出した言葉を、リリアは失望の目線で受けた。
リリアは振り払うように炎の剣を横なぎに払った。すると、剣の炎は風に吹かれたかのように消え失せ、残ったのはあの木の枝のような棒だけ。
「もう……いいわ。あなたは安静にして、寝てなさい」
棒をマントの中にしまうと彼女はそう言い、マントを翻しながら部屋から出ていった。
「はぁぁぁあああああ……」
張り詰めた緊張が解け、大きく息を吐きだした。
完全に殺されたかと思った。もしかしたら心のどこかでは安心していたのかもしれない。自分を助けてくれた相手だからと、信用していたのかもしれない。自分より若い女の子だからと、下に見ていたのかもしれない。
しかし彼女は仮にも魔女なのだ。さっきのもおそらく魔法の一種だろう。それをしみじみと痛感した。
「完全に怒らせたよなぁ」
「否定はしないけど、そんなに落ち込むことはない。リリアの悪魔への憧れは異常だから。それに、誇りだなんだのうるさい」
「まあ、確かにそんな感じだけど」
それにしたって異常だ。
魔女みんながみんなあんな感じなのだろうか。これでは天使側の人々が天使を信じるよりも、もっと深く魔女は悪魔に執着しているようだ。
「リリアは魔女ではあるけど、悪魔からじゃなくて、母親から魔術を教わった……らしい。だからまだ会ったことのない悪魔にひどく憧れている……かもしれない。誇りに関しては……よくわからない」
「なんか自信なさげだなぁ」
思わずそう言ってしまった。彼女は不愉快そうにムッとすると、テケテケとこちらに歩いてきて、頭を軽くたたいた。
「いてっ」
「生意気」
クルはそれだけ言って、ドアのほうへ歩いていく。
「バーカ」
それだけ言って、クルは部屋から出て行った。