表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/40

15話 誤算と豹変

 ゲルガは手を自分の体に押し付けた。それはジュゥゥと音を立てながら彼の体に飲み込まれていく。

 それを見て、彼はさらにその笑みを深めた。


 だがーー何も、変わらなかった。

 特別なことは何も起こらず、ただ血が流れ赤黒い池が大きくなっているだけ。リリアを倒せるようになるだけの変化が起こったとは思えない。


「…………あ?」


 ゲルガは怪訝な声をあげた。彼にとってはこれでいいはずだった。

 ナメクジも同じ方法で魔物化させてきたのだろう。なのに、自分じゃうまくいかない。


「何、でだよ……できただろ! ナメクジでは……できただろ!」

「当たり前じゃない」


 リリアは何でもないように、むしろ声色に呆れを含ませながら、そういった。


「悪魔の契約は、魔法の一種よ」


 魔法の一つということは、魔力による人体への干渉。


「そして魔物は魔法的な力を持つかーー魔力の影響を受けたもののこと」


 そこまで聞いたゲルガは、驚愕から目を大きく飛び出そうなほどに見開いた。分かってしまったのだ。リリアが何を言おうとしているか。

 それはゲルガにとってきっと信じたくないこと。認めたくないと、彼の首が小さく横に振られる。


「魔付き人ってーーようするに魔物の一種なのよ」


 だからゲルガは魔物化できない。もともと魔物だった。魔物は、再び魔物にはなることはできない。


「そう。あなたはもともと魔物なの。あの、あなたがゴミ同然に使っていたナメクジたちと同じね」


 無慈悲に彼女は事実を伝えた。

 ゲルガは顔を真っ青に染める。血の気がひいて、ガチガチと歯を鳴らした。


 悪魔の契約とは、そういうことだ。

 願いを叶える代わりに、悪魔の力の蓄えとなり、人間をやめる。


 それくらいではないと、願いは叶えられない。


 結局彼は、悪魔を甘く見ていた。軽く考えすぎていたのだ。


 もうこれ以上ゲルガに出来ることもないし、やろうともしない。俺はそう感じた。きっとリリアも。

 だから彼女はゲルガに背を向け、相変わらず横たわっているこちらに向かって歩き出す。


「ごめんなさい。もうちょっと気をつけていれば……」

「……いや、いいって。それに、しても……強いんだな……リリアは」


 俺は横たわったままなんとか顔だけアイラに向け、力があまり入らない口をなんとか動かした。

 なすがままの赤ん坊になったようで、なんだか情けないし恥ずかしい。強がって喋ろうとしても、それも簡単なことじゃなかった。


「そんなことないわよ。なんにせよ、これであいつはもう終わーー」

「……ヒヒヒヒ」


 ゲルガの気味の悪い笑い声。

 それが聞こえて、リリアは勢いよく振り返った。

 まだ何かやるつもりなのかと、リリアはゲルガを睨みつけ、俺も彼を見つめた。

 だが、彼は何かをする様子もなかった。相変わらず血が流れる脇腹を抑えながら、クククと肩を震わせる。


「……なに? まだ何かするつもり?」


 リリアは剣の切っ先をゲルガに向ける。油断している様子はない。もう何もできない気もしたが、どうにも不気味だった。


「ああ……そうだよなぁ……そうだ、仕方ねえよなぁ……」


 ゲルガは「そうだ」「しょうがない」「仕方ない」と、うわ言のように繰り返す。明らかに正気ではなかった。

 ただ自分に非はないと言い聞かせているだけなんじゃないか。なんと未練がましい男だろうか。

 リリアも、これから死にゆく者の戯言だ、敗者の言い訳だと思ったのか、彼に背を向ける。呆れた表情を作り、改めて俺の元にに向かおうとした時、ゲルガはあることを言った。



「ーーなあ。あんた、アグネスの野郎のなんかだろ?」



「ーーっっっっ!!!!」


 その言葉を聞き、リリアは分かりやすく動揺した。大きく見開かれた目の奥が揺れ、あり得ないと言った表情をゲルガに向ける。

 明らかにただ事ではなかった。


 ――アグネス?


 俺は首を傾げた。多分自分は知らない名前だ。知らない名前ではあるが、何処かで聞いたことがある気がする。デジャビュというか、魚を食べている時チクリと口の中を骨が刺したような違和感がアレンを襲った。


「あ……あなたっ……その名はっ……!!」

「ヒヒっ……正解か? 正解か!! だよなぁ! その髪にその目、そうに決まってるよなあ! お前らみたいなやつ、そうそういるわけがねえ!」


 アハハハハと、突然ゲルガは笑い出した。あの傷だというのに、地面に横たわったまま大きく笑って、血がゴポリとたくさん流れる。

 そんな姿を、リリアは何も言わず激しく睨みつけていた。先ほどの彼女とは、どこか違っている。今まで見たことのない表情だ。さっきよりも忌々しげに、親の仇でも見るような視線で、視線で射殺さんばかりに睨みつけていた。


「リ、リア……?」

「そうかそうか! ならしょうがねえ! なら、俺は弱くねえ!」


 小さく発せられた呼びかけにもリリアは答えず、広々とした空洞に響くのは汚いゲルガの叫び声だけだ。

 傷が広がるのを意にも介さず、彼は叫び続けた。赤黒い液体はとめどなく流れ出し、ゲルガを中心とした小さな池を形作る。


「そうさ! しょうがねえんだ! 負けたのだってしょうがねえ! 俺は弱くなんてねえんだ! なんたってアグネスはーー」

「……黙れ」


 ゲルガの背に長剣が突き立てられた。ドスッと、なんとも重い音がして、悲鳴をあげることもなく、ゲルガは動かなくなるあれだけ響いていたゲルガの叫び声も消えた。


「はっ……はっ……」


 ぺたりと、崩れるようにリリアは倒れこむ。「リリア!」と叫んで駆け寄りたい気分だったが、あいにく体は動かない。リリアの足元に広がる赤黒い池に膝がつき、パシャンと血が跳ねた。


 痛いくらいの沈黙の中で、リリアの小さい苦しそうな息遣いだけが辺りに響き、顔は苦しく歪む。

 リリアは少し上を見上げ、自分を落ち着かせるように大きく一度、もう一度と深呼吸をした。そして、ゆっくりと地面に突き立てられた剣を支えにして、立ち上がる。深呼吸の甲斐はあったらしく、呼吸も落ち着き表情も落ち着いていた。

 ビキッ! とリリアの剣に大きくヒビが入り、崩れ落ちた。剣が刺さっていた部分から、泉のように赤黒い液体が湧き上がる。残った木の枝のような杖をマントにしまうと、リリアはこちらに向かって歩きだした。


「リリ……ア……」

「ごめんなさい。ちょっと待ってて。今直すから」


 リリアは未だ光り続けている眼帯に、中指と人差し指を揃えて触れた。その光がリリアの指に移り、指先が小さな星のように淡い光を放つ。今度はその指を胸から腹まで滑らせるように動かした。


「かはっ!」


 せき止められていたものが溢れ出したかのように息を漏らす。

 魔力を注入した、ということだろうか。力が抜け冷えているように感じていた体も、今では普通に動くしむしろポカポカと温かい。

 それでも精神的に疲れているのか、相変わらず重く感じる体を無理矢理起こした。


「ありがとう」

「いいえ、なんてことないわ」


 リリアは微笑んだ。そこにさっきまでの恐ろしい表情は消え失せ、あれが幻覚や夢だったのではないかと錯覚に陥りそうになる。

 だが夢でも幻覚でもない。彼女が倒し、そして殺して、無機質な岩の地面に命を流し続けるゲルガだったものは、確かに現実なのだ。


「……なあリリア」


 リリアの手を借りて立ち上がり、そう尋ねた。彼女は何も言わない。だが逃げ出したりはしないと言わんばかりに、俺の瞳をジッと見つめていた。彼女らしいなと、小さく笑みがこぼれそうになる。


「さっきは……その、どうしたんだ? アグネスって、人だよな? 誰なんだ?」


 彼女は苦しそうに顔を歪めた。その辛そうな表情を見ていると、質問したのを後悔しそうになる。


 ――やっぱりやめよう。


 そう思い、撤回の言葉を言おうと口を開いた。


「ーーごめんなさい……今は無理なの」


 彼女はそう言って顔をうつむかせた。


「でも……でも! 絶対にいつか言うわ! いえ、いつかじゃない……家に帰ってから、言うわ! だから……今は、ごめんなさい」


 顔を上げ、アレンに詰め寄るような形でリリアはそう訴えかける。

 たしかに、彼女にとってきっとこれは嬉しくはない話なのだろう。だから整理する時間が彼女には必要だ。

 それに彼女も疲れているはず。そんな状態で辛い話をさせるのは気がひける。

 俺は何も言わず、ただ頷いた。きっと彼女は逃げ出さない。きっと話してくれる。彼女は強いのだから。

 俺にはそんな、確信めいたものがあった。


 この話が決着し、場に沈黙が流れた。妙に真剣な話をしたから、二人とも次の言葉を何にするか決めかねていたのだ。


 先に沈黙に負けたのは、俺の方だった。


「そ、そういえばさ、こいつが死んだってことは、契約していた悪魔も死んだってことだよな?」


 言葉にしてからこの話題にしたことを心底後悔した。悪魔に異常なほど執着しているリリアに、悪魔は死んだのかなんて、禁句以外の何者でもない。


「……ああ、えっと……そう言うわけじゃないのよ」


 だが意外にもリリアは怒った様子もなかった。


「彼の目の下の印、トゲみたいなのは一本だったでしょ? あれは契約の強さを表してるの。最低一本、最高三本でね」


 俺はよく覚えていなかったが、たしかに一本だった気がした。だが曖昧な記憶だからと、もう一度彼の顔を見る気にもならないが。


「あれによってもちろん叶えれる願いの強さも変わる。それに、そいつが死んだ時悪魔が被る影響も変わってくるわ。その逆もまた然りで」

「じゃあ……あいつと契約したやつは死んではいないのか」

「そういうことね。まあ、その悪魔はもともと死んでるだろうけど」

「え?」


 思わず聞き返した。なぜそんなことがわかるのか、と。

 彼女曰く、その印が青色だと死んでいて、赤色だと生きているらしい。

 だから、少なからず彼はその影響を受けてある程度調子が悪かったのだ。

 「ま、そうじゃなくても勝ててたけどね」とリリアは言っているが、それは強がりか事実なのか、俺にはわからない。


「結局、悪魔の契約っていうのは利害の一致なのよ。悪魔だって知能はある。だから契約する相手も選ぶの。体力、魔力、精神力、性格、性別、願い、才能。いろんなことを比較してね。本当は四本まであるらしいけど……」


 そこまで言って、リリアは一度言葉を切った。そして一呼吸置いてニヤリと笑いながら俺を見つめーー


「あなたなら、四本もできるかもね」


 そう、どこか確信めいた調子で言った。

 三本で完全な共死だ。なら四本ならなんなのか。リリアの予想では、もはや悪魔が契約者に仕えるかもしれないらしい。

 もしそうなら、今までいなかったのも頷けた。


「ーー契約なんて……しないけどな」


 小さく、そう呟いた。

 今回悪魔の力を使ってしまったが、悪魔が嫌いなのには変わりない。そもそも半分悪魔なのに悪魔と契約だなんておかしいのだ。

 だがもし、例えば、悪魔と契約するとするなら、俺の願いは決まっていた。


 ――半魔じゃなくて、純粋な人間になりたい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ