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10話 嫌悪と暴走

 手足もなく、ただ横たわるだけのブヨブヨとした胴体は丸太を何本も重ねたように大きい。その先頭にチョンチョンと生えた触覚。そしてその先にある感情の読めない淀んだ目玉は、何かを探すようにあちらこちらへと向いている。

 土のような色の体からは、とめどなくヌルヌルとした何かが滲み出ていた。


 間違いない。知っているナメクジの特徴と合致していた。


 ただ、問題はその大きさだ。こんな大きいの俺は見たことがなかった。

 見上げるほどに大きい。奥の方はよく見えないから大きさはよくわからないが、相当なものだろう。化け物と呼んでなんら遜色なかった。


「な、なあリリア。どうするんだ?」


 幸い、今のところ奴は動きを見せない。自分たちを見てるわけじゃないのか、それともただ様子を見ているだけかはわからないが、利用しない手はない。


 だが不思議なことに、声をかけてもリリアは反応することはなかった。奴を見上げた体勢のまま、全く動かない。


「お、おい! リリア!?」


 目の前の化け物ナメクジが襲いかかってくるかもしれない可能性も考えず、リリアの肩を揺らしそう呼びかけた。それでもリリアは反応しない。石のように固まってしまっている。

 そしてその可能性は見事に的中した。

 二つの大きな目玉は二人の方を向き、ナメクジは動き出す。ズルゥと、嫌な音とともに近づいてきた。


「ちょ! ほんとにやばいって!」


 逃げるにしろ、倒してもらうにしろ、リリアに動いてもらわないといけない。

 どれだけ揺らしても、反応もなく、何も話さない。

 だがここで、俺はリリアが何か言っていることに気がついた。ボソボソと呟くように口を動かしている。


 もしかしたらこの状況を打破する何かかもしれない。俺に助けを求めているのかもしれない。

 俺はそう思い、彼女の言葉に耳を澄ました。


「…………や」

「なに? なんだって?」

「……や……いやよ……」

「『いや』? なにが嫌なんだ!?」

「…………ひっ!」

「うわっ!」


 時間をかけすぎたのか、例のナメクジはいつの間にか目の前にいた。

 俺は尻餅をつき、リリアは短く悲鳴をあげピンと体を伸ばした。

 ナメクジは頭を下げ、手探りで調べるように、一本の触覚をリリアに近づけていく。


 ――ああ、もうだめだ。


 見たこともないくらい大きなナメクジ。なぜか全く動かないリリア。

 俺には、彼女が殺される未来しか想像できなかった。


 だけど残念ながら、俺にはどうにかする手段もないのだ。ただ呆然と見ているだけ。


 病人のように青白くヌルヌルした触覚が、健康的なリリアの肌に触れた。

 再びリリアは「ひっ!」と小さく悲鳴を漏らし、肩が上がったと思えばーー


「ーー《オ・フラム・バーン》」


「ーーーー!!!」


 瞬間、目の前のナメクジが燃え上がった。

 突如現れた光に、慌てて目を抑える。

 炎を纏い、声にならない叫び声をあげながら、ナメクジはウネウネと気持ち悪く蠢いた。

 ナメクジは水分の塊だ。魔術で温度は少し低めとはいえ、あれはれっきとした炎。水分が蒸発し、ナメクジはどんどん小さくなった。

 そしてついにナメクジはかなり小さくなって死に、炎は鎮火した。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 やけに疲労した調子で肩で息をするリリアの背中を呆然と見つめた。

 とりあえずはなんとかなったらしい。だけど腑に落ちないところもある。あれだけ言っておきながら火の魔法を使ったし、ギリギリまで動かなかった。


「な、なあリリアーー」


 その理由を訪ねようと声をかけた瞬間、またあのグジュグジュと気持ちの悪い音がした。


 ――まさか、また新しいやつか!?


 音のした方ーー右を見ると、ちょうどそこにあった穴から、さっきと同じナメクジが這い出てくるところだった。

 一難去ってまた一難。もしかしたらここには同じようなやつらが何匹もいるのかもしれない。それでは一匹一匹倒していたらきりが無い。

 戻ってなに考えたほうがいい。そう感じ、リリアに伝えようと口を開けた。


 だが、リリアの行動の方が早かった。

 彼女はいつの間にかその手に持っていた魔源をナメクジに向かって投げつける。


「《オ・フラム・バーン》!!」


 そうリリアが唱えれば、やはりナメクジは燃え上がる。

 だがそれでは終わらない。よく聞いてみれば、遠くからいくつものナメクジが這いずる音が聞こえてくる。


 ――囲まれた。


 苦虫を噛み潰したような気分だった。リリアにかかればナメクジたちは簡単に倒せるらしい。リリアに任せきりになるが、脱出するのは難しく無いだろう。

 でもリリアの様子がおかしいのだ。


 やけに殺気立ったというか、ヤケクソというか。とにかく平生の精神状態じゃ無いのは確かだった。


 グジュリ。


「《オ・フラム・バーン》!!」


 また一匹燃えた。なんという反応速度だろうか。這いずる音が聞こえ、穴から顔を出した瞬間燃えだしたみたいに錯覚しそうなくらいだ。

 リリアはその神業とも呼べそうな芸当を、何度も実行して行く。

 音が聞こえれば魔術を唱え、また別方向から聞こえればそちらに唱え。アレンはそれを少し離れた場所で目を服で覆いながら待機していた。それでも彼女が気になるので、細めでリリアを観察している。

 気がつけばあちらこちらで爆音と炎が轟いていた。

 俺は圧倒されていた。

 が、同時に違和感も感じていた。

 反応して攻撃しているというよりは、音が聞こえればそちらに条件反射で攻撃しているようで。


 やつらが自分たちのところまで来るのに、これだけ余裕はあるのにどこか彼女は必死そうで。


 ――もしかして、リリアはナメクジが苦手なのか?


 そんな考えが頭に浮かんだ。

 バカみたいな考えだが、そう考えればしっくりくる。今の彼女は、嫌いなものが目に入るのが嫌で、がむしゃらに攻撃しているように見えてきた。


 しかしそれはどちらでもいい。どちらにせよ、敵を倒してくれるのだから俺にとってはなんら問題はないのだ。


 ――だが。


 グジュリ。


「《オ・フラム・バーン》!!」


 グジュリ。


「《オ・フラム・バーン》!!」


 グジューー


「《オ・フラム・バーン》!!」


 グーー


「《オ・フラム・バーン》!!」


 ――リリア、あいつ大丈夫か?


 なんだか心配になってきていた。

 もはや彼女は呪文しか口にしていない。まるでそれを口にするだけの機械と化したようで、見てて気分のいいものではない。

 今の彼女の背中は、見ているだけで不安を感じさせるのだ。

 それに、魔術を使うには体内の魔力を使う。当然ながら人一人のそれには限度がある。魔女だから普通の人より多いとはいえ、無限とは程遠い。先になにもいないとも言い切れない。彼女が魔力切れを起こしたら、今度こそ絶体絶命だ。


 ちょうどそのとき、周りで鳴っていた気持ち悪い音が途切れた。やつらが撤退したのだろうか。それとも恐ろしいことに全て倒してしまったのだろうか。


 ――今ならいいだろう。


 どちらにせよ今がちょうどいい。

 周りの火が鎮火するまで少し待ち、リリアに少し近づいた。


「なあリリア。だいじょーー」

「《オ・フラム・バーン》!!」

「それ俺ぇぇええええ!!」


 さすがとしか言いようがなかった。

 声をかけた瞬間、彼女が俺の方に振り返り、彼女の朱色の目が光った瞬間、何かが飛んできた。「あ、何かが飛んできた」なんて呑気に考えていると、突然それが発火。

 この一連の流れに一秒もかかっていない。呪文が唱え終わる時にちょうど魔源が敵の元に到達するようにしているなんて、感心のほかない。


 そんなことを現実逃避気味に頭の片隅で考えた。もちろん、頭の大部分を占めるのはリリアに対するムカつきに決まっているが。


「あっつ!! あっつ!!」


 必死にマントに着いた火を払った。

 幸い、魔女以上に魔力耐性が高い自分の体質のせいで熱い程度にとどまっている。それにおそらくリリア作のこのマントにも幾らかの魔力耐性があるのだろう、簡単に魔術の火も払い落とせた。もちろん、払いおとす自分の両手は暑くてたまらない。火傷しそうだ。


「フゥー、フゥー」


 未だ極端な熱を持ちヒリヒリと痛む両手に息を吹きかけながら、抗議の意を込めてリリアを睨みつけた。


 彼女は顔こそこちらを向いているが、意識は俺自身に向いていなかった。

 体勢を低くし襲撃に備え、マントから覗く両手の指には大量の魔源。両眼を光らせながら、それこそ悪魔かという表情で周りを睨みつけている。

 俺は確信した。


 ――あ、これまた話しかけたら魔術で攻撃されるな。


 その時、見計らったかのようにまたナメクジが一匹現れた。そしてリリアはそれを今まで通り瞬殺する。


 ――ナメクジには悪いが、全部死んでもらうしかないか。それまでおとなしくしておこう。


 結局そういう結論に達した。

 死なないとはいえ、痛いといえば痛いのだ。自ら文字通り火の中に飛び込む趣味はない。

 ぱっと見横穴のない洞窟の壁にもたれかかり目を閉じた。


 怖がってるとも言える女の子を見捨てるのは男としてどうかと、思わないわけでもない。

 でもなにも手段がないし、止めなくても、いやむしろ止めない方が助かったりする。ならわざわざ痛い目見て不利な状況になる必要もあるまい。

 長い迫害生活の中で、ちょっとした合理主義が性格になり始めていた。


 目を閉じた暗闇の中で、爆音は未だ鳴り止まない。


「気長に待つか……」


 そう小さく呟いて、俺は待ちの体勢になった。



 幸いなことに、待っていた瞬間は思いの外早く訪れた。

 待つと決めてから十五分もした頃、次第に爆音のペースが落ち始め、そこから五分もする頃には完全に聞こえなくなった。

 もうそろそろだろうかと思い、一応強い光を警戒しながら、ゆっくりと目を開いた。


 やはりもう終わっているようだった。地獄絵図のようにそこら中で燃え上がる炎は軒並み鎮火して、真っ暗でジメジメした洞窟に元通り。なんとなく、気温は上がっている気がした。


 肝心のリリアは俺に背を向けて立ち尽くしていた。先ほどのような警戒した空気はなく、腕もだらんと下げ、いかにも疲れましたといった調子だ。


「落ち着いたか?」


 彼女に近づいて、そう声をかけた。

 その声に反応し振り返ったリリアの顔は、やはりというべきか疲労の色が見える。いつもよりやつれて見えるし、まるで三日三晩歩き続けた旅人のようだ。この洞窟の雰囲気と相待って、余計に陰気臭く見える。


「……ええ、ごめんなさい。ちょっと取り乱したわ」


 「ちょっと?」と、聞き返しそうになったが、慌ててその言葉を飲み込んだ。わざわざ煽るようなことは言う必要もないだろう。


「その……苦手なのか? ナメクジ」

「……今更否定もできないわね。そうね、苦手よ。ナメクジというか、ウネウネ動く生き物が苦手なのよ。イモムシとか、ムカデとか」


 リリアは恥ずかしそうに苦笑した。


「じゃあ今回は地獄だったな。あんなバカでかいのが、あんな大量に」

「やめて。思い出させないで」

「ごめん」


 本当に無理なんだろう。明らかに顔色が悪くなった気がした。

 確かに今回のあれはひどい。別に苦手でもなんでもない自分ですら、気持ち悪いと感じたのだ。元々苦手なリリアなら尚更だろう。


 彼女の中の暗い気持ちを吐き出すように、リリアは小さく息を吐き、「ああそれと」と言葉を漏らした。


「多分あれは魔物ね」

「やっぱりか……なんとなくそう思ってたけど」

「それも、何かが魔物化させたものね。しかも最近。」

「魔物化……」


 俺はおどろおどろしげに呟いた。

 魔物化とは読んで字のごとく、何かを魔物にすることだ。それにはかなり高度な技術がいると聞く。

 俺にはそれが信じられなかった。魔物は基本全ての生き物においての敵だ。世界の理から外れた、何者にも属さない負の存在。そんなものを生み出す奴がいるなんて、考えたくもない。


 でも実際そうなのだろう。リリアが言っているのだから。俺よりよっぽど魔について詳しい魔女がそう断言するのだから。


「……根拠は?」


 だけどそう尋ねずにはいられなかった。信じられない以前に、理解ができないのだ。

 彼女がそう言うんだ。何か理由があるのだろう。それを聞いて、うまく飲み込めない事実をなんとか受け止めようとしていた。


「ここは前線付近。開拓して、そんなに年数も経ってないわ。聖教者達があんな大きな魔物をーーいえ、こんなあからさまな洞窟を見逃すはずがない」

「なにが魔物化させたのかはわかるのか?」

「そこまでは。でも魔物化は並大抵のことじゃない。できるやつは限られてくるわ。魔女とかーー悪魔とかね」


 悪魔という言葉がリリアの口から出た瞬間、なぜか心臓を鷲掴みにされたような気分になった。それは違うと、大声で叫びそうになるのを必死で抑えこむ。

 彼女が自分を指していないことはわかっている。でもなぜか体が勝手に反応したのだ。

 それが気持ち悪かった。自分が本当は悪魔と思っている。そう誰かに言われているようで。


 そんな俺の心中を察したのか、リリアは「まあ、行ってみないとわからないけどね」と付け加えた。


「とにかく進みましょう。なんにせよ、この奥にいるはず。何としても倒すわよ」

「……そうだな。あの村人がたくさんそいつのせいで殺されたんだ。罰を与えてやらないとな」

「ええ。必ず倒さないといけないわ。あんな気持ち悪い思いをさせるなんて……!!」

「それ完全に私怨だろ」


 リリアは、俺の訴えに耳を貸すことなくサッサと歩き出す。

 小さくため息をつきながら、リリアの背中を追った。

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