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1話 強襲と救済

 これは昔々のお話だ。

 男がどこか上機嫌にそういった。


 この世界に悪魔と天使がいた。彼らは争い、殺し、滅ぼしあった。それは地形を変え、生き物を殺し、魔物を生み出した。それでも決着がつかない彼らは、人間をその戦いに引き込んだ。悪魔は人間に魔術を教え、天使は奇跡を与えた。これが魔女と聖教者の誕生だ。

 悪魔は人間と契約し力を得た。天使は信仰を集め我が力とした。勝敗は明らかだった。効率的にも、数的にも。

 人間を戦力に加え始めてからそう長い時間もかからず、天使の勝利でその戦争は幕を下ろす。悪魔はほぼ全滅し、魔女は狩り尽くされた。

 今や世界は天使のものだ。だが、全ての悪魔が死んだわけじゃない。まだ見つかっていない魔女がいるかもしれない。聖教者たちは魔女、悪魔を探している。


 そんな中、ある存在が世間を賑わせた。

 現在において、悪魔とは忌むべき存在で、ほとんどの人間にとって敵であるはずだ。

 だというのに、悪魔と人間の子供が生まれたという。

 人々はそれのことを畏怖と軽蔑を持ってこう呼んだ。


 ――半魔と。



 冷たく湿った風が吹いた。ざわざわと鬱蒼と茂った森の木々の葉を揺らし、遮られていた日光が真上から地面に降り注ぐ。

 薄暗い森の中で、俺は数人の武器を持った男に取り囲まれていた。身体中にある切り傷擦り傷、そしてあざなど様々な傷がズキズキ痛む。どう見ても平和的な雰囲気ではない。不安な気持ちを隠すように、右目にある眼帯に手を添えた。

彼らは勝ち誇ったようにニヤニヤと笑い俺をを見下していた。俺は眼帯越しに男たちを睨みつけた。それが無駄だと知りながらも。


「それで、そのお話の中の半魔がこいつってわけか?」


 取り囲んでいたうちの一人が、斧を肩に担ぎながら言った。先ほどまで森の中を入りまわっていたからだろう。靴には泥、古びた服には木の葉が付き、小じわが散見される顔は薄汚れている。


「ああ、手配書が正しければそうだな」

「手配書とかめんどくせぇ。こいつの目を見ればわかることだろう……がっと」


 一人がそう言って右目につけられた黒い眼帯に手をかけ、無理やり紐をちぎって投げ捨てた。あれは俺の母さんが作っったもので、古びてこそいるが大事なものだった。俺は男たちを睨みつけたが、彼らは意にも介さない。

 あらわになった左目にあったのは、人間のそれではない。虹彩は金色に輝き、瞳孔は猫か爬虫類のように長細い。人間ではあり得ない。

 世間で『悪魔の目』とされる、呪われた目だ。


「ほらな。この目、悪魔である証拠だ」

「……ちがう」

「あ?」


 久しぶりに声を出した気がした。少なくとも、こんな状況になってからは初めてだ。それは今までの態度とは真逆に力がこもっている。男たちを見つめる視線にも力が入った。

睨みつけていたとはいえ、今まで反抗の様子は見せなかったやつだ。突然口答えしてきたことに、訝しげな視線を向ける。


「俺は悪魔じゃない……人間だ!」


 辺りが水を打ったようになる。ポカンとした顔をした男たちだったが、一人が息を吹き出すと堰を切ったように笑いが沸き起こった。


「なあ、お前は鏡を見たことないのか? 自分の顔を見たことがないのか? これは間違いなく悪魔の目だし、お前の顔で手配もされてるんだよ」


 男は酸化して黄ばんだ紙を一枚取り出し、俺に見せつけた。教会が発行している手配書だ。

 何度も見たことのある顔がデカデカと描かれ、その下に俺の名――アレンと刻まれている。これによれば『半魔につき手配中』らしい。極め付けは賞金だ。一生とまではいかずとも、数ヶ月は働かずに済む金額が示されていた。大金を手に入れる機会なんてない目の前の男たちにしてみれば、今この瞬間は絶好の機会といえるだろう。


 心の中にあるのはただ一つ。怒りだ。男たちに対する怒り、そしてこの理不尽な状況に対する怒り。フツフツと加熱し始めるそれは、憎しみとなって心の中に湧き上がる。


「もういいからさ、さっさと持ってこうぜ。また逃げ出されたらたまらん。確か生け捕りの方が金は多くもらえたはずだよな?」

「ああ。そうだな……変異もしないようだし、逃げないように足でも切り落とすか」


 男から発せられた人に向けられたとは思えないその非情な一言に、誰も意を唱えるものはいない。むしろ賛成といった様子で、斧を持ったやつ以外は逃げないようにと俺の体を抑えにかかった。じたばたと抵抗するが、やはり体格も年齢もが違う。万力に固定されたかのように、びくともしなかった。


 なぜそんな非道なことができるのか。いや、そんな問いの答え、とっくに知っているはずだ。


 なぜならそれが普通だからだ。


 悪魔、魔女は殺せ。情など持つな。

 天使に植え付けられた信仰心が、彼らの常識を書き換えていた。


 ギリリと歯を食いしばった。

 あまりにもひどすぎる。人に対する扱いじゃない。こんなの間違っている。

 簡単にやられてたまるかと、確かな強い感情が胸の中で火を持った。


「じゃ、恨むな……よっ!」


 斧を持った男がそれを振り下ろした。思い切り振られたそれに、躊躇いなんて微塵も感じられない。

 それは吸い込まれるようにアレンの右足――ちょうどくるぶしの上あたりに向かっていき、


 ガキンッ!


 金属同士がぶつかったかのような音を立て弾かれた。


「……は?」


 男から間抜けな声が漏れる。

 そこにあったのは人間の皮膚じゃない。赤黒くザラザラとした、甲殻のようなもの。それが斧の一閃を弾き飛ばした。

 これが悪魔固有の能力、『変異』だ。

 やってしまったと、眉をひそめた。足なしで生活する危機は去ったが、変異が嫌いだったのだ。この忌々しい生まれつきの能力が。

 そんな思いとは裏腹に、変異はどんどん広がっていく。赤黒い甲殻はくるぶしの上あたりから始まり、瞬く間に右半分を覆い尽くした。皮膚だけじゃない。爪はなんでも切り裂けそうなくらいに鋭く、歯はもはや牙になった。


「おいこれって――があっ!!」


 この場の誰もがそれに反応できなかった。彼らの反応速度をゆうに超えて繰り出された悪魔の右手は、一人の男を吹き飛ばす。そいつは近くの木に叩きつけられ、それからピクリとも動かなくなった。男たちには確認する余裕もないし、必要もない。気に衝突したときか、地面に落ちた時かはわからないが、首がおかしなほうを向いている。どうみたって死んでいた。


「お、おい! 変異はしないんじゃなかったのかよ!」

「知らねえよ! とにかく逃げるぞ!」


 それを見た男たちは急に態度を変えて喚き立て、尻尾を巻いて我先にと逃げ出した。誰もが自分の身が一番かわいい。さっきまでの余裕な態度はどこへいったのか。

 あっという間に俺を囲んでいた男たちは皆いなくなった。残ったのは見捨てられたひとつの死体に、一匹の異形な生物。

 だがあいにく、俺はそれどころじゃなかった。


 ――抑えろ抑えろ抑えろ抑えろ!!


 体の奥から湧き上がるマグマのような感情を必死で押さえ込む。変異していない部分には脂汗が滲み、歯をぎりぎりと食いしばった。

 もはや変異した部分は痺れて自由に動かない。

 本来悪魔は人の感情を利用するものだ。例に違わず、悪魔の部分は自分の意思に従わない代わりに、自分の感情に従う。

 だからこの場では、この右半身は彼らを殺そうと暴れまわろうとしていた。

 俺はなんとか抑えようと、その感情を発散させるように体をそこら中にぶつけ回る。鬱蒼と茂る木々は轟音とともに次々と倒れ、そこにあった大きな岩には振動を伴って大きなヒビが入った。


「クソ、クソ、クソ! 変異なンてしテタまるカ! 俺ハ……人間ナンだ!」


 完全に変異してしまえば、人間に戻れるかわからない。だってそれは人間の部分が消えるということだから。いままでも完全に変位したことはなかった。

 俺は変異を止めようと、広がり続ける悪魔と人間の境目をガリガリと爪で引っ掻いた。それでも止まらない。ただ爪が削れるだけ。自分の力ではどうにもできないという事実が、心にジワジワと絶望を植え付けていく。

 悪魔は広がり続け、俺の人間の部分を侵食していく。精神的にも、身体的にも。


 もう三分の二は変異した。体も彼らを殺しにジリジリと前に進み始めた。左足が、湿った地面に抵抗の線を残す。


 ――ああ……もうダメだ。


 意識も視界もぼやけ始め、ついに心に諦念が生まれ始めた。暴れ回るのをやめ、ただ棒立ちになった。その瞬間、狙ったように変異は進みはじめ、前に進むスピードも上がり始めた。

 もう無理だと、目を閉じた瞬間だった。

 ドン! と、変異した背中を手のひらで押された感覚がした。痺れているはずなのに、なぜかその感触をしっかりと感じることができる。


 そこは熱を持ち、それはワァッと広がって体の痺れをなくしていった。変異も腫れが引くのを高速で見ているかのようになくなっていく。ぼやけていた意識も、冷水を頭からかけられたみたいに覚醒していた。

 それでも感覚が完全に戻ったわけじゃなかった。そのまま倒れ地面に叩きつけられて、カハッと肺から息が漏れる。


 ――なんだ? 一体何があったんだ?


 これは今までになかった展開だった。

 背中を押した人を見たくても、体が動かない。

 それに加えて、だんだんと強烈な眠気が俺を襲った。抗おうとしても、瞼は鉛のように重く、次第に下がっていく。


「一体……誰が……」


 誰にも聞こえないくらいに小さな声でうなるように声を漏らす。

 足元――つまり背後からジャリと土を踏む音を聞いた。そこに誰かがいるのは間違いないのだ。


 助けてくれたのか、はたまた教会に差し出すつもりなのか。

 それについて考えるには、俺の意識はもう薄すぎた。

 ついに目を閉じた。こんな状況だというのに、不思議と危機感は湧かない。むしろいつもより穏やかな気分だった。体の憑き物が取れたような、そんな感覚。


「あれ? ちょっと強すぎた?」


 久しぶりの心地よさに身を任せ意識を失う瞬間、そんな少し戸惑った少女の声が聞こえた。


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