虚との邂逅
これにて、虚編終了。
ちょっと短かったけど、ごめんなさい。
「……う、」
『気がついたか』
トゥルシャナの頭の中でガンガンと鳴り響く声に、また頭を抑える。
『す、すまぬ!加減を失敗した。——これくらいでどうだ』
「……だ、大丈夫……です」
改めて周囲を見渡す。自身の体だけがただ薄ぼんやりと光って視認できるが、あとは何もないような、暗闇。
「ここは……」
『私の内側だ』
「私?……あなたは一体……」
『申し遅れた。私は虚。お前たちの言う、モォラ・デゲンラの母である』
虚そのものか、と改めて問うと、肯定が返ってくる。
『私は、人の意思の負の側面を持たされた。実際は私の性格には負の側面は影響していないが』
「確かに、あなた自身を虚と呼ぶにはいささか語弊がありますね。その役割を与えられただけの者と?」
『肯定である』
トゥルシャナは考え込んだ。
「……では、なぜ私はこんな場所にいるのですか?出ることは叶うのですか?」
『それには答える術を持たない。今の其方は精神体であり、それが我の根源と一時的に触れ合い、飲まれたに過ぎぬ。こちらとしても想定外の事態である』
「……そう、ですか」
『ただ、現状其方の肉体の方が私の気に当てられて、暴走を起こしている。侵食率はおよそ三割。五割を越えれば、其方も我が息子となろう』
トゥルシャナはその言葉を頭で噛み砕いて、それからあんぐりと口を開けた。
「嘘……でしょう」
『嘘ではない。ただ、其方の憎しみは、あまりに私の気には心地よい』
虚が悪いわけではないものの、トゥルシャナの心には焦りが生じた。
「私は……」
『其方は魔素を浄化した。だが、体がその澱を、我の根源を全て飲み込んだ。他の誰かと分け合うならば其方は助かるが、完全に私と分離することはできない』
「——助からなくても良いですから……私を止めることは」
『外の人間が、分かつことを思いつくか、そのまま素直に死ぬかすれば、問題はない』
要するに、それにとってトゥルシャナの周囲にいる人は、そう大事ではないのだ。根源に到達したトゥルシャナは、めずらしいからともてなしていたのかもしれない。
「……らだ……私、私の、私の体だろう!?動け、動いてくれよ!!」
トゥルシャナの体との繋がりが、ひくりと動く。しかし、それだけだ。
「嘘でしょう……嫌だ……エル……」
瞬間、エルシャダの叫びが聞こえたような気がした。
『其方は運がいいな。私は光と袂を分かったが……そうか。其方は、見つけたのだな』
帰るがいい。その言葉を皮切りに、意識はぐんぐんと浮上していく。
——息が、苦しい。
目が覚めて思ったのは、それだった。
口の中に何かがある。ふと身じろぎをすれば、覆いかぶさっていた人間が体を起こした。
トゥルシャナは混乱した頭のまま、手を地面に押し付けて、体を起こそうとした。
「トゥルシャナ様……よかった……」
「え……る?」
「はい。エルシャダですっ……ふぐっ……んぐぅ……」
みっともない泣き顔を晒すまいと泣くのを堪えているのだが、こらえかねてむしろ変な声が出ている。
トゥルシャナは思わず笑みを浮かべた。
そこで気づいた。体が妙に軽く、そして妙にあの虚の気配が体にあることに。
エルシャダを見ると、その脚が変質して、心の臓にその気配があるのがわかる。
「エルシャダ……あなたには、また背負わせてしまいました。申し訳、」
そこで指を当てられて、唇を塞がれる。
「それは言いっこなしですよ。私はしたくてやったんです。そして、トゥルシャナ様の側で頑張るって、私が決めたんです」
眩しいほどの笑みに、やはり自分はエルシャダの存在に救われているのだな、と思う。そうでないと、きっと後先考えずに復讐に走り、自滅へとまっしぐらに走り続けていただろう。
「二人とも……」
「……あ、ハイルさん」
ヌァザの遺体が、そこに残されていた。エルシャダは、残された黒髪の少年を剣ごと担ぐと、トゥルシャナに手渡した。
「っ、これは……」
見間違えようもない。
あの襲撃の際に、一際目立っていた魔力の持ち主が、そこにいた。ハイルもよく彼を見て、驚愕した。
「に、日本、人……」
「ヌィホゥ?」
「い、いえ、私が転生したことは、お話ししましたよね。そこの……その世界の、同郷の者です」
死体の虚ろな瞳が、あの虚の暗闇と被って見えた。




