揺蕩う
トゥルシャナは、今にも爆発しそうな気持ちを押さえ込みながら、竪琴を爪弾く。
心の中では、憎悪と怒りと悲しみと恐怖、そして相手を殺すことの愉悦が流れ込んで来て、恐ろしいまでに自分というものがわからなくなりそうだった。
「……はっ」
息を吐き出すようにして、震える指が旋律を紡ぐ。心の中に流れ込んでくるのは、おそらくは人の澱。喜びは薄く、悲しみは深い。
魔素を自身の体内で使えるように変えて行くと、じわじわと、だが確実に、自分の心に何かが溜まっていき、どろりとした感情が胸に詰まる。
「……なるほど……っ、」
「シャナ様!」
飛んで来た拳を、エルシャダがその脚で捌くとその瞬間、そのよくわからない顔がトゥルシャナをにらんだ。
「……に…ぐ、ぃか?」
——憎いか。
「こ……ぁ、いか?」
——怖いか。
「……ふふ」
それを自分の口から出ているとトゥルシャナが気づくと、その獰猛な笑みに、深々とした負の感情が過った。
「やらせませんよ」
即刻、その指は滑らかに動き始める。ともすれば耳を奪われるその音に、しかし三人は動きを止めることはない。
ただひたすらに、目の前で動く黒いものから魔素を搾り取ってやることだけを考える。ミシミシと音を立てて伸びた植物がその手足を弱いながらも縛っていき、一本二本を振りほどくが、数百に及び始めると徐々に振り払うことがしきれなくなって行く。
頭部にハイルもその魔剣を突き立てた。しかし、凍りついたのは一瞬で、引き抜いて見せてもその顔は変わらない。それと同時に、ハイルは振り飛ばされて、草に受け止められる。
打ち所が悪かったか、ゲホゲホとえずくとヌァザがかかっていって、同様に弾き飛ばされた。大剣を突き立てて、なんとか遠くに吹き飛ばされるのは避けたようだが、全く埒があかない。
ジリジリとした体力の消耗。特にヌァザがひどく、肩で息をしながら冷や汗かどうかもわからないほど汗をかいていた。
トゥルシャナも、指の動きは確実に音を奏でるも、その速度はやや落ちて来ている。口の端からは血が溢れている。
他二人は、かすり傷をあちこちに作っている。そして何と言っても、失血がひどい。
多少単純な動きになって来ている。
対する向こうは全く疲れを見せることはなく、次元は低いままでもその動きはほとんど変わらない。
ハイルが、大声で怒鳴る。
「……人体の急所はほとんど効果がないみたいです!」
「効果がある場所を探れ!若長、何か見えぬか!?」
「………あ、そこ、」
指がすらりと伸びて、その鎖骨の間を指す。
「……シャナ様、辛いのですか、辛いならもう弾かなくていいです、もう背負わなくって、良いですからっ……」
「ダメ、だよ……エル」
横に着地してそう言った、エルシャダの叫び混じりの懇願に応えたその瞳には、強い光が宿っていた。それを見て、ヌァザがポツリと呟いた。
「俺が行く。二人は、トゥルシャナを頼もう」
「ヌァザ、……さんっ!」
急いで音を奏で始める。しかし、タイミングは最悪だったようで、ハイルの攻撃より前に、ヌァザは飛び出していった。
「ヌァザ!!」
ハイルの横を過ぎて、彼は口元に笑みを浮かべた。
「……こうでもせねば……あの小僧ども、素直になどなりはしない」
骨と肉がひしゃげ、何かが弾けたような音がした。
肩から右腕、そして左脇腹をえぐられ、その口からとめどなくごぼりと血液を吐きこぼす。
だがそれと引き換えに、その武骨な金属がトゥルシャナの指した先をえぐり取っていた。
頭が軋みそうな叫びをあげながら、それが徐々に崩壊し、そして恐ろしいほどの叫びと穢れた魔素を撒き散らし始める。
「い、いけない、」
「……く」
トゥルシャナは、ゆっくりと熱のある砂漠の中で、凍え切った指先を弦に当てる。
願うは、浄化。そして、鎮魂。
指が搔き鳴らし始めたのは、鎮魂歌——魔奏でもなんでもない、ただの鎮魂を願う音楽だった。
指が動くたびに、魔素がトゥルシャナの体内へと呼び込まれて行く。そして、ゆっくりと放出されて、トゥルシャナでなくとも可視化できるほどに黄金色の光を放ち始めた。
ヌァザは抱き起こされたまま、口の端に笑みを浮かべた。
「……美しい、な」
「ジギシャさんには、お伝えすることは?」
ハイルの微笑みに、「わからぬ」と応え、それから穏やかに微笑んだ。
「わからぬが、幸せになってくれ、……と」
「承りました」
その目から、生気がすとんと抜け落ちた。その体躯からはじわじわと血が流れ出すが、拍動がないため、その溢れる勢いは生を感じさせない。
「……お二人と……も!?」
ハイルは我が目を疑った。
一人の黒髪の少年が重厚な塊に身を貫かれたまま立ちすくんでおり、その側ではトゥルシャナが黒い気配に包まれたまま、倒れていたからである。
「トゥルシャナ様!トゥルシャナ様ああああああっ!!」
絶叫が、こだました。
後から表現を少し付け足すかもしれません。
大筋は変わらないので、そこはご安心を。




