魔物
本日二話目。
「嘘、でしょう」
陸路の方が、魔物に足止めを食わずに済む。そんなことを考えていた自分を殴りたいくらいだとトゥルシャナは歯嚙みをする。
水魔、水涸らしとも呼ばれるその生き物は、砂漠中にありながらたっぷりと水を含んだ体をしている。地下水脈や大きな河を通して水を飲み干すためにその名前がつけられている。なぜか生息域は砂漠のみで、その理由はわかっていない。
体は赤茶けた色で表面はぶよぶよしているが剣を包み込む様な感触。切れても元に戻るという生き物だ。
頭や腕などの期間はないが、体が少しでも触れればその部分はたちまちに飲み込まれてそのままお陀仏。
出会ったらまず間違いなく逃げ出さねばならない。そして、その習性としては、より多く水分を含んでいる方によってくる。
そのため、逃げる時には水袋を投げて逃げ出すのがセオリーなのだが、あいにくトゥルシャナにはそれはできない。
「これは困りましたね……砂漠ごえの水なんて、ギリギリしか持って来ていないというのに」
竪琴に爪をかけながら、彼はぎりりと歯をくいしばる。戦うにも剣と腕力は役に立つまいとそれを腰へしまう。
「魔奏に頼るしか、ないのでしょうね」
その瞬間、トゥルシャナは逃げるために前へと駆け出した。丸い体躯にしては早いその体のスピードは、トゥルシャナとはほぼ互角に近い。
幾度か炎を起こすものを奏でてみるも、相手はそれを皮で全て弾いてしまう。わずかな水を表面に出して、気化熱で自分の表面を冷やす——これは砂漠に生きる魔物なら、ほぼだいたいが行うことだ。
日中ありえないほどの温度に熱されている砂の上を歩けるのだから、炎がちょっと炙ったくらいでは太刀打ちできるわけもない。
電気を流したが、プルプルと震えるだけで何の変化もなく、風はただその表面を切り裂くだけで痛手らしい痛手は起こしていない。
砂で囲い込んでも落としても、そううまく地下に空間があるわけもない。
大いなる川を身一つで渡れないのは、これが常にいるからということもある。数は縄張りを作るためそう多くもない。
幸いにして新天地を目指そうとして干からびることも少なくはないが、いかんせん時間がかかる。三日も放置しておけば動けなくなるし、今出会ったということが最大の悲劇でもある。
「早くいかねばならないのに……どうしたら」
後ろから来ている軍も、そこそこの懸案事項だ。一刻も早く戻りたいのに、戻ることができないとは。
気が早って、無駄に思考が使われてしまう。
とにかく今は、別のことを考えなければ。
炎はダメだ。炎にしても生半可ではない温度を出すには、長々とした演奏をしなければならず、それを走りながら奏でられるほど器用でもないし熟達してもいない。一音でも弾き間違えれば、発動はしない。
走りながら、まだ試していないのは水だけだが、これをやっても……そう思った瞬間閃いた。
水魔はその習性において、新たな水がある場合、古い水を体外へと出そうとする習性がある。それならば、大量の水を魔奏で生み出して飲み込ませたあとに不安定なその水が消えたら、どうなるのか。
ハイルの説明が正しければ、その水は『なくなる』のが正解だ。
ハイルの話を聞いていなければ、絶対にできない発想だっただろうなとトゥルシャナは楽器を構えて、足に力を込めた。巨大な水風船が降ってくる様なその攻撃は、当然重く、そして激しい。
「っ、」
幾度か掠めたが、まともに怪我をしたとも言えないかすり傷だ。トゥルシャナはすぐに首を左右に振って、音を奏で続ける。一小節が終わったところで、水が渦を巻くように出てくる。
その水が全て呑み干されて消えると、水魔の体に無数の小さな穴が空いた様にがびゅうぅ、っとシャワーのように出てくる。慌てて退避すると、消化液であったか足の甲にかかるとチクチク痛み出した。
「つっ!?」
走りながら水を生成して脚に当て、すぐに適当に洗い流す。トゥルシャナの足の甲はズキズキ傷んだが、今は逃げることが先決だ。と、いくばくもなくそのプルプルとした体がしぼみ始めた。
目論見はうまく作用してくれた様だ。
トゥルシャナはそのままいくらか距離をとってからどっかと座り込むと、もう一度丁寧に脚を洗い流して、そこにナナゴアの幹から取れた、蜂蜜色の樹液からできた軟膏をを塗り付ける。
これはやけどの薬として有名で、常備薬に持たされているものでもある。
ナナゴアの幹を傷つけて、ぷくりとその幹から染み出すもので、一時間もあれば小さな塊が取れる。いくらか薬臭くはあるが、甘みがあってそのままで食べることもできるし、練って薬草をいくつか混ぜればこうしてやけどの薬となる。
「ひどい足止めを……食いませんでしたね」
見えたのは、すでに緑が混じりかけた国境近くの場所である。
トゥルシャナはとにかく走らねばと急ごうとしたが、そこにかなり急いだ様子の男がいて、彼は首を傾げた。
「っ、そこの兄ちゃん!」
「な、何でしょう!?」
「あんたセグリアから来たのか!なにか軍隊とか見なかったか!?」
「え、あ、はい。おそらくですが、無地の旗に大きく紋章の入ったものを掲げていましたのでっ!?」
襟首をぐわっと掴まれる。
「マジなのか!?嘘だろっ、噂で終りゃあどれだけマシだったか……」
「お、落ち着きましょう、そして私を捻り上げないでください。何かあったのですか?」
男はすまん、と言ってトゥルシャナを離すと、話し始める。
どうやら、ニーへに攻め込むというよりは、占領して守ってやるからそこに入れろ、という主張をするだろうと彼はいうが、とてもそんな雰囲気には思えない。
「そのまま虚の落し子が来たら、彼奴ら守るなんてありえねえ。逃げるつもりだっ」
「そんな……」
「俺はこのことをベーレン様に報告しなきゃなんねえんでな」
またベーレンか、とトゥルシャナは思う。
「彼は一体……」
「あ?ベーレン様か?あの人は、上官に恵まれねえ天才だよ!」
にかっと笑ったその声に、トゥルシャナの心にわだかまりが生まれる。
上官の命でアルトハが殺されて、それを見逃せば上官に殺されるとしたら、実際に殺した人間に完全に非があるとして良いのか。
わからない。
わかるのは、ただ一つ。
自分の最終的な敵は、セグリアの腐った中枢であるということだけだ。
人と会話しないと会話能力って落ちるんだなあと思った。
他人と話すの怖すぎる。せめて話す前に内容を三回くらい添削してから話させてください。




