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奏でよ怨者  作者: あじふらい
2 虚の落とし子
26/49

出兵

本日実は二話目。

「……っく、ぁ」

足を持ち上げて、そしてゆっくりと下ろす。それだけで、いくらかかったかわからない。

「大丈夫ですか、エル」

「シャナ様……もう、もう少しだけ」

ゆっくりと関節をほぐして、そして地面に置く。


一人で立ち上がることができるように、エルシャダは手を使いながら足を踏ん張る。しかし、バランスがうまくいかずに倒れてしまう。


前に倒れ過ぎたりすればすぐにバランスが崩れるのだ。軽い魔義肢にしていたら、もっと困難だっただろう。

「……ぐ、」

すでに脚をなくしてからしばらく経っている。そのため、大腿の筋肉が落ちていたのだ。


「そろそろ、休憩にしませんか?動かしてばかりだと、痛いのが増えますよ」

「えっ!?で、でもっ、」

ぐう、と腹の虫が叫ぶ。エルシャダは途端に真っ赤になって、お腹を抑えた。

「ち、違っ、これは……」

「やっぱりお昼にしましょう。ね?」

トゥルシャナの微笑みに、まだ真っ赤になったままエルシャダは頷いた。


「今日のご飯は、ミオロですよー」

ミオロは、ハーナー宗主国海岸でよく獲れる小魚のペラを香辛料や幾つかの根菜とともにじっくり骨ごと煮込んだもので、スパイシーな香りと魚介の出汁が絶品だ。それにニチェッカを潰して練ったものを、一口大にちぎって入れて一緒に煮る。


「今日も美味しいですね、ハイルさんの料理は」

「あはは、まあ年の功ってやつですよ」

そうやって和やかに話をしていたのは、そこまでだった。

「イェ・ハイル!?ハイル!イ・オルクレア・シュトゥゼ!」

「ノァン!?」

「な、なんですか!?」


ハイルの顔が曇り、その不穏さにトゥルシャナは思わず尋ねる。

「セグリア帝国が……ネイアス独立国に、宣戦布告しました」

それを聞いた途端、トゥルシャナとエルシャダは、思わず笑みを浮かべた。

「……不謹慎だぞ。いくら復讐が達成できそうだとはいえ」

「——そこの国王とは、友人です。できれば、彼の助太刀をしたい」


話を聞くと、ドルガバ・エン・モルト・ヘイガストがその出兵の指揮者であるということで、徴兵だけでなく、娼婦や楽隊、料理人の手配で手間取っており、そのおかげで船の出航が遅れ、こんな場所まで噂が来たようだ。


トゥルシャナは少し考えた。

「……船での出兵ですか。そして相手は、我々の集落に来て、女の要求をした、ドルガバですか……ふふっ」

「シャナ様悪い顔になってますよ?どうするんです?」

「——ハイルさんは、即刻ネイアス独立国に向かってください。私はここで衣装を調達して、ネイアス独立国に出航する船に楽師として乗り込みますので」


ニッコリと笑った顔に、ハイルは気圧されながら頷いた。

「……同じ船に乗る人が少ないのも、まあ好都合でしょう」

「トゥルシャナ様。私は、私はどうしたら……」

エルシャダが俯く。

「出兵が終わったところで、捕虜待遇になります。そこで本国への送還を別途行ってもらいます。ニーへの中央図書館で待っていてください。私は必ず戻りますので、心配しないでください」


「じゃ、じゃあ……私を置いていくんですか?どうして?脚だってもうちょっと頑張れば、動かせるように……」

「エルシャダ!お前は認めるべきだ。わかっているんだろう?」

震える体が、小さく縮こまり、ヌァザの怒号にびくりと跳ねる。


「そのままでは君は、足手まといにしかなれないと」

答えはなかった。しかし沈黙は雄弁で、エルシャダの目からは涙がひとつぶこぼれ落ちる。

「エル」

トゥルシャナはその手をぎゅっと握りしめた。

「私は別に、あなたを置いていくのではありませんよ。ただ、今はまだ体が自由に動かせないでいる。万全の状態で狩りに出た人間がどうなったか、覚えていますよね?」


トゥルシャナの両親は、すでに死んでいる。狩りで妻を殺された男が怒り狂い、そして手傷を負ったまま死んだというあっけない結末だった。

幼いトゥルシャナのその事件を知っていてなお、彼女は一緒に行くとは主張できなかった。


「……約束して、ください。必ず、生きて帰ってきてください!」

「私を誰だと思っているんです、エル。誇り高きアルトハの者ですよ」

いたずらっぽく笑った顔に、エルシャダはようやく笑みを取り戻した。


トゥルシャナはハイルと国境近くまで体力に任せて走り、そして幾度か魔物をねじ伏せながら走り続けた。

そして、ハイルは南東のニーへから船に乗ってネイアス独立国を目指し、トゥルシャナは南西にあるセグリア帝国へ船を使って行くと、そこから内陸部を幾度か砂蜥蜴やあるいはその他の乗り物を乗り継いで、ある時は走って、一週間というスピードで国を通り抜けた。


「……間に合いましたか」

そこに、兵士の声がかかる。トゥルシャナは目を開けて振り返った。

「お前、見ないやつだな。もしや、ドルガバ様の船に乗りにきたのか?」

「ええ。楽師なのですが……間に合いませんでしたか?」

「いや、問題ない。そろそろ兵の方も限界でな、とにかくもうすぐ出兵するところだったんだ」


トゥルシャナはふわりと微笑んだ。その表情に一瞬兵士がどきりとする。

「見目が良いならば、さらにドルガバ様はお喜びになる。さあ、乗りたまえ」

身分証明書は、自由民の娼婦や流浪の楽師たちは持っていない。その代わり殺されても事件にはならないし、怪我をしても定住をすることはできない。


「ありがとうございます」

船に迷いなくスイスイと登っていき、間も無く出航の合図が響いた。


船が漕ぎだすと、早速娼婦たちの群れがトゥルシャナを取り囲む。

「やあ、あんたもこの船に乗ったの?」

「魔物がいっぱいいる海峡を渡るからね。けど金払いはいいから、なかなか魅力的だったんだろ」

「ええ、まあ」

そこに兵士が一人入ってくる。


「お前たち!ドルガバ軍務卿が、戦いのために舞を踊っていただきたいとのことだ。楽師はいるか?ならばそれも来い」

全員がざっと跪いて、胸の前で手を組み合わせる。


トゥルシャナはドルガバ軍務卿と子供だった頃にあったことがある。しかし、相手は子供を一人見かけただけという印象だろう。

実際それ以来見ていないが、アルトハ族からの印象は最悪に近かったらしい。

トゥルシャナは穴だらけの警備だ、と思いながら、ハーナー宗主国にて購入した巡礼用の衣服を直したものを着込んだ。


甲板では、脂肪のかたまりに女性たちが群がり、あちこちで舞台のために叩かれた白粉の香りが鼻に付く。

トゥルシャナは進み出て、深くお辞儀をする。そして、一音だけ響かせる。


踊りを舞う女性たちが進みでる。ひらひらとした衣装は、扇情的であるが、絶対に見えないギリギリのラインを守っている。

そして、トゥルシャナは音を奏で始めた。

途端、音以外の全てが褪せたように感じた。

女性たちは確かに美しい。しかし、その全てがつまらないと思えるほどに艶めかしく、まるで極上の美女が踊っているような印象さえ与えた。


女性たちは必死に踊るが、その技量についていけない。ただ一人残った女性が、舞台の裾にはけていく女性の中から進みでる。

トゥルシャナはその女性の姿を見ることはなかった。そして、彼女も音を気に留めることはなかった。だが互いに相手がどうするのかわかっているように踊り狂い、そして音はさらに高らかに響いた。


演奏が終わると、女は肩で息をしながらお辞儀をした。トゥルシャナも立ち上がって、深く礼をする。

しばらく無言だったその場所から、拍手がようやく響いてきたのはたっぷり一分後であった。


「……す、素晴らしい!素晴らしいぞお前たち!」

「お褒めに預かり、恐悦至極にございます」

女は深く礼をする。

「女!そしてそちらの男もだ。今宵の伽と、その供の音楽に指名をする。それまでゆるりと休むがよい!」

なんとザルなことかと思ったが、ドルガバは本気のようで、二人揃って頭を下げた。


船室に戻ると、女はちらりとトゥルシャナを見た。

「あんた、よく最後までついてこれたわね。踊りにも見惚れなかったし」

「申し訳ありませんが、私の目は見えないので」

「ふーん」

興味のなさそうな声で、彼女はトゥルシャナを睨んだ。


「それで、あんたさ。もしかしなくても、アルトハでしょ?」

「……ええ。それで?」

女はトゥルシャナに、その肉感的な体を押し付ける。トゥルシャナは、困ったように眉を寄せた。

「ドルガバを殺したいの」

耳元で囁かれた言葉に、トゥルシャナは一瞬息を呑む。


ドルガバは、あの惨殺の場にいた。


「それは、私がしたいところなのですけどね?」

「あら。でもそうね、私の妹がね?あのクソに犯し潰されて、子供を産めなくなり、親はそんな妹を捨てようとしたのよ?絶対に許せないと思ってる」

その猫のような雰囲気が、鋭く変わって、「だから」と女が呟いた。


「それを止めるなら、容赦はしないわよ」

それに彼は笑顔を向けた。女は思わぬことに狼狽して、眉をひそめる。

「そうですか。では一族郎党鏖殺された私は、どうしろと?」

女はため息を長く吐き出して、トゥルシャナをぎりりと歯をくいしばって、睨む。


「あんたのこと、私、嫌いよ。色香にも惑わないし、私の思い通りにもならない」

「そう単純な者でもないので。では、過程は私にお任せいただいても?」

「……それでいいわよ」

トゥルシャナは、今度こそその表情を引き締めた。

伝令

「ハイルさん!あなたの友人のオルクレア様が!」

ハイル

「どうしたんですか!?」



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