プロローグ ①
初投稿です。よろしくお願いします。
「トゥルシャナ様、族長様がお呼びだよ」
「族長が?分かったよ、すぐに行く」
盲の少年は瞳を閉じたまま、どこに何があるかを見えているかのようにひょいひょいと避けながら、歩いていく。
肩のあたりで削いだような銀にきらめく髪はさらりと揺れ、その少女のように白い手には、竪琴を携えたままだ。
彼を呼びに来た少女は、その姿をじっと見つめて、頬を赤らめつつも、急かすような友の声に応えて駆けていく。
リラに似た形のそれは持ち歩けるほどの大きさであり、トゥルシャナにとっては手から離すことさえ常でない。幼い頃よりそうしてきたのだ、今でもそれは変わらない。
彼は族長の住まいにたどり着くと、「トゥルシャナです」と中へ入っていった。天幕の中では、一人のしなびた老人が座っていた。その枯れ木のような脚は既に彼が歩くことさえ困難なのを示している。
老人は胸元までありそうな白いひげを指先で捻りつつ、トゥルシャナの来訪を喜んだ。
「おぉ、よぉくきたのぅ。座りゃれ」
「はい」
族長もまた盲であった。
二人は、この部族の中に伝わる人ならざる業——魔奏の使い手であった。アルトハ族に伝わる、秘伝の魔奏は、一族の中に一代ごとに必ず生まれる盲のものにしか教えられない。
人をむやみやたらに傷つけないため、人に頼らずば生きられない盲の者を選ぶのだ、というのは後付けの理由であろう。
目は見えないにせよ、周りの様子は魔素を感知することによって完全に360度把握できるのだから。
実際のところ、最も魔素を感知することが出来る素質には、『視界に頼らない』ことが必要なのだから、それは推して測るべきであろう。
アルトハ族では、そうして代々魔奏を受け継ぎ、周りのものは音楽を奏でて一族を保ってきた。
わずか三十人ほどの集落ながら、その奏でる竪琴の音は、地龍の怒りを鎮めるとさえ言われている。
トゥルシャナは族長のアルヘアの前に腰を下ろし、出された茶をそっと啜っていた。
最近帝国が来て、暗に戦いに誘われていることだろうか?それとも、敵国がここに暗に寝返りを交渉しに来ていることだろうか?
いずれにせよ族長が『なぁにが言いたいのかさーっぱりじゃのぉ、お前さんらはぁ』と言って、二者を撃退したと思い返す。
あの時の使者の貴族の顔は傑作だった。馬鹿にされたと顔を真っ赤にすると、そのままドスドスと足音を立てて帰っていった。
お茶が若干飲み頃を過ぎて冷めてきたころ、アルヘアが口をようやっと開いた。
「で、のぅ、トゥルシャナよ。お前さんに、頼みたいことがあるんじゃぁ」
「して、その頼みとは?」
「おぉ、街になぁ、行ってな、キャラバン隊がどうなっとるか、見てきてほしいんじゃ」
「キャラバン隊…?」
「そうじゃぁ。常に無く遅れておってのぅ、水はまだいく週分か残ってるんじゃが、食料が若干心許なくてのぅ。されば、お前さんに街を見てきて欲しいんじゃぁ」
間延びした声に似合わない逼迫した状況。
「なぜ、今まで私に黙っていたのです…⁉︎」
「すでに若衆を三人送ったがのぅ、誰一人として帰らなかったんじゃ…お前さんには万が一などあるはずがないんでのぅ」
若衆三人が帰らなかった。
いくら魔奏ができないとはいえ、大蠍を殺め、死喰鳥を昏倒させるくらい容易な者たちだ。
そんな者が三人向かい、一人たりとも帰ってこないともなれば、切り札的にトゥルシャナが向かうのは必至だろう。アルヘアは旅の途中、いや村の中で倒れてしまうだろうし、族長がいなければ一族の指針となる人間が姿を消すこととなる。
帝国やその他の国に言い寄られている身としては、避けるべき事態であった。
それはトゥルシャナにとってすぐに分かるべきことであったのだろうが…あいにく血気盛んな若者に一度冷静になることもなくそれを考えつけ、などとは言い難い。
村を思うゆえに語気を荒げるくらいは、次代のものとしては当然である。
「出過ぎた真似を。申し訳ございません」
トゥルシャナは納得がいくとすぐに謝意を示して、過ちを認める。そうでなければ、ただの無謀な人間になるだけだと彼は理解しているからだ。そこまで彼は無能ではないし、青くもない。
「よいよぃ…お主ら若い者はそれくらいじゃぁなければのぅ。これは有事の際に帰れなくなったら読むが良いのじゃぁ」
族長の手には、手紙がある。トゥルシャナは何かあったときのために都市の上層部に渡して融通をきかせてもらうためのものだろう、と推察してそれを受け取る。
アルヘアが手紙を渡すのは珍しいことだが、ないこともない。帰れなくなったら、と限定的についていることから言って、よほどの事態でなければ全く開けることもなく済むだろう。
「は…わかりました。それではすぐに出立の準備を致しますゆえ」
竪琴を持ち、彼は速やかに糧食と水を入れた革袋を持って、肌が焼けぬように体に布を巻きつけ、さらにその上からローブを羽織る。この地方での一般的な旅装であり、トゥルシャナの戦装束でもある。
旅をするためには一般、普通の人よりだいぶ高い戦闘能力を要される。砂漠の旅自体辛いことが多く、耐えきれないものは旅すらできないからだ。
砂漠地帯に生えるドロジアという棗椰子に似た植物を加工して、部族の象徴たる竪琴を折り込んだメダルほどのものを懐に忍ばせる。これを符と呼んでいた。
符を使うことで、取引を行え、さらにその土地で優遇される。アルトハ族の音楽を聴くと、寿命が1年延びるとか、伸びないとか。そんな噂がまことしやかに囁かれ、依頼は後を絶たない。
この噂は魔奏から来ているのだが、事実無根である。だがうち消すのも面倒であるため、アルトハ族の音楽の価値を高めるために利用させてもらっていた。
彼は全ての準備を終えると、早速出発した。
…その先に、何が起こるとも知らずに。