第八話
「美子!犬神の当主はもう正気ではない!逃げろ!」
仁の叫び声が聞こえたけど、足が震えて逃げ出すことが出来ない……
「美子ちゃんお待たせ♪」
え?
呑気な颯の声が聞こえたかと思うと、目の前にもう一匹巨大な犬が現れて、私を潰そうとした犬の喉元に噛みついた!
「ガオッ!」
「ギャー!」
二匹はもつれ合いながら、戦い始めた!
「ど、ど~ゆ~事?颯が二人?!」
「当主が二人とは……」
私の傍に寄ってきた仁も、困惑しながら二匹が戦っているのを見ている。
あれ……?
一匹の腹に、禿げがあるのを見つけた。あれは私のバレッタを作った後だ。
「仁!あっちの禿げがある方が本物だよ!襲ってきたのは偽物だったんだ!」
「ま、まさか……」
颯だと思う大きい犬が完全にもう一匹を制圧すると、制圧された大きな犬が、シュルシュルと小さくなっていって、一匹の猫になった。それを見届けるように、もう一匹の大きい犬が、ポン!っと煙を立てて颯の姿になっている。
仁と二人で、颯の傍へ駆け寄った。
「美子ちゃん!よく僕がわかったね♪」
「お腹の禿げのおかげでね。っていうか、こいつ猫だったんだ……」
「こいつは化け猫かな。よりによって僕の姿で鉄鼠族を襲うなんて……」
仁が一歩前に出て、颯に頭を下げた。
「犬神の当主よ、すまなかった。まさか化け猫に騙されておるとは……」
「もしかしてウチの一族を襲っていた原因って、これ?」
「そのとおりだ。何と詫びを入れれば良いか……」
「う~ん……んじゃ、これからは何があっても絶対、裏切らないって約束して!もし同じ事があっても知らせてくれれば、必ず対処するからさ!」
何だか仲直りっぽいな……仁さんも咄嗟に私を助けてくれようとしたくらいだし、やっぱ悪い人じゃぁ無かったんだ♪
何だか、ぽ~っとしながらその光景を見ていた。
ぽ~っとって……あれ?何だか熱っぽい……
と思ったら、腕のかすり傷がズキズキと痛み始めた。しかも、傷をわざと押し広げられているような痛さだ。
顔をしかめていたら、颯が私の異変に気付いた。
「ん?美子ちゃんどうしたの?」
「腕の傷が……かすり傷だったんだけど……」
「見せて!」
傷を押さえていた手を離した。そこには見事にパックリと割れた傷がある。
「かすり傷じゃぁ無いじゃん!」
「いや……本当に最初はかすり傷だったんだよ。」
私の傷を見た仁の顔色が、サッと青くなった。
「その傷には、妖術がかかっておるやもしれぬ!」
「妖術?」
「我が嫁と同じで、妖術を解かねば死ぬよりも苦しい痛みを伴い、最後には精神が耐えきれずに死んでいくぞ。人間ならば術そのものに耐えきれぬかもしれぬ。」
え?まさか……お昼に聞いたお嫁さんの話と一緒……?
ブルッ!と恐怖に身体が震えた。
さ、寒い……たぶん熱もありそうな身体のだるさもある。マジで生命の危機っぽいんだけど、もう冗談を言う気力も無くなってきた……
「私は術を解くすべを持たぬままであったが、犬神なら大丈夫だろう。一刻も早く城に連れて帰るが良い。」
「わかった!」
仁に返事をした颯は、さっと私をお姫様抱っこして、風のようにビューン!とお城へと走り始めた。
「美子ちゃん!帰ったらすぐに術を解くからね!」
「……うん……」
「助けに行くのが遅くなってごめんね!最初は土蜘蛛の仕業かと思って、アジトを探してたから……」
「……」
もう喋る気力も無いかも……
熱なのか死ぬ恐怖なのか、ガタガタと震える身体を止めることが出来なかった。
お城に帰ってすぐ布団へ寝かされ、颯は手のひらを傷にかざした。
「どう?少しは痛みが治まる?」
「全然……」
「もうちょっと試してみるね……」
そう言ってまた手のひらを傷にかざした。だけど、ぼ~っとする意識が段々と遠のいていく……
「颯……」
「美子ちゃん!しっかりして!」
「ママ……元気かな……」
記憶の最後にまだ幸せだった頃の光景が、走馬灯のように駆け抜けていった……
……ん。
何だか唇に冷たいものが……柔らかくて気持ちいい……
意識が戻り、うっすらと目を開けた。
って、颯が私にキスしてるしっ!でも、押しのける気力も無い……
「美子ちゃん?」
ピクッと微かに動いた私に、颯が気付いたようだ。
「……颯……」
「美子ちゃん!気が付いた?良かった~♪」
「何やってんの……」
「ごめん。キスの方が術を解く力を注ぎやすいからさ。苦情は元気になったら聞くから、今は僕に委ねてくれる?」
「元気になったら覚えとけよ……」
「うん、わかった♪」
颯は安心させるように微笑んで、また私にキスをした。長い長いキスだった。そっと唇を離すと、恐る恐る尋ねてくる。
「どう?まだ傷はまだ痛む?」
「うん……だいぶマシになってきた……」
「良かったぁ~♪ちょっと効果が出て来たかもね!後はゆっくりと休んでね♪」
そう言って額の手ぬぐいを濡らしなおした後、近くに控えていた右京さんと左京さんの二人と、話を始めた。
って、人前でキスを堂々としてたの?うわっ!恥ずかし過ぎるんですけどっ!
だけど、暫く経った頃、また腕の傷がズキズキと痛み始めた。
「うっ……」
「美子ちゃん?どうしたの?」
夜中だというのに颯は起きていたみたいで、すぐに隣の布団から私の傍へ来た。
「腕が……」
「ちょっと見せて。」
傷口の確認をした颯が、眉間に皺を寄せている。
「美子ちゃん、もう一回術を解くね。いい?」
「こんなのばっかし……」
「元気になったらロマンチックなキスしよっか♪」
「……馬鹿……」
私の声に、颯はふわっと笑って、またキスを始めた。
頬に触れる颯の手が冷たく感じる……それくらい私が熱っぽいって事なんだな……
何となく気持ちのいいひんやりしたキスに、目を閉じた。
翌日も同じ事の繰り返しで、傷は一向に良くならなかった。それどころか悪化しているようにも感じる。
今も、颯はキスをしながら術を解いている。傍に控えている左京さんが恐る恐る、颯に声を掛けた。
「颯様、そろそろお休み頂かないと、颯様の身体が持ちません。」
「そんな事を言っている間に、美子ちゃんに何かあったらどうするんだ!」
「ですが、颯様が倒れられると……」
「大丈夫だから!」
そう言って、颯はまた私にキスを始める。その時、エロ狐の瞬が部屋へ入ってきた。
「美子!大変だって聞いたぞ!って、颯、何やってんだ?!」
颯は唇を離すと、ふう……と、ため息を漏らしている。
「何って、美子ちゃんに掛った術を解いてるんだけど……瞬は黙っててくれる?」
「お前、顔色が悪いぞ!力が衰えてるだろう?使い過ぎだ!」
そっか……颯の力が衰えてきているから悪化してるんだ……
「我が変わってやるよ!」
「駄目!絶対に譲らない!」
近寄ってきた瞬を、颯が押し退ける。
「だけど、お前の身体がもたないぞ!」
「それでも絶対に譲らない!」
「颯……」
瞬は諦めたように、床へ座りこんだ。表情から私よりも颯の心配をしている事が何となく読み取れる。
何だかんだいってもいい友達なんだろうな……
貧乏で友達の話にもついていけず、親友と言われる友達がいなかった私にとっては、ちょっと羨ましく思う出来事だった。
その時、バサッ、バサッ!と羽音が聞こえて、翔が窓から直接入ってきた。
「颯、雪妖族から一万年前の貴重な氷河水を頂いてきました!これを美子さんに!」
翔はそう言いながら、一本の竹筒を颯に渡している。
「翔!ありがとう!」
竹筒を受け取った颯は、私の上半身を抱きかかえるように起きあがらせ、寒さで震える私の肩を抱えるように、口元へ竹筒を持ってきた。
「美子ちゃん!これを飲んで!」
だけど寒さで震えて上手く飲めなくて、口の横から水が漏れ出てしまう。そんな私の様子を見た颯が、水を口に含んで私の顎を掴んだ。
ちょっと!何するの?!
と思う間もなく口を開けられて、颯から直接水を流し込まれた!
う、うわっ!ちょ、ちょっとこれは!刺激的過ぎるんですけどっ!ってか冷たっ!
水の筈なのに、氷を直接飲まされたような冷たさが、喉を走った!思わず顔をしかめた私を心配そうに覗き込む颯が、また私の顎を掴んだ。
え?!今、水を含んで無いよね?!
次の瞬間、颯がかき乱すような深いキスをしてきたっ!
え~~~?!こ、これはもしかして、大人のキス?!私まだ16歳なんだけど!ってか、みんながいる前で何を!それより、大人のキスって息継ぎど~すんの?
突然の事に頭がパニック状態になる!
恥ずかしさのあまり、颯を押しのけようと無意識に手を動かした!
って、あれ?身体が動く……楽になった?
少し身体を動かした私に気付いたのか、颯がゆっくりと唇を離した。
「美子ちゃん、どう?いつもより力を注ぎやすかったから……」
「……腕の痛みが急に引いた……」
「本当?!ちょっと傷口見せて!」
さっと私の腕を取って傷口を確認した颯が、嬉しそうに笑いかけている。
「美子ちゃん!かなり良くなったみたいだよ♪」
「そ、そう……」
あれ?意識しちゃったのって、私だけ?
あまりにも普通どおりの颯に恥ずかしくなって、思わず俯いた。