第五話
**宮司日記**
四月二日
本来ならば祝言の予定だが、美子様のお誕生会となった。皆も神社でパンを貰っていた子供達から話を聞いているせいか、祝言で無くとも歓迎ムードだ。
だけど、事もあろうか、私がケーキの文字の変更を忘れるという大失態をしてしまった。颯様は笑って許してくれたが、美子様にはお怒りを買ってしまった。しかし、美子様のお怒りもごもっともだろう。
美子様には本当の事を話して、謝罪しよう。
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「まったくもう!何なのよ!もう少しで騙されるところだった!」
お風呂から上がっても怒りは収まらなかった。
ドスドス!と音を立てて廊下を歩いていると、神社の掃除の時にいつもお小遣いをくれていた右京さんがやって来て、いきなり私の前に跪いた。
「え?どうしたんですか?」
「美子様、大変申し訳ありませんでした。」
「い、いや……何かありましたっけ?」
「あのケーキは私が手配いたしまして、文字の変更を失念しておりました。颯様は何も関与いたしておりません。」
「そうだったんだ……」
知らなかったとは言え、宴会場で怒鳴り散らして悪かったな……後で謝っておこう。
「もうわかりましたから、顔を上げて下さい。何だか調子狂っちゃうんで……」
「お許し頂けるのですか。やはりお優しい方ですね。」
右京さんは顔を上げて、にこっと笑っている。
う、うわっ!優しいなんて初めて言われたかも♪
ちょっとだけ気分を持ち直して、右京さんと別れた。
そのまま廊下を歩き始め、廊下の角を曲がった時、目の前に小さな蜘蛛がす~っと降りてきた。
「わっ!びっくりした!って、蜘蛛か……」
あれ?風も無いのに、蜘蛛が揺れ始めた……振り子のよう…………頭がぼ~っとしてきた……………………
「……」
……ん?私ってば、一瞬寝てた?
色々な事があり過ぎて、きっと疲れてるんだよね……部屋に戻ろうかな……
再び歩き出そうとして、異変に気付いた。
って、身体が動かないっ!ど~ゆ~事?!身体が勝手に回れ右してる!勝手に歩いてる!
「あれ?お部屋へ戻られていないのですか?」
さっきと同じ廊下にいた右京さんが、不思議そうに私に尋ねてくる。
って、無表情で無視して歩いてるしっ!
「美子様?美子様!」
私の様子がおかしいと思ったのか、右京さんが私の前に回り込んで行く手を阻んできた。
「美子様!いかがされましたか?」
《その者を排除せよ……》
え?今の何?いきなり頭の中に声が聞こえて来たんだけど!
気付くと、私は右京さんの胸倉を片手で掴み、壁に向かって、バン!と、投げ飛ばした!
ちょ、ちょっと~!!私、こんなに怪力じゃぁないよ~!!てか、右京さん大丈夫なの?!
投げ飛ばした音を聞きつけたのか、颯が廊下の角から顔を覗かせてきた。
「今の音、何事?」
って、また無表情で、颯を無視して勝手に歩き出したしっ!
「美子ちゃん!まだ怒ってるの?本当にごめん!」
いやいや、話は聞いたから……って、喋れないじゃん!!
「美子ちゃん!何処へ行くの?もう暗くなったし、外は危ないよ!」
颯が私の前に回り込んで、肩を掴んでくる。
「ケーキの事は、本当にごめん!謝るから、何でも言う事を聞くから、お願いだからここに居て!」
《犬神族の長を殺せ……》
えっ?こ、殺せって声が聞こえた!嘘でしょ?
私の戸惑いとは別に、私の両手は勝手に颯の首を掴んで、締め始めた。
「み、美子ちゃん!苦しい……」
ど、どうやっても手が言うことをきかない!
「……み、美子ちゃん……」
颯が苦しそうに、顔を歪めている。
早く逃げて!颯!
「颯様……美子様は術にかかっておられるかと……」
私が投げ飛ばした右京さんが、苦しそうに喋ってる。それを聞いた颯の手が私の手首を掴んで、ゆっくりと開いていった。
掴まれた手首が痛い!颯の手がプルプル震えてる……って事はそんなに力を入れないと防げないくらい、私の力が強いんだ……
私の手が颯の首から、僅かに離れた時だった。
「美子ちゃん、ごめん。術を解かせてね……」
颯は少しだけ微笑んで私に……
……え?!キス~~~!!!
ちょっと!!!ど~ゆ~事?!しかも触れるのが長いしっ!!颯は目を閉じてるしっ!
どのくらいかわからないけど、暫く時間が経ってくると、私の身体からす~っと無駄な力が抜けていった。
あ……動けるようになった……
「って、いつまでキスしてんのよ~!!」
急いで、颯をドン!と押しのける。
「美子ちゃん!術解けたんだね♪」
「お、お陰様でね!」
それより、右京さんは?無事なの?
急いで右京さんに駆け寄った。
「だ、大丈夫?動けますか?」
「……大丈夫です。美子様が無事で何寄りです。」
「良かった~!投げ飛ばしちゃって、すみませんでした!」
「いえ、美子様は術にかかっておられただけですから。それよりも……」
右京さんは私の後ろを指差した。その先を辿ってみると、見事にいじけた颯がしゃがんでいる。
「美子ちゃん……僕よりも他の男が大事なんだ……」
「あっ!ごめんごめん!颯も首は大丈夫?」
「遅いよ……」
「だからごめんってば……」
颯の前にしゃがんで、首に手を当てた。
「颯、ちょっと跡になっちゃったね。ごめんね。」
「美子ちゃんも、僕が掴んだ手首に跡がついちゃったね。痛かったでしょ?後で手当てするね。」
「このくらい、時間が経てば治るって。」
「それよりも何があったか教えてくれる?」
「何があったって……う~ん……」
身体が勝手に動き出す前だよね……
ゆっくりと記憶を辿ってみる。
「お風呂から上がって、右京さんと会って話をして、それから別れて、廊下を歩いて……」
「それから?」
「それから……蜘蛛だ!小さな蜘蛛が揺れてた!」
それを聞いた颯は、サーッ!と顔色を変えて立ち上がった。
「皆の者!土蜘蛛が侵入した!城の近くに実体がある筈だ!探せ!」
「はっ!承知いたしました!」
何処からともなく沢山の人達が出て来て、ドタバタと廊下を走って外へ出ていく。
不思議に思いながらも、颯に尋ねてみた。
「颯、土蜘蛛って?蜘蛛のお化け?」
「そそ。川岸で一匹は退治したんだけどね。」
あ……私が泡吹いて失神した時か……
「美子ちゃん。今日は布団の間の屏風を畳んで寝てもいい?」
「へ?何で?」
「だって、チュ~した仲だしっ♪」
「不可抗力だろっ!!」
思わず拳を握ってパンチを打ちだそうとしたけど、途中で思いなおした。さっき首を絞めておいて、宴会場で濡れ衣を着せておいて、何となく殴るのも気が引けた。
「き、キスしないと術って解けないものなの?」
「他にも解き方はあるよ♪」
「だったら他の方法を取れよ!どさくさにまぎれて何やってんだよ~!私のファーストキスを奪いやがって!」
「だ、だって、手が塞がってたから、無理だったんだもん……」
そっか……そういえばプルプル震えるくらい力入れてたもんな……
「それに僕だって初……」
「ん?僕が何?」
「いや、それは冗談として、また土蜘蛛が現れても屏風があったら対処が遅くなっちゃうからね。」
「ま、まぁ、それなら仕方ないか……」
「ありがとう、美子ちゃん♪今夜は可愛い寝顔が見れそうだよ♪」
「そんなもの見るな~!どアホ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら颯と一緒に部屋へ戻り、寝支度をしていると、左京さんがやってきた。
「颯様、土蜘蛛の実体は見つかりませんでしたが、庭木に微かですが土蜘蛛の匂いが残っていました。」
「そうか……みんなの鼻でもその程度なら、土蜘蛛の中でも上のクラスかもしれないな。」
「今夜から見周りを強化いたします。」
「よろしく~!」
軽く頭を下げて部屋を出て行こうとした左京さんは、チラッと私を見て、すぐに目線を戻したかと思うと、え?っという顔をしてまた私を見た。
「美子様から颯様の気配が……」
え?気配?!ってか、何で二度見?!
不思議そうに左京さんを見ると、いきなり跪いて頭を下げられた。
「大変失礼いたしました、美子さ……いえ、奥方様!」
そして、深々と一礼して去っていった。思わず颯に目を向ける。
「え?な、何で左京さんは、いきなり奥方様って呼び方を替えてんの?」
「まぁいいじゃん♪さて、美子ちゃん、こっちへ来て。」
颯の手元には、いつの間にか水が入った桶と手ぬぐいが用意されている。
「何?それ?」
「美子ちゃんの腕、少しだけでも冷やしておこうよ。」
「いや、このくらい、いいって!」
「駄目!だって、僕が傷つけちゃったんだもん……手当させて。」
「う、うん……わかった……」
傷って言っても、痣になった程度なんだけどなぁ……
そう思いながらも、そのまま黙って手首を差しだした。颯は手ぬぐいを濡らして、私の手首に巻いた。右手に巻いて、左手に巻いて、また濡らし直して巻いて……
あまりにも丁寧な手当に、ちょっと動揺してしまった。
「あ、後で、颯の首も冷やしておかなきゃね!」
「僕は大丈夫だよ。」
「でも、痛かったでしょ?」
「そんなの美子ちゃんのキスで治っちゃった♪」
ピキッ!
青筋が立つ気配がしたな……
「……はぁ?」
「あっ!やっぱりまだ痛いかも……美子ちゃん!チュ~して治して♪」
「ば、馬鹿野郎~~!!」
サッ!と腕を引いて、濡れた手ぬぐいを颯に投げつける!
「自分で冷やしておけ!」
「美子ちゃん……酷い……」
「もう寝るっ!」
くるっと後ろを向いて、布団に潜り込んだ。颯が桶を片付け始めたようで、カタッという音が聞こえてきた。
そういえばまだ、お礼を言ってなかったような……
「て、手当てありがと……」
……あれ?颯が無言だ……
チラッと布団から顔を出して、颯を盗み見る。
って、口に手を当てて、真っ赤になってるじゃん!
「僕だって、初めてだからね……」
そう呟いて、桶を持って部屋から出ていった。
初めて……手当てじゃぁないよね……?
って、まさかキス?!うそっ!100年以上も生きてて、初めて?!
え?え?冗談だよね?!
そういえば、ちょっと震えていたような……って、あれは手に力が入ってたからだよね。
うん。そうだ。何かの冗談だ。
でも……颯の唇、柔らかかったな……って、私は変態かっ!
部屋が明るいうちに、寝よっ!
そのまま目を閉じて夢の世界へ入った。