第四十四話
どのくらい時間が経っただろう……急に牢屋の入り口が騒がしくなってきた。もう一人捕まえられたみたいだ。
「入れ!」
ドン!
ボロ雑巾のように押し込まれてきた人を見て、びっくりした!
「そ、颯!!」
すぐに颯に駆け寄る。
「颯!しっかりして!」
「うぅ……美子ちゃん……やっと逢えた……」
「もう、こんな時に何を言ってんのよ!!」
鬼達からボコボコにされたのか、颯は全身傷だらけだ。
「明日の朝になったら、また取り調べを行う。それまでここで大人しくしておけ。」
大王の親衛隊達が、そう言って牢屋の前から立ち去った後、倒れている颯の頭を抱えて膝の上に乗せた。
「ふふ……美子ちゃんの膝枕……」
「こんな時にもうっ!まさか一人で来たんじゃぁないよね!」
「正解……仁から美子ちゃんが鬼にさらわれたって聞いて、すぐに飛び出してきちゃった……みんなも行き先は聞いている頃じゃぁないかな……」
鼠の情報網って凄いな……
それよりも颯だ。無抵抗でボコボコに殴られたのだろう……全身の傷から血がにじみ出て、口の中も切れているみたいだ。
「颯……何で来たのよ……来なければ人違いって事で帰れたかもしれないのに……」
「……美子ちゃんは気付いていないかもしれないけど、陰陽師の時から雪女の雰囲気が強くなってるんだよ……妖力は無いんだけど……鬼の嫁にされたくないもん……」
だから、大王も引きつける妖艶な雰囲気があるって言ってたんだ……
「美子ちゃん……ごめんね……」
「え?何が?」
「お城でのこと……強引に……傷つけちゃったね……」
「まさか、それを言う為にわざと捕まったんじゃぁないよね?」
「だって……謝りたかったから……」
「もうその事はいいから、喋らないでいいから、ゆっくり休んで……」
着物の袖で傷の血を拭いて、ゆっくりと颯の頭を撫でる。
「……ありがとう……」
そう呟いて、颯はすぐに寝息を立て始めた。
寝ている方が体力回復するんだよね……ゆっくり寝てね……
窓も無い地下牢だから、朝か昼かもわからない。だけど大王の親衛隊が牢屋の前に来た事が、朝を告げた事を意味していた。
「二人とも出ろ!!」
親衛隊の一人が強引に颯の腕を掴んで、ズルズルと引きずっていく。
「ちょ、ちょっと!やめてよ!」
カチャッ……
私の顔の前に槍が突き付けられた。
「人間は黙ってついて来い。」
そして、昨日の大広間へ連れて来られた。颯は木の柱に両腕を縛られて、そのまま項垂れている状態だ。私は槍が突きつけられたまま大王の隣に立たされている。
「それでは、取り調べを開始する!わかっているとは思うが、抵抗した時点で人間を殺す!!」
え?まさか私が人質になってるから、颯は抵抗出来ないの?!
そう思う間も無く、親衛隊が角材を手に持って、颯を殴り始めた!!
ボコッ!
「うっ!」
親衛隊達は薄笑いを浮かべながら、楽しそうに颯を殴っていく!鈍い音がする度に颯は苦しそうな声を上げた。
「はは!いい気味だ!皆のもの!積年の恨みを存分に晴らすが良い!」
大王は笑いながら親衛隊を煽っている。
ドカッ!
「ごほっ……」
も、もう見てられない!!私さえいなければ、颯は簡単に逃げれるじゃん!!
「もう止めて!!お願い!!これ以上颯に手出ししないで!!」
「ほう……この期に及んでも、まだ弱い犬神に慈悲を寄せるとは…」
大王が立ちあがり、私の前に立って顎を掴んできた。
「昨日から思っておったが、中々妖艶で男を誘うのが上手い人間だ。お前が俺様の四番目の妾になるのであれば、犬神の取り調べは中止しよう。」
よ、四番目?!何が大王よ!ただのスケベ親父じゃん!!
「駄目だ!美子ちゃん!」
颯が叫んだ!それを阻止するかのように、親衛隊がまた角材を振り上げる!
「犬は黙っていろ!」
バキッ!
「うぅ……」
苦しそうな颯の声……もう聞きたくない……
「どうするのだ、人間。お前の一存ですべてが変わるぞ。」
「わ、わかった!妾にでも何でもなるから、今すぐ止めて!!」
大王はニヤッと嫌な笑いを浮かべて、親衛隊に止めるよう指示した。
腕の紐を解かれた颯は、ドサッ!と床に倒れ込んでいる。
「そ、颯!!」
急いで颯へ駆け寄ると、ガシッ!と颯に手を掴まれた。
「駄目だ……美子ちゃん……」
「颯……もう喋らないで……傷に触るよ……」
「美子ちゃんさえ安全になれば……まだ妖犬になれるから……」
颯はまだ希望を持っている……ここで諦める訳にはいかない!
だけど颯を抱き上げようとした瞬間、後ろからグッ!と親衛隊に着物を引っ張られ、颯から引き離された!
「では、早速妾婚姻の儀を始めようではないか!」
「お~!!」
ドスッ!ドスッ!
大王の一声に広間にいた鬼達が、一斉に足踏みを始めた。
「婚姻の儀……って?!」
「今からこの場で、お前は大王様に手付けをされるのだ。皆が妾の証人となる。」
私の腕を掴んでいた親衛隊の一人が、そう教えてくれた。
はぁ?!、ちょ、ちょっと待って!!みんなの前でって、ど~ゆ~事よ!!冗談じゃぁない!!
その時、ふと、首からぶら下げている小瓶の存在に気付いた。鈴ちゃんが最後にくれた小瓶だ。
これって、人間には無害でもののけだけ痺れさせるって言ってたよね……これを鬼のみんなにばらまけば……って、一人ひとりに匂いを嗅がせる事は無理だな……
ドスッ!ドスッ!
足踏みをしている鬼達を鎮めるように大王が両手を振ると、ピタッ!と足踏みが止んだ。
「皆のもの!妾婚姻の儀の前にやらねばならぬ事が一つある。妾となる人間の未練を断ち切る事だ!よって、婚姻予定であった犬神を閻魔様に捧げる事としようではないか!!」
「おお~~!!」
大王の宣言に、鬼達の野太い歓声が湧きあがる。そして、颯がマグマに繋がっている穴の側まで引きずられていった。
ちょ、ちょっと!どういう事?
「颯は助けてくれるんじゃぁないの!!約束が違うじゃん!!」
大王に詰め寄ると、鼻で笑われてしまった。
「人間よ。取り調べを止める約束はしたが、殺さぬ約束はしておらぬ。勘違いするな。」
「て、てめぇ!ふざけんな!!」
文句を言った瞬間、グイッ!と親衛隊に胸倉を掴まれる。
「貴様!大王様に向かって、何て口の利き方だ!!」
な、殴られるっ!!
そう思った瞬間、大王が親衛隊を私から引き剥がした。
「俺様の妾に傷を付けたら、お前を処分するぞ。」
「はっ……も、申し訳ありませんでした……」
大王に睨まれた親衛隊は、恐怖に震えながら後ずさっていった。
マズい……このままじゃぁ、大王の思うツボだ……隙を見つける事が出来れば……
ふと、マグマに繋がっている穴が目に入った。そこからは熱気がゆらゆらと上がってきている。
あれだ!あそこなら部屋全体に薬が行き渡るかも!!
意を決して、大王に話し掛けてみる。
「あの……颯への想いを断ち切る為に、最期の挨拶をさせて欲しいんだけど……思い出の品も捨てたいし……」
そう言いながら小瓶をギュッと手に掴んだ。
「いいだろう。少しだけ時間をやろう。」
「ありがとう……」
穴のすぐ側まで引きずられた颯の近くまで、ゆっくりと歩いた。キツく閉めてある小瓶の蓋を開ける為だ。そして、渾身の演技を始める。
「颯、今までありがとう……」
「美子ちゃん……本当に……」
颯は今にも泣きそうな、この世の終わりのような悲壮に満ちた顔をしている。
「これ、覚えてる?颯との思い出の品なんだけど、今まで大切に持ち歩いていたんだよね……」
そう言いながら、颯に小瓶を見せた。
「そ、それは……」
颯も鈴ちゃんから貰った薬だって気付いたみたいだ。
「残念だけど、これもあなたと一緒におさらばしようと思ってるんだ……さよなら!」
緩めた小瓶の蓋を取り外して、マグマに繋がっている穴へ撒き散らすように投げ落とすと、落ちていく小瓶からキラキラした粉がふわっと巻き上がるのが見えた!
は、早く!薬が効いて!!
祈るような思いで穴の中を見つめる。
「人間、そろそろいいだろう。俺様が直々に犬神を処分してやろう。」
大王が薄ら笑いを浮かべて、カツン、カツンと靴を鳴らしながら私達に近づいてくる。
駄目か……靴の音が処刑のカウントダウンにも聞こえる……
颯が満身創痍で立ち上がって私を背中に隠した時、鬼達に異変が起こり始めた!
「うっ……な、何だ……体が……」
突然、大王は動きを止めた!
「な、何故だ……体が痺れる……」
広間にいる鬼達も一斉に動きが鈍くなってきた!
よしっ!今だ!
「颯!仔犬になって!」
「わ……わかった……」
残された力を使って、颯はポン!と仔犬に変化してくれた。
「逃げるよ!!」
「待て、人間……お前だけは逃さぬ……妾に……」
大王の言葉を無視して仔犬の颯を抱き上げ、動きが鈍い鬼達を尻目に岩山の城から飛び出し、町を駆け抜けて海へ向かって走り出した!
昨日、剛くんのお父さんに町を案内して貰っていて、助かった♪
「颯!身体は痺れてない?」
「……息を止めてたけど……ちょっと吸っちゃった……」
「もう少しで海まで逃げれるからね!!」
「うん……ありがとう……」
仔犬の颯を抱えて走っていると、後ろから引き止めるような怒鳴り声が聞こえてきた。
「待て~~!!」
えっ?!う、嘘っ!親衛隊がよたよたしながら追いかけてきているじゃん!!
「薬が足りなかったんだ!」
よたよたしているとはいえ、大きな身体の鬼達だ!追いつかれそうな勢いで近づいている!!
ま、マズいっ!!
全速力で振り切って、何とか海の側まで辿り着く。だけどそこには絶望に近い断崖絶壁が待っていた。
「そ、そんな……」
学校の屋上くらいの高さだろうか……ここから飛び降りると、下手したら死んでしまうかも……
海の水平線には船が見える。みんなが助けに来てくれたのかもしれないけど、その前に何とか海に飛び込まなきゃっ!!
意を決して断崖絶壁を覗いてみる。
って、この高さはヤバいって!!
足がガクガクと震えて止まらない……
「いたぞ!!観念しろ!!」
ついに、崖っぷちへ追い詰められてしまった!
「ここからなら飛び込めまい!人間のくせに手間をとらせやがって!」
「大王様のご所望だ!人間だけでも捕まえろ!」
鬼達がジリジリとにじり寄ってきた時、颯がポン!と人間の姿に戻った!
「颯!」
颯は痺れと全身の痛みを堪えながら、残りの力を振り絞るように私をきつく抱きしめて、ボソッと呟いた。
「美子ちゃん……僕から離れないで……しっかり掴まっててね……」
「……えっ?」
聞き返す間もなく、颯はダッ!と崖を勢いよく蹴って海へ飛び込んだ!!
「き、きゃぁ~~~!!!」
ドッボ~ン!!
ゴボゴボ……
私、泳げないんだってば……
って、あれ?海に飛び込んだよね?い、痛くない……息が出来る……
颯が飛び込む時、着水の衝撃を受け止めてくれたみたいだ。そして、何故か大きな泡に包まれている。
「もしかして私達……助かったの?」
颯はそれに微笑んで答えた。颯に抱きしめられながら二人を包んだ泡は、ゆっくりと静かな海の中で漂っている。
「美子ちゃん……」
颯の囁き声が聞こえた。
ふと颯を見ると、ふんわり笑いながら顔を傾けてきた。
あ……キスされる……
そっと目を閉じると同時に、唇に柔らかく触れるだけの優しいキスが落とされた。
颯……やっぱり颯の事が好きだ……
自然とそう思える長いキスの後、ふと唇が離れ、背中にまわされていた颯の腕までが解けた。
……え?
パッ!と目を開けると、そこにはゆらゆらと揺れながら泡の外へ流れ出る颯の姿……
「ちょ、ちょっと!!颯!!」
力尽きたように身動きしない颯を急いで掴もうとしたけど、何故か泡の外に手を出せない!!
「何で!何で私は出られないの!!颯!!颯~!!」
私だけを包んだ泡はゆっくりと海面へと上がっていく。
「颯~~!!嫌ぁ~~~!!!」
颯は流れに身を任せるように、その姿を暗い海の底へ消していった……