第四十三話
お城を飛び出し、城下町を宛どなく歩く。
はぁ……何でこうなっちゃったんだろう……
溜め息をつきながら歩いていると、バッタリと瞬に出くわした。
「お?美子ではないか。一人でどうした?」
「ちょっと散歩……」
「何かあったのか?顔色が悪いぞ。」
「な、何でも無いよ!」
エロ狐のくせに意外と鋭いな……そうだ!瞬なら知ってるかも!
「ねえ、瞬、『月が綺麗だね』って言う意味、わかる?」
「美子、人間なのに知らぬのか?人間界の言葉だぞ。」
「そうなの?」
「確か夏目ナントカって正確な名前は忘れたが、『I love you.』を『月が綺麗ですね』って訳したと聞いておる。」
「た、たぶん夏目漱石の事かな……」
「おお!それだ!」
……って事は、翔から告白されたって事?!
「中々粋な訳であるよな。」
「そ、そうだね……」
「美子も機会があれば颯に囁いてやれよ。」
「はぁ?!何でよ!」
「逆に聞くが、何故そんなに勿体ぶるのだ?我には理解出来ぬがな。」
「勿体ぶってるつもりは無いんだけど……」
「相思相愛なのだから、もう少し颯を構ってやれよ。」
「そ……相思相愛?!」
ちょ、ちょっと、ど~ゆ~事?!
「そんなに驚く事も無いであろう。颯だけ見えなくなった事があったではないか。」
「瞬、知ってるの?教えて!何で颯だけ見えなくなったの?!」
思わず瞬の着物を掴む!
「そ、それは、想い人が見えなくなる薬だから……って、まさか自分の気持ちに気付いて無かったのか?!」
「……」
嘘……私が颯を好き……?
「……颯と、何かあったのであろう。城まで送ってやるよ。」
「ごめん……もう少し一人で考えたい……」
「わかった。暗くなる前に帰れよ。」
「……うん。」
瞬と別れて、城下町の外れにある川岸で座り込んだ。もう、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
翔から、愛してるって言われて、抱き締められたって事だよね……それで屋敷へ来いと……
だからあんなに颯は焦っていたんだ……絶対行かせないって……
いや、それよりも、鈴ちゃんと仲良くなった頃には、私は颯を好きだったって事?だから颯が見えなくなった時、鈴ちゃんはびっくりしてたし、翔は私を見えなくなってくれたら……って言ってたんだ……
相思相愛……そう考えると、辻褄が合う事がいくつも思い当たる。
颯が見えなくなっただけで、不安になった事……
甘えたい時に、颯の胸に自然と凭れた事……
颯の温もりが心地良かった事……
「はぁ……これからどうしよう……」
相思相愛を自覚したところで、颯の気持ちに答える覚悟も無い……颯が望んでいるもののけの嫁になるには、色々と抵抗があり過ぎる……
はぁ……
もう一度深い溜め息をついた時、誰かが私の隣に座ってきた。
「よ、よう……一人か?」
ふと隣を見ると、花束をくれた鬼の子だった。
ふふ!初めてのナンパって感じだな♪
その初々しさに思わず顔が綻んだ。
「こんにちは。城下町にはよく来るの?」
「お、おう。父上の付き合いでな……」
「お父さんは城下町で働いているの?」
「まさか!俺たち鬼神族が働ける訳無いだろ!父上は角を引っ込める事が出来るから、買い出し係なんだ。鬼とわかったら何も売って貰えないからな……」
「そうなんだ……」
千年戦争って颯も詳しくは知らないし、大昔の事だよね……それでもまだそんなに大変なんだ……
「そのうち、みんなと普通に暮らせるようになったらいいね。」
つい癖で鬼の子の頭を撫でると、今日は避けられなかった。
「頭触られるのは、平気になったの?」
「……お前は角を見ても、差別しないから……特別だ。」
「ふふ!ありがとう♪」
「ところで、お前の名前は何だ?」
「私は美子って言うんだ。君の名前は?」
「俺の名前は、剛だ。」
「へぇ~、格好いい名前だね♪」
「そ、そうか……」
ふふ!照れちゃって可愛い~♪
その時、カサッ!と草を踏む音がした。振り向くとそこには荷物を持った男性が立っている。
「父上!」
剛くんが、サッ!と立ち上がって、男性に駆け寄った。
お父さんか……体は大きいけど想像した鬼と違って、物腰が軟らかそうだな……
「剛、待たせたな。そちらの女性は?」
「ほら、この前話した怪我が治るまじないをしてくれた人だ!」
「そうでしたか。息子がお世話になりました。」
剛くんのお父さんは微笑みながら軽く頭を下げてきた。
「いえ、いえ!大した事では無いですよ♪んじゃそろそろお城へ帰るね!剛くん、またね♪」
「お城……?」
あれ?気のせいか、お父さんの雰囲気が変わったような……
「おう!またな、美子!」
「美子……?」
まただ……
何だか嫌な予感がして、すぐにその場を立ち去ろうとする。
「待て!」
ガシッ!と剛くんのお父さんに腕を掴まれた!
ち、力が強い!振りほどけない!
「もしかしてそなたは、犬神の嫁か?」
「嫁じゃぁ無いし、あなたには関係ないでしょ!離して!」
剛くんも驚いて、お父さんの腕にしがみついている。
「父上!美子の手を離せ!」
「黙れ!先祖から語り継がれてきた、犬神への恨みは知ってるだろ!犬神さえ居なければ、俺達はこんなに苦労しなくて済むんだ!」
「だけど、美子は人間だ!犬神じゃない!」
「犬神を呼び出すのに利用させて貰うだけだ。」
ま、マズいっ!
「い、嫌っ!誰か~!!」
「少し黙ってろ!」
ドカッ!
うっ……
目の前が真っ暗になり、記憶が途絶えた……
……ん。ここは……そうだ!!
ガバッ!と起き上がって辺りを見渡した。何処かの狭い部屋で寝かされていたみたいだ。壁には雨で出来たようなシミがあり、何度も雨漏りを直した跡が見える。
トン、トン……
控え目な引き戸をノックする音がした。
「どうぞ……」
ガラッと引き戸が開いて、顔を出したのは剛くんだった。
「美子、気がついたか。」
「うん……ここは?」
「鬼ヶ島だ。」
「鬼ヶ島かぁ……」
そのうち、桃太郎でも出て来るんだろうか……あとは、犬とキジと猿……犬は颯でキジが翔だとしても、猿は見た事無いなぁ……
「美子、まだ何処か痛むのか?」
「へっ?な、何で?」
「急に黙り込むから……」
「だ、大丈夫だよ!あはは……」
「ならいいけど……そうだ!父上と母上を呼んでくる!」
剛くんが部屋を飛び出した後、暫くして、剛くんのお父さんとお母さんが部屋へやってきた。
お父さんには角が見えないけど、お母さんには立派な角が生えている。
刺されたら痛そうだな……
私の前に揃って座り、剛くんのお父さんが頭を下げてきた。
「息子に親切にして頂いたのに、恩を仇で返す真似をしてしまい、すまなかった。」
「ここにいる間は自分の家だと思って、寛いで下さい。」
剛くんのお母さんは、にっこり微笑み掛けてくる。でも、何となく釈然としない。
剛くんのお父さんに尋ねてみた。
「あの……私はいつ帰して貰えるの?」
「すまないが、犬神の当主と引き換えだ。明日には鬼ヶ島へ来るように、書簡を出すつもりでいる。」
「たぶん助けに来ないと思うよ。喧嘩して飛び出して来ちゃったし……」
「その時には、人違いだったと大王様に報告して、城下町まで送る。」
「……わかった。」
その後、散歩と称して家の外へ連れ出された時、ふと、険しい岩山が目に入った。何となく人の手が加えられているような雰囲気がある。
「あの山は?」
「あれは大王様が住んでいる城だ。閻魔様がおられるとされるマグマの部屋があるのだ。」
「へぇ~。」
マグマって、地下マントルまで掘られた穴って事?いや……ここは人間界の常識が通じない世界だったな……
それから、鬼の居住地に連れて来られた。
「ここは、大勢の者が住む地域だ。」
えっ?!ここが?!
目を疑った。壁が無く、屋根がかろうじて雨露を凌ぐという感じだ。剛くんの家もかなり傷んでいたと思っていたけど、かなりマシな方らしい。
「私は城下町へ買い出しに行くお役目を貰っているから豪華な屋敷に住んでいるが、皆はこのような生活を強いられている。買い出しへ行くようになってから、城下町との格差に愕然としたものだ。」
「そっか……」
「そなたが城下町へ戻る時、ここの困窮した現状を伝えて欲しい。ここでは何の罪も無い子供達さえも満足に食べる物が無いのだ……」
みんな虚ろな目をして、覇気が無い……
これは、怒りの矛先が犬神に向けられるのもわかるな……
「せめて皆が働ける場所があれば良いのだが……」
剛くんのお父さんがボソッと呟いた言葉に、ふと気になった事を尋ねてみた。
「……鬼神族はどんな妖力が使えるの?」
「妖力が強い者は雷を落とせる。雨を降らせたり、破壊には役に立つ。」
「は、破壊ね……それ以外の人は?」
「人を殺すくらいに痺れさせる程度だ。」
どっちみち高圧ボルトなのね……これは働き口を見つける事態が至難の業だな……
そんな突っ込みを口に出す事も出来ず、剛くんの家へ戻った。
家に戻ってからは、剛くんのお母さんの隣に立って台所仕事を手伝った。
「釜戸使うのなんて初めて!」
「そうなの?」
「人間界にもあまり無いですよ!何だかお米が美味しそう~♪」
「ふふ!今日は多めに炊いたから、沢山食べてね♪」
剛くんのお母さんと和やかに、台所で料理をしていた時だ。
『御用改めだ!』
玄関から、怒鳴り声が聞こえて来た。剛くんのお父さんが対応する声が聞こえる。
『大王の親衛隊が御用改めとはどういう事だ!』
『ここに犬神の者を匿っておるだろ!』
『それは報告した筈だ!犬神ではなく、輿入れ予定の人間だ!』
『何故、すぐに連れて来ぬのだ!人間を引っ捕らえよ!』
へっ?!わ、私の事?
「美子さん!裏口から逃げて!」
剛くんのお母さんが私を勝手口から外へ押し出そうとした瞬間、台所の引き戸が開けられた!
「人間がいたぞ!」
「捕まえろ!」
「きゃっ!」
私を庇おうとした剛くんのお母さんが突き飛ばされ、あっという間に大王の親衛隊に捕まってしまった。そして有無も言わさず連れて行かれたのは、昼間に見た岩山のお城だった。
お城の大広間の中央には大きな穴があり、その中はマグマに繋がっているのか、熱気がゆらゆらと上がってきている。その穴を見渡せる少し高い位置に、豪華な着物を纏って大きな椅子に座った鬼がいる。
こいつが大王か……ったく、そんな豪華な着物を着る金があるなら、町の人達に食べ物を配れよ……
「お前が犬神の嫁か。」
大王がゆっくりと立ちあがって、両腕を掴まえられている私へ近寄ってきた。
「知らないわよ!そんな予定も無いもん!」
「嘘をついても無駄だ……ほう、まだ手付けもされておらぬのか。あながち間違いではないようだな。」
は、判断基準って、そこなんだ……何処の種族も共通なのね……
「見た目は普通の人間であるが、引きつける妖艶な雰囲気がそなたにはあるな。」
ギクッ!!
ま、マズいっ!ここでもママの雪女パワーが!!
「よく顔を見せてみろ。」
グイッ!と顎を掴まれ、強引に顔を向けさせられた時、外が騒がしくなってきた。
『犬神だ!犬神が攻めてきたぞ!!』
その声を聞いた大王は、私の顎から手を離して不敵な笑みを浮かべている。
「書簡を送る手間が省けたな。この人間を地下牢へ!」
「はっ!」
えっ?書簡を送ってないのに、みんなが助けに来たの?どうして場所が?
そう考える間もなく、ガシッ!と再び両腕を掴まれて薄暗い地下室へ連れていかれた。
「ここへ入っておれ!」
「痛っ!!」
ドン!と突き飛ばされて、牢屋の中へ押し込められる。ガシャン……と鍵をかける冷たい金属音が地下室に響いた。
立ち上がって、牢屋を見渡してみる。岩を削っただけの牢屋で、天井からはピチョン、ピチョンと水滴が滴り落ちている。
絶対にみんなが助けに来てくれる筈だ……大丈夫……
キュッと着物の袖を掴んだ。




