第6章:運命の三日間
遥か昔。まだ人間の文明が成立し始めて間もなかった頃。
世界に化け物が生まれ出た。
出生の原因は明かされていない。そもそもその化け物は普通の人間には視認することすらできず、また触れることもできない。ゆえに謎多き生物である。
ただ一つ分かっていること。それは彼らが<ケガレ>と呼ばれる存在であることと、人間の理論では説明不可能な不思議なチカラを持っているということである。
ケガレは<狂気>と呼ばれる特殊な技能を有する。それは時として、津波に台風、地震や雷といった自然災害さえも引き起こしかねない強力なチカラである。
その異能のチカラに対抗できる術が人間にあるはずもなく、幾多もの部族が苦しみ、そして死んでいった。
それを知った<神界>に住む万物の支配者たる神は、下界で生きる『人間』という名の可能性の芽を潰さぬために、使徒を遣わせた。
しかしそこで重大な問題が発生した。
俗に魂の使者と呼ばれる彼らは聖なるチカラの塊と言っても過言ではなく、そんな彼らにとって<狂気>で汚染されている人間界は魔界以外のなにものでもなかった。そのせいで彼らは本来のチカラの十分の一も引き出せず、戦局は圧倒的に<神界>が不利であった。
そこで神は彼らに提示する。
人間の力を借りよ。さすれば本来のチカラを発揮できよう、と。
魂の使者達はその命に従い、戦いの才ある者や正しい心を持つ人間達と<魂の契約>を結び、人間達と共に化け物を退治することになった。
契約を結んだ人間は<セレス>という、まさに“奇跡の力”とも言える不思議なチカラを手にした。それは見えないはずのケガレを瞳に映し出させ、化け物と戦うチカラを人に貸し与える。契約者達はそのチカラのおかげで超人的なチカラを持つケガレ達と対等に戦えるのである。
それから数千年後の現在。
ケガレの秘密についてはやはりあまり明かされないままであるが、年を重ねるごとにケガレ達の総数は徐々にだが減ってきている。しかしどういうからくりがあるのかは不明だが、ケガレ達には粘り強い繁殖力があり、完全に滅ぼすことはほぼ不可能とさえ言われている。まさに永遠に終わらない戦争である。
契約を結びし人間達の持つチカラは、ごく一部の人間を除いて知られていない。彼らはケガレとの戦闘の際、特殊な結界を用い一時的にその場を現世から切り離し、異空間化することで姿を隠しながら戦っているのである。そのため、よっぽどのことがない限り彼らの存在が世間に知れ渡ることはない。
誰にもその存在を知られることなく淡々とケガレを殲滅する孤高の戦士。その存在を知る一部の人間は、彼らのことを尊敬の念を込めてこう呼んでいる。
超越たる神にも等しきチカラを扱う魂の戦士――“ソウルマスター”と。
◇◇◇
「どう? これで分かった?」
「いや全然」
にべもなく和輝は言ってやった。
それを聞いて雷雨は不機嫌そうに言う。
「もう。確かに一回聞いたぐらいで理解しろとは言わないけど、ちょっとぐらい分かってくれてもいいんじゃない? あれだけのことを経験した後なんだからさ」
和輝は溜息に似た吐息をもらして、己の部屋の天井を見詰めた。
神? ケガレ? セレス? ソウルマスター? バカバカしい。そんな非現実的な事実が存在するはずない。大体話が胡散臭い上に妙にご都合的なのも気に入らない。そんな与太話誰が信じるか。宗教宣伝なら他所でやってくれ。
と、このように雷雨の言うことを真っ二つにすることもできる。これが一番手っ取り早くて精神的にも安心できる考えだ。でも、だ。和輝はその与太話を踏まえて考えるとすべてつじつまが合ってしまう非日常的現象に巻き込まれてしまっているのだ。今更彼女の話すべてを否定することなんてできない。
それに、今朝の事件。あれにしたって犯人をケガレとかいう化け物に置き換えれば、結構すんなり納得できる。姿見えぬ魔物。人の目にも映らないなら監視カメラにも映らないのだろう。それに金銭がまったく奪われていないということも説明がつく。
「でもなぁ。さすがにこんなぶっ飛んだ話へーそうなんだと納得できるわけねだろ。正直頭がパンク寸前だ」
「まあ、分からなくもないけどね。今まであんな化け物とは縁もゆかりもない生活をしてきたんだもの。困惑して当然よ。それに、その顔を見る限り、まだ生きた心地がしてないんじゃない?」
「ああ」
和輝はお腹をさすった。そこに付けられたはずの深い傷は跡形もなく消え去っていた。痛みも感じない。本当にあの大きな爪で抉られたのだろうかと己の記憶に疑心暗鬼になるぐらいだ。雷雨の言う通り、あれから数時間経って部屋でくつろいでいる今も、自分が生きているのが不思議で仕方がない。
奇跡を起こすチカラ、<セレス>か。確かに、奇跡だな。
「そうだ、さっきからずっと言おうと思ってたんだけど」
「なんだよ」
「和輝って、格闘家でしょ?」
まじまじと、和輝は雷雨を見詰めた。
まあ、あれだけの戦い見せりゃ、そりゃバレるか。
「まあな」
「やっぱり! 体捌き、拳と蹴りの打ち方、間合いの詰め方。どれもこれも動きが熟練されたものに見えて仕方がなかったもん。何より確信になったのは、君が<氣>を使っていたこと」
「見えてたのか? 俺が練った氣の奔流が?」
「うん。そりゃもうばっちり見えてました。最初は自分の目が信じられなかったけどね」
氣。
それは、生物の体の内にある生命エネルギーの源。すべての生きとし生ける物の動力源。普段それは己が体の奥底に眠っており、滅多なことでは発現しないが、武術を極めた者はそれを自由自在に操れるようになるという。
火事場の糞力という言葉をご存知だろうか。
死の危機に立たされた時、人は通常では有り得ない力を発揮する。それこそ眠っていた氣が爆発することなのである。それを自在に操れるようになれば、身体能力は常人の何倍にも跳ね上がり、拳に氣を乗せて放てば鉄をも貫く拳となる。すべての格闘家はこの境地に達するがために修行をしていると言ってもいい。
「和輝の氣の扱い方は、それこそ達人の域と言えたわ。素直にすごいと思えた。武道で頂点を目指す者達の中で、あそこまで氣を使いこなせるようになるのはほんの一握り。………和輝。君は、その領域に達するまで、どれぐらい自分をいじめ抜いたの?」
「………さあな。あの頃はただがむしゃらだったからな。がむしゃらに、がむしゃらに強さだけを追い求めて……」
和輝は口を閉ざした。
「あんまし、あの頃のことは思い出したくねーんだ。べつにいいだろ? こんながきんちょが氣を使えたってさ。親父の実家がそういう系の道場だったから自然と武術を学ぶ形になってその内氣も使えるようになった。それでいいだろ?」
「……何年、かかったの?」
「四年」
「たった四年!? そんな、冗談でしょ!? どんな達人でも氣を自在に使えるようになるには十年以上の血を吐くような修行を積まなければいけないのに。それを、それをたった四年の間に!?」
「常人より才能があった。そんだけさ」
話を元に戻そうぜ、と和輝は強引に軌道修正を図る。
「それで? お前は結局俺にどうして欲しいんだ?」
「あ……うん。成り行きとは言え、契約してしまった以上雷雨達はパートナー。一心同体と言ってもいいわ。それに和輝もいろいろと知ってしまった以上無関係とは言えない。そんなわけで、できるなら雷雨と一緒にケガレを討伐して欲しい」
「やだ」
和輝即答。雷雨は面食らう。
「あ、あのねえ! 普通そこで即答する!? ちょっとは逡巡しようとか思わないの!?」
「思わない」
「なっ。和輝それでも男!?」
「んなこと言われてもなー」
和輝は椅子に大きくもたれる。
「お前の願いを聞き入れるってことは、要するにこれからずーっとあの化け物と戦わなくちゃいけないわけだろ? 冗談じゃないね。俺は正義の味方でも英雄でもないんだ。この世界のすべての人間のために戦いましょうと言われてうんそうだねと頷くほど俺は人生に絶望してねーよ。相棒なら他を選んでくれ」
「そういうわけにはいかないの! 魂の契約っていうのはね、一度契約したら人間と魂の使者、どちらかが死なない限り永遠に継続されるものなの! そんで継続されている間は他の人間と契約を結ぶなんてこともできないの! だから雷雨、和輝に手伝ってもらわないと困っちゃう」
「存分に困ってくれ。俺は知らん」
「ひどっ! 道連れなら俺を選べとかかっくいー台詞吐いたくせにそんなこと言いますかこの子! あの輝く姿は幻だったの?」
「勢いに任せて言っちまったことは否定しない」
「幻だったーっ!」
むー、とかなんとか言って唸る雷雨。それに反応するかのように座布団から宙に浮き上がるが和輝はツッコマない。こんななんでもありな奴にツッコミ続けたところで効果は薄い。
「つかお前、唸って舞空術使ってちょい涙目で小パンチの連打浴びせんのは構わんけど、あんま騒ぐなよ。実代姉だっているし、隣の部屋じゃ加代姉も寝てんだからさ」
「その点は心配なっしんぐ。雷雨ちゃんの姿は普通の人には見えないの。もちろん声も届きませーん。――――加代ちゃんを除けばね」
「あん? どういうことだよ?」
いきなり姉の話が出てきたものだから和輝も幾分真剣な顔になる。雷雨もそれに真顔で返す。
「覚えてる? 雷雨が和輝を助けた時、加代ちゃんは雷雨が担いでたの。実は彼女ね、突然雷雨が張った結界の中に入り込んできたの。和輝にしたってそうだけど、普通そんなことは有り得ないの。さっきも言った通り、雷雨達はケガレとの戦闘の際、秘密保持のため出来る限り特殊な結界を張るの。“断絶結界”って言うんだけどね。その結界には一種の幻惑作用が働いてて、人間がその場に近づいたら遠ざからなきゃいけない気持ちにさせるの。それにその時感じた違和感を消し去る記憶抹消作用もあるわ。だから人間はその結界内に入ることはおろか近づくことすらできないの」
その説明に和輝は納得せざるを得ない。あの変な結界の効果は身をもって体験している。
「ってちょっと待てよ。俺もかなりてこずったけどなんとか入れたぜ。加代姉だって入れたみたいだし」
「そう。確かに普通の人間が断絶結界の中に入ることは有り得ない。でもあの子は結界があることすら見極めた上で、和輝みたいにてこずることもなく侵入して来た。その辺を考慮して導き出される結論はたった一つだけ」
雷雨は壁の奥にいるであろう加代に視線を向けながら、一拍の間をおいて言った。
「あの子はたぶん、契約者の末裔なのよ」
「契約者の末裔?」
「うん。さっきも言ったけど、雷雨達魂の使者と人間達は、ずいぶんと前から奴らと戦いを繰り広げているわ。そのソウルマスター達の中には、戦いの人生を送りながらも家庭を持つものだっていた。でね、そのソウルマスターの子孫に当たる子には、稀に<セレス>の力が宿ることがあるの。微々たるものに過ぎないけど、それは化け物達や雷雨達の姿を視認させるだけの能力を与える」
「んと、つまり、俺達の遠い遠いご先祖様にソウルマスターになった人がいて、その人が子供生んで、その子供達に受け継がれた遺伝子の中にある<セレス>って奴が稀に目覚めてへんてこな能力が宿る。で、どういう因果か加代姉にそれが宿っちまったと、こういうことか?」
「そういうことになるんでしょうね。それに、この仮説なら和輝もなんとか雷雨が張った結界の中に入ってこれたことも説明がつくわ」
「俺も一応契約者の末裔って奴だからか?」
「うん、そうだよ。……って和輝大丈夫?」
「全然大丈夫じゃない。知恵熱が出そうだ」
頭を抱えて唸る和輝。宗教宣伝かと思うほど電波な話がずっと頭に送り続けられたせいもあり脳内バンクはぎゅうぎゅう詰めである。
にしても、そうか、こういうことだったのか、と和輝は人知れずとある疑問を解決させた。
過去何度か加代が見せた不可解な行動と言動。それらすべてがさっきの説により納得可能となる。きっと加代姉は昔からあの化け物の存在に気づいてたんだ。ずっとそのことが気がかりだったに違いない。ずっと怯えていたに違いない。あんな化け物がいることに。
そして、ずっと寂しかったに違いない。
誰にも見えないものが自分にだけは見えて、家族にさえもそれは見えていなくて、きっと寂しくて悲しかったに違いない。
和輝は奥歯をかみ締めた。
気づかなかった。自分は気づけなかった。気づこうともしなかった。姉の言うことを妄言の一言で片付け、深い追求もせず、あまつさえ相談に乗ってやることすらなく、のうのうと平和に自分は生きてきた。
忌々しい。本当に、自分が忌々しい。
「なんにしても、この説が正しいなら、もう加代ちゃんも無関係とは言えないわ」
その言葉で和輝は現実に回帰してきた。
「どうするの? 和輝。加代ちゃんの記憶処理はしておいたけど、<セレス>のチカラは決して消えることはないわ。いつかまた、ケガレと遭遇することもあるはず。そうなれば今度こそ、彼女は殺されるかもしれない。だから、そうならないためにも、少しでもケガレが街に徘徊することがなくなるように、雷雨と一緒に奴らを倒して欲しい」
「……………」
和輝は無言のままうな垂れた。
突然すぎる。何もかもが突然すぎる。そんなこといきなり言われても、そんなの、返す言葉なんてあるはずがない。
静寂が部屋を支配する中、それを打ち破るようにして雨が降り出してきた。
「ごめん」
いきなり口を割ったのは雷雨であった。
「な、なんでお前が謝るんだよ」
「ううん、雷雨が悪いの。こんなこと急に言われたって、答えられるわけないよね。それに加代ちゃんの話を引き合いに出すなんて、卑怯だね。ごめんなさい。雷雨、どうかしてた。たぶん、焦ってたんだと思う。ここ二百年、前の人間との契約が破棄されて以来、雷雨はずっと一人で戦ってきたから。ずっと、心細かったから。だから、また新しいパートナーが出来て、雷雨すっごく嬉しかったの。それで、どうしても、断られたくなくて、執拗に迫るような真似しちゃった。本当にごめんなさい」
「謝るようなことじゃねえだろ」
和輝はぶっきらぼうに言葉を送る。
「二百年、か。長いな。俺が今まで生きてきた十六年でも長いと感じるぐらいなんだから、もう大昔も同然だ。そんな前から、お前はたった一人であんな化け物相手に戦ってきた。辛かっただろ? 俺も孤独の辛さはある程度分かるつもりだ。そんな俺がお前に言う。よくがんばってきたな、今まで」
「……っ」
ポロポロと、雷雨の目から涙が零れ落ちる。涙の量はどんどん増加していき、雷雨は顔を覆った。
「お、おい。何泣いてんだよ。泣くようなことじゃねだろ」
「………嬉しいの」
雷雨は嗚咽交じりの声で呟く。
「ずっと、ずっと一人で戦ってきて、戦うたびに怪我して、でも道行く人たちは、そんなことには気づかなくて、誰も声をかけてくれなくて、だから、嬉しいの。和輝に、そんなこと言われて。すっごく。本当に」
なんだよそりゃ、と和輝は怒りに似たものを感じた。
自分がかけた言葉なんて、そんなたいそうなものじゃない。本当にちょっとした慰めだ。でも、こいつは、この子は、そんな小さな慰め一つで泣き出した。それぐらい、彼女は心の内に寂しさを隠していた。だから許せない。この子に辛い現実ばかり突きつける世界が、がんばる彼女に優しい言葉一つかけない神界の連中が、果てしなく許せない。
「やめるわけにはいかないのか?」
和輝はない知恵を振り絞り考える。
「もう、充分だろ。二百年だ二百年。二世紀だぜ? それだけ一人でがんばって化け物退治してきたんだ、もう充分過ぎるほど役目は果たしてるだろ。んな化け物退治はやめて、神界とやらに帰ることはできないのか?」
「無理だよ」
涙を拭いながら口を動かす雷雨。
「雷雨達は神の使徒、魂の使者。人間界に遣わされた時から、永遠に戦い続けることを約束した神界の戦士。休息は許されない。むしろもっと戦いの中へ飛び込まなければいけない。それが自らが望んだ宿命。我侭で戦いをやめるなんてことはできない」
「なら、せめて仲間を派遣してもらうことは? 魂の使者って奴は一人や二人じゃねえんだろ?」
なんとか彼女を助けたくてはじき出す考えだが、それは無惨に打ち砕かれる。
「それも無理。ケガレは世界中にいるんだよ? それらすべてを討伐するためには、雷雨達も各地へ散らなければならない。たった一人の戦士のためだけに、人員を裂くわけにはいかないの」
「そんな……そんなのってあるかよ!」
「優しいね、和輝は」
雷雨は微笑みを浮かべた。聖女のような清らかな笑み。
「こんな、今日初めて会ったおかしな女の子のために、そこまで真剣に考えて、悩んで、怒ってくれて―――――やっぱり雷雨、君を助けられてよかったよ」
「……普通、だろ。こんなの」
「ううん。違うよ。和輝は特別だよ。だって、あれだけの経験をした後で、雷雨が人間じゃないってことも分かっている上で、こうして雷雨を家に招きいれてくれてる。普通じゃできないことだよ? 和輝はとっても優しい。優しくて暖かい。―――雷雨はそんな君を、できるなら戦いに巻き込みたくなかった……」
「…………」
「三日間、猶予をあげるよ」
「?」
突然何を言い出すんだと和輝は首をかしげる。
「雷雨だって、できるなら契約を破棄して、和輝には普段通りの生活を送って欲しい。元々強引な契約だったしね。でも、魂の契約にそんな戯言は通用しない。どんな理由や事情があれ、契約をしてしまった以上和輝には戦う運命が待っている。……でもね、それを回避する方法が一つだけあるの」
「ホントか!?」
和輝は喜びをあらわにして椅子から立ち上がる。本当にそんなことができるなら願ったり叶ったりだ。
確かにあんな化け物をこの街に徘徊させることは忍びない。なんとかしたいとも思う。でもそのために毎度毎度あんな戦いをするのはごめん蒙りたい。魂の使者とやらも一人や二人じゃないんだ。きっと誰かが代わりに退治してくれるに違いない。
――――そんな風に考える和輝の考えを、丸ごと白紙にさせる一言を雷雨は呟いた。
「雷雨が死ねばいい」
なっ! と和輝は驚きのあまり言葉をなくす。
「お、お前………ふざっけんなっ! 死ぬなんて簡単に言うな!」
「なんで? 雷雨が死ねば、魂の契約は解除される。そうなれば雷雨が和輝に与えた<セレス>は消え、もうケガレの姿を見ることもなくなる。それを和輝は望んでるんじゃないの?」
「ああ、望んでるさ。けどな! そのために女の子一人犠牲にするなんて、そんなの、そんな偽善だらけの日常、誰が望むか!」
「雷雨が死ぬことを、和輝が気に病むことはないわ。雷雨達にはね、事実上“死”という概念がないの。んと、うまく説明できないんだけど、実は雷雨には肉体がないの。この姿は地上で活動するために用意した仮初の体で、本当の体は神界にあって、魂だけをこの世界に降ろしているの。だからこの世界で雷雨が致命傷を負っても、魂さえ無事なら時間をかければ神界で目を覚ますことができる。だから、雷雨は死んだってべつにいいの」
「べつにいいなんてことあるかボケがっ! 死ぬことはなくても痛みは感じんだろ!? 恐怖を感じるんだろ!? それのどこが大丈夫だってんだ!! おかしいだろそんなのっ!」
「やめて」
雷雨は短く、そして鋭く言った。
「……それ以上、雷雨に優しい言葉を送らないで。そんなこと言われたら、雷雨、とことんまで和輝に頼っちゃう」
頼ればいいだろがっ! と和輝は叫ぼうとして、はたと気づく。
さっき、雷雨の願いを一蹴したのはどこのどいつだよ。
和輝は口を閉ざした。その間に雷雨は言葉をどんどん紡いでいく。
「正直、今の雷雨には、もうケガレと戦うチカラは残ってない。夕方の戦闘ですべてのチカラを使い切っちゃったの。休めばある程度チカラは回復するけど、全快する前にケガレに発見されて、がぶっといかれるのがオチでしょうね。あいつら、雷雨達をえさにしてるから、匂いをかぎつけるのは簡単だろうし」
「そう、なのか?」
「雷雨達は多大なエネルギー集合体みたいなものだからね。ケガレ達にしてみればおいしいんじゃない?」
「………」
「話を戻すね。結論から言って雷雨はもう戦えない。逃げるのが精一杯。逃げおおせられる期間は、たぶん三日ほど。だからね、和輝にはそれまでの間に選んで欲しい。雷雨と一緒に戦うか、雷雨を含めて今日のことを全部忘れるか。くれぐれも言っておくけど、雷雨の死については深く考えないでね。本当に、何十年かすれば復活できるから。そりゃ痛みとかはあるけど、雷雨、今までに何度か“死んだ”ことあるし、慣れっこだから」
和輝が言うべき言葉を整理している内に、雷雨は和輝に背を向けた。
「じゃあ、雷雨はそれまでの間身を潜めてるね。待ち合わせ場所は雷雨達が初めて会った公園。時刻は三日後の午前零時。今日のことをすべて忘れる場合は、来なくていいから」
「ちょ、待てよ! お前、どこ行く気だよ! 身を潜めるなら俺んちでもいいじゃねえか!」
「気持ちだけもらっておくわね。雷雨がここにいたら、和輝にいらないことを吹き込んじゃいそうだもの」
「け、けど……!」
「心配しないで。三日後の零時までは、何があっても絶対に生き残ってみせるから。だから和輝はその間、自分自身がどうしたいか、じっくり考えてね」
言い終えると、雷雨は窓へと向けて歩み出す。そこから外へ出るつもりだと悟り、次いで雨がざざ降りだということに気が付いて、声を上げた。
「待て、ちょっと待ってろ。今かさ持ってきてやるから、それ持っとけ。いいか、絶対に行くんじゃねえぞ!」
大慌てで和輝は部屋を飛び出し階段を駆け下りた。その姿を見送って、雷雨は永遠の別れを惜しむような寂しい笑顔のまま、言った。
「さようなら和輝。もう、雷雨の前には現れないで、平和に過ごしてね」
和輝が部屋に戻った時、雷雨の姿はどこにもなかった。
〜次話予告〜
運命を決める選択を迫られた和輝。あれやこれやと苦悩しながらも学校はもちろんいかねばならない。いつもと同じはずの風景がどこか違うように感じられる和輝は、その日常を見て、いったい何を思うのか。
ようやく学園の中身に突入。コメディ要素を盛り込みたいと思います。