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第22章:本当の幸せ


宿泊学習編、まだ続きます。






 不意に、思うことがある。


 自分は今、『幸せ』なのだろうかと。


 父親は既に他界し、母親も世界中を飛び回って滅多に家に帰ってこないが、世話がかかるがいてくれるだけでほっとする姉二人と、一般家庭よりは若干裕福に暮らしている。姉弟揃って通う私立高校では、クラスにも馴染み、友達もでき、暗い表情とは縁のない楽しい生活をしている。放課後だって、友達とバカやったり、姉の買い物に付き合ってやったり、夕飯のおかずを買いに行ったり、ごく普通で平凡なもの。夜は、修行、なんていう現代高校生にはあるまじき行為をしているが、体を動かすのは元々嫌いじゃないから、そんなに苦にならない。夜中は、たまに家を抜け出して化け物退治をするが、今のところそれも順調そのものだ。


 ちょっと他の一般的男子高校生とは違う日常だけど、きっと今の自分は、『幸せ』なのだろう。


 幸せすぎる、少年なのだろう。



 だけど、物足りない。

 何かが、足りない。

 胸を張って、自分は幸せだと断言できない。



 足りないものは、分かっている。

 足りないのは、本来自分の隣にあるもの。あるべきはずのもの。あって欲しいと願うもの。願っても手に入れられないもの。


 ふと、思ってしまう。

 どれだけ時間が経とうとも、どれだけ自分を抑制しようとも、まるで中毒患者のように、どうしようもなくふと思ってしまう。


 もし、あの時選択を間違えなければ。

 もし、あの時自分がもっと強ければ。


 彼女は、今でも俺の隣で笑っていてくれたのだろうか。


 俺に本当の幸せを、与えてくれたのだろうか。




 そんな贅沢なことを思う、物語の主人公であった。







◇◇◇







「おーい。和輝ー? 起きてんのかー? ちゃんと現実を見てんのかー?」


「……………」


「くっ、そこまで俺を無視するのか、親友であるこの俺をっ! ふっ、それならそれで構わん。だがしかしっ! 貴様の饅頭は俺がいただくっ! ってぅわっっつぃいいいいいいいいいいいいっっ!!」


「あ、わり。手がすべった」


 たった二つしかないあんこたっぷりの饅頭に伸ばした武谷の手を、熱湯により淹れられた緑茶が焼いた。もちろんわざとだ。


「た、大変っ。は、早く冷たい水で冷やさないとっ」


「大丈夫だ紅。こいつのゴッドハンドは摂氏1000℃までの温度なら余裕で耐えられる構造になっているから」


「そっか。なら安心だね」


「んなわけあるかぁああああああああああああっ!!」


 かなり本気の涙目になって武谷はトイレに駆け込んで行った。同情はしない。後悔もしない。雄哉もそ知らぬ顔でお茶を飲んでいるし、明良に至っては武谷が残した最後の饅頭を食べている。ちなみに美夏は武谷の背中を見送って「新城くん、お腹でも壊したのかな」と天然ボケをかましている。

 いまさらだけど、このメンバー、面白すぎ。


 失いたくないな。もう、二度と。―――そんな感傷的なことを思いつつ茶屋での饅頭を食べる、京都での午後の一時。



 それをぶち壊す最初の杭を打ち込んだのは、春風明良のこんな一言だった。



「なんかさ、微妙に視線感じないか?」


 途切れた話題を狙って放たれた言葉に、その場の全員が明良に目を向けた。


「そうか? まあ、美少女二人連れて歩いてるからな。野郎のギラついた目が集中してんじゃねーの?」


「び、美少女って、そんな……!」


「はいそこ照れない。てか、そーいうんじゃなくてさ……その、つけられているというか」


 不安げに辺りを見回す明良を、しかし和輝は笑い飛ばした。


「だーっはっはっはっは! お、おま、もしかして、柄にもなくビビッてんの?」


 ぷぷ、と笑いを漏らす和輝に当然ながら明良がキレた。


「なんだとこらてめー! しめるぞおらっ!」


「け、ケンカはダメ!」


 どうどうと暴れ馬・明良一号を宥める猛獣使い紅美夏。和輝はその様を見て笑いを深めながらも悪いと謝り、


「春風さんの言うことは本当だと思うよ」


 それまで黙っていた雄哉が突然そんなことを言い出した。


「……マジか?」


「これでも感覚は鋭い方だよ」


 なんとも言えない空気が、四人の間で流れた。


「……ね、狙いは誰なんでしょうか……」


「分からないね。僕達全員か、それとも個人的なものなのか。

 でも僕達全員、って線は低いだろうね。僕ら四人――と、兄さんもいたっけ――五人で行動するのは実質今回が初めてだからね。となると僕らの内の誰かってことになるけど……まさか兄さん僕が知らない間に何か一悶着起こしたんじゃ……」


「いや、あいつはここに来てからずっと俺達と一緒にいたからそれはない……と思う。俺らの学校の誰かが相手なら分からんけど。

 俺的には、紅をお嬢と見抜いた連中による誘拐事件の前兆ではないかと予測するのだが」


「わ、私っ!? ど、どうしうようアキっ!」


「心配すんな。いざとなったらアタシがあんたを守るし、饅頭をばかばか食べて年寄りみたいにちゃー飲んでるあんたを金持ちだと思う奴はいねーよ」


「……後ろの言葉は言わないで欲しかったな……」


「おい和輝。あんた最近引っ越してきたって言ってたよな」


「あ? それがどうした」


「もしかしてあんた、前の町でどっかヤバイ組の連中ボコって目をつけられたりでもしたんじゃ……」


「その線はどっちかと言えばお前の方がたけぇよ」


「んだとこらーっ!」


「け、ケンカはダメ!」


 穏やかなティータイムは、転じて互いの探りあいに変貌。


「くっそーまだヒリヒリする。おい和輝! テメェさすがにあれはねえだろ! ってか俺の饅頭が消えてやがる!? 犯人はお前か春風―!」


『犯人はお前だーっ!』


「ぐふぉっ!」


 で、終いには何故か武谷が元凶にされて殴られる始末。


「ま、まったく現状を理解できないんですが、ぼく」


 助け舟を出す人物は皆無だった。哀れなり、新城武谷。


「おい雄哉、お前感覚鋭いんだろ? つけてきてる奴がどこにいるか分かんねえのか?」


「……君は僕のことを超人か何かと勘違いしてない? そんなエスパーみたいな真似できな」


 雄哉はふと視線を逸らして固まった。口を閉ざし、「見なきゃ良かった」と心底後悔するような顔になる。


「どうやら犯人は、意外に僕らの身近だったみたいだね」


 指差す方向に、一同は揃って目を向けた。


 そこに。


「ひーっ! お助けーっ!」


 情けなく裏声で助けを求めてくる、紅美夏親衛隊隊長・中宮その人だった。

 ついでに言えば、柄の悪いおにーさん達も連れたっての登場である。


 猛烈に嫌な予感がして和輝は溜息をついた。


 どうしてバカはこんなにも厄介事を起こすのが得意なのだろう。


 他人のフリを通そうか、と密かに目配せを交わす和輝と雄哉と明良であるが、ここに来て美夏のお人好し根性が災いし「どうしたんですか?」と中宮を庇っちまいやがった。ああ、これでもう逃れられない。


 ずんずんと大股でこっちに向かってくる計五人の学ランおにーさん達は、傍から見てもかなりご立腹であることが伺える。怒りの根源は言うまでもなく中宮だろうが、その理由は………なんというか、真ん中の一番背のデカイ奴の袖に付着したアイスクリームが、すべてを物語ってくれている。


「おいガキども」


「へ、へいっ!? なんでございましょうか!?」


 いかにも不良ですと言わんばかりの連中にビビッた武谷がいっそ褒めたくなるほど卑屈になる。


「悪いこたぁ言わん。さっさとそいつ俺らに引き渡せんかい」


 青筋をびしびし浮かべて関西弁で語りかけてくる(もちろんドス声)アイスクリーム男。周りの不良も「ああんっ?」とガンを飛ばすのも忘れない。


「……一応聞いておきますが、この人が何かしでかしたんですか?」と雄哉。


「これやっ」


 男が指差すのはもちろん袖にべっとりついたバニラアイス。艶やかな色が皆の涎を誘う……訳はない。


「そのクソガキが俺の学ランにアイスぶちまけよったんや! 紅はんがどうとか生きててよかったわとかまるで太陽のようやとか奇妙な呻き声もあげながら写真撮っとって、寛大にも気色わるぅー思うだけで許したろ思たのに、そこにおったら邪魔やろて文句つけて挙句の果てにアイスべっちょり付けよって! これで堪忍できるか、ああん!?」


 ええ、ごもっともです。


「竜さん、早いとここいつやってしまいやしょうぜ。俺うずうずして待てへんわ」


「竜さんは京都でも一のケンカ男や。あんたら、そいつ庇ったろなんて思わんほうがええで」


「へっへっへ、よー見たらなかなかいい上玉もおるやんけ。ついでに嬢ちゃんらも俺らと行かへん? 退屈させへんで?」


「あーうざ。とりあえずうざったいわお前ら。殴らせんかい」


 じりじりと詰め寄ってくる威圧感たっぷりのお方達。武谷はすっかり腰が抜けている。が、中宮は和輝達がいることをいいことに調子に乗って言い返した。


「で、でででででも俺はちゃんと土下座して謝ったしクリーニング代として財布ごと渡したじゃんか! なあ神代、俺フルボッコにされる謂れなんてないよなっ!?」


 いつもは親の仇みたいに和輝を見る中宮も、この時ばかりは必死なのかしがみついて来たので、和輝は言ってやった。


「どう考えても悪いのお前じゃん」


「う、裏切るのか神代っ!」


「裏切るも何も、俺とお前は友達ですらねえし、ストーカーまがいのことをやらかした奴を助ける気もさらさらねえよ」


「し、仕方なかったんだ! 紅さんの眩しすぎる美貌に俺自身も気づかないままふらふら〜と吸い寄せられ、手にはいつの間にかカメラが。なら撮るしかないじゃないかっ!」


「カメラを持っている時点で計画性を感じるのだが」


「ああそうだよ最初からこれが目当てだったよ! つーかぶっちゃけ宿泊学習での楽しみなんてそれしかないだろ! 京都? はん、なにそれ食えんの? 俺には紅さんのベストアルバムがあればおかずに困んねえんだよぉおおおおおおおおおっ!」


 真性の変態がいた。


「くそっ、どうしてこんなことになった? 試練か? 神の試練なのか? 紅さんの親衛隊隊長を語るならこれぐらい乗り越えて見せろという神の思し召しか!?」


 いいえ、下心に身を任せた報いです。


「紅よ。こんな奴庇うだけ損だと思うぜ?」


「え、えーと……」


 さすがにここまで自分の変態性をアピールされては、美夏としてもどうしていいか分からないらしい。守ってあげたいとは思うけどこの人はちょっと……という感じだろうか。


 和輝は頭をかいた。紅はお人好しすぎる。自分のことを邪な気持ちでつけてきた男を庇うかどうかなんて、迷うことではないだろう。まあ、そこが紅の長所であり、みんなに好かれる点なのだろうけど。


 しゃあない。紅がしないなら、俺がとっとと中宮を引き渡そう。


 ―――と思った矢先、和輝達と不良達のちょうど真ん中に一人の少女が立った。


「もういいだろ」


 春風明良は、柄の悪い男五人の視線を受けてもなお平然として説得にかかった。


 ……忘れていた。こいつもこいつで結構なお人好しだった。


「あん? なんや嬢ちゃん、こんな変態のさいてー野郎を庇おうっちゅうんかい」


「アタシとしても不本意だけど、一応こいつもアタシらのクラスメイトだからな。目の前でボコにされたら後味悪いのよ」


「ほんじゃなにか? 嬢ちゃんが俺ら全員をのしてそいつ助ける言うんかい」


「もっちろん」


 ノォオオオオオオオオオオオオッ! と武谷が恐怖のあまり小さく(不良達の手前であるため)絶叫。中宮は「な、なんという男気…! これからは姉御と呼ばせて下せえ!」とどこか嬉しそう。美夏は「ケンカになっちゃうケンカになっちゃうっ」とあたふたして、雄哉は興味深そうに高みの見物を決め込んでいた。そして、和輝は明良の物言いに溜息をついていた。もちろん、不良のおにーさん達は青筋をぴくぴくと引きつらせていた。


 若干の沈黙を挟んだ後、堂々とした佇まいで言い切る明良が気に食わなかった、竜さんの付き人の一人が一歩前に出た。


「嬢ちゃん、ええ加減にしいや。どういうつもりか知らんけど、嬢ちゃんみたいな女に何が」


 と、そこまで言って、男の動きがカチンとフリーズした。


 なんだなんだ、と仲間の異変に気づいた他の付き人も明良を数秒じっくり凝視して―――凍りついた。


「じ、嬢ちゃん、あんたまさか……!」


「やっと気づいたのかよニブチンども」


 不適に笑う明良を見て震え出す不良達。その脅えようといったら、まるでライオンと同じ檻に入れられた小動物のようであった。


「アキ、もしかしてお前、こいつらと知り合いなのか?」


「ああ、拳で語り合った仲だ」


「………」


「言っとくけど、悪いのはあっちだぞ。去年の修学旅行のとき、美夏がトイレに行ってる間にこいつらがナンパしてきやがってよ。あんまりにもしつこいからぶっ飛ばしてやったんだ。な? アタシ全然悪くないだろ?」


 な? と言われても。


「り、竜さんっ! ここは引きましょうや! この女めっさ強いんすよ! 四人がかりでもまったく歯がたたへん!」


「そ、その通りや! ねえ竜さん、金も貰いましたしそれでどっか遊びに行きましょうぜ」


「うろたえんなお前ら!」


 竜さんの一括に付き人が一斉に震え上がった。

 彼は仲間に一人ずつ気合を入れるように一瞥して、仁王立ちしている明良と対峙した。


「前にもこいつらに聞いたことあるわ。そうけ、お前がウチの仲間をボコってくれたんかい。そりゃあ余計に許すわけにゃいかんな」


 威圧的な視線が上から降りてきた。真ん前に立って分かったが、この男の身長は軽く見積もっても190はあるだろう。体格も明良の二回り以上。

 明良は思わず一歩下がった。それだけのことなら怯える必要はなかったのだが、この男が放つ雰囲気が問題だった。明良には分かる。こいつは三度の飯よりケンカと言っていいぐらいケンカ慣れしている。まともに正面からぶつかったら、もしかしたら―――


「お、おい春風! こいつマジでヤバイって他の連中の比じゃねえよ! さっさと謝ってずらかろうぜ!」


「そう思うんならあんたも手ぇ貸せよ新城兄!」


「無茶言うな! 俺はな、スポーツ以外は見事に何の取り得もない素敵な平凡高校生なんだーっ!」


「この役立たずが! そうだ…おい和輝! あんたちょっと手伝え…って何呑気に饅頭食ってんだよ!」


「え? いやだってまだ一個残ってるし」


「当然のように答えんな! そんなもんよりこっちの方が重要だろうが!」


「お前が出しゃばった結果だろうが。自分のケツぐらい自分で拭きやがれ」


 あっさり見捨てて和輝は最後の一口を味わって噛み締めた。もぐもぐ、とそれこそ擬音でも付きそうなぐらい。


 それを見て竜さんは嘲笑した。


「なーっははははははは! おいおい、なっさけない野郎どもやな! 一人は女の背ぇに隠れて、一人は腰抜かしよって、一人は怯えて微動だにせんで、一人は饅頭食って。ケンカは女に任せて自分は後ろで隠れとくんかい。みっともないのにもほどがあるわ。ほんまカスの集まりやな」


 バシャ


「悪い、手がすべった」


 その場にいる者全員が、唖然とした。ただ一人、竜さんにお茶をぶっかけた和輝を除いて。


 沈黙が舞い降りたのは、わずか数秒。

 それは祭りの前の静けさ。


「何しよるんじゃぁああああああああああああっ!!」


 通行人が揃って視線を寄越すほどの叫びが和輝の体を叩いた。だが和輝は動じず、こう言った。


「神代家家訓。己や友を侮辱した相手が男なら何やってもよし」


「か、神代くん!」


 美夏は中宮のことを放り出して和輝の腕を抱え込んだ。その目は訴える。「ケンカはダメ、暴力はダメ」と。


 和輝は美夏を突き放した。


「……っ!」


「武谷、少し紅を抑えていてくれ」


「お、おうっ」


 気だるげに立ち上がった和輝は、明良の隣に立った。


「自分のケツは、自分で拭かなきゃな」


「神代くんっ。アキっ」


 和輝は答えない。明良も振り返らない。一触即発の空気が漂う中、静かに己の闘気を高めていく。


 その雰囲気を悟ったのか、男達は素早く和輝と明良を囲んだ。すでに目的の中宮など眼中にない。


 和輝と明良は申し合わせたように背中合わせになる。


「……くくっ」


「なんだよいきなり。気持ち悪ぃな」


「いやぁ、ちょっと思い出しちまってな。あんたと初めて会ったときのこと」


「すまん、忌まわしい記憶は忘れるように努めてるからもう覚えてねえ」


「あっそ。んじゃこいつらぶちのめしたら次はあんただな」


「おーこえ。さっさと終わらせて逃げよ」


 そんな軽口を交わしながら、和輝は目の前のボスに意識を集中させた。後ろは気にする必要はない。


「アキ、雑魚は頼んだぞ」


「任せい」


 背後で明良が一歩を踏み出した。それと時を同じくして竜さんも拳を振り上げて襲いかかってくる。和輝はそれを呆然と突っ立って見て、


「おっせ」


 顔面へのストレートをのろりとした動きでかわす。


「おらぁっ!」


 大きな体躯を生かして竜さんは和輝を押さえ込もうとする。その動きを醒めた目で見切る。素早く横にずれ、足をちょこんと突き出すだけで巨体は地面に崩れ落ちた。


「な……っ」


 手のひらで踊らされている。


 竜さんははっきりとそれを感じた。


「ふざけんなボケがぁああああああああああああっっ!!」


 ケンカ慣れしたフットワークで拳と蹴りを放つ竜さんを、しかし和輝はそれらすべてをかわす。無駄な動きは何一つとしてない。その姿は捉えどころのない木の葉を連想させた。


 和輝は汗一つ流さない。


 ケガレ邪鬼よりも小さく、ケガレ蜘蛛よりも手数が少なく、ケガレ石鳥のような俊敏性もない人間相手に、流す汗など存在しない。


「死ねやっ!」


 パシッ


 渾身の一撃は、見る者が哀れに思うほど呆気なく片手で受け止められた。


「う……っ」


「あばよ」


 硬化する竜さんの懐に入り込み、手のひらに氣を発現させる。いつものそれよりもずっと手加減して。


<空衝撃>


 通常の数分の一以下のはずのそれは、フットボール選手が体当たりをくらわせたように竜さんをふっ飛ばした。


 190の巨体はそれきり沈黙した。


「終わったぜ」


「お、そっちもか」


 振り返ると、ちょうど明良も最後の一人を仕留めたところだった。手加減されたのか、大した外傷もなければ気を失っている者もいない。


 和輝は彼らを一瞥して、


「あんたらのリーダー、そこで倒れてるから病院にでも連れて行ってやってくれ」


『は、はぃいいいいいいっ!』


 ニッコリ笑顔から何を感じ取ったのか、明良にボコられた後とは思えないほど機敏な動きで竜さんを抱えて人混みへ消えた。


「つ、強ぇえ……。こいつら何者だよ……」


「ふーん」


 武谷は唖然と、雄哉は興味深げに呟く。中宮に至っては「俺こんな奴にケンカ売ってたのかよ」と己の過去にぶるぶる震えていた。


 そして紅美夏と言えば。


「……………」


 無言。その表情からは様々な感情が読み取れ、逆に本心が探れない。


 驚いているのか、恐怖しているのか、それとも―――


「お、おい、紅? どうした?」


「……なんでも、ないよ?」


「いや、だってお前」


「そろそろ時間もなくなってきたし、次を回りませんか?」


 和輝の言葉を遮り、美夏は皆に囁きかけて歩き出した。武谷と雄哉も紅の雰囲気に戸惑いつつも、手早く勘定を済ませて後を追う。中宮もちゃっかり嬉しそうについて行った。明良は一度和輝と美夏を交互に見て、やれやれ、と肩をすくめて美夏を追いかけた。


 和輝だけが、茶屋の前で突っ立っていた。


「……なんだよ、俺が悪いとでも言うのかよ」


 和輝は、彼女が自分に向けた視線に含まれる感情を知っている。



 失望。



「……なんだってんだよ」


 遅ればせながら、和輝もみんなについて行った。




 その後、美夏は和輝と一度も言葉を交わさなかった。






〜次話予告〜

それまでは普通に接することが出来た。笑顔でいるのが当たり前だった。しかし、ふとしたすれ違いがそれを困難なものとする。微妙な変動を見せた和輝と美夏の物語は、果たしてどのような方向へ進むのか。


感想ほしーっす!

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