第14章:その足が赴くままに
久しぶりに戦闘になります。うまく内容が伝わっているか少し心配。
今回の話は和輝の過去が中心です。これからの物語の大事な伏線になると思います。
どこに行くと言っても、特に行くところなんてなかった。
和輝は無言のまま、意味もなく街を練り歩く。
「平日なのに、俺みたいな年頃の奴結構歩いてんな」
時折独り言を呟く以外は常に無言のまま、平日の朝から出歩くという普段ならめったにない行動に新鮮味を感じつつ、地理を覚えるのにちょうどいいか、と思いながらただひたすらに歩く。
目的地があるはずもない。
ここ1ヶ月弱で覚えた数少ない場所へいつもとは違うルートで適当に向かい、目についたところに寄っては去りを繰り返し、途中空腹を感じてファーストフード店で軽い昼食を取る以外はずっと歩き詰めた。
その間中、和輝はずっと考えていた。
俺はこのままでいいのかと。
昨日。和輝は己の無力さをいやというほど思い知った。
確かに和輝は苦労の末すべての爆弾を確保し被害を最小限に抑えた。幸い怪我人も出なかった。あの時デパートにいた人々にとってはそこで爆破未遂があったとはあまり感じていないはずだ。
だが、それが完璧な処置だったとは思えない。
被害は最小限に収まった。だがそれは問い詰めれば多少なりとも被害があったということ。
幸い怪我人は出なかった。だがそれは文字通り運が良かっただけで、一歩間違えば誰かが怪我をしていたかもしれない。
それでも、結果だけを見ればそれは偉業とも言えることである。もし事件の詳細を知る者がいれば和輝を『英雄』と呼んだかもしれない。
だがあれは和輝一人で行った偉業ではない。
ヒントの解読に時間を削ぎ何も出来ずにいた和輝に答えを示したのは加代だし、何より地下の空洞への道を開けられたのだって、雷雨から授けられた力があったからだ。もしあの時雷神拳を使える状況ではなかったとしたら―――なんて考えるだけでもぞっとする。
和輝は拳を堅く握る。
守りたいものがあった。だから力を求めた。そして力を手に入れた。
そして昨日、守りたいものが目の前にあった。だからそのために鍛えた力を使った。でもそれでは守れなかった。他人から与えられたチカラにすがらなければ、守れなかった。
俺はまだまだ弱い。
もっともっと、強くならないといけない。
和輝の足が止まった。
顔を上げる。
「結局、ここに来ちまうわけか」
吐き捨てる和輝の目の前には、森林が広がっていた。
毎日毎日、飽きもせず鍛錬に訪れる、人気のない修行場へ。
◇◇◇
気がつけば、辺りはもう夕闇に染まりつつあった。
「ハァ…ハァ…」
適当な場所に寝転んで荒い息を繰り返す和輝。汗が染み込んだシャツが地面をぬらす。
そんな彼を取り囲むようにして、傷跡がいくつも存在した。
ある所の地面はえぐれ、ある樹は横倒しになり、ある葉はナイフで一閃したかのように綺麗に割れ、ある岩は無数の小石になるまで破壊しつくされていた。
「……足りねえ」
それでも。それだけのことをしでかしても、和輝は満足しない。
「こんな、こんな地味なことばかりしてても、これ以上強くなることはできない」
和輝は何かを込めるようにして拳を握る。そして地面に叩きつける。拳がめり込む。
その深さは、昨日の拳からちっとも成長していなかった。
「ダメだ。いくら体を鍛えても、いくら氣を集めても、昨日の自分を越えられねえ……」
これが、俺の限界なんだろうか?
「冗談じゃねえ」
吐き捨てて体を起こす。
「今の俺じゃ、ダメなんだ。もっともっと、俺は強くならねえと、いけねーんだ。大切なものを、どこでも、どんなときでも、守り抜けるように」
額の汗を拭い、空を仰ぎ見る。
「……そのためには、俺はもっと経験を積まなきゃいけない」
和輝は自分がどれだけ子供かを自覚していた。
確かに和輝の身体能力は氣の力を抜きにしてもずば抜けている。校内はもちろん、この街全体―――いや日本中を探し回ったとしても、和輝と素手で渡り合えるような人物は限られている。例え柔道のオリンピック選手が相手でも、プロボクサーで頂点を極めた相手でも、ことごとく打ちのめせる実力が和輝にはある。
しかし、『経験』という強さが和輝には極端にない。
当たり前だ。どれだけ強い力を持っていると言っても、和輝はまだ高校生。十五歳だ。生まれてからたった十五年で積み上げられる経験なんて本当に小さなものでしかない。和輝には圧倒的に実戦に対する対処法が欠落していた。
だが、要はそれを補えれば、自分はまだまだ強くなれる。
今よりももっと、多くのものを守れるようになる。
「………」
なんて考えたところで、和輝にはどうにもできなかった。
経験というのは置き換えれば『時間』だ。長い時間の中で、どれだけ多くの修羅場を潜り抜け、その成長を生かせるか―――詰まるところ、時間がないことには経験の積みようもない。しかも和輝の場合、経験を積めるような修羅場がそうめぐってくる立場にはいない。
そう、『今の』自分には。
「………行って、みるか」
和輝は立ち上がった。
夕暮れが終わる前に着くように、足を動かす。
どこへ?
親父のところに。
◇◇◇
神代家がこの町に越してきたのには理由がある。
父親の転勤とか祖父母との共同生活のためとかそういうものではない。そもそも父親は死んでいるし祖父母ともとある事情によりしばらく交流がない。神代家の引っ越しの理由はもっと単純かつ利己的である。
和輝が住み慣れた土地を離れることを強く望んだから。
本当に、本当にただそれだけである。
そうすることで加代はせっかく入学した地元の高校に一年通っただけで転校することになり、実代は仲のよかった友人達と別れることになった。
それでも、誰も文句を言わず引っ越すことを承諾した。
そして、引っ越し先にこの町を選んだことにも理由がある。
和輝としては別段、地元を離れることができればどこでも構わなかった。それでもここに来たのは、和輝の父、神代勝也の眠る墓の近くだからだ。
近いといっても、和輝の家からは二駅ほどの距離がある。
全速力を長時間維持できる和輝であっても、さすがに墓が立ち並ぶ土地に足を踏み入れたのは日が山に消える一歩手前の時刻だった。
和輝の手には、ここへ来る途中に立ち寄って購入した花が握られている。
それを目の前の―――神代家の墓に置こうとして、すでにそこに花が飾られているのに気づいた。よく見れば墓石も綺麗になっている。どうやら最近誰かが墓参りに来たらしい。
思い当たる人物は何人かいるが、わざわざ追求するようなことでもないので思考の外にはじき出し、自分の花も供える。
「掃除は誰かがしちまったみたいだからもうしないぞ、親父」
返事がないことは百も承知。ほとんど独り言のつもりで墓石に向けて言葉を発する。
「久しぶり、だよなあ。最後に来たのは中1の夏だから……もう三年ぐらいになるな。怒ってるか? 悪いな、中2のときはいろいろあったし、三年のときは受験で忙しかったからんな暇なかったんだ。許せ。
まあ、それは置いとくとしてだ。今日はちょいと昔話も込みで相談に来た」
不意に風が吹き和輝の髪をなぶる。それが勝也の抗議の声に思えた和輝は苦笑しながら、
「まあ、そう言うなよ。
……今の俺の愚痴をこぼせる場所なんて、ここぐらいしかねえんだからさ」
和輝は石の前に座り込み、世界が宵闇に染まる中、ぽつぽつと語り始める。
「俺が親父に武術を習い始めたのは……確か小3のときだっけか? 加代姉や実代姉と違って、俺は気も弱いし力もへっぽこだしチビだしの三拍子だったから、加代姉たちが修行して強くなっていく間、俺はそれをぼーっと見てるだけで何もしようとしなかった。
ま、そんな俺だから、いつもいじめられてて、その度に加代姉が俺を助けてくれてた。時には上級生を相手にしても、華奢な体張ってさ。それ見てこのままじゃダメだなって思って、親父に稽古つけ始めてもらったんだよな。
思えば、俺はあの頃から既に、強くなって何がしたいのかって決まってたんだな」
アルバムを一枚一枚めくるように、和輝は喜怒哀楽に満ち溢れた少年時代を思い出しながら表情を緩める。
「いじめた相手をいじめ返そうとは思わなかった。ただ守りたかった。いつも俺を守ってくれてた加代姉を、今度は俺が守りたいって、それだけを思って強くなった。それからは守る対象に実代姉も含まれて、母さんも守りたいと思って―――どんどんと、俺は守りたいものが増えていった。その度に俺は成長した。大切な人をこの手で守りたかったから。
……でも、思いだけじゃ、大切なものは守れなかった」
微笑ましいアルバムのページの隙間から、悪夢のような記憶が姿を現す。
ぎりっと和輝は歯を噛み締める。
「親父が死んでから、がむしゃらに修行した。何度も吐いて、いつも生傷をつけて。家族の間に溝が生まれても、それまでの笑顔を忘れることになっても。俺は、必死に力だけを求めた。
その結果、俺は強くなった。いや、強くなったと思い込んでいた。今の俺なら何でも守れる。そんな慢心が俺の中にあった。
だから、だから俺は―――――――――ッッ!!」
和輝は、思い出す。
忘れかけていた笑顔を取り戻し、久しくなかった他人とのコミュニケーションを再開し、毎日がバカみたいに楽しく、ずっとこの時間が続けばいいと心のそこから思っていた、あの時。
それを根こそぎ奪い去り、生きる価値さえ見失いかけた、あの悪夢。
「―――俺は、絵理奈を守れなかった」
ここ最近、心の中では常に漂いながらも口にすることを拒んできた名前。
思い出すだけで、体中の水分をすべて涙に変えて流しそうになる、ある少女の名前。
「狂ったように修行をした。それまでの鍛錬が遊びに思えるほど、自分の体を限界まで―――いや限界を超えていじめぬいた。
もう、本当に守りたい奴は、この世からいなくなったっていうのにさ」
自虐的に笑って和輝は顔を伏せる。そうしないと、大粒の涙を流してしまいそうだったから。
「そんなときさ、俺に活を入れてくれた人がいたんだ。あと五年もすれば死んじまいそうなじいさんなんだけどよ、俺、その人に言われた。お前はなんのために強くなったんだって。
決まってる。俺は大切な人を―――愛する人を守りたかった。物語の主人公のようにかっこよく、英雄のような強さと慈愛を持って。
でさ、それを言ったら、そのじいさんは言ったんだ」
お前の愛する人は、この世でたった一人なのかいのぉ?
「それ言われてさ、俺、本当にようやく思い出したんだ。俺にはまだやるべきことがあるって。だからこそ俺は今日まで生きてこられた。前みたくバカみたいに楽しい日常をもう一度手に入れることが出来た」
懐かしむ記憶は次第に数を減らし、ついに空白のページに達したアルバムを放置して、和輝は今へと回帰する。
「……でも、さ。今の俺じゃ、この日常を、守れねえんだ……」
和輝は言いながら思った。なんて自分は勝手なんだろうと。
久方ぶりに来た墓参り。それなのに線香をあげることも手を合わせることもなく、ただただ自分の愚痴を聞かせるだけのエゴを続ける。本当に自分のことしか考えていない。
それでも、それを分かっていながらも、和輝は言葉を止められなかった。甘えたかったのだ。神代勝也という男は、父親であると同時に、自分がもっとも尊敬する目標ともいうべき男だったから。
だから、勝手を承知で和輝は尋ねる。
「親父……俺はどうすればいい?」
今まで教師や友に向けてきた曖昧な問いとは違う。曲げようのない純粋な直球。
「俺は、世界を守る正義の味方になった方が、いいのか?」
返事はない。分かっている。神代勝也は死んだ。和輝の“目の前”で死んだ。死人は答えない。それでも和輝は何かを期待していた。あの、奇跡を必然にしてしまえるような、精神的にも肉体的にも一生適わないかもしれないあの親父なら、死してなおも自分に道を示してくれるのではないかと――――そんな『妄想』を抱きながら、その場に佇み続けた。
その時、耳が不気味な音を捉えた。
言葉ではうまく形容できない、けれど聞くものすべてに不快感をあたえるような、そんな音。
和輝は振り返る。
化け物。
通常の何十倍もの大きさを誇る、八本足の節足動物。そいつの口から垂れる粘っこい液。
月光に照らされて、奇怪な巨大蜘蛛は塀の上から獲物を見る目で和輝を見下ろしていた。
「―――――――ッッ!!」
背筋を這い上がる悪寒に和輝の呼吸が一瞬停止したが、腰を抜かすことだけは耐えた。
「こいつは……まさか……」
ケガレ。
神の使いがこの世界に降り立つことになった根源。世界を<狂気>で腐らせる超常を超えた物の怪。でもちょっと待て。ケガレっていうのは鬼の姿をした奴だけじゃないのかよ!
呑気に考える暇を巨大蜘蛛は与えてくれなかった。
その長い足を巧みに動かして和輝を捕縛しようとする。
「チッ!」
慌ててその場から飛び退く。空を裂いた鋭い足は容易く地面をえぐり取る。
迂闊だった。
墓に向けて言葉を送るのに必死になっていたせいで周囲に気を配っていなかった。これだけ膨大な邪気がここまで迫るまで気づけなかったのは完全に和輝のミスだ。
だがそれはこの際どうでもいい。
「くそ。場所が悪いっ」
この場には何十もの家系の墓が所狭しと並んでいる。下手をすればそれに被害が出る。それにここは住宅街の一角だ。いくらケガレの姿形が一般人に視認できなくとも、騒げば確実に野次馬がここら一帯を埋め尽くす。そうなれば被害はもっと深刻になる。
本来、ソウルマスターはケガレとの戦闘の際で“断絶結界”と呼ばれる特殊結界を用いることで一般人の戦いへの参入を阻止し、一時的な戦場を形成する。だが今の和輝にはその結界の作り方すら分からない。
なら、一般人がめったに立ち入ることがなく、戦闘に適した場所へと移動するしかない。
「こっちだ蜘蛛野郎!」
和輝は氣で体を強化し、助走なしの高飛びで二階建ての家の屋根へと着地する。そのまま屋根伝いに走り出す。巨大蜘蛛もそれに続いて屋根を渡ってくる。やはり化け物の狙いは和輝らしい。
「ちくしょうめっ。おかしいと思ってたんだ。なんであんなメモ書きなんて残していきやがったのか。あの電波女、こうなることが分かってたから雷神拳の使用回数なんて教えやがったのか! ならもっと丁寧な説明残してから消えろってのっ!」
悪態をつきながら、この近辺でもっとも有利に立てる場所を探して和輝は走り続けた。
答えを決まられぬわだかまりを抱えたまま。
◇◇◇
必死に走り続けて和輝が辿り着いたのは、今はもう生徒も教師もいなくなった廃校のグラウンドだった。
長い坂の上にあるこの廃校の近くに民家はなく、人が立ち寄る場所もない。完全に人気のない忘れ去られた空間。遮蔽物も特にない。一対一の戦闘にはうってつけと言えた。
和輝は振り返る。
地響きを立てながら巨大蜘蛛が恐ろしいまでのスピードで向かってくる。その目は餌を求めるジャガーのようであった。不快感が全身を突き抜けるが、さすがに鬼ごっこをする間に見慣れてしまったので恐怖は感じない。
接近した巨大蜘蛛は一本の足を上から振り下ろす。
和輝はそれをバックステップでなんなく避け、先手必勝、とばかりに空高く飛翔し頭上を取る。
もらったっ!
確信を持って飛び蹴りを繰り出そうとした和輝だったが、それよりも速く巨大蜘蛛の口から粘着性のある糸が飛び出した。
「いっ!?」
慌てて和輝は空中で体勢を整え回避運動を取る。幸い、蹴りのモーションに入る一歩手前だったのでギリギリでかわせた。
しっかりと衝撃を殺しつつ着地しながら和輝は舌打ちする。
甘すぎた。和輝の己の不注意を呪う。相手はどこからどう見ても蜘蛛だ。蜘蛛が糸を吐くなんて常識的なことだし、ケガレという化け物はその常識の二歩も三歩も先を行く存在なのだ。これぐらいの攻撃は多少考えれば予測できたはずだ。
戦い辛い。
和輝は改めて実感した。
そもそも和輝はこのような化け物を相手にするための修行を積んできたわけではない。和輝の拳はあくまで対人用に磨きぬかれたものである。今までに少なからず培ってきた経験も大半は対人戦闘においてのもの。その経験により確立された『常識』のせいで『非常識』な攻撃に対してうまく対応できないのだ。
そんな和輝の悩みをケガレが知るはずもない。
「うおっ」
複数の足により放たれる打ちおろしの連打。和輝はそれを下がることで回避する。それに伴い平坦なグラウンドに傷跡が生まれていく。中々攻撃に転ずることができない。
こうなったら多少くらうのは覚悟で突っ込んで雷神拳をぶち込むか、と決意を固めていく和輝に、横から薙ぐような不意打ちが襲ってきた。
「くっ!」
既に後ろには木があって下がれなかった。地面を転がって攻撃をかわす。
ジュワ。
まるで炭酸が弾けるような音が背後から聞こえて和輝は思わず目を向けた。
巨大な足が突き刺さった樹木が、硫酸をかけられたがごとく溶けていった。
「な……っ」
マジかよ、と和輝は絶句する。
どうやらあの足には、即効性の毒か何かが塗りつけられているらしい。
洒落にならない。
これでは、ほんの少し掠っただけでもあの木の二の舞である。
和輝は思った。
俺はこれからずっと、あんなのと戦っていくかもしれないのか?
〜次話予告〜
煮え切らないものを抱えたまま始まったケガレとの戦闘。まさに命を懸けた戦いの中で、和輝は何を思い何を感じるのか。
そんなに見せ場な戦いでもないので次話でたぶん終わっちゃうと思います。味気なかったらすいません。