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繋がれた手のぬくもりは

作者: 蒼唯

蒲公英様主催【はつゆき企画】コッソリ参加させていただきました。

 仕事が終わり会社を出ると、夜空からは白い結晶がふわりふわりと舞い降りていた。今年初めての事だ。

 地面はまだ乾いた状態だから、降り始めたばかりだろうか。

 どうりで普段より寒かった訳だ。そういえば、数日前にいつ降ってもおかしくないとも聞いたか。と納得しながら、それでも葉月は今朝の天気予報は何て言ってたっけ? と考える。

 ――ああ、そうか。今朝は寝坊してしまって聞いてなかったんだ。

 慌てていつも通りの服装で家を出る時に天気を気にしたけれど、鞄には常に折り畳みの傘を入れているから雨等が降ってもそれで充分だろう。それに、今から確認をしても着替えている時間なんて無い。

 そう思って、そのまま出てしまった。


 こんな日はいくらロングブーツを履いていても、膝丈のスカートでは寒さの度合いは違う。足の爪先も冷たい。

 傘は差す程でもないから、手袋を嵌めて、はぁっと白い息を吐いた。マフラーに顔を埋めるようにして、駅への道のりを足早に歩き始める。


 社会人になって二十歳から一人暮らしを始めて約7年。ずっと、同じ家路。

 その場所から離れられずにいた。

 自分勝手な期待を抱いていたせいで。


 今日、今朝視た夢が脳裏に浮かび、仕事中にも関わらず何度も思い出しては手が止まる……その繰り返しだった。

 そして、今も頭にあるのはその内容。


 彼の腕の中、至極幸せそうな自分がいた。彼もまた優しく微笑んでくれていた。

 会話は無かったような気がしたけれど、そんな物が無くても充分に気持ちが通じ合っているようだった。

 ずっと視ていたかった夢。

 ――あの頃にも、そんな時はあった。あったのに……。


 あの人は今どうしているのだろう? 元気にしているのか? 一時だけでも帰国しているのか? 新しい恋人もいて、結婚をしているのだろうか?


 関係がないのに様々な事が気になっていた。


 今住んでいる場所から離れられない理由は、再び逢いに来てくれるのでは無いかと言う期待。

 忘れられないのは、今でも彼が好きだから。なのに、彼の手を離したのは自分自身。

 今更何を言おうとも、彼に逢いたいとどんなに願っても、そんな事は叶わない。


 ――四年前。

 クリスマス間近のあの日も寒くて、ホワイトクリスマスになるかもしれない。と言われていた。


 当時付き合っていた二歳上の恋人の克己が、イルミネーションが見える人気のあるレストランに「クリスマス当日に予約出来なくてゴメン」と謝りながら連れて来てくれた。

 当日では無くても凄く嬉しいと伝えると、克己も嬉しそうに笑ってくれた。


 楽しく会話をしながら食事をして――食事が終わる頃に「実は……」と克己が話始めた。

 克己は建築関係の仕事をしており、仕事仲間からの誘いで翌年の春頃から海外に拠点を置く事にしたと。その際、葉月も一緒に来て欲しいと言われプロポーズをされたのだが、もう少し考えさせて欲しいと返事をしてしまった。


 本当は嬉しかった。でも、当時、仕事も楽しくて辞める事は考えられなかった葉月は、一月以上も悩みながら別れを選んだ。好きなのに待つ事にも自信が無くて、逢いに行くのには遠すぎた。あとは、何の相談も無しに勝手に決めた克己にも腹が立っていたのかもしれない。でも――例え相談をされたとしても、違う答えを出していたとも限らないけれど……。

 その時の克己の寂しげに微笑んだ顔が今でも忘れられない。

 葉月もまた、克己に別れを告げた帰りには家まで我慢出来ず、俯いて涙を流しながら歩いた。


 それでも、あの時はこの先後悔なんかしないと思っていたのに、今ではどうだろう?

 あんなに楽しかった仕事も徐々につまらなく感じ……もし、ついて行っていたらどうなっていただろう。知らない土地、言葉が通じない国でも彼と楽しく過ごせていただろうか?

 勝手なもので、そんな事ばかり思ってしまうようになっていた。


 ――克己との出会いは、七年前一人暮らしを始めたばかりの春先。

 朝、いつも立ち寄るカフェでの事。

 たまたま満席で、モーニングセットのトレーを持ったまま困っていた葉月に「もう出るから、どうぞ」と声をかけてくれたのが克己だった。

 翌日も会う事が出来、礼を言って……それから、挨拶や他愛ない話をする仲に。

 そして――優しい克己に次第に惹かれていった。


 今更後悔なんてしてはいけないのに。

 思い出しては人肌恋しい夜を迎える日々を過ごし、寂しくて寂しくて仕方が無かった。こんな寒い季節には特に。

 でも、新たな恋をする気もおきず、今日まで一人でいた。

 それも、もう――…。


 そんな事を考えながら冷たく白い花がゆったりと舞う中、クリスマスに向けて彩られた街を歩き続け、あっという間に駅に着いた。


 人気の少ない後部車両に当たる位置で電車を待っている間、鞄から携帯電話を取り出して、ある名前を表示させ――少しの躊躇いの後、消去した。


 何度も思ったけれど……もう、今度こそこれで終わりにさせよう。

 自分の気持ちも何もかもを。


 そう新たな決意を胸に携帯電話を握り締めて、前を向こうとした。

 ――なのに、目頭が熱くなり視界がぼやけ、髪で顔を隠すように下を向いてしまう。


 今、決めたばかりなのに、馬鹿だ。

 泣くな泣くなと言い聞かせ、何よりも泣く資格なんて自分には無いのに、足元には雫が落ちた。

 鼻を啜りながら涙を拭い、必死に止めようとしているのに次々と零れ、肩が震えてしまう。



「高橋っ」


 どの位そうしていたのか。たった数分間だとは思うけれど、聞き覚えのある声で呼ばれ反射的に顔を上げると息を切らせた同期の敷島史弥しきしまふみやが立っていた。

 視線が合うと敷島の眉間に皺が寄る。


「な、なにしてるのよっ?」


 敷島が何故そんな表情をしたのか考える余裕も無く、慌てて視線を外して目元を拭いながら訊ねた。


「何って…帰ろうとしたんだけど、ちょっと用事があって…。高橋は?」


 葉月はそのまま敷島の顔を見ずに、なるべく平静を装いながら口を開く。


「そう、なんだ。私は、帰る所」

「――そっか。……それにしても、寒いなぁ。天気予報通りだったな」

「そうだね…」

「…もし積もったら明日大変そうだな」

「そうだね…」


 敷島は特に何も気にしていない様な口調だったのに、葉月は泣き顔を見られた事で、ずっと顔が上げられず俯いて微妙な受け答えをしてしまった。おかげで会話は途切れ、暫くの沈黙の後電車がホームに入って来た。


 二人で電車に乗り込み、再びの沈黙の中、葉月は外を眺めていると、やっと降りる駅に着き歩を進める。そして、敷島も降りて葉月の後についてくるものだから、ふいに訊ねてみた。


「…用事って、此処?」

「ああ。そうらしいな」


 そう言われて手を取られ歩き出された。


「えっ? ち、ちょっと、え?」


 敷島の行動に驚きながら、引きずられるように歩くと、どうやら乗り越し清算をするらしい。

 一旦手を離されて「ちょっと待ってろ」と言って、定期と財布を取り出して清算をし始めた。


 それを見つめながら葉月は、何故か敷島の言葉に従う。

 敷島は、そんな葉月に笑顔を見せて「行こうか」そう言って再び手を取るが――今度は手袋を外されて直接手を繋がれた。


「なにしてんの!? 手袋返してよ!」

「この方が温かいだろ? 高橋って手もちっちゃいなー」

「セクハラ!」

「ははは」


 言葉の意味と行動が理解出来ず焦りながら抗議する葉月を他所に、敷島は笑顔を崩さずに手を強く握り改札に向かう。

 その手は大きくて、葉月の手はすっぽりと包まれ…敷島の言うように確かに手袋よりも遥かに温かく感じて――振りほどかなくてはいけないのに、振りほどけずに敷島の顔を見上げていた。


「なんだ?」

「…離してよ。定期が出せないし、こんな所誰かに見られたら……」


 そう言うと離しては貰えたが、改札を出たと同時に手を取られてしまった。


「私の言った事聞いてた!? 離して! 何なの!?」

「俺は見られても構わないし。それは聞けない。高橋のあんな姿を見たら…」


 心配そうな表情に変わり、そっと目元を親指の腹で優しく撫でられ身体を硬直させた。そんな葉月を見て、敷島は直ぐに指を離す。


「悪い」

「…敷島くんには、関係無い、じゃない」

「…――まぁ、そうだな。でも、そういう事だから送る。勿論変な事はしない。そういえば、飯は? 食ってないなら一緒に食いに行くか?」

「なんでそうなるのよ!? 意味わかんない! 一人で帰るってば!」

「一人は駄目だ。俺が此処で降りた意味が無くなるだろ? ――で、どっち行けば良いんだ? バスか?」

「何でよっ? 勝手に来たのはそっちでしょう? タクシーで帰るから良いってば! 離してっ」

「かなり並んでるぞ?」

「待つから良い」

「歩いて帰れる距離なら今から歩いた方が早いだろ? ほら、行くぞ」

「いや、だから一人で」

「あはは、高橋って意外と頑固だよな。――良いから、つべこべ言わず送られろ。それに、こんな事やってる時間の方が勿体無いと思わないか?」


 笑いながら掴んだ手を急かすように軽く揺すられて、手を離そうと思い切り振っても敷島の握る手の力が強くなるだけで全く離れない。


 確かに敷島の言葉通り、早く帰りたいからこの時間の方が勿体無い。

 でも、一人で帰れる。

 そう何度言っても、駄目だ。の一点張りで頑なに離そうとしない敷島に呆れて――あとは人目も気になり出して、結局、葉月が折れて渋々歩き出す事になった。


「最初からこうすりゃ良かったのに」


 そう言う敷島を横目で軽く睨んでからマフラーに顔を埋めるようにして歩く。


 それにしても…人の事言えないじゃない!

 こんなに強引な一面もあったなんて知らなかったから、内心で悪態を吐いていた。


「高橋こっち来て」

「? って、何でこっちも外すの!? セクハラ男っ」


 葉月を車道とは反対側に移動させて、片方の手袋も外されてしまった。


「まぁまぁ」

「まぁまぁ、じゃなくてっ、手袋!」

「後でちゃんと返すよ」

「今返してよ」

「駄目」

「何でよ?」

「駄目なものは駄目」


 毒づいても歯を見せて笑う敷島の考えが読めず、子供じみたこのやり取りもまた面倒臭く感じ、溜め息を吐きながらコートのポケットに空いた手を入れて再び歩く。


 ――ほんと訳わかんない。


 それからは特に何を話すでもなく、ただ歩いているだけなのに先程とは違い葉月の心は不思議と落ち着いていた。

 恋人でもない、ただの同僚と手を繋いで――と言っても敷島が一方的に握っているだけだが――歩いているなんて、あり得ない事なのに。

 嫌悪感も全く無く、寧ろ――…。

 そこで葉月はハッとして、自分に呆れてしまっていた。

 ――いくら寂しいからってこんな……。


 一定の距離を保ちながら少し先を歩く敷島の顔をチラリと見上げると、その視線に気付いた敷島と眼が合う。

 けれど、見た事も無い――あまりにも優しい瞳だったから、葉月は思わず視線を逸らしてしまった。


 ――敷島は葉月と同じ高卒で入社した男だ。

 見た目は人懐っこそうで、営業向きの顔。いざ話してみたり誰かと話をしているのを見ていると、確かにその通り誰とでも仲良くなれるタイプで、部署も営業部に配属された。

 部署違いの葉月にも気さくに声をかけてくる。――それは、同期のよしみだろうと葉月はずっとそう思っていた。

 でも、こんな風に二人きりでいた事は無いから、余計に不思議な気分だった。


 握られている方の手のコートの袖口から少しだけ覗いていた親指辺りに、結晶が落ちてはすぐに溶けて滴になる。冷たさは全く感じない。気付けば寒さも――掌から全身が温かくなるような……。



「…ありがとう」

「良かった」

「え?」

「いや。じゃあ、また明日な。お疲れー」

「あの、待って」

「ん?」

「何で、こんな事を? それに、か、彼女さんとかに……」

「何で、ねぇ……、そのうちわかるんじゃないか? もう遠慮しねーから。つーか、彼女なんていないし。そんな事よりも、早く部屋に入れ。ちゃんと鍵締めろよ? じゃあな」

「え、あ……」


 結局、十五分程歩いて葉月の住むアパートの部屋の前まで送って貰ってしまった。

 礼と訊ねたかった事を口に出したけれど、微笑みながら答えられた。しかし、葉月には意味が理解できなかったから、再び訊ねようとしたのだが、敷島は聞かずに手を挙げて来た道を戻って行った。


「そういえば、手袋……」


 敷島に外された手袋がそのまま彼のコートのポケットにあるのを思い出し、小さく呟いて……白い結晶の花がふわりふわりと舞う中、街灯に照らされた夜道を歩く広い背中を見つめる。

 そして、離れても尚、敷島に握られていた手の温もりは消えず――無意識に胸の前でその手を包むように握りしめていた。




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