俺の仇は俺が討つ!! ~フイファン編~
「……はっ……はっ……!」
不規則な息をまき散らしながら、猛スピードで男は夜闇の中を疾駆する。涎が横に流れていきながらも、頬を拭う余裕などなかった。
追い立ててくる狼の群れ如き執拗さで追い立ててくる、悪魔のような追手に捕まってしまえば、男の命など一瞬の後に塵芥と化すだろう。
学園でも指折りの実力者である筈の男――アリアス。
彼の顔は、深淵なる恐怖に歪められていた。あまりにも敵は強大で、立ち向かうにはあまりにアリアスの力は矮小過ぎる。
「……くそっ……なんで……見つかったんだ……くそっ……みんな、やられた……」
念密に計画を立てて、この学園からの脱走を徒党を組んで試みた。絶対にこのメンバーならば、この集団脱走計画は成功を収めたはずだった。それなのに、自分を除いて全ての仲間が捕獲された。その後の末路は想像を広げるまでもない。
断末魔が耳の奥にまでこびりついている。
ずっとこの学園で苦楽を共にした友人を見捨ててしまったのだ。後悔に胸がひしゃげそうになるが、今は自分の命が何より優先される。瞳からボロボロと涙が毀れては、地面へと落ちていく。
(行き止まりだ!!)
眼前に壁が迫る。だが、この程度の厚さならば、アリアスの操術の前ならば、紙の楯に等しい。
掌に炎を収束させて球体を創ると、それをそのまま投擲する。威力が分散されることなく、衝撃がダイレクトに伝わる。ガラガラと音を立てて、壁が崩落し始める。あとは、壁全体を炎上させるような炎を出せば、もう少しで外の世界を拝め――
「あまり、手間をかけさせないでくれますか?」
ぞわりと、心臓が鷲掴みにされたような感覚に陥る。弾かれたように後方を振り返るが、そこには誰もいない。左右どこにも、相手の姿が視認できない。
ならば――と、上空を見上げると、そこにはどういう原理なのか、中空で佇んでいる女がいた。あまりにも優雅に、ダンスパーティーでもこれから出掛けるような格好と、高貴さが滲み出てくるような佇まいをしている。
「兎の狩り如きに、汗を掻くというのはあまりに美しくありませんので」
「なっ、『蟲姫』!? ……ということは、まさか――」
「そうだね。追いかけっこではしゃげるほど、ボクらは子どもじゃない。だからこそ、ここからは血なまぐさい戦いになってしまうのが辛いな」
『昏鐘鳴の悪魔』
あまりにも戦闘能力が高いが故に、孤高であることを義務付けられた最強。『隷属』なしにも関わらず、敗北という二文字を味わったことなどない。全ては謎に包まれていて、性別すら判別できないような容姿をしている。
色素というものが欠落した髪の色をしていて、その瞳はどす黒い感情が渦巻いている。
狂気に満ちたその悪魔の名前は、リー・フイファン。
蟲を自在に操ることができる『蟲姫』と、時折行動を共にしている。常勝無敗とまで言われ、天才とまで囁かれている『蟲姫』の名ですら、フイファンの前では遠く霞む。とてもアリアスが太刀打ちできるような相手ではない。
「遺言を考える時間すら与えません」
無数の蟲が闇から噴水のように湧いてくる。そのどれもが独立した意志を持って、獲物を相手取る。その攻撃の数はまさに無限大。防ぐことは誰にもできない。しかも、フイファンまで参戦してくるとなると、戦況は絶望的だ。
だが、そのフイファンが『蟲姫』を嗜めるようにして、手を横に広げる。と、そのまま前へと一歩踏み出して、アリアスと相対する。
「相手が炎なら、君は相性が最悪だよ。この相手はボクが独りでやるよ」
「それは……」
「いいじゃないか。このぐらいボクにだってやらせてくれないと、退屈でしかたないからね」
あまりやる気を感じさせないような足取りで、こちらに向かってくる。それを見て、不審に思う。本当に相手はあの悪魔なのだろうかと。
あまりに殺気がなさ過ぎる。『蟲姫』の方が強大過ぎて、足が竦むほどだというのに、こっちは散歩でもするかのように軽い。脅威となるようなオーラというものが、体から発せられていない。本調子でないのなら、こちらにも分がある。
しかも相手方はこっちを完全に舐めてかかってきている。だったら、その余裕こそが、こちらの勝利への道となる。しかも、アリアスは無駄に血を流さなくてもいい。この学園の敷地外へと飛び出せば、外の協力者が手をさし伸ばしてくる。
だから、適当に戦った後は、逃げた方がいい。こんな化け物たちとわざわざ手合わせして、命を危険に曝すことなどしなくていい。
「うおおおおおおおおお!」
腹の底から声を出すと、口内から竜のように火炎を放射する。空気が焦げるような音が響くと、フイファンが身体ごと呑み込まれる。やはり、油断していたようだった。これで致命傷とまではいかないまでも、足止め程度にはなる。
『蟲姫』も、フイファンを信奉しているようだし、突然フイファンが攻撃を受けて少なからず動揺して、すぐに攻撃の一手を出せるわけがない。ともかくこれで、こんな身の毛もよだつような学園からはおさらばだ。
「ごめんね。外に逃がすわけにはいかないんだ」
瞬間移動でもしたかのように、踵を返したアリアスに先回りをしていたフイファン。アリアスが驚愕を孕んだ瞳をしながら、状況の整理をする前に、フイファンは拳打を叩きこんでいた。
ポタリ、と汗が噴き出て、それが落ちる前よりも先に、フイファンの拳は、アリアスの胸を深く突き刺さる。悲哀に満ちたフイファンとは裏腹に、皮を突き破らんばかりに受けた殴打に、アリアスは顔を苦痛で崩しながら吹き飛ばされる。
人身事故のように地面に転がると、ガクガクと膝をさせながらも立ち上がろうとする。だが、力が入らない。足だけでなく、全身が。たったの一撃だけで、しかも操術といった力を一切使わずに、ただの拳だけでこの様だった。
アリアスが入学してから、あらやる試練を乗り越えたつもりだった。いかなる地獄をも踏破し、力をつけてきたつもりだった。だが、こんなことで、こんなところで、倒れ伏しているのが全く理解できない。
「一撃でノックダウンなんて、拍子抜けですわね。本当にこんなのが、一年で有望株だったアリアスなのですか?」
「僕らも一年前まではこうだったんじゃないのかな」
「冗談ですわよね。一年生にして、ほとんどの上級生をその手で倒してきたあなたが? この程度? 一蹴するのも面倒ですわ」
強すぎる。
理不尽過ぎるほどの力を持っているフイファンを、あまりにも甘く見過ぎていた。例え可能性がゼロだったとしても、命乞いから始めるべきだった。
フイファンはどういうわけか無傷だった。炎の中でいったいどんなことをしたのかさえ、自分には視認することができなかった。
「――ボクのことは恨んでいいからね」
そして、フイファンの無慈悲な一撃が地面を割った。
アリアスの血がゆっくりと流れ、そしてそれが停止するまで、そう長い時間はかからなかった。
すげー、衝動的に執筆したくて投稿しました。
だいたい一時間弱で、ぱぱっと適当に書きました。
いつものことながら、誤字脱字あったらすいません。
ただ、本編の続きを頭の中で考えていたら、
続編よりも、フイファン視点の過去編の方が面白くね? ということに気が付いてしまい、どうしようかと頭を悩ませています。