表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血罪エスペランザ  作者: 鈴木一郎
序章.旅立ちの時
7/9

5.天上の誘い

     5.


 夕暮が世界を赤く染め上げている。

 迷宮都市ヴェスペリアの中央通り――朝方には多くの人が露店を巡っていたものだが、夕飯の時間帯になれば閑散としており、閉店の準備をしている者もちらほらと見える。

 酒場や飯屋、宿屋などは反対にこれからが商売の時間だ。"今日のおすすめメニュー"が書かれた紙を店頭の看板に貼りつけ、仕事帰りの着かれた人々に声を掛けて回っている。次第に夜になれば一気に人が増え、ここらは賑わい始めるのだろう。昼と夜の中間だけ中央通りは静かなものだった。

 中央通りの先には領主であるジュオ・フェズ・ヴェスペリアの屋敷がある。朝日に照らされて咲き誇っていた庭園の花々も夕陽に照らされれば何処か物憂げに見えるものだ。暖かな風に揺られ、湿気た空気に満たされた其処はまるで現実と乖離しているかのよう。

 とは言え、現実である事に変わりはない。

 迷宮の入り口で倒れていたサリエルとクオーツが慌しい音を立てて馬車から搬送され、屋敷内にいる医者の下へと運ばれた。 

 其処は真っ白なベッドが幾つか並べられた部屋。

 一つ一つのベッドにはゆとりのあるスペースが設けられ、夕陽の光を和らげるように窓には薄手のカーテンが掛けられ、風に揺られていた。


「――ぐ、うう……」


 呻き声を上げて身動ぎしたのはサリエルだ。

 汚れた装備を剥ぎ取られ、パンツ一枚でベッドに横たわっていた。

 その隣にはサリエルに白く発光する手を翳している老人がいる。

 "治癒"と呼ばれる奇跡。才能を前提とし、弛まぬ努力を達成できた者のみが使えるようになるものだ。他にも多くの奇跡によく似たものがあるが、一般的に"魔法"と一括りにされて呼ばれる事が多い。その中でもこれは神官などの神に仕える者が好んで習得しようとするものだ。

 光に当てられた傷は見る見るうちに癒えていき、サリエルの苦悶の表情も和らぎ、だんだんと目を開いていく。

 目が覚めた最初は焦点こそ合わなかったが、すぐに身を起こし、何かを探すように首を動かす。

 此処は何処だ。今の時間は。何故裸になっている。目の前の男は何だ。

 様々な疑問が頭に浮かぶ中、サリエルが真っ先に放った言葉はこれだった。


「――あいつは?」

「お嬢ちゃんの事か? 安心しな。あんさんよりも先に処置しちまったよ。可愛い女の子は世界の宝じゃからのお」


 男は夕暮に照らされる禿頭を撫でながら隣のベッドとの敷居になっているカーテンを開いた。

 其処にいるのはすやすやと眠る、時折犬耳をぴくりと動かすクオーツである。

 サリエルはほっと胸を撫で下ろした。


「お前は?」

「お前ってのは酷いのお。儂は一応あんさんの恩人になるんじゃぜ? 少しくらいは敬意を持ってくれてもいいと思うじゃがのお」

「――五月蠅い爺」


 呵呵と笑う老人は「生意気なのは元気な証拠じゃ」とサリエルの頭を叩くと部屋から出て行こうとするが、扉の前で思い出したように振り返った。


「あんさんら、もう怪我は大丈夫なはずじゃぜ。何せ儂の神の手に触れたんじゃからな!」

「――ありがとう」

「なあに、礼ならそこのお嬢ちゃんに言ってくれ。気絶してるおかげでおっぱい揉み放題じゃったからのお」


 サリエルは傍らに置かれていた大鎌を無言で手に取ると、老人は再び呵呵と笑った。


「冗談じゃ」


 舌を出して老人は言うが、あまりの似合わなさにサリエルは毒気を抜かれた。


「さて、戯言はここまでにしておいて、だ。おぬしらの荷物を見たところ、魔石を複数所持しておったそうじゃな? 領主様は甚く感心されていてのぉ。是非労を労いたいとのことじゃ。今は領主様は執務室におるだろう。連れだって行ってくるがいい」

「――それは構わないが、あの二人は?」

「あの二人……。エルフの娘と糞生意気な餓鬼の事かの?」

「ああ、たぶんそれだ」

「殆ど無傷じゃったし、魔石もなかったからの。今頃墓所へ戻されているのではないか?」


 リビエラはハンナは魔石を手に入れてなかったらしい。知っていればクオーツの魔石を分けていてもらったものの、酷く損をした気分になる。


「ではさっさと二人で領主様のところへ行くのじゃな」

「こいつは寝てるんだが……」

「こんな昔話を知っておるかな? 眠り姫は王子様のキスで目覚めるんじゃ」


 ほっほっほ、とからからと笑いながら老人は部屋から出て行った。

 だが、問題があった。からかうにしても相手を間違えたのだ。


「キスって何だろう……」


 サリエルは疑問符を浮かべつつもクオーツの肩を揺らして起こそうとするがなかなか起きない。寝返りを打ち、気持ちよさそうにむにゃむにゃと寝言を言っている。

 何となく。本当に何となくだが、能天気な寝顔を晒すクオーツを見ているとたまらなく腹が立った。布団を剥ぎ取り、下着だけの姿のクオーツを確認した後、尻尾を思い切り引っ張った。


「にぎゃあ! んあ!? なに! だれ! なに! えっ!?」


 ふさふさとしている毛の尻尾はびくんと逆立ち、クオーツが飛び起きた。

 飛び起き方はなかなか特殊なもので、鍛え抜かれた俊敏性を用いて跳ね起き、サリエルの胴体にがっしと抱きついたのだ。手と足を交差させた大胆な抱きつき方である。

 問題は鍛え抜かれた力で抱きしめられたサリエルの華奢な身体は悲鳴を上げ、背骨から残念な音が聞こえてくるくらいだろうか。


「言い忘れとった。着替えはベッドの下に置いてある――何をやってるんじゃ?」


 場が収まるまで数分掛かった。

 二人とも領主側に洗濯されていた服に着替えた後、領主の執務室へと向かっている最中だ。

 廊下はとても広く、人が五人並んで歩けるほど。ところどころに質の良い調度品が置かれ、暖色の壁は落ち着きを与えてくれる――筈なのだが、サリエルの前を歩くクオーツは尻尾をぴんと逆立ててぷりぷりと怒っていた。


「レディの尻尾を触るなんて最低だよ? 本当僕じゃなかったら、下手をすれば殴られるところだったんだから! まあ他の人狼なんて見たことないけどさ! たぶんそうだよ! そうに違いないはず! だよね!? あの時はお尻も撫でるしさあ……」

「――ごめん」


 泡を吹くほど胴体を締め付けるという拷問をサリエルに与えたにも関わらず怒りはまだ醒めていないようだ。

 サリエルも自分が悪かったと自覚しているせいか平謝りしている。お尻の件は身の覚えの無い事だが、これも場に流されて謝るしかない。

 過去から現在まで人に謝るという経験を殆どした事のないサリエルにとってはこの謝罪は人生初に近いのだが、クオーツが知る由もなく、怒る彼女を宥め続けている間に気付けば執務室に着いていた。

 執務室には分り易く領主の名である"ジュオ"が書かれている。おそらくは家紋だろう。大きな盾が刻まれたレリーフが名前の下に掛けられていた。


「失礼します」


 クオーツが扉をノックし、返事があった後に入る。サリエルもその後に続いた。

 斜陽に照らされる領主の執務室は如何にも生真面目な人間が好みそうなものだった。

 難しそうな題名の書籍で埋め尽くされた棚。見れば哲学書の類のものが多く、生き方について悩んでいる事が窺い知れる。そして、残るは窓際に置かれた執務机とその上に置かれた積もるような書類くらいか。

 白髪の男は椅子に深く腰掛け、目頭を揉むようにして溜め息を漏らしていた。朝、エントランスで語っていた姿とは似ても似つかない。

 痩せた顔。青白い肌。油で貼り付けたオールバックの髪。全てが絡み合った結果、鼠のような印象を相手に与える。ジュオは高い立場に立つ男にしては妙に狡そうに見えた。


「ああ……よく来てくれた。申し訳ないが少し待っていてくれたまえ」


 ジュオは全く言葉とは裏腹に全く申し訳なさそうな顔をせずに机の上に置かれていた眼鏡を掛けると再び執務を開始する。

 終わったのは窓から光が入って来なくなり、部屋の電灯を付けた時だ。少し、と形容するには聊か長すぎる時間である。


「さて、達成できた者は二人か。まだ挑戦していない者も道中で果てた者もいる中で見事だ。褒美は何が良い?」


 今すぐ休みたい、とジュオの雰囲気は語っている。

 早々に話を切り上げたいようだ。


「解放してほしい奴隷がいます。霊園で働くリビエラという名のエルフです」

「その所有権を欲しいという事か?」


 ジュオの眦がぴくりと反応する。

 珍しい欲望に好奇心が刺激されたのだろうか。


「いえ、解放です」

「変わり者だな。自分の物にするのも思いのままだと言うに……飽きた後に解放すればよかろう?」

「飽きるとか飽きないとか、あまり興味ないんです」


 奴隷とはいえ、顔見知りを物扱いされるのは気分が良い事ではない。

 言葉に含まれた温度はだんだんと冷えていく。

 サリエルの隣にいたクオーツも少々顰めっ面になっていた。


「わかった。では次に――そこな人狼族よ。何が欲しい?」


 幸か不幸か、クオーツは褒美を貰えるとなれば喜んでしまう性格だ。

 表情に出さないようにしている努力は見て取れるが、それ以上に元気な尻尾は大事なものを隠せていない。 尻尾は激しく振られ、喜びを表現していた。

 横目でサリエルの事を見ればすぐに萎えてしまうが。あまり表情の動かないサリエルだが、出会って間もないクオーツですらわかるくらいに不機嫌になっているのだから。

 尻尾は止まり、冷静になる。


「えーと、何が貰えるのか教えて頂けますか?」

「金か、武具か、奴隷か、もしくは魔道具か……。とは言え、あまりに高価な物はやれんが。欲しければ騎士団で実績を出すがよい」

「そうだね。じゃあ奴隷を解放してもらえますか?」


 サリエルの無表情が崩れた。


「サリーは奴隷なんでしょ? 奴隷っていうのが何かはよくわからないけど、解放されたがってるくらいだから良くない事なんだよね?」


 これだけで察する事が出来た。

 サリエルは信じられないものを見るようにクオーツを見つめ、わなわなと震えている。


「ふ、ふはは! 今回の合格者は面白い人物ばかりだ。安心するがいい。そこな奴隷は既に解放されて自由身分になっておる」

「じゃあお金下さい。宝物とか武具とか、魔道具とか……よくわかんないんで」

「わかった。後に届けさせよう。今宵はゆるりと休むがよい」


 白髪を撫でつけると早々に話を打ち切り、指を鳴らす。

 すると執務室の外から給仕の女の声が掛り、サリエルとクオーツを手招きして寝屋へと案内する。

 連れて行かれた場所は領主の屋敷でも端の方だろうか。ベッドが二つ置かれた簡素な部屋。客人を迎え入れる為だけのものなのだろうが、きっちりと掃除はされているようで、奴隷生活の長かったサリエルと山暮らしと野宿に慣れているクオーツからすれば十分に満ち足りた場所だった。


「どうぞ、ごゆっくり。お夜食をお持ちしますので少々お持ちください」


 そう言って給仕の女が出ていった時、サリエルはベッドに腰掛け、クオーツは地べたに座り込んでふうと息を吐き、おぼつかない空気である。


「ねえ――」

「あの――」


 声を掛けたのは同時で、二人とも目を瞬かせる。

 そちらからどうぞ、と手を差し出すのも同時で、噴出した。

 先ほどまで慣れない迷宮に潜り、初めて領主と言葉を交わして緊張していたのだ。こんな些細な事でも、一度笑ってしまえば身体は解れてしまうもの。

 言葉は自然に流れ出る。


「これからどうするんだ?」


 クオーツは少し考えるように口を噤むと、うん、と頷いてサリエルを目で捉えた。


「――その前に、聞きたい事があるんだけど」


 戸を叩く乾いた音。どうぞ、と言えば「失礼する」と尊大な態度で入ってきたのだから。

 先ほど出て行った給仕の女。彼女が夜食を持ってきたのかと思えば、入ってきたのは見た事もない女と見覚えある男だった。

 男の方はと言えばサリエルを迷宮に誘った張本人である。しかも朝に会ったばかりとなれば忘れる筈もない。だが、女に関しては全く知らないが、おそらくは女の方が職位は上なのだろう。何せ男を従えて部屋に入ってきたのだから。 


「自己紹介が遅れたな。私の名はルイセ・ルーブルストック、こいつはカーマイン・シェルだ。そなたらには階位など関係ないだろう。好きに呼ぶがよい。して、用があったのは他でもない。サリエル殿に聞きたい事があってな。疲れているところ悪いが、付き合ってもらおうと思ってな。さて、話す時間はあるかな?」


 はあ、とサリエルはベッドに腰掛けたまま覇気なく答えた。 


「僕は出て行った方がいい?」


 クオーツはルイセと名乗る女に確認したが、女は首を振る。


「よければ一緒に聞いてほしいところなのだが。そなたにとっても悪い話ではないぞ」


 ルイセの後ろで立っていたカーマインが扉を閉めて部屋に入ると、部屋の片隅にある椅子を主の腰元に置き、座るよう促した。

 腰掛け、足を組み、腕も組む。人を見下したような態度だ。しかし、尊大な物言いや図々しい態度とは裏腹に背丈は部屋の誰よりも低い。それなのに似合うのだから妙なものだった。

 付き従う男もそこにいるのが当たり前のように椅子に座るルイセの背後に姿勢よく立ち、じっと場を静観している。


「さて、本題に入らせてもらってよいか?」


 こほんと咳払いをすれば壁に凭れてだらしなく座り込んでいたクオーツの背がちょっとだけ伸びた。本当に少しだけ。

 どうぞ、とサリエルが言えばルイセはにっこりと笑う。潤んだ翡翠の目が可愛らしく細められた。


「この試験の意味合いは知っているかな?」

「迷宮を放置したら魔物で溢れ返り、迷宮から飛び出してくると聞いています。その為の人材を集める為の試験でしょう?」

「うむ。それに加え迷宮の魔物を倒せるだけの猛者を選別する為のものだ。訓練を施す余裕は我が騎士団にはないのだ、そもそも魔物一匹も倒せないようでは才能が無い。ある程度は確証がないと教える費用が無駄だから、要は振るいに掛けているのだ」

「即戦力、ね。その為にあんなのがいる場所に放り込むなんてどうかと思うけど……」


 クオーツの批判的な言葉に「うむ」とルイセは頷いた。


「それには驚いた。まさかドラゴンがあんな表層部に現れるとはな。並みの実力者なら何も出来ずに餌になっていた事だろう。本当に凄い」


 ルイセの言う並み程度の実力者というのは長く迷宮に潜る事が出来る騎士団の中でも中級くらいの実力者の事を指すのだろう。

 少なくとも今回試験を受けた者達の中での並みを示すものではない。

 それを十分に理解してしまったクオーツは顔を顰めるとふんと鼻息を鳴らした。人の命を物として扱う上位者の考えは田舎で過ごしたクオーツにはわからないものだったからだ。


「まさか交戦し、さらに逃げ切る事が出来るとは……。未知の魔法を使っての戦闘術に人狼化による巧みな体術。素晴らしい戦果を挙げたと聞いておるぞ」


 試験中不正がないかを監視する為に全員誰かしらに追跡されている。

 サリエルは否定はせずに後ろ頭を掻き、いや、と言葉を濁している。何かを恥じているような、嫌悪しているような、何とも言えない複雑な表情だ。

 クオーツは何かを言いかけた唇を噤み、場を窺うように黙り込んだ。


「回りくどい言い方は嫌いでな。はっきりと言わせてもらおう。我が騎士団に入らんか? 厚遇するぞ。望むならばどのような魔道具ですら与えよう」


 魔道具――と言われてもサリエルもクオーツもわからず、それを察したルイセは丁寧に説明した。

 炎や氷、風や雷などの自然現象を意のままに操る事の出来る武器などが最も需要が高いものだが、それ以外では特に貴族が渇望するものがある。

 不老長寿。

 万病に効く薬。

 例を挙げればきりがないが、人間が求める欲望の芯を衝くものが多く存在している。

 ヴェスペリアではそれらにあまり興味のない領主の為に迷宮を封鎖するような処置を取っているが、他の都市で経営される迷宮などは一般に開放し、持ち帰った魔道具を都市が全て高値で買い占めるという政策を行っているところもある。そういう処置を取った場合は外から荒くれ者が集って治安が悪くなるが。

 迷宮に潜って魔道具を手にし、魔物をばったばったと薙ぎ払う。子供が好む英雄譚にはよくあるストーリーで、男ならば必ず一度は夢想した事がある筈だ。

 それを与えると言っているのだ。有り得ない厚遇である。

 という事をルイセは懇切丁寧に説明をしたが、サリエルから返ってきたのは素っ気ないものだった。


「あまり興味がないですね……」

「何故だ?」

「御存知でしょうが、俺は地下の霊園で働いてました。物心ついた時から死体を土に埋めるだけの、そんな日々を繰り返していました。今日、ようやく自由を得ます。騎士団に入れば厚遇して頂けるのでしょうが、俺はいろいろと見てみたいんです。太陽の下で咲き誇る花や塩味の水で満たされた海。火が噴出す山や割れた大地。川に泳ぐ魚や森の中で遊ぶ動物。いろいろと見て、触れて、感じてみたい。閉じ込められていた分、外の世界を見て回りたいと思ってます」

「解放したエルフと連れ立って、か?」

「いえ……」


 サリエルは言葉を濁した。

 ふむ、と考え込んだルイセは次にクオーツを見る。


「ではそちらの――クオーツ殿はどうか? 複数のコボルトを一瞬で屠ってしまう実力者だ。風のような動きをする体術で仕留めたと聞く。それは素手によるものか?」


 クオーツは頷いた。


「人狼族という事は東から来たのか? 誇り高く、武に富むと言う。さぞや高名な師に恵まれたのだろう」

「あー師匠に恵まれたかどうかはわかりませんけど、東から来たわけじゃないです。西から来ました。僕はもともと浮浪児だったんで、それをたまたま師匠に拾われて――まあ地獄の修行をつけられたんですよ。ドラゴンの時の醜態を見られたら折檻されちゃうなあ……」

「浮浪児?」

「詳しくは覚えてないんですけどね。どこかの都市のスラム街だったそうですよ」

「通りで人狼族にしては珍しい衣服を着ていると思った」

「これは道着って言うそうですよ。分厚いから破れなくて、まあ洗ってないからちょっと臭いますけど」


 分厚い生地で造られた服を指で摘まんでみせた。

 見るからに着心地は良くなさそうだが、とにかく丈夫そうである。


「道着……。東の国に住む武に携わる者達が着る服と同じ呼び名だな」

「東! 僕が向かう先はそこです」


 ヴェスペリアを含む西部では武器は大きく頑丈なものが好まれる。

 筆頭は刃渡りが腕ほどの長さの剣か、さらにそれを重く長くした大剣、身の丈を越える長さの槍や長大な重さを誇る戦斧など、重量を生かして叩き斬ったり、リーチを生かして突き殺すのに特化したものばかりだ。何故なら戦う相手が人間ならば鎧ごと切り倒さなければならないし、魔物に至っては鉄よりも硬い鱗を持つものなどもいるのだ。武器に求められるのはとにかく壊れない事である。

 東はそれらの事象に真正面から反発するもの達が住む場所である。ある意味では西部とは決して理解できない住人達だ。

 ルイセがつい「何をしに行くのだ?」と聞いてしまうのも無理からぬことか。


「えっとですね。東に行くと美味しい食べ物がいっぱいあると聞いています。シャンパールという世界中から食材の集まる町。僕はそこで倒れるくらいに美味を味わいたいんです! その為の資金集めに試験を受けただけでして、申し訳ない話なんですが騎士団はちょっと……」

「なるほど。二人とも旅をしたいというわけか……。む、という事は騎士団に入る事が嫌なわけではないのだな? 優先したい事柄があるだけでなのだな?」


 ルイセが悪戯を思いついたような表情を浮かべた。


「カーマイン。確かシャンパールに行く為には関所があったな? 他にも関所が多かった筈だ」

「はい。ございますね」

「では二人とも。私の名を使って関所を通れるようにしておこう。旅が順調に行える筈だ」

「いいんですか!?」


 願っても無い事である。

 サリエルはあまり理解していないようだが、旅をしてここまで来たクオーツは喜色満面といった体だ。

 通常ならば国から発行された証明書のようなものを"大金を払って買う"しかないのだから、金銭面であまり恵まれずに旅をしてきたクオーツが喜ぶのは当然である。何せタダで通り放題にしてくれるという事なのだから。

 もちろん、タダでもらえるものなど無いが。


「その代わりと言ってはなんだが、行く先々にある騎士団に顔を出してはくれぬか? そうしないと向かう先の通行札を発行できんでな。そこで雑用を頼まれる事もあろうが……」

「全く構いません!」

「明日の朝には手続きは終わらせておく。では、疲弊した戦士に休息を」


 言い残して部屋を出た時、背中を見ていたサリエルとクオーツからルイセの表情など見える筈もなかった。




 部屋を出たルイセは靴音を鳴らしながら自室へと向かうとしていた。

 後ろには当然のようにカーマインが付き従っている。


「よろしかったので?」

「できれば手元で鍛えたかったが、シャンパールに向かうと言うのならその必要もなかろう。嫌が応にも巻き込まれる筈だ」


 通行証という唾はもう付けたし、東には今面白い事が起こっているのだ。


「聖杯――ですか」

「うむ。迷宮から飛び出た魔物に奪われた聖杯。それを求めて多くの騎士や冒険者が迷宮へと派遣されておる」


 西部と東部は違う国の支配下にある。

 ヴェスペリアはエスセティア帝国、シャンパールは大東倭皇国だ。

 二つの国家間の情勢は決して悪いものではない。片方が戦争を行えばすかさず援軍を送り、物資を提供する。同盟という協定を結んだ親友のような間柄だ。

 違いと言えば、最近までは大東倭皇国には迷宮は存在せず、魔道具の貸与について民間レベルの問題はあった。大東倭皇国の商売逞しい者達が集って求めたのだ。けれど、その問題を解決するようにあちらにも迷宮が出没した。それがシャンパールだ。

 武の心得のあるものが市井にも多い大東倭皇国のものではなあるが、あくまで対人に特化している。おかげで迷宮には苦戦しているようで、氾濫を起こした魔物達にも手古摺っているようだ。そこへエスセティア帝国は迷宮専門の騎士団を派遣したのだが人員不足は否めない。


「そこへ私がこう言うのだ。"通行証と宿さえ用意してくれれば、この者らは好きに使ってよい"とな。私の直属の部下と勘違いした彼らは間違いなくあの二人に頼るだろう」


 これがルイセの策略だった。

 まずは騎士団からの依頼として拒否し辛い任務を与え、だんだんと組織に馴染ませていく。

 そもそも東部も西部にも騎士団の息がかからないところなどよほどの奥地に行かないと存在しないのだ。こちらの思うが儘なのである。


「ですが、あの二人が一緒に行くとは限りません」


 カーマインはこう言うが、何ともおかしな話だとルイセは思う。

 何故ならそれは有り得ない事だったから。


「お前の目は節穴か? 二人の目を見ていなかったのか。あれは恋をする者の目だったぞ。本人は気付いていなさそうだったがな」

「そんな事よくわかりますね」


 これは極秘事項だが、サリエルの中で力の顕現が行われた。

 その圧倒的暴力を目の前にした人狼族のクオーツ。人狼族は常に強き者を求める傾向にある。それが恋慕に至ってもおかしくはない。

 他にも二人一緒に命を懸けて迷宮に入り、そこで命を助けるように身体を張ってくれたというのもあるだろうが。


「一応乙女だからな。恋慕等には敏いのよ」

「日照りが続いているようですが」

「――黙れ」


 ドスの利いた声で締め括る。

 他者がいなければ他愛もない冗談を言い合う間柄の二人であった。 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ