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血罪エスペランザ  作者: 鈴木一郎
序章.旅立ちの時
5/9

3.逃亡と決断

     3.


「明らかにおかしかったわ。あんたと――えっと、獣人のあんた。二人が会話しているのを見た瞬間にリビエラさんが変になったの。常軌を逸してたわ。だからあたしは言ったのよ。あんたのせいだって……」


 リビエラの様子がおかしくなる理由などサリエルには微塵も思いつかない。むしろ言いがかりのようにさえ思えた。 


「――そんな事より随分と落ち着いたな。仲間が目の前で喰われたって言うのに」

「毎日グロテスクな死体見るのは慣れてるし、言っちゃ悪いけど、彼らは初めて見た人ばかりだったから。驚くくらい感慨がないわ。考えてるのはリビエラさんの安否くらいだもの――」


 墓所に来る死体など迷宮で果てた者や孤独死を迎えた老人のものばかりだ。

 腐乱死体や食い散らかされた死体など当たり前。それを見慣れているから常人よりは耐性はあったのだろう。だがそれらの事を再び思い出したのか、ハンナはぶるりと怖気の走った表情を浮かべ、掌を合わせている。

 そんな時、クオーツが申し訳なさそうに口を挟んだ。


「話の腰を折って悪いんだけど、そのリビエラさんとやらはエルフなんだよね?」


 思案顔で言うのはリビエラの種族。

 それがどうしたのかとハンナは疑問符を浮かべた。


「ドラゴンを含む大まかの魔物はね。魔力に富む獲物を好む傾向にあるんだ。たぶんそのドラゴンは自分の子供に食べさせる為に巣に戻ったんじゃないかな。早々に食べられるような事はないよ。じゃなきゃ攫うなんて面倒な事はしないから」

「だからどうしたって言うんだ」


 はっきりとしない物言いにサリエルはやきもきし、口調を荒げてしまう。 


「まだ生きてる可能性は十分にある。だからそんなにムキにならずに冷静になれ。落ち着け、って言ってるんだよ」


 そんなサリエルにクオーツはぴしゃりと言い放った。


「すぐにでも歩き出しそうなその態度は止めなよ。ハンナが息を乱してるのはわかってるんだろ?」


 青々とした瞳に見つめられてサリエルは口籠る。

 ごくりと喉が鳴った。

 ハンナはしてやったりといった勝気な眼差しをサリエルに向けていて、一層心を乱されるというものだ。

 ふんと鼻を鳴らすとそっぽを向く――精一杯の反抗。

 クオーツは呆れたように嘆息すると、サリエルを放ってハンナに向き直った。


「ああ、そう言えばこっちが自己紹介がまだだったね。クオーツだよ。クオでいい」


「よろしく」とクオーツはハンナに手を差し出す。


「――サリエルだ」


 次いでサリエルも渋々と自己紹介をするが、この行動がハンナが目をぱちくりとさせる事となる。


「へえ、そんな名前だったんだ。知らなかったな。リビエラさんがエルって呼んでるだけで、直接名前聞いた事なかったから」


 長い付き合いとは言い難い二人だが、同じ職場でそれなりの期間一緒に働いた事がある。

 それなのにお互いの名前を知らないのは如何にも不思議な話だった。いや、不思議でも何でもないかもしれない。お互いに無関心を貫いた結果でしかないのだから。

 今二人の間で交錯する視線は無機質で透明なものだった。

 こほんとクオーツが咳払いをした。


「それで今からそのリビエラさんとやらを助ける為に動くわけだけど……サリー。絶対先走らないでね?」

「――ああ」


 こくりと頷くサリエル。

 ハンナも同様に首肯し、クオーツを先頭にして歩き出した。



 匂いを嗅ぐ。

 リビエラやハンナが襲われた現場に残った血臭以外の独特な臭気――それを辿っているのだ。

 その匂いはとても分り易い。

 あらゆる血肉を混ぜ合わせた夥しい血の臭い。近しいもので言えば腐敗した死体の臭いだろうか。鼻に衝くそれは見過ごせるほど微かなものではなく、迷宮の地面にこびり付いているようだ。

 時折匂いで行く先を決め、息の乱れているハンナを気遣いつつ、クオーツは慎重に歩を進めた。それこそ他の魔物に見つからないように細心の注意を払って。


「こっちだね」


 進めば進むほど天井が高くなる。大広間の入り口から遠ざかり、もし敵に先じられれば一たまりもないかもしれない。何せハンナの言葉を信じるとすれば敵はドラゴンだ。勝ち目のある敵ではない。

 地上では絶滅間際まで追い込んだ竜種。

 あまりに強かった為、人が手を取って全力で討伐に向かい、辺境へと追いやったのだ。

 もはや幻とも言えるほどに奥地に棲む彼らがすぐそこにいるかもしれない――それは堪らなく重圧だった。


「大丈夫か?」


 サリエルの気遣いに無言でうなずいた時、クオーツは総毛立った。


「二人とも静かに」


 そう言うとクオーツは耳に手を当てて神経を研ぎ澄ませた。

 聴覚に注意を張り詰めさせ、どんな音でも聞き逃すまいと気張る。

 まず聞こえたのは自分の息遣い。クオーツやハンナの息遣い。更には足元で蠢く虫の動く音。

 そして。

――ふー、ふー。

 遠くから聞こえる野太い息遣い。

 巨大な魔物特有のそれを聞き違える筈もなかった。

 方角に当たりをつけ、クオーツは緊張した面持ちで足音を立てずに進んでいく。

 そして。


「いる。この奥だ」


 大広間に点在する岩陰に三人は隠れ、顔だけを出して観察する。

 其処にあるのは黄土色の斑点がついている卵だ。

 地べたに置かれた卵の大きさは人とそこまで変わらないくらいに大きい。

 その隣にはドラゴンが寝そべっていた。

 ドラゴンの大きさは凄まじいものだった。

 体長はおよそ成人男性四人分はあろうか。横幅など比較するのが馬鹿らしいほどに太く、それでいてしなやかな肢体はほとんど筋肉で出来ている。今はうとうとと眠そうに横たわってはいるものの、それでも威圧感は凄まじいものだ。反してその視線はとても優しいものだ。凶悪に恐怖を掻きたてる姿からは想像もつかないくらいに愛おしそうに卵を見下ろしている。そして卵の前には浅葱色の髪をしたエルフが置かれていた。孵化した時の餌にする心算なのだろう。卵は大きく、何時孵化してもおかしくない状況だった。


「リビエラさん……」


 ハンナが息を飲む音がクオーツの耳に届いた。

 おそらくは不快な想像でもして勝手に精神に傷を負っているのだろうが、あまり良い傾向ではない。

 とん、とハンナの肩を叩くと今にも泣きそうな形相でクオーツに振り向いた。その表情は暴走していたサリエルにそっくりだった。


「念の為に言っておくけど、僕はあのドラゴンに勝てないよ。君も無理だろうし、ハンナは言わずもがな。この場合に重要なのは勝てないという事実を受け止めることだ」

「勝てないんじゃ助けられないだろ」

「誰かが囮になって、その間に助ければいい。囮は――」

「俺がやる」


 クオーツが言い終る前にサリエルが手を挙げた。


「いいのかい? 死ぬかもしれないのに」

「別に。死ぬのなんか怖くない」


 本気でそう思っているのだろう。サリエルの瞳に迷いは見えなかった。

 何度目の溜め息になるのだろうか。

 クオーツは頭を抱えそうになる欲求を抑え込み、サリエルの肩を掴んで引き寄せた。

 決して逃げれないように拘束し、目と目を合わせて忠告する。


「危ないね。死の恐怖に抗うのはいいけど、捨てるのはよくないよ。そういう奴は決まって最初に死ぬんだ」

「――俺がやるんだ。死んでも問題ないだろ」

「困るね。僕は君に死んでほしくない」

「何で?」

「友達だからに決まってるじゃないか。同世代で初めて喋った人が君なんだ」


 実のところクオーツは今まで友達が出来た事が無かった。そもそも出会いが無かったのだから。


「森の中で引き籠って、誰と喋る事もなかった。時折行商人と話す機会はあったけど、みんな年上さ。師匠なんて二回り以上年上で、親と子とも言えるような年齢差だよ。そんな中、友達なんて出来るわけもないだろ?」


 話した内容が正解なのかはわからない。

 命を賭ける戦いの前に不謹慎な会話にも思えるが、クオーツにはとても重要な話題だった。

 死んでほしくないから。

 今は岩の陰でクオーツを中心にして三人が座り込んでいる。

 クオーツはサリエルの手を両手で包み込むと胸元に引き寄せ、下から見上げるように言った。 


「せっかく仲良くなれ――たよね? 君はどう思ってるのかな」

「それは……」


 サリエルは目を逸らし、黙り込む。


「少なくとも僕は君に死んでほしくないね。だから死んでほしくないって気持ちを押し付けるよ」


 サリエルはそっぽを向いたままだ。


「任せて。気を逸らしてくれれば僕が必ず助ける。だから君は生きる事だけに執着して」

「――わかった。死なない」


 けれど最後には根を上げて約束する。

 そして岩陰から飛び出すとドラゴンの方へと疾走していった。

 手には大きな鎌を持って、胸には覚悟を宿して。


「死んでしまえばいいのよ、あんな奴」


 不機嫌に呟かれた声はハンナもので、


「口に出さない方がいいよ。そういう呪いは巡り巡って君の下へ返るから」


 クオーツは静かに諌めると陰に身を潜めて隙を窺う事に専念し始める。

 後ろにいるハンナは口を噤み、嫌に静かな視線をサリエルへと向けていた。




     ◆  ◇  ◆




 リビエラは生き残れるなどと思ってはいなかった。

 仲間は死に、ドラゴンに奥へと追いやられ、卵の前へ放り捨てられる。

――ああ、私は餌なんだ。

 何処か醒めた思考は当たり前のように解を導き出した。

 卵は既に大きく、ところどころ小さな罅が入っている。今にも雛竜が出てきそうで、そうなった場合は絶叫を上げながら食べられる事となるのだろう。とても痛いのだろう。けれどそんな事はどうでもよかった。

 安易に迷宮に挑んだ結果がこれだ。弟分が庇って身を捧げてくれたというのに、分不相応にもこんなところへ来てしまった。

 その件の弟分は協調性が足りないので一人で迷宮に来ているだろう。だからと仲間を集めて安全に行けるように気を付け、見つけ次第仲間に引き入れて守ってやろうと思っていた――のだが、弟分は可愛らしい女の子と仲睦まじく喋っていた。普段のぶっきら棒さなど露程も無いように見えたのだ。



 何もかもがどうでもよくなった瞬間である。

 生きるだの死ぬだの奴隷に身を堕とした時から興味のない問題であったし。何せ死ぬまであのような牢獄で生活する事を余儀なくされるのだから。

 いやリビエラは自然と理解していた。何時だって自分は解放されようと思えば出来たという事を。

 リビエラは美人である。勿論自覚している。泥で美貌を隠していたとしても、男から来る視線は艶のあるものばかりだったから。

 もしも本気になればそこらに通りかかった男を誘惑してもいいし、管理している兵士でもいい。それだけの美貌がある事は理解していた。その打算的な性格を億尾にも出さないように苦労するのは骨が折れるだろうが、それでも不可能ではないだろう。

 実行に移さなかった理由には訳がある。

 奴隷仲間の一人の何気ない行動のせいだ。

 奴隷に課される仕事は大別して三つある。

 介護、埋葬、死刑だ。

 介護は言うまでもなく、身寄りのない老婆などの世話をする者。下の世話などしなければならない事から市井では特に嫌がられる仕事だ。

 埋葬はリビエラがやっている仕事だ。腐乱死体と毎日ご対面できるこれは甚だしく嫌がられる仕事である。

 けれど奴隷達に発言権はなく、やれと言われればやる――心の底から全力で忌避される類ものではない。あくまで嫌がられる程度のものだ。

 そして最も忌み嫌われるのは死刑執行だろうか。泣き叫ぶ罪人の命を刈り取るこれはみんなが必死に押し付け合う。何せ誰かを殺すなどまともな神経ならば無理な行為だから。

 これは死刑執行を押し付け合ったときの事だ。


「俺がやるよ」


 サリエルは迷わず手を挙げた。

 どんな時でもどんな場所でも、サリエルはみんなが嫌がる仕事を率先してこなしていた。

 本人にどれだけ問い詰めようとも「別に」とそっぽを向いて答えなかったが、あれは――


「こっちだ、魔物」


 その時、凛々しい声が耳に届き、過去に飛んでいた意識を現実へ引き戻された。

 目に映るのは鎌を構えるサリエルの姿だ。今もリビエラの隣で寝そべるドラゴンに石を投げつけ、注意を引いている。

 ドラゴンは面倒臭そうにサリエルを見るが、投げられた石が卵にぶつかった瞬間、怒りを露わに立ち上がる。


「――グルアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 地鳴り。そして突進。

 サリエルに向かって走り出したドラゴンの形相は怒りによって醜悪に歪んでいた。当のサリエルもそれを承知の上なのか、背を見せて後ろへと走り出す。


「どうして!?」


 返事はない。

 いや。


「大丈夫? 今の内に逃げよう」


 音も無く隣に現れたのはサリエルと仲睦まじそうに話していた犬耳の少女。

 助けに来てくれたのだろう。

 けれど胸中はささくれ立つのはなぜだろうか。


「貴方は?」


 声に棘が混じるのは不可抗力というものだろう。


「サリーの友達さ」

「エルの? でも、肝心のエルが……!」


 リビエラは幸運にも殆ど無傷だった。だからこそサリエルの助けになろうと今また危険へと足を踏み込もうとするが、クオーツに頬を引っ叩かれる。

 唖然とした。


「落ち着いた?」


 驚きすぎて一蹴し、逆に頭が冷えてしまった。

 腕を掴まれ、引っ張られる。

 行く先は大きな岩の方だった。


「後で助けるから。今はこっちへ」


 今もサリエルはドラゴンに追い回されている。それなのにのうのうと安全地帯へ逃げ込もうとする自分。


「リビエラさん!」


 岩陰に着いた途端、誰かに抱きしめられた。

 酷い血の臭い。

 眼を凝らしてみれば、それはハンナの姿だった。


「ああ、無事だったの。良かった……」


 ぎゅっと抱き返し、灰色の髪の中に顔を埋めた。

 そうするだけで何か温かいものを感じてしまった。

 錯覚だと自覚しているのに。


「待ってて。サリーを連れてくるから」


 ちくりと胸に棘が刺さる。

 たまらなく痛いものだと知った。




     ◆  ◇  ◆




 ドラゴンが一歩進むだけで迷宮が揺れ、足が取られる。

 重心に気を付けて動けば速度が落ち、どうしても行動に遅れが出る。

 サリエルは切羽詰まっていた。

 幾度も突撃を繰り返してくるドラゴン。その動きはとても早いもので、容易く避けられるものではなかった。

 それでもどうにか足の間をすり抜けたりと相手の視界の外を掻い潜るように動いていてやり過ごしていたのだが、相手も慣れてきたらしい。

 今にも顎が地面につきそうなくらいにその身を屈ませ、前に突き出された前足で獲物を掴み取ろうとわきわきと動かしている。鈍く光る爪はよく切れそうで、当たれば間違いなく死ぬだろう。

 再び、突撃。


「来やがった。何処かにぶつければ……」


 視界の端に見えたのはドラゴンの頭ほどはありそうな巨大な岩だ。

 即座に走り込んで身を隠した。。

 もちろんこれだけで逃げ切れるとは思っていない。

 見つかる前に幾つもの岩の陰に隠れて場所を誤魔化す。

 蒼苔の光はそこまで鮮明なものではない。おぼろげにしか見えないそれは場所を隠すには最適だ。

 先ほどまで隠れていた岩はドラゴンの突撃で破砕され、轟音が鳴り響く。けれどそこにはもうサリエルはおらず、違う岩陰から様子を窺っていた。

 手に持つ鎌をぎゅっと掴む。

 コボルト相手では力強く見えたこれもドラゴンの前では棒切れにしか見えない。

 戦うのは論外。逃げるしかない。

 口内を満たす唾をごくりと飲み込み、再び様子を見る為に岩陰から顔を出したが、ドラゴンの姿が見えない。

 おかしいと思って更に顔を出せば、衝撃。

 隠れていたはずの岩はドラゴンのぶちかましを受けて粉砕され、その背後にいたサリエルは衝撃を受けて吹き飛ばされた。

 剥き出しの地面の上を水平に飛び、時折地面にぶつかってはバウンドする。減速するまでこれを繰り返し、ようやく終わったと思えば目の前には足を振り上げたドラゴンがいた。 


「――わあああああああああ!」


 横っ飛びに跳ねて回避するが、踏み付けの一撃は僅かに身体に掠めてしまった。

 宙高く放り出され、地面へと突っ伏す事になるが、鎌の柄を地面に突き刺して無理矢理立ち上がる。

 朦朧とする意識。今にも動けなくなりそうだ。

 足は打撲のおかげで感覚が薄くなり、幾重にも枷をつけられたかのように身体が重い。

 転んだ時に頭を庇うために使った手は皮がズル剥け、桃色の肉が鮮明に見えている。空気に触れるだけで痛くて、涙が出そうだ。

 ここに至ってようやく死というものが見え始める。

 恐怖という名の鎖が足に絡み付き――

 ひゅっと息が細くなる。

 蛇に睨まれた蛙という言葉がある。

 サリエルはまさに蛙だった。

 豪風を伴って振り下ろされるドラゴンによる怒りの鉄槌。

 死を覚悟した。

――死ぬなよ。俺が困るだろお?

 幻聴が聞こえた瞬間、身体が勝手に動いていた。

 鎌を水平に振り被り身を低く屈め、旋回するように前に飛び出た。

 独楽のように回転しながら前へと滑り出たサリエルは踏み付けを回避する事に成功し、ドラゴンの鱗に覆われていない足の裏を切り裂いた。


「――ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 ドラゴンの悲鳴。

 そして。


「サリー! こっちだ!」

「あ、ああ……」


 走ってきたクオーツに手を取られ、痛みを無視してついていく。

 そのまま向かえばリビエラとハンナがいる岩陰へと合流できた。

 リビエラは「――大丈夫?」とサリエルへ駆け寄ってくるが、ハンナは不機嫌そうに無視をしている。


「何とか……そっちこそ大丈夫か?」

「心配してくれてるの?」


 媚びるような目つきを向けてくるリビエラに対して引き気味に頷くと、サリエルはクオーツの方へと向いた。


「どうする?」

「うーん。ドラゴンって嗅覚は大した事ないから、おかげで見つかっていないけど……出口はあそこだしね。足止めが必要かな?」


 サリエルは迷わずに手を挙げようとするが、クオーツに抑えられる。


「僕がやる。ほら、最初に言っただろ? 守るってさ」


「でも――」とサリエルは首を振るが、クオーツはくすくすと笑っている。


「やはは、そこまで心配されると照れるね。でも僕がやるよ。僕にしか出来ない」


 クオーツにじっと見据えられ、サリエルは困ったように視線を逸らした。


「僕の事、信じてて。君はあの二人を連れて逃げてね。ついでに騎士団の救援を呼んでよ。きっと持ち堪えるから」


 クオーツはそれだけ言ってサリエルの背を押すと、ハンナとリビエラの手をサリエルに無理やり握らせた。

 サリエルは逡巡する。

 このまま逃げてもいいのか。騎士団が救援に来てくれるだろうか。そもそも持ち堪えられるのだろうか。

 考えても仕方のない事。

 サリエルは歯を噛み締めた。


「――悪い。頼んだ」

「応よ! 任された!!」


 二人を連れてサリエルは走り出す。

 残されたのはクオーツだけで、命を賭ける場面だと言うのに危機感はあまりない。むしろ飄々としていた。


「ふう、やっと出せる……」


 ぽつりと零す。


「遊ぼうよ。これが僕の本気だ!」


 びりびりとした気迫を撒き散らし、クオーツは叫んだ。



「置いていっていいの!?」


 走りながら問うてくるリビエラの言葉は極めて鬱陶しいものだった。

 先ほどクオーツと自分が話した内容を聞いていないのか、と胸倉を掴んで問い質したくなる。

 ただそんな時間の余裕はない。


「そんな事はどうでもいいから、早く行こう」


 ここまで来た道を思い返しながら走る事にすべてを専念しなければならないから。


「見捨てるのは……!」


 リビエラがまたもや何かを言おうとした時、サリエルはキレた。

 急に立ち止まってリビエラを睨み付けると、顔を近づけ、鼻先に指を突き付ける。


「いいか。間違えんなよ? ここにいるのはお前の為だ。で、あいつが残るのは俺やお前とかの足手纏いの為だ。残ったからって役立てるわけじゃない!」


 自分に言い聞かせるように。


「だからって……逃げていいの?」

「逃げるしかないだろ……」


 再び走り出す時に吐き捨てた言葉が胸の中に沈んでいく。

――それでいいのか?

 良い筈がないけど、出来る事がなかった。


「でも……!」

「お前もついてきてるじゃないか。逃げる事に賛成って事じゃないのか?」

「違う。これは……!」


 リビエラが抗議をしている様は狼狽しきっているように見えた。けれど足は止まらず、大広間の入り口を通り抜けるのにも躊躇はなかった。


「そっちも。逃げるのに反対しないよな?」

「あたしはリビエラさんがよければそれで……」


 ハンナは簡潔に答えるだけだ。

 リビエラはまだ何か言いたそうだったが「――騎士団に救援を頼む。俺らと違ってあいつは奴隷じゃないから、もしかすれば助けてくれるかもしれない」というサリエルの言葉に押し黙る。

 それからhじゃ魔物に出会う事すらなかった。

 危なげなく螺旋階段まで辿り着き、迷宮の扉を開いた。

 外は迷宮の中とは違って太陽が照りつけてくる。

 サリエルは光に目が慣れる時間すら惜しみ、迷宮の扉の脇に立つ門番へ話しかけた。

 今起こっている事態を。仲間がドラゴンに襲われている話を。

 だが、返事は呆気ないものだった。


「ドラゴン? ああ、そういう情報は聞いている。おかげで戻らない奴が多くてな。さて、今回はご苦労だった。戻っていいぞ」


 門番は馬車を呼び寄せる。これで屋敷へ向かわせる心算なのだろう。


「救援はして下さらないんですか!?」

「その為に高価な報酬を設定している。死ぬのも試験の内だ」

「そんなのって!」


 リビエラの抗議も徒労に終わる。予想の範囲内だ。


「そうなるよな……」


 サリエルは一人で納得していた。

 納得の対象は騎士団の救援などある筈が無いという事だ。

 さて、サリエルは奴隷生活が長い。

 同じような年齢の者はそれなりにいたが、殆どの者が心を病み、何かに怯え、余裕がない。友達を作る事が出来る筈も無く、ずっと話相手がいなかった。

 思えばそんな自分に話しかけてくれたのはエルフの娘――リビエラだけだった。

 さしたる世話を受けたわけではない。ただ、自分の名前を呼んでくれ、話しかけてくれるだけの存在。たったそれだけの為に命を投げ出した以上、クオーツを馬鹿にする権利を持ち合わせていない。

 自分は馬鹿なのかもしれない、とサリエルは自嘲した。

 サリエルの脳裏には未知の魔物から死に掛けの女を守るために戦うクオーツが浮かび、苦戦し、死に掛けている映像が浮かんでいる。


「俺は間違いなくクオーツより弱い。ここが大事だ。俺が行っても足手纏いになる可能性がある」


 けど、行けば邪魔になるかもしれない。自分が行けば足手纏いが更に増えるかもしれない。


「守ってあげるよ」


 気負う事なくさりげなく投げかけられたクオーツの言葉が楔となって胸に刻まれてしまった。

 けれど、足はどうしても重い。

 行けば死ぬかもしれない。いや、死ぬ可能性の方が高い。理性は行くなと囁いてくる。

 クオーツが死んでいる映像も、自分を庇って死ぬ映像も、嬲られている映像も、不吉なものばかりが浮かんでくる。

 現実的に考えればそれが正しい。そうなるのが自然だ。

 けれど。


「試験を二度受けても問題ないですよね?」


 サリエルは門番に問うた。


「もう一度行くのか?」

「仲間、置いて来ちゃったんで」

「ああ、うむ……変わり者もいるのだな。では通れ」


 再び扉は開かれる。

 地下へと続く螺旋階段。

 そこを通り抜ければ迷宮があり、進めばあの大広間がある。

 行かなければならない。

 そんな時、リビエラに後ろから抱きつかれた。

 顔に浅葱色の髪がかかる。


「死ぬのが怖くないの?」

「怖いよ。でも、もっと怖いものがあるんだ。抗えないよなあ……」

「でも……」

「じゃあお前も来るか?」


 リビエラは口籠る。

 それが何よりの答えだった。


「あいつはさ。即答で"来る"って言ってくれそうなんだ。そういうところ、嫌いじゃないらしい」

「エルが望むのなら……」

「別に望んじゃいない」


 抱きついている腕を振り解き、サリエルは迷宮へ潜った。


「エル!」


 後ろからかかる声など歯牙にもかけずに。



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