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血罪エスペランザ  作者: 鈴木一郎
序章.旅立ちの時
4/9

幕間.

     幕間.


 日々の強制労働は心を摩耗させるには十分なものだった。

 遺棄された腐乱死体や迷宮で果てた探索者の死体。身元がわからないものは全て奴隷達の管理する墓所に運ばれ、埋めるように指示される。

 咽るような臭いは鼻の感覚を麻痺さる。内臓のはみ出たものを見た日には夜も眠れず、自分の身体から蛆のわく悪夢に憑りつかれる。

 死んだ方がマシ。

 ハンナがそう考えるようになるまでにさして時間はかからなかった。

 そんな折に降って湧いたような迷宮の知らせ。これをやり遂げれば奴隷の身分から脱却できる。普通のご飯を食べ、普通に恋愛をし、普通に過程を気付いて、普通に幸せを勝ち取れるのだ。一度考えてしまえばそれは自分があるべき勝利への道のように思えてきた。迷宮から出てくる死体たちを毎日見ているのに、それでも迷いなんてなかったのだ。

 屋敷についてからも領主の説明など耳を通り過ぎる音でしかなく、これから起こるだろう出会いにしか興味など無かった。妄想は知り合いに声を掛けられるまで続く。正確には白馬に乗った王子様とのキスの寸前で終わりを告げた。


「貴方は……ハンナちゃん?」


 はっとして意識を取り戻せば、目の前に誰かがいる。

 美しいという言葉すらも陳腐に思える美麗の人――いや、人ではない。浅葱色の髪の人間などこの世にはいない。細く長く伸びた尖った耳なども有り得ないし、何よりも一流の職人が造り上げだろう美貌は人の範疇を越えている。

 それはエルフだった。しかも身近で働いていた人物だ。


「リビエラさん! どうして此処に?」

「あの後ね。騎士様に連れて来てもらったの」


 優雅に口元に手を当ててリビエラは言う。

 墓所では汚れのついた服でその美しさは目立つ事はなかったが、ここに来るまでに身支度をしたせいだろう。安物の服ですらも高貴な品に見えてしまうのは最早差別である。女のハンナですらも目線が合うだけで頬が紅潮し、鼓動が速くなるのを感じる。だが、不自然な点に気付いてからはそれらは霧散する。

 リビエラの身代りとしてサリエルが此処へ来た。それなのに彼女がいるのは致命的におかしい。

 ハンナが考えている事がわかったのだろう。リビエラは至極申し訳なさそうに目を伏せている。


「弟分に全部担がせるわけにはいかないわ。ほら、私の方が年上だし。頼って貰わないと」

「いえ、リビエラさんの事はみんなが尊敬してます」

「尊敬されるような大層な事はしてないけどね」


 リビエラはぱたぱたと手を振って否定するが、墓所の奴隷達は口を揃えて彼女を湛えるだろう事をハンナは知っている。

 救いの無い日々にめげず、リビエラは明るく振る舞っていた。

 誰かが倒れれば看病し、腹を空かしている子供がいれば多くもない自分の食事を分けてやる。その美しさも相まって女神のように尊敬を集めていた。ハンナが奴隷生活で唯一嫌にならなかった相手である。他の人間は全員、敵だった。いや、サリエルという少年だけはある意味敵ではなかったかもしれない。最後の最後で庇ってくれたから。

 思考に没頭し始める。これはハンナの悪い癖だった。おかげで集中力が足りず、周りに疎まれる。この事実をハンナは理解していない。

 リビエラに肩を小突かれるまでずっと違う事を考え、意識が戻れば「またやってしまった」としゅんとした。


「で、貴方も本当に行くの? 絶対に危険よ」

「ええ。あんな生活を続けるくらいなら……死ぬ方がマシです」

「死ぬより辛い事なんて無いと思うけどね」とリビエラは悲しそうに顔を伏せた。

「あ、そこの彼、待ってくれない? 一人で行くのなら一緒に行きましょう? みんなで組めばきっと何とかなるわ。きっとね!」


 それからリビエラは奴隷出身の人たちに声を掛け始めた。

「人数が多い方が良いでしょ?」との事で、目の醒めるような美貌と持ち前の人当たりの良さから仲間はどんどん増えていった。




 素人とは言え、屋敷では武器を支給される。錆びた剣から呪われてるだろと意見したくなるような異様な斧まで。鎧も盾も弓ですらも置いているそこでは武器の数に困る事はなかった。

 おかげで集まったパーティメンバー計六人で役割を分担し、其処で手に入る最高の武具を装備して迷宮に入った。

 魔物の群れを見つければ息を潜めてやり過ごし、一匹か二匹の孤立した魔物を見つければ全員で殴り掛かって打倒する。

 奇襲での人数による暴力は想像以上に上手く行き、人数分の魔石を手に入れるなど造作もない事だと浮かれていた。

 ハンナも浮かれていた者の中の一人である。


「気を引き締めて。こういう場所では何があるかわからないのだから」


 リビエラからの忠告をパーティメンバー全員が本当に理解したのはほどなくしてだ。

 ハンナ達は迷宮の螺旋階段を降りた場所の近辺を索敵していた。入り口から近ければ近いほどに魔物の数は少なく、仮に危なくなったとしても入り口に逃げればいいのだから、ここで戦うのは実に理に叶っているのだが、如何せん魔物の数が少ない。六人分の魔石を集めるにはどれほどの時間がかかるかわからず、危険に慣れた彼らはより深くへ潜る事を提案する。

 リビエラは最初渋ったが、彼らの意気込みに押されて仕方なく奥へ行く事を決めた。

 歩いて数分。迷宮で初めて他の人を見つける事となる。

 サリエルだ。

 遠目ではあるが、間違いないと判断できた。闇よりも濃い漆黒の髪など他にいないのだから。

 隣には犬耳とふさふさの尻尾の生えた少女を連れ、いろいろと話し込んでいる。

 墓所では見た事が無い程饒舌で「ああ、あいつも喋れるのだなあ」とハンナは密かに驚いていた。

 リビエラも当然気付いているだろう。これからどうしようか、と聞こうとそちらを見たとき、彼女の異様な空気に押されて声を掛けられなかった。

 リビエラは二人の方をじっと見ていたと思うと、ぎりりと唇を噛み締める。桃色のふっくらした唇は血流が止まって蒼褪めている。今まで見た事もないくらいに負の感情が剥き出しになっていて、理解するまでに暫し時間が掛かった。


「――行きましょ」


 声を掛けるなんて選択はなかった。

 今まで奥に行くのを渋っていたのに率先して前に進みだしたのである。

 これが悲劇の始まりだった。

 コボルトの群れの出現。その数実に十匹。

 索敵の手が緩まっていたのか、それとも彼らの気配の絶ち方が上手だったのか。どちらかはわからない。

 とにかくハンナ一行は背後から奇襲に遭い、ものの数秒もしない内に仲間の二人が不意打ちで太腿に棍棒を叩き付けられ、断末魔を上げた。

 激痛にのた打ち回る仲間――男達を甚振るコボルトは半数ほど。残りはパーティメンバーの四人の前に立ち塞がり、獲物の救助を阻んでいる。だが、そんなのは必要なかった。


「ぎゃああああああああああああああああああああ!」


 一方的に殴られて悲鳴を上げる男。

 恐怖は伝染する。

 残るパーティメンバーはリビエラとハンナ、残りは男と女が一人ずつだったのだが、持っている武器を捨てて迷宮の奥部へと走り出した。

 止める時間すらない。

 彼らは仲間を見捨てて走り去ったのだ。


「――う、うう」


 ハンナは罵声を上げようにも恐怖のあまり引き攣り、上手く発声する事すら出来ない。目を逸らしたいのに逸らせず、ただ凄惨な現場を目撃し続ける事しか出来なかった。

 飛蝗の足を捥いだり、有を踏み潰したりする。誰もがやった事があるだろう。

 それを等身大の人間で行われていた。

 軽い音を立てて骨が折れる。鼻が胡麻のようにすり潰される。尖ってもいない木の棒が原に突き刺さり、手を突っ込んで内臓を引っ張り出す。次第に悲鳴はか細くなり、痙攣するだけになっていく。そして、動かなくなった。

 嫌な汗が身体に纏わりつき、唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。


「リビエラさ――」


 思えばリビエラは視界にいない。

 敵を目の前にして振り向くなど自殺行為だが、墓所での世話係的な立場にいた彼女に救いを求めるのは間違っているのだろうか。

 とにかくハンナはリビエラを見て安心したいという欲求に抗う事は出来ずに振り向こうとしたのだが。

 風切り音とともに目の前のコボルトの頭が吹き飛び、それに目を奪われた。

 軽い音が鳴る。何度も。その度にコボルトの首から上が無くなる。

 加虐に愉悦を見出していたコボルト達がようやく異変に気付いた時、彼らの仲間は殆ど死滅していた。

 たった一人のエルフの手によって。

 怒りに身を焦がす彼らは歯を剥き出しにしてリビエラに向かう。

 だが、全員弓で射止められた。


「――魔石は全員分手に入ったね」


 何処か壊れた表情でリビエラは言う。

 ハンナは黙ってうなずく事しか出来ず「もう帰りましょう」の一言がどうしても言えなかった。

 だからだろう。

 逃げ出した裏切り者を探す羽目になったのは。

 そして二人が慌てて仲間を探索し始めてすぐに探し人は見つかった。それは見慣れた物体に成り果てていたが。

 見つけたのは天井の高い広間のような場所。

 それこそ今まで徘徊していた小部屋とは違う、領主の屋敷が何件も入るだろうというような大きな部屋。

 まず目に入るのは部屋の真ん中で咀嚼される元仲間。現肉片。

 首元からは大量の血を滴らせ、腹には牙の突き立った空洞が見える。

 男も女も、分け隔てなく腹から食されていた。

 うぷ、と胃の中から何かが逆流しかけるが、此処で気にかかる事がある。

 何に咀嚼されているのだろう。

 吐きそうになる最悪な気分に必死に耐え、冷静に冷静にハンナはそれを見た。

 大きな身体。

 どれくらい大きいかと言えば体長はハンナが三人は必要だろうという高さ。幅に至っては比べるのも愚かしく、あまりの大きさに人間など小石のように見えてしまう。

 一見すれば爬虫類のような形状だが、大きさがあまりにも規格外だ。そして、ハンナでも知っている有名な魔物だ。

 神話や英雄譚では必ず出てくる悪の代名詞。町や都を滅ぼすのは決まってこいつで、最後には勇者に殺されるのも決まってこいつだ。

 太く丈夫な牙は鉄をも噛み砕き、鋭く伸びた爪は岩をも切り裂く。口からは炎の吐息を吐き出し、全てを焼き尽くす。不吉の象徴。 

 それはドラゴンだった。

 コボルトなど可愛いものに見え始めた。

 何故ならコボルトは弓の一発で死ぬのだから。

 けれど、こんな大きな相手には弓など利きはしないだろう。

 だから無駄なのだ。

 男は飲み込まれ、女は噛まれている。それを防ぐ為に矢を放とうとも、強靭な鱗を貫く威力にはならない。


「ふざ、ふざけないでよ!!」


 腰につけた矢筒は空になり、弾が無くなる。

 それに気付いた時にようやくドラゴンが食事を終え、げっぷをし、唾を吐いた。

 血の混じった唾は運悪くハンナの近くにされ、身体中赤く染め上げられる。

 笑うしかなかった。


「は、へへ、あはは……」


 ハンナの壊れた笑いなど露ほども気にせず、ドラゴンはリビエラを見て牙を剥き出しにして嗤った。

 抵抗など出来る筈もない。

 巨体からは想像できない俊敏さでリビエラを掴み取ると颯爽と迷宮の奥へと走り出したのだ。

 これがハンナの経験した物語であった。

 

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