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短い話たち

鬼畜眼鏡とお嬢様

作者: 山岡希代美

 左斜め後ろが気になって仕方がない。

 レースのカーテン越しに朝日に照らされた明るいダイニングルームで、私は静かに朝食を摂っていた。

 いつもはひとりだ。母は朝が苦手なので、朝食の席にいたことはない。けれど今日は、いつも忙しくて滅多に家にもいない父が、珍しく一緒に朝食の席に付いている。

 それがまた、私の緊張に拍車をかけていた。

 親子なのに、顔を合わせることも、会話をすることも滅多にないのだ。

 その父が私の身を守るためにと雇ったのが、左斜め後ろに控えている彼、サエキ・ジン。

 長身で細身の彼は、物腰も柔らかく、ボディガードだと言われなければ想像もつかない。黒髪にいつも黒っぽい服装で銀縁のメガネをかけている。どちらかと言えば、執事のようだ。

 武器になるようなものは、一切携帯していない。

 そんな風で本当に護衛の役に立つのだろうかと、最初は疑っていた。

 けれどその細い身体は、驚くほどしなやかで、敏捷で、屋敷の庭に侵入した獣をあっさり撃退してしまったことがある。

 父が三顧の礼を持って迎えたという侍女たちの噂話も、案外本当なのかもしれないと思った。

 父が治めるこの領地には、隣接して広大な森が広がっている。そこは獣たちの住処となっていて、人にはある意味立ち入ることの出来ない禁忌の場所となっていた。

 獣は人を襲うことがあるからだ。

 滅多にないが、たまに領地内に現れて人を襲い、その血肉を貪る。襲われるのは決まって女だが、男を襲わないという保証はない。

 女たちは獣よけの香水を常用しているが、それだけでは不安だという人のために、ジンのようなボディガードが重用される。

 私も香水は常用している。おまけに父から厳しく命じられているため、滅多に屋敷の外に出たことはない。

 なのになぜか、二回ほど獣に遭遇した。それで父がジンを雇ったのだ。

 家の中にいながらボディガードの付いている女など、私くらいのものだろう。

 獣の中には人語を解するものや、人と似た姿をしているものもいると聞くが、私が遭遇した獣は人の姿はしていなかった。

 多分ジンは、腕の立つ優秀なボディガードなのだろう。だけど私は、彼が苦手だ。

 今も後ろで、メガネの奥から冷たい琥珀色の瞳が、私を見つめていると思うだけで落ち着かない。

 私は思いきって父に声をかけた。

「あの、お父様。ここにはお父様もいることだし、ジンにも朝食を摂ってもらっては……」

 すると父が口を開く前に、後ろから静かな声が答えた。

「お気遣いなく。クルミお嬢様がお目覚めになる前に頂きましたので」

 振り返ると、穏やかに微笑む彼と視線がぶつかった。その穏やかさが余計に怖い。

 私は慌てて視線を逸らし向き直る。

 父が平然と付け加えた。

「だそうだ。おまえが余計な気を遣う必要はない」

「はい……」

 私は諦めて、食事を続けるしかなかった。




 肩の凝る朝食を終えて部屋に戻る。ホッとしたのも束の間、背後で突然声がした。

「あんた、オレがそばにいるのが気に入らないんだな」

 ビクリとして振り返ると、いつの間に入ってきたのか、ジンが腕を組んで入口横の壁にもたれていた。

 私がジンを苦手としている理由はこれだ。私と二人きりになると、彼は豹変する。

 普段は穏和で言葉遣いも丁寧なのに、私と二人きりの時は、横柄で無遠慮で意地悪だ。

 なにしろ彼は初めて会った時に、父がいなくなった途端、私に毒を吐いた。

「オレはあんたのように世間知らずのお嬢様は、見ているだけで虫唾が走る」

 そんな風に自分を嫌っている人がそばにいて、どうして落ち着けるものかと思う。

「勝手に入ってこないでください」

 私の抗議を全く無視して、彼は悠々とこちらに歩み寄ってくる。口元に浮かべた薄笑いが怖い。

「オレはあんたを守るために雇われた。あんたのそばにいるのが仕事だ」

 ジンの近付いた分だけ退くものの、彼の歩く速さの方が上回り、とうとう腕を掴まれた。

「離してください」

 またしても私の言葉は無視され、ジンは私を両腕の中に囲い込んだ。

「あんたが気に入らなくても、そばにいる」

 耳元で囁くように言われ、背筋がゾクリとする。必死で逃れようともがいてもビクともしない。

「私が気に入らないのはあなたの方でしょう? だったらどうして、こんな風に不必要に絡んでくるんですか」

「あんたが嫌がるからに決まってるだろう」

 歪んでいる。

 ジンの楽しそうな表情が、それを裏付けている。

 確かに私は、屋敷からほとんど出たこともない世間知らずかもしれない。けれどこの人が歪んでいることくらいは分かる。

 わざわざ嫌がらせをするなど、それほどこの人の気に障ることをした覚えはない。

 彼が歪んでいないのだとしたら、それはもう嫌いというレベルではない。

 それを確かめるために、私は顔を上げて彼を見据えた。するとジンは、目が合った途端、ニヤリと笑った。

「あんた、意外と胸大きいな」

 そう言って感触を確かめるように、私の身体を更に引き寄せる。

 絶対、歪んでいる。間違いなく歪んでいる。そう思いながらも、私は問いかけた。

「私が憎いのですか?」

 メガネの奥でゆっくりと目が細められ、口元に笑みが浮かぶ。その冷たい琥珀色の瞳とは裏腹に、まるで慈しむかのように優しく、彼の手が私の頬を撫でた。

「憎んではいない。嫌いなだけだ」

 やはり歪んでいると確信する。あんな優しい表情を湛えて、冷たい言葉を投げつけるなど。

「ひどい……」

 目を閉じると、涙が滲んできた。

「だが、あんたの涙はオレを酔わせる極上の甘露だ」

 言葉と共にジンは、私のまぶたに口づけ、舌先で涙を拭った。

 この男は危険だと本能が告げている。

 父は私を獣から守るために、とんでもない獣を私のそばに置いたような気がする。





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