Chapter1-2:《モザイク》に関する考察 その1
――《モザイク》。それが見えるのが異常な光景であるのは理解している。
しかし、俺が物心つく頃からこんなだったので、いまではさほど気にしてはいない。
《モザイク》が適応されるルールは単純だ。俺の視覚では、女性にモザイクがかかるらしい。ただし、例外的に家族はそのルールから外れるようだ。
原因はわからない。
この世には人の顔を認識することができない『相貌失認』という病気が存在している。前にネットで調べてみたことがあるのだが、自分のそれとはなんか違う気がした。
病院に行けば、原因究明とそれ相応の名前をつけてもらえるに違いない。しかし、女性が《モザイク》に見えたところで、特に生活に支障があるわけでもなかった。もちろん、それなりに親しい異性に話しかけられたときなど返事を窮することは間々あるが、取り繕うことができないわけではない。
正直なことを言えば、医者に異常者と宣言されるのが怖い。
自分がおかしいのはわかっているが、第三者にそう指摘されると、自分の世界が壊れてしまうような気がしてならない。
だから、俺は自分の中に秘密をしまいこむ。自分の中だけでこの異常を定義する。
モザイク病。
それが俺が名づけた異常の名前で、それ以上のことは深く考えないようにしていた。
植物の病気で同名のものがあるが、まあ、それも認識しないようにしよう。
学校に近づくと《モザイク》がうごめいていた。こんな病気だから異性に興味がないのだが、プレイボーイがいう「世界の半分は女なんだぜ」という言葉を実感する光景である。
そんなことを思いつつ昇降口に向かうと、後ろから声を掛けられた。
「おお、同志双月よ。元気にしているか」
「おはよう、佑哉。とくに変わりはないよ」
彼の名前は関原佑哉。甘いマスクと長身はさながら芸能人かファッションモデルに見えなくもない。しかし、彼女はいない。作ったことも作ろうとしたこともないらしい。それは、挨拶一つからわかるように、全身から醸し出している変人オーラのせいだろう。また、性格だけではなく女性に好まれない決定的な理由がもう一つあった。
「それはいかんな。貴公はご拝見しなかったのかね、女神の勇姿を。我輩のように衝動を抑えられなくなっていたはずだ!」
「女神? ああ、”なのな”のことね」
「そう、なのな様だ!」
なのなというのは、土曜日の深夜に放送されている美少女アニメ『魔法王女マジカルなのな』の主人公の名前だ。佑哉は彼女に惚れ込んでいる、ぶっちゃけて言えばオタクである。それも重度な。
俺は彼の数少ない友人であるのだが、決して重度なオタクではない。しかし、一般人に比べるとその手の知識は豊富だし、マンガやゲーム――どれも成人指定の作品も所持している。しかし、これにはちゃんとした理由があるのだ。
モザイク病のルールの追加説明になるが、対象である女性というカテコライズは、写真やテレビなどにも適応される。つまり、写真集やアダルトビデオは思春期まっただなかを過ごしている男の子の性欲を吐き出すアイテムとして使えないというわけだ。
上級者になれば、妄想でことを成すことも可能なんだろうが、残念なことに俺は女性というのをよく知らない。唯一の存在が家族であり、それを欲情の対象にするのは自分の倫理観がそれを許さない。そうなると別の吐き出し口が必要になる。
いろいろ調べた結果、マンガやアニメなどの人の手で作られたものにはルールが除外されることがわかった。三次元がアウトで二次元がセーフといえば一部の人にはわかりやすいだろう。
とまれ、俺は性処理のために、二次元ポルノに手を出すようになったわけである。
最初は店頭で買う恥ずかしさも手伝ってソフトなものを購入していたのだが、慣れというのは恐ろしいものだ。いまでは、周りを気にすることなく、コアなものばかり買い漁るようになった。
もちろん女性店員であっても気にしない。むしろ、モザイクで隠れている分、男性店員よりも買いやすかったりする。モザイク病の数少ない利点の一つだが、人に知られたくないような二次元ポルノは、一般的な書店にはあまり置かれていいないないため、あまり活用されることはない。
そんな俺と佑哉の出会いは、郊外にあるアダルトものをメインに揃えている書店だった。
最初、俺は佑哉が店頭にいるのに気がつかなかった。それはそうだろう。慣れたとはいえ、多少は後ろめたい感情を抱きながら、そういうお店に入るわけだ。なるべく人の顔を見ないよう、棚に陳列された本に意識を集中するにするのが礼儀である。
「君は、うちの学校の人じゃないか?」
と声を掛けられたとき、なぜか人生が終わったような衝撃を抱いたのを今でも憶えている。
「え、あの……君は?」
「自己紹介がまだだったな。吾輩の名前は関原佑哉。1-Aに所属している」
俺が周りを気にしてしどろもどろに答えたのに対し、佑哉はまるで町中で偶然出会った友人に対する口ぶりだった。こんな場所で会話を続けられるほど心臓に毛は生えていない俺は、顔に手を当てた。
「ここで話すのはまずいんじゃないかな?」
「おお、そうだった。吾輩たちは」ここで声を潜める。「青い春を謳歌している世代だからな」そしてにやり。「じゃあ、外に出ようか」
そのとき、佑哉は素性も知らない人間に過ぎなかった。正直、一切関わりたくなかったもなかったのだが、そう促されては強く断ることもできなかった。店を出たあと、近くの公園に俺らは向かう。そして、佑哉はうれしそうな笑みを浮かべた。
「いやあ、うちの学校にも同志がいるとは思わなかった」
「同志?」
「君もオタクなのだろう?」
俺は二次元ポルノを性欲の捌け口にしているだけで、オタクではない。
であるからして、それは佑哉の勘違いなのだが、二次元ポルノ愛好家同士ウマがあってしまった。こうしたきっかけから一年が経ち、同じクラスになり、親友と呼べるような関係となった。
これは俺にとって、大変珍しい出来事であった。
中学までは知人はそれなりに居たが、親友と呼べるような仲間はいなかったと思っている。親友という定義は人それぞれで曖昧なものだから、俺の定義に過ぎないのだが、「好きなものと嫌いなものを共有することができる」関係だと考えている。色んなものを曝け出している関係とも言えようか。
バカな話だが、十代の男子の関心は大きな割合で女の子のことを占めている。誰が好き。あのアイドルが好き。童貞を捨てたい。そんなどうでもいいことを共有して関係を深めていき、信用し、そして仲間と呼べる関係を構築できるのだ。
だけど、俺はそれができなかった。女の子を見ることができないのだから、その話題についていけるわけがない。もちろん、友人達の話をあわせることは可能だ。でも、そうした上っ面だけの会話で仲間意識が芽生えるのだろうか?
俺はそう思わない。いや、俺がそう思えなかった。
知人は俺のことを仲間だと思っていてくれたかもしれないが、俺の方は仲間意識を最後まで抱くことができなかったのだ。
方や、佑哉との関係は、性癖を曝け出すところから始まった。そのおかげもあったのだろう。それが現実の女の子ではなく、二次元の女の子であったとしても、それは同じ効果をもたらしたのだと思っている。
この狂った世界において、家族以外の尊い存在である。
「なのな様の蔑む視線、口汚い罵倒は俺の中のなにかを刺激する。ああ、どうしてテレビの中から出てきてくれないのだろう。罵ってくれないのだろう。魔法少女なのだから、それくらいの奇跡を起こしてもいいはずじゃないか」
その親友なのだが、今日もまた朝からテンションを高くして、なのなについて熱く語り始めた。たまに思う。友人がもっとまともな人間だったら良かったのにな、と。
「ゲームにおいて即死魔法がボスに効かないように、画面の中から現実に出てくるのは不可能なんじゃないか?」
「裏技使えば可能じゃないか」
「それはバグだろ? 彼女が暮らしている世界は完璧だから、そんな不具合はないのさ。そんな適当な世界の天使をお前は愛しているわけじゃないだろ」
「いい返答だ。しかし、美少女ゲームの女神たちは出てくる気配がないのだが、それはなぜなのかね」
それは深く難しい質問だ。
上手い切り替えしを頭を巡らせていたとき、予鈴のチャイムが鳴った。
「とりあえず、教室に向かうか」
というと、佑哉は子供が宝物を見つけたときのような、輝かしい笑顔を浮かべた。その反応に俺は「おや?」と思った。
平均並みの学力しかない佑哉が、授業が始まるのが楽しいと思うほど勉学を愛しているとは思えない。ならば、別の理由があるのだろう。しかし、全く思い当たらなかったため、直接聞いてみることにした。
「……あのさ、なんでそんな表情をしているんだ?」
「ん? ヘンな顔をしているか」
「いや、なんか楽しそうだぞ、お前」
「表情に出てしまっていたか。自分では隠しているつもりだったんだけどな。仕方がない、同志である庸一には教えよう。そこに運命が待っているからだよ」
こいつは一体なにを言い出すのだろう。
「君は、まだ物語の王道というのを知らないらしいね。物語の始まりは、いつだって転校生から始まるのだよ」
「つまりこういうことか? いつか転校生がやってくるかもしれないから、それを心待ちにしている。そのことを考えると楽しくて仕方がない」
「そのとおり」
「……一度、お医者に見てもらった方がいいんじゃないか?」
自分のことを棚にあげた発言だが、思わず口に出た。しかし、佑哉は飄々とした表情を浮かべるだけだった。
「宝くじが当たるのを夢想するのと同じさ。そこまで過度な期待はしていないし、誰かに迷惑をかけているわけでもない。それで毎日が楽しくなるのならば、ポジティブシンキングでいいことじゃないか」
「まあね」
勝手に思っている分には、誰にも迷惑がかからないから別に構わないか。
人の心を覗くことなんて誰にもできないのだから。