架空の作曲家の経歴
田中 除羅眼忌蘇をご存知だろうか。彼は偉大な作曲家にも関わらず、その名は知られていない。何故なら架空なのだから。
彼は19XX年に誕生し、ノーベル経済賞を取って銀行に努める父の義昌と、銀行強盗をする傍ら家事もしている母の蟹子に育てられた。
除羅眼忌蘇は早くも才能を発揮し、2才の頃にはショパンのエチュードを弾けるようになっていた。
だが父の義昌は音楽が分からない人だったので息子の天才さも分からなかった。父は音楽そのものが理解できず、エリーゼのためにとトルコ行進曲の見分けすらつけなかった。
しかし、母の蟹子は違った。多くのピアニストと不倫関係にある母は息子の才能に気付いた。この子はいつかきっと偉大な音楽家になると確信した蟹子はコネを使って除羅眼忌蘇に良いピアノ教師をつけた。
だが、除羅眼忌蘇が5才の頃、ストラビンスキーのペトルーシュカを弾く事が出来るようになった時悲劇が起こった。母の蟹子が誤って父の義昌のいる銀行で銀行強盗してしまったのだ。撃たれた父は大怪我をし、母は懲役600000年が課せられ、結果的に除羅眼忌蘇は両親を失ったので母の兄の海老男が彼を引き取った。
さて彼の小学生時代は傍目には苦しいものであった。彼のあだ名は「ピアノ弾ける野郎」であった。「よう、ピアノ弾ける野郎」と呼ばれ、いつもいつも思い切り殴られた。
しかし、彼が本当に苦しんだかどうかは疑問である。なぜなら彼は異常なナルシストで、悲劇の主人公になって皆から哀れまれる状況を好んでいたフシがあるのだ。まだ小学生なのに。
小学五年のころ除羅眼忌蘇はスランプに陥った。何故ならどんなに難しい曲を出されてもすぐに初見で弾けてしまう。自分には挑戦すべき壁がない。その悩みを得意気にクラスで言うといじめはさらに激しくなり、「ピアノ弾ける野郎」というあだ名が「高慢チキン」に変わり、一日に二度リンチされた。
それでも彼が本当に苦しんだかどうかは疑問である。彼は異常なマゾヒストでもあった。当時リンチした人からの話では、彼は蹴られる間うひひひと身をよじりながら笑っていた。そこで皆は怖くなってもっと激しく蹴ったと言う。
小中学校共に成績は最悪であった。特に中学二年の頃は、あまりに酷い授業態度とテストの答案の為か、オール0と言う前代未聞の評価がついて大問題となりニュースに載って教師がほとんど辞任した。だが、これは逆効果であった。自分の成績の悪さが先生を辞任に追い込んだ事を知った除羅眼忌蘇はますます図に乗り、中三の頃には一人の生徒をターゲットに、破滅するまで巧みに授業妨害した。その手口は巧妙で、具体的な行動をしないのに、なにか妨害に感じるような仕向け方をしたのだ。
しかしながら、いかに授業態度が悪かろうと除羅眼忌蘇の音楽の才能は本物であった。普通科のテスト点数こそ最悪なものの、特選で某音楽高校に合格した。
だが彼はそこに受験しておいてその高校を蹴って海外に行った。当然中学校やその高校の先生達は烈火の如く憤怒したが、その理由を以下のように話している。
「あぁ、日本の愚か者どもに思い知らせてやりたくてねぇ…だって俺は天才だもの、何が悪い。」
その行き先の某ヨーロッパ国で、除羅眼忌蘇は作曲家として活躍し始めた。が、彼は物凄い天才だったにも関わらず、全く人気がなかった。ある日の彼のリサイタルで彼が客席を見た時、彼はぼそりと言った。
「人気がない…人気がない」
この言葉は彼の唯一話したダジャレとして永久に保存されている。
なぜ、彼の作品には人気がなかったのか。理由は明確である。彼の作品を聴いた者、彼自身を除く演奏者は皆発狂した。彼の作品は狂った内容にも関わらずあまりにも説得力があったため発狂せざるを得ないのだ。演奏が終わるとホールには拍手の代わりに苦しみの叫び、あえぎ、嗚咽が安っぽいパニックホラー映画のごとく響き渡り、それと共に演奏者と観客が逃げ出し、その後その人等は暫くしてけたたましく笑いだし、その笑いが収まると精神が崩壊し、ただぐったりするだけで何事も反応しない廃人になった。従って彼の曲を批判する批評家はいなかったものの、批判以前に、初演以来「悪魔の音楽だ」と噂され、演奏者達もどんどん断る人が続出したのだ。(どうやって練習したんだよ、って質問は×)
やがて彼はクラシックからポップスに転換した。表向きは「天才が到達すべき真の芸術はクラシックみたいな複雑な音楽ではなくポップスの如く単純な音楽」だったのだが、真相は演奏の失敗による度重なる弁償でクラシックで食べていけなくなったからである。又、彼は帰国することにした。表向きは「千里の道は故郷から」と言う理由だが、真相は単に除羅眼忌蘇の異常さが輸出を拒まれたがために、その悪評が世界を渡って日本に伝わってないからであった。
幸い彼の作るポップ曲は人を発狂させなかった。むしろ人を洗脳させた。以下が大ヒット曲「パイロットの首が飛ぶ」の歌詞である。
~
1.緑のおうちの お腹に
遥かな未来の イル・ナンケストラウラウー
あああ 心臓と直腸つなげてよ
明日は ケミカルソースの 指が 増えるから
サビ:パイロットの 首が飛ぶ
この前 君の 眼潰し喰らって以来
俺の 仮面が とまらない
なくした 首返せ
~
歌詞は75番まであるが省略する。どの歌詞も「イル・ナンケストラウラウー」と歌われる。
このだれた宴会調の歌は大ヒットした。日本中、都会では必ず流された。
この曲のファンは催眠状態のような、ある種の特徴があった。実はこれが除羅眼忌蘇の狙いであった。彼は音楽で人を操ると言う、どこかのおとぎ話のような能力を身に付けたのだ。音楽で世界征服を。
数ヶ月後、「イル・ナンケストラウラウー党」を結成、当選。かくして除羅眼忌蘇の独裁が始まった。彼はハープを常に持ち歩いた。彼に反抗する者はいた。
「しねー!ジョロメキス!」
と刀を持って除羅眼忌蘇に迫る男に対し、ポロポロポロンとハープで妖しの旋律を流した。それを聞いた男はへなへなと崩れて、言いなりになってしまった。
だが、その独裁もある日滅びた。と言うのも官邸に銀行強盗が間違って侵入し、除羅眼忌蘇は大怪我をした。銀行強盗の正体はなんと除羅眼忌蘇の母、蟹子であった。脱獄していたのだ。
入院病棟で除羅眼忌蘇は未だに入院中の父の義昌と再開した。
父の義昌は未だに音楽が分からなかったが、そのために、除羅眼忌蘇の洗脳には奇跡的にも引っ掛からなかった。
久しぶりの再開に二人は話し合った。そして除羅眼忌蘇は父に、iPodで過去に作ったクラシック作品を聞かせた。父の音楽の分からなさは驚異的であった。全ての人が発狂したあの音楽を聞いても、父は発狂せずに静かに聞き、曲が終わると「うん、なるほど」とうなずくだけであった。そしてとうとう息子の最高傑作の交響曲を聞いた。
すると信じられない事が起こった。あの父親の目から涙が溢れ落ちたのだ。父親は言った。
「素晴らしい…良く分からないけど、素晴らしい…」
その時除羅眼忌蘇は悟った。自分の音楽は、音楽が分からない人に分かる音楽なのだと。音楽が分かる人には分からない音楽なのだと。全てが納得した。
以後は独裁生活をしながらも父のために音楽を作り続け、病院で演奏した。そのため病院では次々と発狂者が出た。
晩年の除羅眼忌蘇は自分は救世主だと言う妄想に取り付かれた。そしてあくる朝、勝手に自家製十字架を作って、勝手に腕に釘で打ち付けて、勝手に磔になって挙句の果て窒息死したらしい。93才の春であった。
なお彼の死後、自筆譜は全て燃やされた。