1-1金欠カバタとモネの娘(3) 貧乏マインド
「お帰り。」
今までで一番優しい笑顔だった。 すかさずウェイターが水と冷たいおしぼりを届ける。
「どうぞお客様。落ち着きますよ。」
口に含むとミントと柑橘の香りが広がり、呼吸がゆっくりになる。 火照った顔と手を拭くと、先ほどの動揺まで拭われた気がした。
「怖かったかい?」
「……はい。」
おしぼりを畳み、机に置く。
「こちらこそ悪かったね。金欠のあんたに大きな買い物の決断をさせた。負荷がかかったろう。配慮が足りなかった。」
さっきまでの尊大な態度とは別人のように、蓮見さんは頭を下げた。
思わず「え」と声が漏れる。
さっきまであんなにふんぞり返っていたのに。
案外大丈夫そうだな、と僕の顔色を見て、うんうんと頷く。
「…さて、お前の状況を整理しようか。」
僕は黙って頷いた。
「つまり……僕には、貧乏神が憑いてるんですか?」「そうさね、それで貧乏マインドのもと行動し続けて、今のお前の出来上がりというわけさ。」
命に別状がないと聞いて、ほっとする。
「貧乏神って……なんなんですか。」
蓮見さんは言葉を選びながら続けた。
「料金表を見せたとき、怖かっただろう。なぜだと思う?」
「呪いで認知が変わった……とか?」
先ほど聞いた言葉を引っ張り出し、それらしく答えてみる。
「そう。でもおかしいだろ?入学金や賠償金のときは、恐怖なんてなかった。」
確かに。
「そのときは善意が……」
「違う。」
即座に少し渋い顔で遮られた。
「件の神に憑かれずとも、コンビニでついでに買いしたりするだろう?
“お金がない”が口癖の奴ほど顕著で、しかも罪悪感がないのが特徴さ。
大抵は生活費の範囲でおさまるが…。」
おっと、そういうことか。
しかし、この前に電話した誰かさんにそっくりな人が出てきたものだ。
「お前の場合は違う。財産の底が見える程の大金を矢継ぎ早に失う。次第に“お金がない”という不安や社会的孤独感に支配され、お前自身がその感情にフォーカスするようになる。
……すると、さらに“お金がない”現実を引き寄せるのさ。」
そして、核心に触れる。
「その証拠に、頼れる家族や友人がいるのに、ほとんど頼ってこなかったろう?」
「……た、確かに!」
青天の霹靂。話を聞いているとどんどん楽しくなってきた。
「よし、あと少しだ。お前は“お金に執着”しながら、“使うこと”には恐怖が薄い。なのに今日は怖かった。それはなぜか?」
「神仕いに依頼しようとしたから……ですか?」
正解の自信があったが、蓮見さんは意味深に笑う。
「やつは、“身になる出費”を嫌う。貧乏人のお金の使い方ではないからね。お前が自分の思想の埒外に出るのが恐ろしいのさ。」
「じゃあこのままずっと……」
青いビニールシートの生活が頭をよぎる。
「いや、面白いことに、落ちきった頃には憑いてない。“あれ”は不安を味わう相手を好むんだ。受け入れた奴には、興味がない。」
蓮見さんはわざとらしく僕の隣に目をやる…
そこに“いる”と思うとぞっとしたが、攻撃してくるわけでもない。ただ認知を狂わせるだけ。
「今、強く干渉してきたからね。さっきの猫だましは牽制さ。サービスだよ。」
なんだそれ。でも素直に礼を言った。
「…で、変わるためにお前はここへ来た。怖いのは、それだけ本気だからさ。」
彼女はにっこり笑って続ける。
「でもね。どんなに怖くても、未来を助けるものなら使い所だよ。怖いときはGOだ。」
なんてことだ。
これまで自分がどれだけ無責任にお金を使ってきたか、思い知る。
提示された対処法は二つ。
ひとつは、蓮見さんに任せる。もう一つは、自力で直す。
「毎日神社にお参り……だけ、ですか?」
「そうさ。神をどうこうするにしては、ずいぶんお手軽だろう?」
ただし、時間がかかる。 蓮見さんは「一年、あるいはもっと」と曖昧に笑った。
「ひとつ面白い話をしよう。貧乏神は、最低限の生活費は残してくれるんだ。“活かさず殺さず”さね。」
…確かに、食うには困っていなかった。
これに耐えられるなら自分でも対処できるということか。
「神社の結界に阻まれて離れるが、出たらすぐまた戻るだろうね。でも、何度も張って剥がせば、少しずつ変わってくるさ。」
そんな、テープみたいに神の憑依を表現していいのか…
ようやく原因と対処法がわかった。
僕はまず自分でやってみると決め、蓮見さんに礼を言って店を出た。 その日は、判定家に先払いした紹介料以外、請求はなかった。