第一話 最初の火花
フェルディナント王国・摂政執務室
静寂の中、窓辺のカーテンが風に揺れた。
季節外れの陽光が差し込む中、執務机の向かいには、一人の男が静かに腰を下ろしていた。
「──ふむ。さすがに“氷の王妃”と呼ばれるだけのことはありますね。目線ひとつで刺されるかと思いました」
皮肉にも聞こえるその口調に、イザベルは微かに眉を動かす。
「アストラ王国の第一王子とは、もっと品位あるお方かと思っていましたが」
「それはどうも。けれど、誤解です。私はただ、あなたのあまりの美しさに言葉を失いましてね」
すらりと整った姿勢で、ジークハルトは笑みを浮かべたまま手を組む。
飄々とした態度、洗練された所作、そして不躾なまでに堂々とした視線。
イザベルは、内心で舌打ちを飲み込む。
(軽薄な男……こういうのが、最も信用できない)
だがその一方で、彼の名が外交の場で高く評価されているのも事実だった。
わずか数日の交渉で三国間の貿易摩擦を解消し、戦後も尾を引く南方紛争を収束させた実績。
「口は軽そうでも、手並みは確か……というわけね」
小さく皮肉を返すと、ジークハルトは口元をさらに緩めた。
「ええ、どんな難攻不落の相手でも、対話は可能ですから」
「誰が“難攻不落”ですって?」
イザベルの瞳が細くなる。その奥に宿る鋭さは、王族であろうと容易には触れさせない威圧感を放っていた。
だが、ジークハルトはまるで臆さず、朗らかに言ってのける。
「あなたです。摂政としての冷徹な判断力、揺るがぬ意志。美しさを備えながらも誰にも心を開かない。その在り方はまさに──砦」
「……そう。口説きの前置きとしては、少し長すぎるわ」
「おや、もうお気づきで?」
冗談めかす口調の奥に、わずかに真剣な色が差す。
「私はあなたに興味がある。国としてでも、個人としてでも」
「……あなた、正気?」
「もちろん。交渉の一環として──あなたを娶るのも、選択肢のひとつかと」
室内に、一瞬だけ沈黙が落ちた。
次の瞬間、イザベルは冷ややかに笑う。
「百年早いわよ、ジークハルト殿下」
そして、彼女の瞳は、冷たくもわずかに揺れていた。
(この男……ただの遊び人ではない)
——外交の駆け引きに、恋の駆け引きが重なるとき。
氷のような女王と、風のような男の物語が静かに幕を開けた。