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結晶法とは、結晶力を用いて特殊な現象を創出する行為のことだ。
天、地、海の三大元素を基にしながら、様々な形で現実に干渉する力のことであり、実行する者自体もまた結晶者と呼ぶ。同じ呼称なのは、結晶法を使えるのは結晶者だけだということが起因して、混同というか同義語として使われてきた経緯があるせいだった。
その結晶者には結晶石が必須であり、基本的には手の甲に埋め込まれている。結晶石は結晶力が蓄積されるもので、結晶力そのものは世界のあらゆるものが内包しているとされ、その源は大結晶となった聖神イェウタの力の残滓だと言われている。
また、結晶法は結晶者一人につき一つの属性で、得手不得手というより生来定められたものが一つで、複数の力は扱いきれない。他者の結晶石を吸収するのに制限があるのは、この属性による適性の有無に関係しているためと考えらえる。
『五分で分かる結晶法の基礎』の内容をさらっと軽くまとめるとそういうことだ。単純に言えば、魔法のようなものという理解で問題ないだろう。重要そうな神の存在は気になるが、今は置いておく。 結晶法の発動工程としては、
1.結晶石からエネルギーを抽出。
2.結晶力の創生、調整、発現。
3.発動、制御。
ということになる。小奇麗な概要を並べてみても具体例がないと分かりづらい。
火球という結晶法の例に例えてみよう。
1については特段言うことはない。使用したいと思えば勝手に始まる。仕組みなど分からない。人差し指を曲げる際に脳がそれをどうやって伝達しているかなど気にしないでもできるのと同様だ。
次。2の時点で火の玉を設計することになる。具体的な大きさや形の決定、実体の具現化ということを結晶式によって論理的に構築する工程だ。この結晶式というのが少し厄介で、通常の数式の定理とは違って解が一意に定まらない。
結晶式は感覚式とも呼ばれ、特殊な記号算のことを指す。結晶者にのみ各々の記号のようなものが視覚的にイメージとして想起され、それぞれの並びや大きさ、組み合わせで結晶式の調整が感覚的に理解できるというものだ。ある程度は共通の基礎知識としての記号の認識の仕方、組み合わせたときの法則性などが存在はしている。
他方で、イメージの汲み取り方、それぞれの解釈の仕方などで独自性が生まれるために一般化が大分曖昧になる。要するに、個々人で同じ結晶式を解読しようとしても、たとえ等式で解が与えられているように見えたところで、計算時に解釈という余白が大きく関与するために論理的に同じ答えに辿り着かないということになる。
先程の例で言えば、計算した火の玉の大きさは数値化しても一意に定まらない。よって他人が正確にそれを模倣して作れないといった塩梅になる。同じ結晶法でもあってもその時その時で微妙に異なるため、完全な複製は不可能で、人によって違いが出るといったところか。こうすれば誰でも同じものが作れるといった同品質での量産は不可だということだ。
それでもできるだけ一般化させようとしたものが感覚式であり、苦肉の策なのだろうとは察せられる。ある物事を普及させるためには、分かりやすくそうした手順が必須だからだ。何もないよりはマシだろうという配慮の賜物とも言える。
また、3については実体化した結晶法の運用に関するもので、火の玉を飛ばしたりその機能の解放を行うといった段階のことだ。結晶式の規定によって詠唱または所作が必要で、火の玉の例ならば「炎よ、駆けよ」と声に出したり、人差し指と中指だけを対象に向けるなどの特定の手振りが発動のトリガーとなる、といった意味だ。
この規定というのがまた曖昧で、結局のところ自身で定められる以上、必須かどうかは怪しいと思わずにはいられなかった。
一通りの内容を頭に入れて咀嚼してみても、自分の中ではすっきりとしないもの、腑に落ちないことが多かった。
しかし、ナナシが何よりも疑問に思ったのはそれらではなかった。
結晶法は各人に一つという項目が一番引っかかっていた。
正確には結晶石一つにつき一つの結晶法という部分だ。火なら火系、水なら水系といった特化した結晶法になり、違う系統の結晶法は使えなくはないが、実用性に欠けるほど著しく劣化した力にしかならないというものだ。
得意な系統を伸ばすという理屈は分かる。だが、だからといって他が伸びないという話はイコールではないはずだ。特化することに異存はないが、その他を切り捨てる理由にはなり得ない。事実、ナナシ自身はそんなことを気にせずに十分に使えている自負がある。そのことについて、アーシャにどう思っているのか確認する。
「どう思うも何も、一つに特化するのが合理的で唯一の道です。ままごと遊びにしかならない結晶法を使えたとして、それが何になるのですか?」
「いや、だから、安易にそう判断して切り捨てるのはどうなんだって話だ。鍛錬というか使っていくことで伸びる可能性はあるだろ。最初から見込みがないヤツもいれば、そうでない場合もあるはずだ。この訓練所は結晶力を強めるために存在しているわけだし、初めから一つに絞るだけっていうのは非合理的じゃないか?」
「何がですか?無駄な時間を費やすのは頭が悪いとしか言えませんが?」
アーシャはにべもなく否定した。
どうにも話が通じている気がしない。聡明な印象を受けていたが、この件に関しては頑ななまでにこちらの意見に耳を貸さないように思える。
機嫌が悪いのだろうかか。今は焦点を変えることにする。
「オーケー。なら、結晶法について別の疑問だ。結晶者のみが結晶法を使えるのが根底にあるとしながら、その源である結晶力そのものは僅かだろうと無石者にもあるってのは本当か?」
「……はい。とはいえ、結晶力はこの世界のすべてが内包するもので、それをほんの少し取り込んでいるだけに過ぎませんが」
聖神イェウタの力の残滓。この世界では結晶力をそういうものだと説明している。
RPG風に言えば魔法の動力源であるマジックポイントだ。体力とは別に精神力の一種として自然回復したりするアレだ。結晶法を魔法に準えると分かりやすい。そして、魔法使いでなければ魔法は使えないというのは理屈として分かる。その魔法使いである条件が、この世界では結晶石を持っていること、という話になるからだ。
結晶力があっても結晶石がなければ結晶法は使えない。出力ができないという話で理路整然としていて納得はできる。
だが、予備樽という存在がここで邪魔をしてくる。
それはとてつもなく非人道的な扱いで、差別的な名称ではあるが、詰まるところ結晶力の貯蓄タンクだ。人間そのものを結晶力そのものとして見立てたもの。結晶者が結晶石を没取された場合には無石者となるわけだが、その多くは潜在的な予備樽となる。
直接的に言ってしまえば非常食に近い。結晶力が枯渇した時に即座に補充するための補助電池でもいい。ただし、使用できるのは一度きりで充電型ではなく使い捨てになる。
結晶法を使い続ければ結晶力が底をつくのは当然だが、戦闘などにおいて悠長にその自然回復を待っていられない。その回避策の一つが、この予備樽だ。邪物などという敵がいる世界では、綺麗事だけでは生きていけない。そのために実際に利用されてきた歴史があり、いざというときに命ごと奪われる存在が容認されていた。
ナナシが問題にしているのはしかし、倫理的なことではない。
その予備樽、つまりは無石者の特性についてだった。
「ああ、それだ。結晶力を取り込むってやつ。無石者の予備樽とやらから結晶者は吸い取れるわけだろ?なら、その手段は吸収っていう結晶法を使ってることになるんじゃないのか?」
「つまり……?どういう意味でしょうか?」
「だから、普通は他人から結晶力を奪うなんてことは自然にできないもんだろ。なら、それができるのは結晶法を介しているってのが論理的な結論だ」
「……なるほど、結晶力の補充方法について仰っているわけですね?仮にそうだとして、それが何か?」
「何かって、結晶石一つに結晶法一つって前提がそこで既に崩れてるんだぞ。俺はこの世界で常識とされている結晶法の基本そのものが、かなり怪しいんじゃないかとそう言っている」
さらっと目を通した本の表紙を指で叩く。
結晶力の吸収については一つの能力のようにできて当たり前な書き方をされているが、その正体は結晶法に違いない。その場合、各属性に関係なく使用できている時点で、前提がおかしいとしか思えない。載っている内容について、所々で合理性がないというか、違和感が常につきまとっていた。
結晶法はこの世界において、何よりも重要な要素の一つだ。あらゆるものがそれに拠って立っているところがある。それなのに、結晶法の根幹部分がどうにも曖昧だ。もっと研究なり考察なり深く掘り下げて然るべき対象なはずなのに、どこか浅い。
物質が原子という微小な粒子でできていることまで突き止めた科学的論証の世界にいたためか、この結晶法の正体についてもっと然るべき本質的な何かがあってもいいのではないか、そういう考えが頭から離れなかった。既に二千年近くもそれを使用しながら、神の力の残滓から成る何かという抽象的な説明で満足しているのが信じられなかった。
「吸収することが結晶法だと認識はしていないですね。面白い見方だとは思いますが」
そういうことではない。ナナシはどうにも話が通じないことに苛立ちを覚えたが、アーシャの表情を見てすっとその波が引いていくのが分かった。
本当に何のことを言っているのか理解していない、というよりも理解する必要性を感じていないといった感覚を彼女から感じたからだ。今日は風が強いな、くらいの感覚でしか受け取っていない。強烈な違和感というか認識のズレを垣間見た。真剣に受け取っていないというわけでもない。ただ、自然に受け流されていた。
何かが奇妙だ。説明できない漠然とした不安を覚えた。
「……ちょっと話を変えるが、ヤーンロット家ってのはこの大陸だとどのくらいの位置づけになる?」
「本当に急ですね……三英傑の分家の中ではそれほど高いレベルだとは認識はされていませんが、上流階級には違いありません。表の名家に名は連ねていませんが、現当主の悪名で裏名家には確実に並んでいて、その名は轟いているといっていいでしょう」
「裏名家?あいつがロクデナシなのは分かっちゃいたが、そんなに酷い経歴が?」
デガウスについて知っていることは多くはない。後で時間があれば調べようとは思っていたが、他に優先度が高いことがありすぎるのが実情だった。
「本当に知らないのですか?自分の門閥がどういったところなのかも気にしないとは、どれだけ頭がお花畑なのですか?」
さりげなくどころかストレートに毒を吐いてきた。門閥というのは特定の結晶者集団の派閥を表わす。要するに、ナナシの場合はヤーンロット家の門閥所属というわけだ。
「調べる暇もなかったんでな。ついでに言っておくが、選択の余地もなかっただけだ」
「……私も詳しくは知りません。伝聞でどこまで本当か分からないので、その内ご自分で『ナフタの大虐殺』について調べて見たらよいかと思います」
その不穏な単語一つだけで、もう悪い予感しかしなかった。覚えておくことにする。
「それで、結局何が言いたいのですか?」
アーシャはすっと目を細めた。やはり理知的な輝きがその翡翠の瞳から滲み出ていた。
しばし考えを巡らせる。今のやり取りは普通だった。受け答えの内容というより、その口調だ。ナナシが気になっていたのは最終的にその辺りだと改めて気づく。結晶法の時とは決定的に何かが違った。会話のテンポというかリズムが乱れていないし、奇妙に感じる感覚が一切しなかった。
それが何を意味するのかは分からないが、今は保留にしておく。
「いや、何となくは掴めたと思う。俺の結晶法が何か、ってことだったな」
「はぁ……ここで本題に戻るということですね?強引な話の転換は話術として時に有効ですが、貴方様のそれは何か意図があったのか不明瞭すぎます。立場が違っていたら、問答無用でその股間を蹴り上げていたところです。役割上、口には出せませんが」
「思い切り口にしているがな……」
「貴方様が聞こえないふりをすればいいだけの話です。そんなことも分からないのですか」
なぜこっちが責められるのか。ナナシはアーシャの性格が読めなくなってきた。理性的で聡明だと思っているが、頻繁に合理性に欠ける発言が飛び出している。単に我慢が利かずに吐露しているだけなのか。若さゆえの未熟さだろうか。
「お前、従者として協力する気はあるんだよな?」
「その品定めをたった今しているところですが?」
「人を商品扱いするな。それに、拒否できる権利があるのか?」
「あるわけがありません。言っておきますが、私はヤーンロット家には仕方なく属しているだけですが、逆らえる立場ではありません。誤解はしないでください」
混乱させる言い方は止めろ、とナナシは口にはしなかった。また毒舌が飛んできそうだ。
おかしいな。一応俺の方が上の立場だと認識してるんだが、さっきから気を遣ってるのはずっとこっちな気がする……
あまり深く考えるのはやめておいた。本題に頭を切り替える。
「それで、だ。俺の結晶法は一応、風系ってことになるんだろうな」
一つに限定するつもりはないし既に他にも試せていたが、先程のやり取りから微妙なことになりそうなので話は合わせておく。
「天の属性ですか。ヤーンロット家の門閥としてはふさわしいですね。測定値もかなり高かったと聞いています」
「ああ、一応上位に入るらしいな。といっても、20レベルから始まるから関係ないが。というか、ふさわしいのってのは?」
「知らないのですか?勉強不足も甚だしいですね。ヤーンロットというより、ウィグルヤーン家の直系の結晶法は代々風だということです……実は本当に子孫だったりしませんよね?わけあって素性を隠しているのでしたら、早めに教えて頂かなければやりにくくてかないませんが?」
「んなわけあるか。だいたい、俺がそんな大層な身分だったら、お前はそんな態度でいられるのか?張っ倒されてるレベルで失礼だぞ」
三英傑とかの性格は一切知らないが、デガウスの高圧的な態度を知っているだけに、皆あのレベルなのではないかという偏見がある。今のアーシャのような話し方は暴言でしかないだろう。
「そこまで無礼ではないはずです。そもそも、貴方様がそんな身分であらせられるはずがないという判断のもとで適切に対応しているつもりです。私は考えなしの猪武者ではありませんので」
無自覚だったらしい。十分お前は無礼だけどな!とツッコミを入れたいが、我慢する。
俺は大人なので若気の至りには寛容であるべきだと思っている。いや、本当に自分が大人なのかは知らないが、そう無意識に思うということはそうなのだろう、多分。
「それはそうと、先程の結晶法の前提条件云々はどういう意味だったのですか?」
アーシャは真っすぐにこちらを見つめてくる。
理知的な知性の輝きがやはりそこにはあった。しかし、先程の会話の違和感がまだ拭えていなかったので、今はあまり深く追求するのは避けたかった。他の視点や意見も加味したい。
「ああ、とりあえずそれは保留だ。気にしないでくれ。そうだ、ちなみにお前の結晶壁の感覚式をちょっと書いてみてくれないか」
やや強引な話題転換だったが、アーシャは素直にノートにそれを書いてくれた。
この世界では紙は普通に普及しており、ノートに鉛筆、消しゴムというやや現代的なアイテムは普通にあった。中世風の時代観だとやや戸惑うが、綺麗なガラス窓や水道設備も整っていることからも、元の世界の時代背景で判断はできない。馬車が乗り物であることや、電灯ではなく燭台系の照明が一般的なインフラ世界でも、ものによってはもっと近代的だ。
「……この記号は一般的なものなのか?」
たった二行の感覚式を覗き込んだけで、ナナシは頭が痛くなった。何一つ知っている記号がそこにはなかったからだ。
「半分ほどは共通記号のパターンです。残りは私固有の改良があることは認めますが、それでも推測可能な範囲の汎用性の高いものだと思われます。理解できないのですか?」
皮肉やバカにした響きはなく、戸惑いの方が強く感じられるアーシャの声音だった。
「ああ。これを見てもまったく何も浮かばない……ただ――」
不意に最適な順番が見えてきた。こう並び替えればより見栄えがいいというか、すっきりするなという漠然とした感覚だ。
それをなんとなく書き出してみる。
「こんな感じの方が良さそうだっていう、訳の分からない確信はある」
正にそれは感覚が導き出したものだった。規則性や理屈はない。フィーリングで並びが気持ちいいと思っただけだ。
アーシャはそれを見てはっとする。
「……これは……」
「どうした?」
「いえ……ちょっと待ってください。少し考えてみます」
良く分からないが、急にアーシャが黙考し出した。ナナシの書いたものをずっと睨んでいる。
何か変だっただろうか。試しに自分でその感覚式に沿って結晶壁を構築してみる。
部屋の中なので、意識してできるだけ小さくするように心がけた。
しかし。
「うおっ……!?」
手のひらサイズで出そうとしたその壁は、幅は想定内だったものの、なぜか縦方向にとてつもなく伸びていた。天井を限界突破するほどに。
慌てて取り消すが、アーシャが気づかないはずがない。底冷えする視線が突き刺さってくる。
「……一体何をしているのですか?」
「いや、ちょっと試してみようかと……」
「そういう迂闊なことをするのは3才児までしか許されませんよ。だいたい、これの終了条件はどこにあるのです?」
「しゅーりょー条件?」
予想外な言葉に理解が追いつかない。感覚式というものにまるでそぐわない項目が出てきた。
「まさか、基本最低要件もなしに改変したのですか?はぁ……」
これ見よがしにクソ長溜息をつかれる。どうやら感覚式と言えど、何がしかの必須項目があるようだ。オールなんとなくで行けると思ったのに裏切られた気分だった。
感覚式の風上にも置けないじゃないか。
ナナシの憤慨をよそに、その後、アーシャの感覚式講座がみっちりと行われた。
結果的に基礎を学べたのだが、どこか納得がいかない気分のナナシだった。
そして結晶法についてより深く学ぶためには、おそらく専門家の意見が必要だという思いが強くなった。