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その連絡が来たのは突然だった。
色々と伸び悩んでいた時だったのでまさかの助け舟かと淡い期待を抱いたのだけれど、それも一瞬だった。
何の説明もない任務変更。
今まで調査した分についても特に聞かれることもなく、ただ新しい役割を与えられた。
意味が分からなかった。
けれど、それを質問する権利は私にはなかった。
命ぜられたのなら、その命令を着実にこなすだけ。別にそれはいい。そういうものだと受け入れている。
違う任務だというのなら、淡々とそれを実行するだけ。そう思っていたはずなのに、内容を見て思考が停止した。
――序列一位を目指す者のサポートを従者として果たせ。
単純にして簡潔な命令。しかし、意味が落ちてこない。一体何を命令されたのだろう。
ここはノージェルフォール結晶法訓練所だ。大陸でも屈指の名門所と言える。その頂点を目指す者のサポートとは一体どういうことなのか。それほどの実力者がヤーンロット家にいるという話は聞いたことがない。その頂がどれだけ高みにあるものなのか、ここで知らない者などいない。
真っ先に考えたのは、体のいい厄介払いだ。無理難題を突き付けて自分を排除しようとしているのか?
すぐさま否定する。認めるのは虚しいが自分にそこまで手間をかけるほどの価値はない。
つまり、本気だということか。
アーシャは重い重いその任務にただ呆然とするしかなかった。当初のものとはまったく毛色が違う上に、ノウハウも何もない。
それでも、やらねばならない。
現状の立場を捨てるわけにはいかない。既にこの身を捧げたのだ。他に道はない。
改めて、仕えるべき相手のプロフィールを確認する。
あまりに少ない情報と似顔絵。
ふざけているとしか思えない薄っぺらさだったが、文句を言う相手はいない。常に手持ちの札でどうにかするしかないことは散々学んでいた。
絶望を抱えながらも、頭をフル回転させる。
それが自分の武器だと知っていた。それだけしかなかった。
真っ先にやるべきことは決まった。
「――そういうわけで、まずは結晶壁を出してください」
「いや、どういうわけだよ!?」
訓練所の中庭らしき場所で、突然そんなことを言われても戸惑いしかなかった。
何かしらここの説明を受けられると思っていたので、斜め上からの導入過ぎて頭がついていけない。
「問答無用です。そこから始めないと何も始まりません」
アーシャは眼鏡の奥で翡翠色の瞳を細め、徐に前方に半透明なレンガのような壁を出現させた。
結晶法の一種なのだろう。ナナシは結晶壁という言葉の知識が降ってくるのを感じた。どうやら、結晶者なら誰でも使える防御専用のバリアのようなものらしい。特に決闘時に用いられるとか色々と情報が入ってくるが、今は理解している暇はない。
「無抵抗でもかまいませんが、私は悠長に待つつもりはありません」
そのままアーシャがその結晶壁をナナシの方に押し出したからだ。無表情に淡々とタスクをこなしているだけ、という行動指針に確固たる意志を感じた。何を言っても、止まってくれそうにはなかった。
こちらも対抗して結晶壁とやらを出さねばならないらしい。それが暗黙のルールのようなものだということは薄々感じていた。
だが、たった今聞いたばかりの見知らぬものを出せと言われても、すぐさま反応できるはずもない。
(おい、どうやって出すんだ?)
焦って内部の相棒に助けを求めるも、
(うーん、あんまり使ったことないんだよね。『ユアを護って!!』みたいな感じでお願いすれば出るかも?)
(アバウトすぎだろっ!?)
まったく使えない助言をもらって、とにかく壁をイメージして展開してみることにした。使えることだけは分かっている。方法が不明なだけだ。
よくよく思えば、結晶法については未だに万事がそのような状態だ。それを学びたくてここに通うことにしたという面もある。口より手を動かせと言うことならやるしかない。実践的訓練法だ、そう納得して実行した。
とっさに発動させたからなのか、突如自分を囲むように部屋ができていた。四方を取り囲む壁の中に閉じ込められた形だ。壁の材質は不明だが、金属製の頑丈そうな何かで金庫のようにも見えた。窓もドアもないので完全に引き篭もり状態で、これじゃ外の様子が見えないだろうと内心思っていたら、壁掛けのモニターで確認できた。どこのセキュリティリームだよ、という突っ込みを自分の無意識に対して行っておく。
ともあれ、驚いているアーシャの姿がそこにあった。無表情な顔しか見ていなかったので、その様子は新鮮だった。美人はどんな顔をしても映える。
(うっわー、なにこれー!?)
そのリアクションはユアリィの方にも伝染していた。ハイテンションな声が響く。
(こんな結晶壁見たことないよっ!しかも、完全具現化してるし)
完全具現化というのは結晶法が現実に物質として存在する状態のことだ。勿論一時的なものだが、結晶法は基本的にその場限りの消費物で、分かりやすく言えば効果を一回発揮して消える使い捨ての道具だと思えばいい。その場に存在し続けるのはイレギュラーな使い方なので、分けて考えられているといったところだ。
思えば、アーシャの方は半透明でそこまでの実態を持っていない。どうやら、その辺はうまくコントロールして具現化は抑えるものらしいということが、何となく今更に分かった。おそらく維持するためのエネルギー消費の関係だ。
(急にやれって言われたから、加減なんか分からるはずもねぇだろ……)
言い訳がましくそう言うしかなかった。
「一体何をしているのですか!早く消してください!」
モニター越しにアーシャの焦った声が聞こえた。
出せだの消せだの勝手だな、とつい思ったことを口走っていたが、結晶壁に阻まれて聞こえなかったようだ。
「早く消してください!これだけの結晶力をこんなところで発動させたら、余計な気を引きます。厄介事を望んでいるのですか!?」
二度も繰り返し、かなり真剣な声音だったので、洒落にならない事態を引き起こしそうなことは理解した。なぜかこの結晶壁はまずいようだ。
「つっても、どうやって消すんだ、これ?」
なんとなくで発動したので、なんとなくで消えないかと思ったが、どうにもうまくいかない。
(解除命令?みたいなのを出せばいいんじゃなかったかなー)
ユアリィの助言はどこかふわふわしたものだったがヒントにはなった。ただ消えろと言うだけではダメなようだ。
明確に何かキーとなるものを含めればいいのか。そのキーは曖昧ではっきりとは分からなかったが、それっぽいものが浮かんだのでそれで結晶壁を消し去った。
一瞬で視界が元のものに戻る。あの部屋にいれば外界から完全に隔離されて邪魔されない気がしたが、維持のためには結晶力が必要なので永遠にそうしてはいられない。現に、結晶力残量を見るとかなり減っていた。長時間の稼働は絶対に無理だった。
「……とりあえず、場所を移します。ここにはもういられません」
その意味を問う間もなく、どこか呆れた様子のアーシャがすたすたと先を歩いて行くので後を追う。
本当に説明が足りない案内役だ。今の結晶壁には何の意味があったのか。
やがてまた別の開けた場所へとアーシャはやってきた。
ここも訓練所の中庭に該当するのだろう。どれだけ広い敷地なのか、ここに来るまでにもこういった場所が他にも確認できた。
「ここならば、多少は紛れるでしょう。しばらく結晶法は使わないでください。いいですね?」
木製のベンチに腰かけながら、アーシャはまた無表情に戻っていたが、その視線は今歩いてきた方角を油断なく見つめていた。誰か追手でも警戒しているのだろうか。
俺の方はそっちよりも、目の前の人だかりの方が当然気になった。
輪の中心には上半身裸で殴り合う男が二人。
いつぞや見た決闘のようなことがそこでは行われていた。
「あれは……?」
「単なる鍛錬です。気にしないでください。それより、先程のことです」
軽くあしらわれるが、気にならないはずがない。
「来いっ!」――バチン!「もっとだっ!」――ドカッ!「こっちの番だ」――ビシッ!「足りんぞ!」
という掛け合いと身体がぶつかる音。「ふんふん!!」「ああっ!」「はぁはぁ」「ふおぉー!」という暑苦しい息遣いや呻き声が響き渡っている。
気にするなというのは無理だ。
しかし、アーシャは本当に聞こえていないのか、冷静に話を続けた。
「貴方様の結晶力がなるほど、かなりのものであることは確認できました。目標がお花畑のイカれた妄想であることは変わらないものの、少なくとも便所の落書きより多少はマシな計画性があったことは認めます」
いきなり物凄いバカにされている気がするんだが?
「実現性が低いことを論じても、既にここにいる時点でどうしようもないものとして受け入れます。ですので、まずはこの訓練所における最低限守るべきルールを説明商と思いますが、よろしいでしょうか?」
「……ああ、頼む」
色々と言いたいことはあるが、下手に口を挟んで流れを変えたくなかった。少なくとも、ようやくまともな滑り出しの話題になってはいる。
少し距離を開けてアーシャの隣に座り、事務的に言葉を紡ぐその声に耳を傾ける。
淀みなく説明するそのその手際は見事で、予め用意されたものを読み上げているように感じた。実はしっかりと準備していたのではないだろうか。
そんなことを思いながら、一言一句聞き逃すまいとナナシは脳内でひたすらにメモを取り続けた。
とにかく長かった。
そんなに一気に言うなと言いたかったが、止められない。何かパンフレットや規則書のようなものがないのだろうか。
とてもじゃないが普通は覚えきれない。幸い、ナナシには可能だったが、通常では考えられない量だった。まずは、と切り出すボリュームじゃなかった。
逆に、それをすらすらとそらんじるアーシャもただ者ではない。必死に記憶した。
「――以上がおおよその概要です。理解できましたか?」
出来の悪い生徒への確認をするようなアーシャの態度を気にすることもなく、ナナシはすぐさま疑問を口にした。
「オーケー。だいたいは把握した。けど、幾つか質問があるから、まずはこっちでまとめたものを言う。何か認識が間違っていたら指摘してくれ、いいか?」
即答してきたナナシに驚いたようなアーシャだったが、静かに頷いた。
「……どうぞ」
ナナシはすぐさま頭の中で整理したこの訓練所のルールを箇条書き風に羅列する。
一つ、ここの訓練生は1から20の階級、結晶石レベルがあり、実質的な順位を表わしている。入所時は例外なく誰もが20からスタートする。
一つ、その結晶石レベルによって訓練所内の行動に制限や条件が課され、上位であるほどその自由度が高くなる。
一つ、結晶石レベルは絶対的に管理・記録されたものであり、詐称したり任意に変更したりはできない。
一つ、その結晶石レベルによってコースが三つに分かれており、一年目をセグンド、二年以降がプリメール、それ以外の特殊なコースをピキュールと呼ぶ。
一つ、プリメールはレベルが14以上が必須条件で、訓練所卒業は7レベル以上となる。
一つ、セグンドの昇級試験は三か月ごとに行われるが、その他は自身の申請で任意のタイミングで実施可能。回数制限はないが、不合格時はレベルが1以上降格処分となる。
一つ、セグンドの一年間で14レベル以上に昇格できない場合は、強制退所か予備樽扱いとなる。
一つ、訓練所内ではいかなる所属による立場であっても、基本的には結晶石レベルが優先される。
一つ、上位コースから下位への決闘の申請は禁止する。これはレベルにおいても同様に適用される。
一つ、訓練生の決闘には両者の合意と訓練所教官の許可が必須となる。
一つ、訓練所内の中央歩行時に関しては、前述の許可は必要ないものとする。
一つ、教官への敵対行為において反撃が成立した場合、降格処分が行われる。
一つ、各種講義の受講は任意だが、実技演習は必須項目とする。
「……もうその辺で結構です。長すぎます」
まだ幾つか残っていたが、アーシャに遮られる。
長いとは心外だった。そもそもの発端はそっちなはずだ。
「貴方様が意外にも明晰な頭脳を持っていることは理解しました。ゴール設定が狂人のそれであることが不可解ですが今は置いておきましょう。質問とやらをどうぞ」
「……なら、まずは――」
こっちも今は流れに任せようと疑問点をあげようとしたところ、
「――見つけた」
不意に背後から見知らぬ声がして、はっと振り返った。
そこにはいつの間にか見知らぬ少女がこちらを覗き込むように立っていた。この訓練所の制服をルーズに着こなし、黒を基調としながらも白いメッシュ状のコントラストで目立つショートボブのヘアスタイルと、挑戦的な猫目が印象的だった。
まったく気配もなく忍び寄ってきた彼女は、そして開口一番奇妙なことを言ってきた。
「ねぇ、あたしと組んでよ」