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ノージェルフォール結晶法訓練所。
世界のために尽力する優秀な結晶者を育成する機関。
一つの都市が丸ごと、その施設のために作られていた。
街の名はそのままノージェルフォールだが、その名が示すものは間違いなく訓練所の方だった。
訓練所というのはこの世界に幾つもあるが、本当に重要なものは三か所のみらしい。ここはその一つだ。
そんな重要施設になぜか入所することになっていた。
俺の理解ではある種の教育機関だという認識なので、この世界について知るのには丁度いいとも言えるが、他人の思惑で強制されている点は不満だ。前代未聞的カオスな自身の状態を確かめる間もなく状況に流されてしまっている。
立ち位置が見えないので仕方がない面があるとはいえ、状況の変化があまりにも激しすぎて後手後手になっているのが気に食わない。他人に勝手に舵を取られて漂流しているようなものだ。
「まぁ、グチを言っても何も変わらないんだが……」
(ほぇ?何か言ったー?)
体内から聞こえるこの声についても悩みの種の一つだった。
(む?何やら失礼センサーに感あり?)
「失礼もクソもない。お前がもっと使えるヤツなら楽だったのにと思っただけだ」
(ちょっ!?やっぱり失礼じゃないかなっ!?だいたい、勝手に入ってきたのはそっちだよー)
「それはそうだが、そうしなきゃお前死んでたからな」
(だからお礼に身体を受け渡してるじゃん?美少女のぴちぴちぼでーだよ?よっ、この果報者!)
「……色々間違ってることを自分で言うな。それに、お前の場合は単に面倒くさがってるだけだろ。普通はありえないぜ……」
(そうかなぁー?ユアよりビビビっと結晶法を使えるんだから、その方がいいじゃん?)
「俺が言うのも何だが、本当にそれでいいのかよ」
(おーけー、おーけー。こうやって外を自由に歩けるのもナナちゃんのおかげだしー)
「誰がナナちゃんだ」
こいつと話していると時々頭が痛くなる。楽観主義なのは良いことだと思っていたが、時と場合によると実感している。
(まぁまぁ、気にしない方向で。それより、ナナちゃんずっと声に出してるけどいいの?独り言が激しい変な娘だって思われるよ?)
「おっと……」
その指摘はもっともだ。思わず口を抑えて周囲を見回す。幸い、気にしてる視線はあまりなかった。
訓練所の入口から少し外れた場所にいたことが幸いしたようだ。
敷地内に入る前に心を落ち着けようとして正解だった。過去の記憶はないが、ナナシは自身を慎重な性格だと自己分析をしている。何事も準備をしてから実行したい派だ。
(あれー、もしかしてビビっていたのかな、かなー?)
融合しているせいか、ユアリィとはお互いに思考が少し通じることがある。隠し事ができないというのはあまり気分が良いものではないが、隠すほどの何かを自分が持っていないことも事実で、複雑な心境だった。
(無駄に煽るな。無知のまま突っ込んで余計な面倒事を増やしたくないだけだ。ここじゃ従者みたいなのが付くって話だったからな。まずはそいつを捕まえて色々と話を聞くつもりだ)
会話を脳内のものに切り替える。
ユアリィに融合している状態の便利機能の一つだ。まだ慣れていないのでどうしても先程のように普通に声に出して会話してしまうが、こうして音もなく対話が可能だった。
(そういえば案内役を既に配置したって言ってたねー。どんな子かな?楽しい子だといいなー)
(それより答を聞かせろ。俺たちのことを話すべきかどうか、それによって立ち回りも変わってくる)
昨夜の時点で同じ質問はしていたが、当日までに考えておくという保留の返事だった。未だにこの少女の性格が読めない。
一体化、あるいは共生、主観的には融合している相棒のことについて、俺は未だに良く分かっていない。
成り行きと偶然と勢いでその内部へと潜り込んだ少女の名はユアリィ=ブラニューデ。この世界では毒娘という特異な結晶者として知られていた存在だ。前例のない特殊なこの状態については、無闇に公にはできない。信用できる相手を見極める必要があった。
今回、この訓練所に入るにあたって、従者のような役割の人間との距離は当然近くなる。打ち明けて仲間に引き入れる選択肢も視野に入れなければと俺は考えているが、ユアリィがどう思っているかはまた別の話だった。今はなぜか俺がユアリィの身体を動かしてはいるが、当然ユアリィ自身も制御できる。
二人の間に意識のずれがあって、行動に一貫性がなくなるのはあまりよろしくないだろう。そのための必須の前提条件の確認だった。
(うーん、てけとーでいいんじゃない?)
だが、ユアリィの答はあまりにも間の抜けたものだった。真剣さが感じられない。
(いやいや、もっと危機感を持てよ!俺たちのこの状態ってのはかなり特殊なんだぞ?下手なところにバレたら実験台にされかねないって話を聞いていただろ?)
(そうはいってもなぁ……ユアってば、もともとずっとそんな感じだったし?)
その切り返しは反則だろうと思う一方、納得できる部分もあってそれ以上言葉が続かなかった。
ユアリィはおおよそまともな生活環境で暮らしていなかった。この世界での『普通』が未だに良く分かっておらずとも、異常なことは明らかに分かるほどだ。こっちがそれについて察しておくべきことだったかもしれない。
微妙に間が空いたことに気づいたのか、気にしなかっただけなのか、ユアは唐突に別の話題を切り出した。
(それで、結局ナナちゃんはちゃんと眠れたの?)
(ん?どういう意味だ?)
(そのまんまー。結晶石って眠る必要あるのかって自分で言ってたでしょー?)
(それなら既に何日かもう眠っているだろ?今更聞く必要が……ああ、ちゃんと意識して眠れたかどうかの確認か)
(そそそ。睡眠って休息のためでしょー?すやすやって、気持ちいいよねー。あ、ユアも眠くなってきたかも)
(おい、今寝るなよ?お前、仮眠というか寝落ちが多すぎるだろ。せめて昼間はしゃんとしてろ)
(やだ!ナナちゃんがいるんだからいいじゃん)
即否定とは勘弁してもらいたい。肝心な時に片割れが実は寝ていましたとか、洒落にならない事態だ。未だにこの融合状態のバランスや条件等、様々なことが不明である以上、非常事態に備えて互いに対処できるようにしておきたい。それなのに、パートナーがこれほど自堕落なポンコツでは話にならなかった。
いっそチェンジしたいところだが、それも叶わない。融合先をもう変えることはできそうにないことは薄々感じていた。
一つ、深く息を吸い込んで吐き出す。深呼吸だ。身体があってこそできる精神安定方法。元凶である本人の身体で行っているのが皮肉だが、効果に支障はない。
思考をクリアにして、現在のユアリィと自分の状況を確認するために、改めて思い出すことにした。
訓練所などと言う場所に所属することになった経緯を。
自我のある結晶石として毒娘ことユアリィの肩口に融合した後、その少女の知識を閲覧することが可能となった。
その仕組みや原理は一切不明だ。どうやってなどという疑問は最近、もうどうでもよくなってきた気がする。
できる気がして実際にどうにかなった。そうとしか言えないし、そういうものだと納得するしかなかった。この世界には科学的、論理的に説明できる要素が揃っていないし、懇切丁寧に解説してくれる天才もいない。自分の半端な知識で理解できるとは思えなかった。
とにかく体感した事象は事実として認めないと何も進まないというわけだ。
コンピュータのファイル操作をするイメージで、ユアリィがもつ世界情報や結晶法、彼女自身の記憶などのフォルダの中のファイルを見た感覚だ。文字や言葉に関しては、どうやら自動で翻訳されるらしく理解するのに問題はなかった。
問題はそれらの情報の中に、今の自分に当てはまるものがまったくなかったということだ。
この世界でも人の意識が結晶石に宿るなどという例は皆無だった。ユアリィが知らないだけという話もあったが、残念ながら特権階級の人間でもそんな話は知らないということなので、大分異常な状態であることは確認済だ。
つまり、現状では結晶石としての自分、ナナシの存在がどういったものであるかは不明である。
その上で、ユアリィという結晶者に融合している以上、社会的、身分的にはユアリィのものが適用されることになる。
それが問題となった。
この世界における結晶者としての存在価値は一つに集約される。
――来るべき時に備えて何よりも強くあること。
『その時』がどんなものかはまだ良く分かっていない。大雑把に言えばよくあるファンタジーものの大魔王の復活だとか破滅の災厄だとか、そういう危機的なことを指すようだ。それらに対抗できるのが結晶者であり、そのための力を得るためならあらゆることが許容されるのが常識とされている。
強くなって世界のために戦えるのなら、誰に何をしてもいいし、必要なものは奪っても壊してもいい。極論的にはそういうルールでこの世界はまわっていた。
どこの世紀末だよ、と思わなくもないが、実際にそうした現実を体験した後ではまったく笑い飛ばせなかった。弱肉強食を地で行く世界観だ。適応しなければ死ぬ。
いずれにせよ、ユアリィがその結晶者でその所属先がヤーンロット家ということが厄介だった。
結晶者には絶対的な三大巨頭のような存在があり、歴史的には三英雄として世界にその名を知られている。その直系の子孫である三英傑と呼ばれる王族たちがこの世界をほぼ三分割して統治していて、ヤーンロットはその一つであるウィグルヤーン家の分家にあたるらしい。
直系ではないとはいえ、その権力はかなりのもので一般的な立場からすると殿上人のようなやんごとなき身分にあたる。端的に言えば逆らうことなどとんでもないという特権階級だ。
ユアリィにとってある種の身元保証人がそんな階級の結晶者だったので、そこへ融合した俺の立場もまた微妙なものとなった。
自分は別人だからこれからは自由にやらせてもらうぜと啖呵を切りたいところで、絶対的な契約関係が成立しているために叶わなかった。
結晶者は基本的に何らかの形で貴族や王族の派閥に所属することが半ば義務のようになっており、その契約形態は主に三つある。すなわち、隷属と朋属、眷属の契約だ。後者二つはある意味で対等な同盟関係のようなものだと思えばいいが、前者のそれは名前から分かるように一方的な服従関係となる。
結晶者にとって結晶力という絶対的な指標があり、その差によって完全に支配される身分が作られる。ユアリィはその隷属の契約をヤーンロット家の当主と結んでおり、生殺与奪権までも握られている状態だった。
ナナシがユアリィに融合したからといって、その契約が破棄されることはないということだ。
お尋ね者上等で逃げてもいいと考えていたが、そう簡単な話でもなかった。この契約は結晶力に基づいており、逃げ隠れしたところで強制的に呼び戻す機能があるという。契約によって見えない鎖で縛られているようなイメージだ。勝手に遠くへ離れようと、その鎖が主人の手にある限り引っ張られて連れ戻されるようだ。
酷く理不尽で非人道的に感じるが、そんな謎の強制力に対抗する術は今はない。
そういうわけで、ナナシは契約破棄の自由を勝ち取るために一時的にこのヤーンロットの主人と取引をするはめになった。
ある仕事を達成することでユアリィの隷属の契約を破棄するというものだ。
正直、どのくらいの難易度なのかさえ分かっていなかった。見知らぬ世界に生れ落ちて半日も経ってない状態での決断だ。半ば強制的だったこともあり、多少不利な条件なのだろうとは予測はしていたが、同時にメリットについても諭された。今から思えばうまく乗せられた形だが、実際に悪くない提案でもあったので後悔はしていない。
少なくとも、今はまだ……負け惜しみで言い聞かせているだけかもしれない。
とにかく、目標はただ一つ。
ノージェルフォール結晶法訓練所で序列一位とやらになること。
結晶法などという破格の能力を得て、ちょっとした万能感に浸っていたことで自分の力を過信しているかもしれないが、なんとなくどうにかなりそうな予感はあった。
それは実際にヤーンロットの当主をぶちのめしたことでも立証されている。
かなりの実力者だった男を見よう見まねの結晶法で打倒できたことは、曲がりなりにも実力の証明ではあるはずだ。ここから更に知識を増やし、使い方を学べば更なる向上の余地がある。伸びしろは大きいはずだった。この世界において自分が異質なことは分かっている。
決して勢いだけで受けたわけではない。勝算は十分にある。多分、きっと、あって欲しいと願ってやまない。
(あ、あの子じゃないかなー?)
ユアリィの声で我に返る。
視界に広がるのは訓練所の門だ。その傍らに腕組をしている少女がいた。
訓練所の制服に身を包み、明らかに誰かを待っている。
さりげなく門を通る人間に視線を移し、すぐにまたあらぬ方向を見てを繰り返している。注視しすぎると失礼になるからだろう。結晶者にとって、己より強い者を見つめることは恐怖だ。
少女はダークブラウンの髪をポニーテールで結んでおり、すらっとした体つきと理知的な美人顔をしていた。
横顔も美しくきっと清楚な性格なのだろうと思われた。その眼鏡の奥で何を思っているのかと考えていると、不意に背後の壁に後ろ足で蹴りを入れた。微妙に地面が揺れた気がするほどの衝撃があったような。気のせいだろうか。
次いで、舌打ちする声が聞こえてきた。無表情なので余計に怖い。
(なんか、第一印象と違う気がしてきたぞ、あいつ……)
(というか、きっとナナちゃんを待ってるんだよ。早く行った方がよくない?)
確かにそれは間違いない。木陰になっていた場所から移動して、その少女の方へと向かう。
その間に、事前に教えられていたその名前を思い出す。
アーシャ=イェネファン。
それがこの訓練所で、ユアリィの従者としてヤーンロット家から告げられた者の名だったはずだ。確かめようと声をかけようとして、ぱっと目が合った。
一瞬の沈黙。
やはり整った顔立ちで美人だったが、正面から対峙している今、なぜか完全に睨まれていた。明らかに険しい視線だ。その威圧感に声が出なかった。代わりに、相手の方が口を開いた。
「ユアリィ=ブラニューデ様ですね?15分ほどの遅刻です。時間も守れないクソ虫なのですか?謝罪の言葉は?」
いきなり罵られた上に謝罪を要求された。
清楚はどこへ消えたのか。いや、勝手な憶測だっただけか。それにしても、初対面での圧が強すぎる。従者ってのは確か主人に付き従う者って意味ではなかったっけか。あれ、俺が主人だよな?
面食らって何も言えないでいると、
「失礼しました。つい本音を。それで、頭がお花畑の本人で間違いありませんか?」
冷静になってくれたかと思ったが、さりげなくやはり毒が入っている気がする。わざとか天然なのか、一体どっちだ。
(なにこの子、おもしろーい!)
ユアリィの妙な感想でようやく変な停止状態から回復する。
「ああ、俺がユアリィだが、そっちも従者役のアーシャでいいのか?」
無言で頷く翡翠色の瞳が、こちらを値踏みするように細められた。
もっと従順な従者が欲しいという思いが、ナナシの第一印象だった。