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結晶詐欺伝  作者: 雲散無常
第一章:Stone In Chaos
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1-1


 薄暗い洞窟をたった一人、少女が歩いていた。

 松明を掲げながら恐る恐ると言った足取りで、ゆっくりと進んでゆく。

 腰には太いロープが結ばれており、その先は暗闇で見えなかった。

 「こ、こっちでいいのかな……?」

 少女はか細い声で誰にともなく呟く。返事を期待してのものではない。誰も答えてくれるとは思っていない。

 それでも、不安で口にせずにはいられなかっただけだ。

 まるで見知らぬ暗闇の洞窟の中だ。丸腰で身を護る武器も持っていない。もっとも、剣の類があったところで扱えはしないのだが。

 「だ、誰もいませんよねー?」

 震える声で確認しながら、少女は前へと進む。戻るという選択肢はなかった。

 ここに連れてこられた時点で、退路などもうない。使命を果たせと命令されたなら、そうするしかなかった。

 ゆっくり、ゆっくりと足元を確かめながら歩を進める。

 洞窟の天井は高いが、今歩いている通路のような場所の横幅はそれほど広くもなかった。両手を広げた少女が三人くらい並べば両端に届くだろう。ただ、松明の明かりはそこまで届かない。両脇には未知の闇が広がっている。突然何かが飛び出してきたらどうしようもない。

 それが分かっているだけに、鈍足でしか進めない。

 何か物音がする度に足を止めそうになる。だが、それも叶わない。後ろには遠征隊の兵士たちがいる。先行して偵察をするのが少女の役目だった。自分一人のわがままで迷惑をかけるわけにはいかない。

 「だいじょうぶ、だいじょうぶ……」

 自らに言い聞かせながら、少女は前へと足を運ぶ。

 その遥か後方には、そんな少女のロープの端を持った者がいた。少女が進むたび、大量の輪になったロープを送り出す役だ。他にも三人ほど、そのロープを運ぶだけの役割の者が控えている。

 「順調に進んでいるのか?」

 「はっ!ゆっくりとではありますが、着実に先へと進んでいます!」

 兵士は上官を飛び越えて、指揮官にあたる大物に直接問われて緊張しながら答えた。

 そんなガチガチに固まった兵士を一瞥することもなく、「そうか」と頷いてデガウスは隣の参謀役のバクラを振り返る。

 「このやり方で本当に上手くいくのか?」

 「予測では六割程度で成功する見込みです。少なくとも我らにとって損はないでしょう。あの毒娘の処理としては有用であるかと」

 眼鏡のフレームをくいと押し上げた参謀役のバクラは、どこか遠い目で洞窟の入口を見つめた。

 少女以外の部隊兵たちは、未だにここで待機している。

 「毒娘か……実際に体感するまでは眉唾だと思っていたが、あれはとんでもない結晶法クリスタだな」

 「ええ、まったくです。ただ、本当に結晶法なのかは未だ不明ですが。まぁ、効果は邪物バウト相手でも確認済ですので、後はどの程度まで効くかです」

 バクラは腕時計を気にしながら主人へと答える。

 「で、あとどれくらい待てばいいんだ?」

 「一応、試算では今日中に何らかの結果が出るはずです。といっても、中の障害物の数については信頼度が低い予測に基づいているので、正確性についてはかなり疑問が残りますが……」

 「あの毒娘がどれだけ倒せるかにかかってるわけか……」

 デガウスは無意識に己の手の甲にある結晶石クリーシを撫でた。

 「邪物にやられた後に吸収できるかどうかさえ分からぬとはな。特異種ユニークとはつくづく厄介なことだ」

 「最悪、あの娘のものが無駄になろうと、天然ものが手に入りさえすればこの遠征は意味のあるものになるでしょう」

 「そうでなくては困る。わざわざ私がこんな辺境にまで出向いたのだぞ?成果なしで終われるものか」

 「はい。ただ、その天然の結晶石も相性問題でデガウス様に適合しない場合があることはお忘れなきよう。そればかりは誰にも予測は不可能なことですので」

 「ふん、分かっている。その場合は、適合するやつを眷属にでもするしかない。天然ものを他の門閥に渡すわけにはいかぬからな」

 結局、彼らが洞窟に侵入するのは翌日の午後となった。

 少女のロープの反応がなくなるのが想定より長かったことと、安全のためにより長い待機時間を設けたためだ。毒の効果が蔓延する閉鎖空間に迂闊に踏み込めるはずもない。

 湿気った空気の洞窟内を進みながら、バクラが前方を歩く男に確認する。松明を掲げた男は兵士といった格好ではなく、どこかの村人のようだった。

 「それで、あの毒は本当に消滅するのだな?」

 「はい。それは間違いありません。あのバケモノの毒はその場にヤツがいなければ効果を発揮しません。それに、こうしてミケ鳥を先行させていれば、万が一の時でも危険は察知できます」

 男の指には細い糸が巻き付いており、その先には小鳥がつながっている。洞窟内の異様な空気を察知すれば逃げ帰ってくる単純な仕掛けだ。

 「バケモノ、か。だが、貴様ら無石者ヌシータには無害なのであろう?」

 「それはそうですが……邪物でも結晶者でも、結晶力があるもののほとんどがヤツに近づくだけでバタバタと倒れて死ぬんですよ?大丈夫だって言われたって、安心なんかできません……」

 「まぁ、こんな惨状を見ていたのなら、気持ちは分からんでもないがな……」

 バクラは光に照らされた洞窟内の躯を遠目に眺める。

 大小さまざまな生物が通路の至る所で力なく横たわっていた。中には成人男性の三倍はあろうかという巨体の生き物もある。口元から血を吐いて完全に息絶えていた。

 あの少女が通った痕跡に違いなかった。

 バケモノや毒娘と呼ばれる所以だ。なぜか少女の周囲にある生命体はその命を枯らす。特異種の結晶法のせいだと言われていた。不確かなのは、その力の解明が不可能だからだ。

 大陸でも唯一無二の結晶法だろうと推測され、研究しようにも至近距離では何もできなかった。危険すぎるので処分しようにも、遠距離での結晶法による攻撃もすべて無効化される始末だ。一方で積極的に排除してしまうにはその特殊性は有用に過ぎた。ゆえに、何とか有効活用する術を見出すべく、慎重に研究が進められることになった。

 幸いにして本人に敵対意志はまったくなく、協力的でさえあったので監禁状態で実験を繰り返していた。自らもその体質をどうにかしたいという意思はあったのだろう。その結果、結晶者ではない無石者には影響がないということが分かった。彼女の毒は結晶力に反応するという仮説が生まれた。

 しかし、それは重大な発見ではあったものの、それ以上に発展することもなかった。単に世話役が無石者になっただけだった。無石者に結晶力の研究は不向きだ。その能力がないのだから当然である。そうして毒娘は半ば飼い殺しの状態になっていた。

 そこへ天然の結晶石の発見の報がもたらされた。持て余していた少女の使い所だと、バクラが進言して連れ出したのが今の状況だった。

 件の洞窟内には邪物が溢れていて危険であり、奥には強力な個体もいるという報告が先遣隊からあがっていた。

 ならば、そこで毒娘の特殊性がどこまで機能するのか。その実験の場として丁度良かろうという話だ。

 どうせ放置気味になっていた少女だ。特異種だとしても遊ばせている余裕はない。生死も含めて有益な使い方だった。

 「で、毒娘は死んだということか?」

 背後からデガウスがあくび交じりにバクラに尋ねる。

 「デガウス様。前線には来ないように言ったはずですが?万が一があっては困ります」

 「その鳥で安全確認しているのだろう?後ろは飽いた。私の隊だ。状況は最前線で見る。散々待たされたんだからな」

 それ以上言っても聞く主ではないことを知っているバクラは、即刻説得をあきらめた。

 「……生死は不確定ですが、長期間反応がないことから意識不明であることは間違いありません。ロープのみが何らかの原因で切れた可能性もありますが、その場合は特定のパターンで合図を送るように言ってありますので」

 「裏切った可能性は?」

 「それはないかと。あの者は信じがたいほど純粋と言いますか、あのような状況下でもこちらに感謝していたくらいの愚か者です。我らの益になるのならと今回も張り切っていたくらいなので、命令以外のことをするとは思えません」

 「呆れるほどのバカだな。聞いた通りの境遇なら、そんな能天気な思考になるとは到底思えん……まぁ、貴様がそこまで言うならひとまず信じるしかないが」

 と、その時。

 ピューイという鳴き声と共にミケ鳥が引き返してきた。

 辺りに緊張が走る。

 危険な何かが目の前に迫っているということだ。

 すぐさま兵士たちが前に出て前方へ火矢を飛ばした。やや遠方までの周囲を淡い光が照らし出す。

 前方には開けた空間が広がっていた。夥しい数の邪物の成れの果てが倒れていた。かなり大きな個体もあり、芋虫のようなものから熊のようなものまで種類も様々だ。死骸で地面が埋め尽くされそうになっている。今までその匂いに気づかなかったのが不思議なくらい、目にした途端に吐き気を催す臭味が広がってきた。

 「うぐっ……」

 誰かがえずくのを必死に我慢している声を出した。

 ただし、前方で動くものは皆無だった。不気味な静けさに包まれている。

 「……鳥は何に反応したのだ?」

 デガウスの問いに、バクラは黙考したまま答えない。視線は前方を睨んだままだ。火矢が地面に落ちた後もその周囲を照らしているので、陽炎のように揺れる視界は不気味で幻想的でさえある。恐ろしさと同時にどこか目を奪われるような怪しい魅力があった。

 静寂が続く。誰かがごくりとつばを飲み込む音が聞こえた。

 次の瞬間。

 右手の方で影が動いた。

 「来るぞ」

 デガウスが忠告を発すると同時に、前線にいた兵士が幾人か吹っ飛ばされた。

 「光を!」

 大々的に光源を用意すると邪物も集まってくる危険があった。だからこその火矢だったが、戦端が開かれた今はそうも言っていられない。バクラの指示ですぐさま上空に光の球の結晶法が飛んだ。周囲が煌々と照らされる。

 「でかいぞ!?」「狼か!?」「爪に気を付けろ!」

 巨大な邪物の姿がそこにあった。黒いもやをまとった四つ足動物の輪郭には頭部が二つあった。確かに狼のような顔立ちだが、その牙は齧歯類のように前歯が飛び出ていて特徴的だ。

 「例の強力な個体か?」

 「可能性はあります。デガウス様は一旦お下がりください!」

 「馬鹿を言うな。私にも楽しませろ」

 デガウスは右腕を突き出して、風の結晶法を繰り出した。豪速の突風が吹き荒れて邪物を襲う。

 すれ違いざまに風の刃で切り刻まれた邪物は「GYASYAーーーーーーーー!!!!」と悲鳴のような叫び声をあげて後退する。

 「囲んで倒せ。他には気配がない。あれが最後の一匹だ」

 兵士たちが指示に従って駆けてゆく。デガウスは鋭い眼光で参謀役に向き直る。

 「もう一段階先が本番だ。注視しておけ」

 バクラは無言でうなずいた。既に次の結晶法の準備をしている。

 洞窟内は光球であますことなく照らされていた。邪物の屍の絨毯の上、兵士たちが槍で追い込んだ巨大な邪物を突き刺している。手負いの狼狩りの様相だった。通常であればもう相手は虫の息で倒れる寸前だろう。

 だが、強力な邪物は瀕死状態から急激に復活する特性がある。ある種の変態だ。生命の危機に反応して進化するという説が有力視されていた。

 それを証明するように、最後の一突きとばかりにある兵士の槍がその中心に深く埋め込まれたとき、二つの狼頭がそれぞれ中心から真っ二つに割れて奇妙な肉塊となって膨張した。

 血みどろでぶよぶよとした気味の悪いそれが黒いもやを撒き散らしながら暴れた。そのもやに触れた兵士たちが苦しそうにもがいてその場に倒れ込む。

 優勢だった局面が一瞬でひっくり返っていた。

 「全員撤退させろ!これ以上は無駄だ」

 その命令は少し遅すぎた。

 邪物はどこから出しているのか、突如耳障りな咆哮を放った。

 バカラはとっさに障壁の結晶法を前方に展開するが、その範囲は近くのデガウス周辺しかカバーできなかった。

 瞬きの間に、周囲にいた部下たちすべてが倒れ伏していた。悲鳴の一つもなく瞬時に蒸発したかのように焼け爛れていた。音波のような攻撃だと思われた。

 かろうじてバカラの背後にいた者たち数人が生き残った。

 「い、一体何が……」

 恐怖に震える兵士の声にデガウスが詰めたく言い放つ。

 「あれは特異種だ。貴様らの手に負えるものではない。手駒を大分失ったな。無駄にはせん」

 冷静にそれを見据えたまま、デガウスは風の結晶法を操って背後から結晶石を手繰り寄せる。部下の兵士たちの手の甲から器用に剥ぎ取ったものだ。適合するものだけを厳選して、無造作にそれらを口に放り込んだ。

 噛み砕くわけでもなく、ただごくりと飲み込むと、残った結晶石をバカラに差し出す。

 「頂きます」

 バカラもそこから幾つかを選別して飲み込む。更に余ったものを生き残った部下に託して、主にうなずく。

 「私の前には出るなよ。必要なときのみ、貴様の障壁で護れ」

 そこからの戦いはデガウスと邪物との圧倒的な力の応酬だった。戦術も何もない。純粋な結晶力のぶつかり合いのような嵐だった。

 時間にして10分も経過してはいまい。

 最終的にその場に立っていたのは、結晶者のデガウスだった。上等な衣服は無残に切り裂かれ、左手に至っては折れているのかだらりとぶら下がったままだ。

 その身を支えるように肩を貸しているバカラも満身創痍だった。眼鏡はどこかに飛ばされ、常に冷静沈着だった表情は疲労で歪んでいた。

 「どうにか、なりましたか……」

 息切れしながらの参謀役の声に、デガウスは首を振った。

 「いや、まだだ。ここに来た目的をまだ果たしていない。天然ものはどこだ?」

 貴重な結晶石を求めての遠征だ。邪物はその障害物に過ぎない。

 しかし、この広間にそれらしいものは見当たらなかった。結晶法による光の球は、いつまにかその効力を大分弱めていた。もっと奥なのだろうか。あまりにも多くの邪物の躯に溢れているため、ここが最終地点の気がしていたが、まだそれを確認してはいない。

 気を利かせた部下の一人が、新たに松明に火をつけて辺りへ放った。

 再びほのかに照らされる洞窟内。

 死体だらけの凄惨な光景。血の匂いと動物たちの臓物や液体。おぞましい地獄絵図のような視界の隅に、堆く摘み上がった奇妙なものがあった。

 それは朽ち果てた樹木の成れの果てだろうか。

 太い幹の周囲には砂利か何かの細かい石やら、拳大の岩などが埋め込まれたように点在し、歪な姿をさらしている。半端に背丈のあるそのオブジェは、それでも永年の月日を感じさせた。

 そんな樹の中腹には洞が広がっていた。ぽっかりと空いた不気味な楕円形が、何かを飲み込もうとするかの如く口を開けている。

 そこから不意に一人の少女が這い出てくる。

 ほぼ破れた衣服しか身にまとっておらず、血塗れの姿だった。青みがかった銀髪はそれでも美しく、光を反射して一層輝いて見えた。

 「くそっ、気持ち悪い……」

 そんな神秘的な少女から発せられた第一声は乱暴な言葉だった。

 呆気に取られているデガウスたちに気づくことなく、少女は地面に向かって唾を吐き出す。

 「空気が悪い。とりあえず、水が飲みたい……いや、作ればいいのか?でも、飲めるのか?」

 独り言を呟くのは、死んだと思っていた毒娘に違いなかった。

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