44 普通、果物の果汁をそのまま飲むことはないらしい
きっとすごく驚くだろうなぁと心の中で笑いながら、カップへオレンジジュースを注いでいく私。
一杯目を注ぎ終わったところで次のカップへ移ろうとしたんだけど、
「アイリスさん、割る水はあのじゃぐちとかいう所から汲めばいいのですよね?」
と言うミラベルさんの言葉で中断させられることになった。
「割る水?」
「はい。この果物の果汁を見るのは初めてですから、その原液をどれくらいの水で割ればいいのかは教えてくださいね」
えっと、このオレンジジュースを水で割る気なの? そう思いながらジュースの紙パックを見る私。
「えっと……どういうこと?」
言われた意味がよく解らずミラベルさんに質問すると、果実水を作るのですよね? と逆に聞き返されてしまった。
「果実水?」
「はい。果物のしぼり汁を水で割ったものですけど、もしかして都会では違うもので割るのですか?」
知らなかったのですみませんと謝るミラベルさん。
いや、それ以前にオレンジジュースを何かで割るなんて想像もしてなかったんだけど。
「お酒をこれで割るんじゃなく?」
「ええ。都会ではそうじゃないんですか?」
ミラベルさん曰く、果物はとても貴重で高いから、その果汁は何倍かに薄めて飲むのがこの世界での常識らしい。
このオレンジジュースはかなりの濃度があるようだから、5倍くらいですかね? と聞かれてしまった。
……誰だよ、現代技術の粋をきわめた品種改良の力を見よとか恥ずかしいこと言ってたやつ。
私だよ!
「えっと、これはそのまま飲むものなんだけど」
とりあえずそう言ってみたんだけど、笑顔でそんな訳ないじゃないですかと言われてしまった。
「それほど濃厚な果汁となると果物の大きさにもよりますが、カップ一杯分でも5個か6個は必要ですよね。それをそのまま飲むなんて、大店の主人でももったいなくてやれませんよ」
「そうなんですか……」
世の中を知らないと思いっきり自己申告してたんだなぁと、ものすごく恥ずかしくなる私。
でも、せっかくフローラちゃんたちが来てくれているのだから、このオレンジジュースのおいしさを味わって欲しいんだよなぁ。
そう思って提案してみたんだけど、
「とんでもない。そんな贅沢なこと、させられませんよ。また飲みたいと言いだしたらどうするんですか」
すごい勢いで断られてしまった。
そうですよね。お金持ちでもそんな飲み方はしないって話ですものね。
それでもあきらめきれない私は、ミラベルさんに頼み込むことに。
「信じられないかもしれないけど、私の国ではこれをそのまま飲むの。だから今日だけ、今日だけでいいからこのまま飲まない?」
なぜ振舞っている側の私がこんなこと言ってるんだろう思いながら、ミラベルさんにお願いする私。
その熱意が伝わったのか、今回だけですよとお許しをもらえた。
「ありがとう、ミラベルさん」
「お礼を言われるのもなんか変なんですけど」
困った顔をされてしまったけど、言質を取ってしまえばこっちのもの。
私は嬉々として、カップにオレンジジュースを注いでいく。
そしてその数が4つになったところで、次のカップに注ごうとしている私を止めるものが出て来た。
「アイリス様。私の分は結構です」
そう断ってきたのはシャルロット。
曰く、使用人が客人と席を共にすることなどありえないそうな。
「そんなの、気にすることないのに」
「私が気にしますし、ミルフィーユの耳に入れば叱責を受けることになると思います」
そう言われてしまっては仕方がない。
言葉の裏に、怒られるのは私だけでなくあなたもですよと言う意味が見え隠れするからね。
私だって成長するんだ。楽観的に行動して、またあの延々と続く地獄の説教を受けたいとは思わない。
「仕方がない。私たちだけでいただきましょうか」
そう言って席に着くと、シャルロットがそれぞれの前に切り分けたフルーツがのった皿をを出してくれた。
ホント、私なんかよりはるかに優秀な使用人だ。
「アイちゃん。これみんな食べていいの?」
「そのために切ったのだから、全部食べちゃっていいよ」
私がそう言うと、フローラちゃんたちははやったぁって言いながら和菓子についているような太めのつまようじを桃に刺してパクリ。
「わぁ! お母さん、これすっごくあまいよ」
「おいちい! あたち、これすき」
二人とも気に入ってくれたようで、お口をベタベタにしながら桃を頬張ってる。
それをニコニコしながら見守っていたミラベルさんも、桃を一口。
すると目を見開いて驚いたかと思ったら、こんなこと言いだしたのよ。
「アイリスさん。これ、間違ってない?」
「えっ? なにか変なところでもあった?」
シャルロッテが切ってくれたものだから、おかしな所があればきっとその桃は取り除いてくれているはずなんだけど。
そんなことを考えながら聞いてみたんだけど、どうやらそうではなかったみたい。
「これだけの甘さを出そうと思ったら高い肥料を使用したり、実の数を制限したりした特別な栽培方法を取らないといけないはずだもの。ウェルトン商会の支店長さんのために用意したものを間違って出してしまったんじゃ?」
ミラベルさんは農業都市に住んでいるだけあって、果物の育て方もある程度は知っていたらしい。
その知識から、これは自分たちに出すようなものではないと考えたみたいね。
でも、私からすると特別なものではない訳で。
「ああ、大丈夫よ。別に間違ったわけじゃないから。そこの冷蔵庫から出したのはミラベルさんも見ていたでしょ?」
「そうだけど……」
そこで間違ってないよと言ってはみたんだけど、どうやら今一歩信じ切れていない様子。
そこで本当のことだけど、ある意味ウソを含んでいる話をすることにしたの。
「私の本当の家なんだけど、かなり魔素の濃い場所にあるのよ。これはそういう土地でしか採れない果物なの」
うちの城にある自販機か食糧庫、あとはその庭に置いた畑ユニットからしか採れない果物だからなぁ。
実際、この家の食糧庫は魔素量が少なすぎて使えないもの。別に嘘はついていない。
「だからこの辺りでは珍しいかもしれないけど、私からすると普段から食べているものなのよ」
これも本当の話。城にいる時は、いくら食べても次の日には食糧庫に自動で補充されていたからね。
「でも、それじゃあやはり貴重なものなんじゃ?」
「大丈夫大丈夫、定期的に送ってもらうつもりだから。流石に売るほどはないけど、自分たちで食べる分や周りにおすそ分けするくらいなら不自由しないわ」
冷蔵庫の中には、他にも食材がいっぱい入っていたでしょと笑う私。
それを聞いてミラベルさんは、少しだけほっとしたみたい。
これなら安心して食べてもらえそうねと考えていたんだけど、カップに入ったオレンジジュースを一口飲んだフローラちゃんたちが、
「これもすっごくおいしい! お母さん、うちでもこれ飲みたい」
「のみたい!」
なんて言いだしたものだから、やっぱりこうなったじゃないのという少し非難めいた眼で見つめられることになってしまったのだった。




